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- 221 - 66,12月21日 月曜日 15時35分 ホテルゴールドリーフ66.mp3 【お知らせ】 このブログは「五の線リメイク版」https://re-gonosen.seesaa.netへ移行中です。 1ヶ月程度で移行する予定ですのでご注意ください。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「一色貴紀。」 「そうです。」 松永はため息を付いた。 「あのバカ…。」 彼は下唇を噛んだ。そしてホワイトボードに貼られている顔写真を見つめ、再び十河と相対した。 「さっきも言っただろう。覚悟はできている。」 松永は彼の視線からは目を離さず、こう言い切った。暫くの沈黙を経て十河の目が充血し、瞳から一筋の涙が流れ落ちた。 「十河…。」 「理事官、申し訳ございません…。私は嬉しいんです。若手警察官、しかもキャリアの貴方が一心不乱に真実を追い求めてひた走る姿を見ることができて…。」 「なんだなんだ。おまえやめろよ。本題はこれからだろう。調子が狂うじゃねぇか。」 松永は頭を掻いた。 「すいません。本題に移ります。先ほど私がお話したマルホン建設、仁熊会、金沢銀行の関係性に新たに加わるものがあるんです。それが衆議院議員本多善幸と我が県警です。」 「なに。」 「本多善幸と県警のつながりは10年前ほどからです。そのころ国政で大きな動きがあったのを管理官は覚えてらしゃいますか?」 「10年前?10年前って言うと…イラク戦争とかいろんな銀行が合併したとかそんなところしか思い浮かばん。国政レベルって言っても…あの時は…民政党の大泉総理の長期政権中だ…。いや、まて…そういえば、今の最大野党の政友党ができたのはそれぐらいだったかもしない。」 「そうです。政友党ができました。理事官。政友党の実力者は誰ですか?」 「小金沢だろ。」 「はい。小金沢は民政党を割って政友党を結成しました。ヤツは民政党で本多が幹事長になるまでの間、権勢を誇った大物政治家でした。しかし奴はどちらかというと民政党の中でもリベラルな立ち位置。いつの頃からか小金沢は官僚に実質的に支配されているこの国の形を憂い、今一度改めて政治主導の国を作るという思想を高らかに叫ぶようになります。この小金沢の主張は民政党の中で物議を醸し出すことになります。そのころ小金沢に真っ向から対立する形で政治主導の思想に異を唱えたのが本多善幸でした。彼は昔ながらの利益誘導型の政治家。官僚の思惑と自分の票を上手くすり合わせることによって、その盤石な地盤を築いてきました。民政党自体がそういった背景を持つ議員ばかりで構成されていましたので、彼の意見は党内で一気にコンセンサスを得ることになります。ここで小金沢と本多の対立が表面化します。どちらも民政党のベテラン議員。両者の権力闘争は熾烈を極めます。二人の対立が激化したある時のことです。この県警に小金沢の秘書がやってきます。」 「秘書?何をしに。」 「どうやら当時はまだ明るみになっとらんマルホン建設と仁熊会の関係を匂わすようなことを、当時の県警上層部に吹き込んどったようなんですわ。」 「お前らはその時点でそのことに気づいていいなかったのか。」 「はい。我々がマルホン建設と仁熊会のことを調べ始めたのはこのリークがあったからです。」 「調べてどうした。」 「いま理事官に言ったようなことがぼろぼろ出てきました。」 「だが、それだけでは立件できない。」 「そうです。そこでガサを入れようとしたんです。しかし…。」 「しかし?」 「令状の請求時点でそれは握りつぶされました。」 「なぜ。」 「本多の上層部買収です。」 「何…。」 「理事官。当時のウチの本部長は誰だと思います。」 「…知らん…。」 「石田長官ですよ。」 「まさか…。」 「そのまさかなんですよ理事官。」 「警察庁長官、石田利三(トシゾウ)か…。」 松永は肩の力を落とした。そして手にしていたサインペンをそっとテーブルの上に置いて、椅子に座った。 「官僚との対決姿勢を打ち出した小金沢よりも、調整型の本多のほうが与し易かったんでしょう。小金沢からの働きかけにも関わらずウチは本多を取ります。ほんで臭いものに蓋をするわけです。」 松永は頭を抱えた。 「本多を狙ったスキャンダル事件は発覚することはなくなりました。ほんで形勢は本多の方に傾きます。党内の保守派の意見を取りまとめて党内基盤を固め、あいつは次なる一手を撃ちます。」 「検察上層部も取り込んで公共事業口利き事件をでっち上げる。」 「ご明察です。ありもしないことを検察リークという形で大々的にマスコミに報じさせるわけです。このニュースは一時期世の中を騒がせました。本多はいろいろやったんでしょう。今は退官していますが、前の検事総長も本多の息がかかっとると噂されとりましたからね。結果、小金沢の権威は失墜します。奴は民政党から半分追い出されるように離党。以前から親交があった野党と合流し、政友党を結成するわけです。本多のスキャンダルは司法関係のグリップを聞かせとるから明るみにはならん。しかし小金沢はグリップがきかんため、現在も公判中ですわ。」 「警察も検察も本多とずぶずぶってわけか。」 「検察に関しては畑が違いますんで、私はよくわかりませんが、少なくともウチに関してはマルホン建設と仁熊会、そして金沢銀行の関係は歴代上層部で秘匿事項として引き継がれとります。」 「引き継がれているからこそ、そこに手を入れようとした一色の捜査請求をもみ消した。」 「理事官。さっき北署で言ったように、私には一色の捜査請求をもみ消した当事者はわかりかねます。しかしこれだけは分かるんですよ。県警上層部と察庁上層部が何かを寄って集ってもみ消しとるってことはね。長い間ここにおったら、それぐらいのことは調べんでも空気でわかるようになりますわ。」 「なるほど。よくわかった。」 松永は立ち上がって部屋の奥に続く扉を開いた。 「おい。こういうことだそうだ。」 部屋の奥からヘッドフォンをつけたままの男が二名現れた。突然の彼らの登場に十河は驚きを隠せない表情である。 「あ…」 「ということは俺らが聞かされていた情報はどうやら本当のようだな。」 容姿端麗な男はつけていたそれを外し、松永の方を見て口を開いた。 「そのようだ。」 「しかし、お前も役者だな。」 「何が。」 「お前、上層部からの指示で捜査本部の指揮をとってるんだろう。」 「宇都宮だけならいざしらず、石田長官まで絡んでるとは思わなかったよ。」 突然繰り広げられる男三人の様子に唖然としていた十河は、なんとか口を開いて言葉を発した。 「理事官…これは一体…。」 「ああ、十河。言っとくがおれは理事官でも何でもねぇ。」 「はい?」 「監察だ。」 「え…。」 「国家公安委員会特務監察専任担当官。松永秀夫だ。」 「何ですって…。」 「この二人は東京地検特捜部機密捜査班の人間だ。」 直江は松永の方を見て何でそんな事を十河に話す必要があると詰め寄ったが、本人を前にしてお互いが言い争うのは良くないとの高山の諌めを受けて、襟を正して十河と向き合った。 「こんな紹介を受けてしまっては機密も何もあったもんじゃありませんが、よろしくお願いします。直江といいます。」 「同じく高山です。」 「今聞かせてもらった話の続きは北陸新幹線に繋がっていくということで宜しいでしょうか。」 「え、ええ…。」 「確認のためにお話します。十河さん。私の話に間違いがあるようでしたら、違うと言ってください。逆の場合はそのままお聞きください。」 「はい。」 「仁熊会のマルホン建設に対する侵食は田上地区の開発にとどまることは無かった。彼奴らは関わった連中から全てを毟り取る。すでにマルホン建設と仁熊会は蜜月の関係。そこは慶喜が勤める金沢銀行の存在すら介在している。気付けば三者は一心同体の運命共同体のようになっていた。本多はいまあなたが言ったように司法関係に手を回し、グリップを効かせている。こんな状況下で仁熊会は放っておきません。マルホン建設は石川県では一番のゼネコンです。そして金沢銀行も石川の経済を支える有力第一地銀。両者とも石川の経済の屋台骨をになっている。そこで仁熊会は更なる見返りをマルホン建設に要求するようになる。」 「すいません。恐縮ですが、仁熊会は決して見える形で要求はしません。」 「ああ、すいません。言葉が悪かった。仁熊会は運命共同体であるマルホン建設と金沢銀行の慶喜との間で更なる利権を作り上げることを画策する。それが北陸新幹線にかかる用地取得のインサイダー取引です。」 「そうです。北陸新幹線事業はベアーズが土地を国に売り払った頃から本多が唱え始めた政策です。あの頃はまだ単なる構想にすぎなかったはずなのに、既に彼奴らは準備をしていました。」 「ベアーズデベロップメントは、バブル崩壊後、地価が下がり続けているにも関わらず、田上地区の土地だけでなく、田舎の山や田畑を宅地開発の名目で買います。なぜ構想間もないこの頃にベアーズが土地に当たりをつけていたか。既にこの段階である程度の素案が国建省で作成されていたからです。それを建設族の本多が入手しリーク。土地購入資金の用立ては弟の慶喜が関与。二束三文で買った土地はしばらくの間適当に開発され、計画が行き詰まったとかの理由で放置される訳です。」 「あなたのおっしゃる通りです。そして田上の頃とは比べものにならん程の壮大な工作活動が始まるわけです。」 高山が十河に缶コーヒーを差し出した。 「そこまで調べ上げてるんでしたら、皆さんお分かりでしょう。」 「まぁ大体のことはな。」 松永も高山から提供された缶コーヒーに口をつけた。 「ここが闇の本質です。さっき10年前に本多と小金沢の政争の道具に警察が使われたと言いましたね。」 「はい。」 「私はそこで金が動いたと言いました。」 「そうだな。」 「それですよ。原資は。」 皆と同じく缶コーヒーに口をつけた高山は咳き込んだ。 「ですよね。文脈からいくとそうなりますよね。」 「理事官。直江さん。これは大疑獄事件なんですよ。」 全員が沈黙した。しかし彼らの表情は何ひとつ変わることはない。 「ここにあいつは切り込もうとした。」 「そうです。当時、一色はこっちに赴任してきて間もない頃だったんで、そこまでの関係性を把握しとらんかったでしょうが、上層部は横領事件に絡む仁熊会へのガサをきっかけに事が明るみになるのを拒んだ。だから一色の捜査請求も取り上げられんかったわけです。」 松永は再び大きな用紙が置かれたテーブルに移動した。 「しかし、そんな大掛かりな枠組みを作るためには誰かを統括する立場に据えなければならない。本多自身が全てを仕切れるわけもない。」 彼は大きな紙に書かれた人物の名前を目で追った。 そしてそこに書かれているひとりの男の名前を指差した。 「こいつか…。」 室内の全員がその名前を見た。 「よし。松永。俺は今から部長に報告する。お前もすぐに段取りを整えてくれ。」 「わかった。」 「私は関係各所に連絡します。」 直江と高山は奥に部屋へ戻って行った。 「一体…何が起こってるんですか…。」 松永は十河を見た。彼の口元には緩んだ。 「時は今、雨がしたたる、師走かな。」 「…雨、ですか…。」 十河は辛うじて外の様子が見える窓を眺めた。 「雨なんか降っていませんが…。」 「今にわかる。十河。ありがとう。ここでのやり取りは一生記憶から消してくれ。」 「は、はい。」 「お前のような警官ばかりだと、この世も少しはまともなんだろうがな…。」Thu, 07 May 2020
- 220 - 65,12月21日 月曜日 14時55分 ホテルゴールドリーフ65.mp3 【お知らせ】 このブログは「五の線リメイク版」https://re-gonosen.seesaa.netへ移行中です。 1ヶ月程度で移行する予定ですのでご注意ください。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー かつては金沢城の大手堀があったこの辺りはその一部を残して埋め立てられ、今では道路が走っている。この道路に沿うように何件かの宿泊施設が並んでいた。近江町方面からこの辺りまで歩いてきたひとりの男は立ち止まって見上げた。そこには背は低いが真新しい5階建てのホテルがあった。この辺りは金沢城や兼六園のすぐ近くであるため、景観保持ということで建物の高さに制限が設けられていた。無論それは宿泊施設においても例外ではない。彼は握りしめていた拳を開いて、そこに目を落とした。そして建物の正面玄関に掲げられている看板に目をやった。 「ここやな。」 彼は寒さに身を竦めながらその中へと足を進めた。自動ドアが開かれるとすぐそこはフロントロビーだった。ロビーの中央には大きなクリスマスツリーが配され、様々なオーナメントによって凝った飾り付けがされていた。彼は左腕の時計を見た。今日は12月21日の月曜日。今週の木曜日はクリスマスイブということもあって、このロビーの客層はガラリと変わるのだろう。彼は周囲を見回した。平日の夕刻ということもあって、客はまばら。せいぜいが暇を持て余した老年層がロビーにある喫茶店で、日常会話に興じる程度だった。彼はそれを横目にエレベーターの前に立った。しばらくしてそれは開かれ、彼を5階まで運んだ。扉が開かれるとそこに男が立っていた。 「よう。」 先ほどまで北署で一緒だった松永が声をかけた。突然のことだったので彼は返答に苦慮した。 「あ、ああ…。」 「部屋は奥だ。」 そう言うと松永は十河を奥へ手引きした。 「512号室なんて部屋はここにはない。」 彼は苦笑いをした。 「秘匿性が求められる場合は、これぐらいの気遣いがホテルには求められる。」 部屋の前で立ち止まった彼は扉に記されている部屋番号が1512であることを確認した。松永はカードキーを取り出して扉を開いた。そして部屋に入ってすぐの壁に手にしていたカードを差し込み、室内の全ての照明を灯した。 部屋に通された十河だったが、3歩歩んだところで彼は足を止めた。 「何ですかこれは…。」 ゴールドリーフの1512号室は60㎡の豪華な作りのスイートルームであった。上質で機能的、そして贅沢でくつろぎのひとときを提供するというのが、スイートルームの本来の用途。しかし今、十河が目にしている情景はそう言ったものとは程遠いものだった。本来ならばこの部屋から隣接する金沢城址公園を望み、眺めの良さを楽しむはずの大きな窓はホワイトボードが置かれることで、その魅力を見事に失わせていた。そしてそのホワイトボードには様々な人物の顔写真、そして殴り書きに近い文字の羅列が見受けられる。側にあるテーブルにはノート型のパソコンが2台配され、そこにも数多くの書類が山積みとなっている。足元を見るとこれまた数多くの書類が乱雑に置かれ、部屋の隅には多くの段ボール箱がうず高く重ねてあった。 「帳場みたいなもんだ。」 松永はそう言うと部屋の隅にあるソファに腰をかけた。それはおそらく有名なデザイナーによるものだろう。しかし書類によって部屋が占拠されているので、その存在感は薄い。十河は落ち着かない様子で松永と対面するようにそれに腰をかけた。 「帳場って…。」 十河はソファに腰をかけて再度部屋全体を眺めた。 散らかっている。それが十河の素直な感想だった。そこかしこに散らばっている書類が目立つ。お世辞にも綺麗とは言えない。捜査本部もいろいろな人間が出入りし、様々な情報を吸い上げるためするため随分な状況だが、この部屋はそれに輪をかけたような有り様だ。 「俺は欲しい情報にすぐアクセスできないと気が済まないたちでな。この通りだよ。」 「で、早速なんだが。」 身をかがめていた十河は背筋を伸ばした。 「仁熊会とマルホン建設の関係性を詳しく教えてくれ。」 松永はソファに腰を掛けたまま地べたに落ちているA2サイズの用紙を拾い上げて、それを持って立ち上がった。そして山積みの書類をテーブルから退かして空いたスペースにその紙を広げた。 「どこから話せばいいでしょうか。」 「はじめから順を追って。」 十河は自分の額に手をやった。どのように話せば効率的に松永に情報を伝えることができるだろう。マルホン建設と仁熊会の関係は簡単に説明できない複雑さを持っているため、彼はそれを整理するためしばしの時間をかけた。 「…マルホン建設は国会議員の本多善幸の実家です。仁熊会とマルホン建設が関係を持ったのはこの善幸が社長だった時からです。」 一体何を書いているのか分からないが、松永は十河の言に従ってサインペンを走らせた。 「続けて。」 「私もマルホン建設と仁熊会がくっついたきっかけまでは知らんがですが、仁熊会の影があの会社にちらついてきたのは、バブルが崩壊したころからです。マルホン建設は金沢のいろんなところに土地を購入しとりました。勿論投資目的です。それが弾けてしまって、あの会社は随分な含み損を抱えたんです。さっさと損切りしようにも毎年価値が下がる資産なんざ誰も買いません。しかしそれをなんでかそんぐりそのまま買い取ったところがあった。それが仁熊会のフロント企業と言われるベアーズデベロップメントっちゅう会社ですわ。しかもバブルが崩壊して1年もたたんころの話です。」 「何だそれは。」 「正確な数字ではありませんが、確か全部で20億ぐらいやったと思います。」 「20億?」 「はい。これからどんだけ価値が目減りするかわからん物件をベアーズは全部買い取りました。その後も地価は下落します。ほんでもベアーズは手放さんかった。」 「それじゃあベアーズがみすみす損をするだけだな。」 「そうです。しかしあいつらがそんなボランティアなんかする訳ありません。あいつらがそのタイミングで土地を購入したのは訳があったんです。」 「何だ。」 「バブル崩壊から2年後に本多は衆議院議員選挙に打って出ます。その時にも仁熊会の影がちらほら見えとるんですわ。あいつの選挙運動をバックアップしとったイベント会社ってのがありまして、それがこれまたどうやら仁熊会系列の会社のようなんですよ。」 「ほう。」 「あいつらを侮ってはいけません。あいつらはあいつらなりのネットワークっちゅうもんを持っとります。その組織票も馬鹿になりませんしね。始めての選挙にもかかわらず、結果的に本多は圧勝し国会議員となるわけです。しかしこんな選挙ビジネスだけで仁熊会の損は取り返せません。マルホン建設は土地の売却あたりから、建設工事の下請けに仁熊会のフロント企業を使うようになります。暴対法では暴力団が自分のところを使えと要求することは禁じられておりますが、マルホン建設が進んで使うならば話は別です。あいつらは上手くマルホン建設に潜り込んで行くわけです。」 「そうか…所謂ズブズブってやつだな。」 「はい。そんなこんなで月日は経ち、本多が国会議員になって3年後の頃、田上地区の区画整理事業が突如として持ち上がったんです。」 「区画整理?」 「ええ。バブル崩壊から下落し続けとった地価はそこで下げ止まりました。あの辺りに幹線道路が作られるとか、大学が建設されるとかいろんな話が噂され、田上あたりの地価は高騰を始めます。まぁこの噂っていうのも仁熊会が積極的に流したやつなんですけどね。噂には尾ひれ背びれがついて、田上地区あたりだけがバブル再来のようになります。結局、地価はマルホン建設が手放した時とほとんど同じぐらいになりました。そこで区画整理事業が始まったんです。」 「用地取得か。」 「はい。田上には新たに国道が敷かれました。またうまいぐあいにこの国道っちゅうのが仁熊会が持っとる土地にことごとく引っかかっとったんです。あいつらは何かしらの理由をつけて取得価格を釣り上げます。結果的にあいつらは三割高値の売却に成功。20億の3割ですから6億の丸儲けですわ。」 松永はペンを走らせていた手を止めた。 「聞いたことがあるような話だな。」 「ええ。」 「それが闇なのか。」 「いいえ。まだです。」 「なんだ?本多善幸の国建省への働きかけか?」 「それもありますが、順を追って話します。」 「いったいどんだけあるんだよ…。」 「理事官。深いということはその闇がそれなりに広範に渡ってあるということです。要点だけを掻い摘んで説明するというのを困難にさせます。それにあまり端折ると物事の本質が見えにくくなります。なので簡単に説明できるものではありません。」 「わかった。わかったよ。続けてくれ。」 松永は両手を上げて万歳するように身体を伸ばした。 「はい。まず疑問に思うのが、仁熊会が20億の金をあっさりと用立てた点です。ひとくちに20億と言いますが、ここらの中小企業が簡単にキャッシュで用立てられるもんじゃありません。」 「確かにそうだ。」 「もちろん仁熊会もそれだけのキャッシュをポンと出せるほどの体力はありません。」 「…銀行か…。」 「はい。本多善幸の弟の慶喜は金沢銀行の行員です。彼は当時、とある支店の次長でした。彼がどうやらその時にベアーズデベロップメントにこの金を融資しとるようなんです。」 「なに?」 「マルホン建設は損を出す資産を売却したい。しかしバブル崩壊で誰もそんなもん買わん。そこでマルホン建設は仁熊会を噛ませることで、金沢銀行に損失を補填させた。」 「しかしその損失を補填する資金はあくまでも金沢銀行から仁熊会に対する貸付資金。借りたものは返さなければならない。仁熊会が倒れてしまってはその資金は回収不能となり、今度は金沢銀行が大損するハメになる。」 「そうです。本多慶喜はこのベアーズに対する巨額の融資案件を実行することで、次長から支店長に昇進します。しかしそれが不良債権化すると、彼の出世のどころか金沢銀行の経営にも影響を及ぼすほどの事態に発展します。そこでマルホン建設の善幸は仁熊会と密約を結ぶんです。自分が政治に影響のある立場になることで、仁熊会に売却した土地の含み損を解消させると。それが確実に売りさばけるようにすると。それが善幸が国会議員になって3年後に持ち上がった田上地区の区画整理事業やったって訳です。仁熊会としては当初の予定通りといったところでしょう。区画整理事業までの間、本多の選挙にまつわるビジネスや、マルホン建設からの工事を受注することで利益を得る。別に自分たちがマルホン建設に要求するわけじゃない。マルホン建設が自ら依頼してくるんですからね。暴対法に何ら抵触しない。これで日銭は稼ぐことができる。ほんで最終的には買った土地の価格高騰と売却先も斡旋すると約束してるわけですから、仁熊会にとってこれ以上ないうまい話になる。」 「区画整理事業が着手されるまでの期間、仮にベアーズの資金繰りが難しくなっても、慶喜も自分の立場を守るために追加の融資をせざるを得なくなる。慶喜は同支店の支店長になることで融資を続ける。そうしないと金沢銀行は多額の不良債権を抱えてしまうからな。」 「どうです。酷いもんでしょう。」 「政官業の癒着だな。」 松永は手にしていたサインペンを床に投げつけた。 「理事官。これからですよ闇は。」 十河は立ち上がった。そして松永を真剣な面持ちで見つめた。 「理事官…。本当に突っ込むんですね…。」 念を押すように十河は言った。 「過去に1人だけここに突っ込もうとした人が居ました。」 十河の顔を見ていた松永はホワイトボードの方へ視線をそらした。そして彼はそこに貼られている一枚の顔写真をしばらく見つめた。 「しかし、その人間は今、連続殺人事件の被疑者となっています。」 「一色貴紀。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーThu, 30 Apr 2020
- 219 - 64,12月21日 月曜日 14時22分 金沢銀行本店
【お知らせ】 このブログは「五の線リメイク版」https://re-gonosen.seesaa.netへ移行中です。 1ヶ月程度で移行する予定ですのでご注意ください。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 64.mp3 本多慶喜は12畳ほどの広さの専務室にある革張りの自席に座った。ため息をついたところで懐にしまっていた携帯電話が鳴った。彼はそれを取り出して画面に表示される発信者の名前を見て思わず舌を打った。 先程まで開かれていた金沢銀行の役員会上でマルホン建設の追加融資には、条件が課せられた。それは事前に山県が作成した経営改善策を無条件で受け入れることだった。常務の加賀は成長分野である介護・医療の優良先とマルホン建設が提携する山県の案を評価した。これが即座に実行されるならば、仮に金融検査が入っても格下げを回避できようという評価だ。併せて加賀はこの改善策を根拠に、金融庁にマルホン建設の査定を大目に見るよう、事前に働きかけること約束した。 今俎上に上がっている1億の融資が実行されなければマルホン建設は資金ショートを起こして経営に行き詰まってしまう。しかしそのために課せられた条件は慶喜にとって具合の悪いものだった。提携だけならば良いが、ドットメディカルはそれに条件をつけてきた。ドットメディカルのマルホン建設における発言権を高めるために、役員を刷新せよとの事だった。現社長はそのままで、一族の役員は全て解任。その代わりにマルホン建設社内の生え抜きの若手管理職を常務に、ドットメディカルから専務取締役を選任せよとのことだ。後の2人の取締役は社外から引っ張ってくる。今まで役員数が何故か10名もいたマルホン建設はその数を5名にせよとのことだった。 慶喜は金沢銀行専務取締役ながら、実家の家業であるということもあって、マルホン建設の社外取締役として席を置いていた。しかし今般の提携話によってその職も解かれることとなる。 「善昌…。すまん…。」 そう言って彼は何度も鳴る携帯をそのまま机の上に置いて放置した。しばらくしてそれは鳴り止んだ。 ー兄貴にどう報告すればいいんだ…。 慶喜は背もたれに身を委ねて、そのまま天を仰いだ。目を瞑りひと時の間をおいて彼は目を開いた。そして彼は自席に配されている固定電話の受話器に手をかけた。 「もしもし…。あぁ、私だが…。」 「どうしました。」 「まずいことになった。」 「まずいこと?」 「マルホン建設の人事が一新される。」 「はぁ?」 「俺も身内も全員解任だ。」 「どうしたんですか急に。」 「実は…マルホン建設に対する1億の融資案件があってな。その実行条件として役員一同の刷新が課せられた。」 受話器の向こうの男は黙ったままだった。 「善昌はそのままだが、役員のほとんどが社外からの者になる…。」 「あの…そういう事態を未然に防ぐのがあなたの仕事のはずじゃないですか。」 「すまん…。私の力が及ばなかった…。」 「専務困りますよ。力及ばずで済ませる話じゃありませんよ。何とかしてくださいよ。」 「しかし…。役員会でこれは決議された。この条件を飲まないことには手貸が実行できん…。」 電話の向こう側の男はしばらくの沈黙を経て言葉を発した。 「役立たずめ。」 「なにっ。」 「俺に畑山の秘書をやれとか横槍入れてる暇があるんだったら、足下を固めときゃよかったんだよ。ったく…。」 「村上君…。」 「別にいいじゃないですか。マルホン建設ぐらい潰れても。」 「お前、何言ってるんだ…。あの会社が潰れたら社会的な影響も大きい。下請けの多くも飛ぶことになる。」 走らせていた車を止め、彼は右手で髪をかきあげた。そして大きく息をついた。 「お利口さんぶんじゃねぇよ。」 「なにぃ。」 「結局自分のウチが心配なんだろ。」 「村上、お前何言ってるんだ。俺ら一族もマルホン建設から追放されるんだぞ。」 「ふざけたこと言ってんじゃねぇよ。善昌は残るんだろ。本多家としての世間的な対面は保ったままだろ。」 村上の言葉に慶喜は反論できなかった。 「何とかしろよ。」 「それは…。」 「簡単だろ。その融資を実行させないようにすればいいだけだ。」 「お前、何言ってるんだ…。」 村上は助手席にある鞄の中をまさぐった。そしてその中から煙草を取り出してそれに火をつけた。 「マルホン建設を潰せ。」 「お前…自分が何を言っているか分かってるのか…。」 「ふーっ。利用価値がないものには市場からご退場いただくしかないでしょうが。」 「マルホン建設は兄貴の実家でもあるんだぞ。」 「だから?だからどうだって言うんですか?」 「マルホン建設を基盤とした組織票が…。」 「うるせぇ。なんだ組織票って。うるせぇよ。」 村上は吸っていた煙草を車内の灰皿に力一杯押しつけた。 「あのなぁ。お前やマルホン建設がどうなろうがこっちには関係ないことなんだよ。先生は先生で確固たる基盤を持ってるんだ。建設票のひとつやふたつ、挽回しようと思えばなんとでもなるよ。それにな、もうそんな組織票をあてにする時代じゃねぇんだよ。浮動票だよ浮動票。世の中の風を読んでそれに乗っかったもんが勝つんだよ。」 「む、村上君…。」 「専務、何とかなりませんかねぇ。マルホン建設が存続することは結構なんですけど、私としてはそこに外部の人間が入ってくるって事態が非常に困るんですよ。そんなぐらいならいっそあの会社がなくなってしまった方がありがたい。あーむしろ無くなるにはグッドタイミングかもしれませんね。」 「しかし…。」 「しかしもクソもあったもんですか。無能なトップを据え、ろくに経営らしい経営もできていないあんた達本多一族にすべての原因があるんでしょう。専務、あなたも同類ですよ。」 「村上…お前…。」 「専務もご存知でしょう。ねぇ。」 「何の…ことだ…。」 「またまた、ご冗談を。」 「待て、村上君…。一体…何のことだ…。私には皆目見当も…」 「6年前の熨子山。」 電話の向こうの慶喜は絶句した。 「まったく…。あれがバレるでしょう。なんでそんな事にも気が回らないんですかね。」 そう言うと村上は社外に出た。そしてトランクの方へ向かってそれを開けた。彼はその中を何かを確認するかのように、隅から隅まで覗いた。 「まぁ何でもいいから、何とかしろよ。な。」 「ど、どうすればいいんだ…。そ、そうだ…こういう時こそ兄貴の力を借りるのはどうだ。」 「だから言ってるだろう。先生は関係ない。全部マルホン建設がやったことだ。」 「馬鹿な〓︎お前こそ当事者だろう〓︎」 「さっきからゴタゴタうるせェな。口動かす前に体動かせ。何としてでもその融資の話をぶっ壊せわかったな。」 ここで村上は一方的に電話を切った。そしてトランクの中に首を突っ込んだ。 「あーやっぱり何か臭うな。気のせいかな…。」 彼は消臭剤を手にしてそこに2、3度吹き付けて扉を閉めた。 「佐竹ぇ。これがお前が言ってたやつか?ちょっと早くねぇか?」 村上は車のトランクに拳を叩きつけた。そしてそこに寄り掛かった。吹き付ける凍てつく風に肩を竦めながらも、彼はポケットに手を突っ込んで目を閉じて何かを考えていた。そして彼はおもむろに携帯電話を取り出してそれを耳に当てた。 「ったく…。随分と厄介なところに攻め込んできたな、佐竹の奴…。あぁ…村上だ…。」 「あぁ、村上さん。丁度よかった。こっちも電話しようと思っとったんですよ。」 「はぁ?何だよ。」 「今さぁ、警察のお偉いさんがウチに来とるんですよ。」 「警察?」 「あぁ。何でも鍋島について聞きたいことがあるって。」 「鍋島だと?」 「村上さん。どうしますか?」 「ちょ、ちょっと待てよ。誰だよ、その警察のお偉いさんって。」 「何か関っていう警察庁のお偉さんらしいですよ。」 村上は髪をかき分けて天を仰いだ。 「…関?誰だそれ。」 「何か分からんけど、捜査本部のイカれた捜査官に指示されて来たそうですよ。」 「イカれた捜査官?」 「まぁ何でもいいんですけど、どうします?村上さん。」 「どうするって?…適当にあしらっとけよ。」 「…村上さん。ひょっとしてヤバいんじゃないですか?」 「大丈夫だよ。心配ない。警察には手を打ってある。」 「じゃあ何で鍋島のこと聞きにウチに捜査員が来るんですか。困るんですよね。」 「何かの間違いだ。こっちでうまく処理するから、その関って奴には適当なこと言って帰ってもらえ。」 「…わかった。村上さん。今はあんたの言う通りにするけど、今回ばかりはウチは手を引かせてもらうよ。」 「何?」 「あのさ。鍋島と連絡取れんげんけど、村上さん。」 「は?何のことだよ。」 「昨日から連絡取れんのですよ。ちょうど七尾で男が殺されたと思われる時間からね。」 「七尾?」 「朝からニュースでやっとるでしょ。昨日の昼頃にも今回の事件と同じような手口で男が殺されたって。」 「すまん。おれはテレビとか見ない口なんだよ。」 「昨日の15時くらいから連絡取れんのですよ。鍋島の居場所を知っとるのは俺とあんただけ。村上さん、なんか知らんがですか?【お知らせ】 このブログは「五の線リメイク版」https://re-gonosen.seesaa.netへ移行中です。 1ヶ月程度で移行する予定ですのでご注意ください。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。」 「知らんよ。」 「殺された男は身元不明って言われとるけど、テレビに出てくる現場映像見れば誰が殺されたかすぐに分かる。俺とあんたならね。」 「…」 「何かあんたヤバいよ。今のあんたにあんまり関わるとこっちまで何か巻き込まれてしまいそうだわ。」 「お前もか、熊崎。」 「お前もかって…。村上さん、誰と一緒にしてるんですか?まぁ今回は手を引かせてもらいますよ。あぁ関のことはご心配なく。適当にやっときますから。それじゃ。」 熊崎は電話を切り、二人の会話は途切れた。 「クソったれ〓︎」 村上はダッシュボードの上部を思いっきり叩いた。 「くそっくそっ〓︎クソめ〓︎カスめ〓︎ヤクザの分際でいい気になってんじゃねぇぞ〓︎何が手を引かせてもらいますだ。ゴミのくせにビビってるんじゃねぇよ。…どいつもこいつもカスばっかだ〓︎」 村上は車内のありとあらゆる場所を殴ったり蹴ったりした。それも渾身の力を込めて。そのため大きな車体の車は外から見ても明らかなぐらい、揺れ動いていた。 「役立たずのゴミカスばっかだよ。」 彼は怒りに震えたまま再び携帯を手にして電話をかけた。 「もしもし…。村上です。」 「ああ、村上くん。」 「なに下手打ってんだよ。」 「なにっ?」 「お前の人選ミスのせいで仁熊会に警察が入る羽目になったじゃねぇか。」 「ちょ、ちょっと待ていきなり何なんだ。」 「てめぇどんな捜査官派遣したんだよ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Thu, 23 Apr 2020 - 218 - 63,【後編】12月21日 月曜日 13時51分 北上山運動公園駐車場63.2.mp3 【お知らせ】 このブログは「五の線リメイク版」https://re-gonosen.seesaa.netへ移行中です。 1ヶ月程度で移行する予定ですのでご注意ください。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 16 Apr 2020
- 217 - 63,【前編】12月21日 月曜日 13時51分 北上山運動公園駐車場63.1.mp3 「何で電話かけてくるって?そりゃあお前、おたくの理事官さんが帳場のことはお前に聞けっておっしゃっていらっしゃったからやわ。あ? ほんなもん知らんわいや。こっちが聞きてぇわ。お前こそあいつにいらんことちゃべちゃべ喋ったんじゃねぇやろな。あ?…喋っとらん?…そうなんか…。」 会話の内容から電話の相手は岡田であることがわかる。片倉は県警で松永と出くわした。出くわしたというよりも、松永が片倉をつけていたと言った方が表現が適切かもしれない。松永の口から岡田の名前が出たため、彼がこちらの事をリークした恐れがあった。今朝、岡田とはお互いの行動の極秘を誓った筈なのに、何故お前は裏切るような行動を取るんだと詰問しようとした片倉だったが、岡田の弁明によってそれは誤解だとすぐにわかった。片倉は信頼できるはずの部下を、このように疑いの目を持って詰問した自分の節操のなさに嫌気が差した。 結局のところ松永が何故自分の行動を捕捉していたか、その原因は分からずじまいだ。 文子からの事情聴取を終えた片倉はアサフスの裏手にそびえる北上山の中腹にある運動公園の駐車場に車を止めた。 「おい、片倉。」 彼の隣で煙草をふかしながら、窓の外にチラホラと舞ってきている雪の様子を見ていた古田は声をかけた。片倉は古田の呼びかけに、何故自分が今、岡田に連絡を取っているかを思い出した。 「ああ…岡田、お前を疑ってしまってすまんかった。ところで帳場のほうで何か変わった動き、無かったか?」 換気のため指二本分開いた窓から古田は吸い込んだ煙を勢い良く吐き出した。 「何?似顔絵?何の…。…おう。…ふん…。…タクシーで熨子山か?小松空港から…。おう。」 片倉はドアを開けて車外に出た。そして彼は古田同様煙草に火をつけ、岡田からもたらされる捜査本部の情報に耳を傾けた。5分ほど話し込んでいただろうか。彼は再び車内に乗り込んでスマートフォンの画面を見つめた。しばらくしてそれは受信音を発した。片倉は3度ほど画面をタッチし、届いたメールを見る。彼の身体は固まった。 「どうした。」 「トシさん…。これ…。」 そう言うと片倉は画面を古田に見せた。それを見た古田も動きを止めた。 「どういうことや…これ、鍋島じゃいや。」 片倉はスーツのポケットから、先程文子から拝借した鍋島の写真を取り出して、画面に表示される似顔絵と見比べた。 「間違いねぇ。」 「片倉、こいつがどうしたって?」 「ああ、この似顔絵の男を小松空港から熨子町まで運んだっていうタクシー運転手が、今朝北署に来たそうなんや。このタクシーの運転手が言うには、こいつは熨子町までの道中、ほとんど何も話さんかったらしい。運転手の問いかけには、はいとかいいえだけ。ほんで唯ひたすら前の方だけを見とったそうなんや。ところが、この男が唯一動いた瞬間があった。」 「おう。何やそれは。」 「穴山と井上を目撃した瞬間や。」 「何ぃ?」 「山側環状をちんたら走っとるこいつらをタクシーが追い抜かそうとした時、この鍋島と思われる男は奴らを追うように見つめ続けとったそうなんや。何に関しても反応が薄かった男がや。」 古田は自分の顎に手をやってしばらく考えた。 「…鍋島は、穴山と井上の存在をその時点で既に認識しとったってことになるな。」 「ああ。それは昨日の18時のこと。そのタクシーはそのまま熨子町まで鍋島を運んだ。降りる時、あいつは運転手に5万渡して闇に消えて行ったそうや。」 「5万〓︎どえらい金やな。」 「まぁ、そのチップについては置いておくとして穴山と井上が殺されたのは深夜。18時から深夜までタイムラグがある。となると鍋島はその後、事件現場である山小屋で待ち伏せしとったと考えられる。」 「ふうむ。ほんなら穴山と井上がなんで山小屋に行ったんかが問題になるな。」 「鍋島があいつらを山小屋まで呼び出したか、それとも始めからあの2人が山小屋に行くことを知っとったかや。」 「そら山小屋に行くのを知っとったんやろいや。急に夜にあんな辺鄙なところに呼び出されて、ホイホイ行くだらおらんわい。もともとそこに行く何かの用事があってんろ。」 「トシさんほんなこと言うけど、そもそも真夜中にあんなところに行く用事なんかあっかいや。」 古田は考えた。深夜の山奥にいったい何の用事があったというのだ。 「…おい。…まさか。」 「なんや。」 「あいつら、ほら、レイプしとるやろ。一色の…。」 「あ…。」 「一色の交際相手がレイプされた場所が実はそこで、ほんでその因縁の場所に犯人を何かのうまい口実をつけて呼び出しておいて、鍋島を使って一網打尽に殺した。」 二人の中で鍋島、一色、穴山、井上が繋がった。しかし彼らは間も無く肩を落とすことになる。 ついさっきまで二人は文子から6年前の事故に関わる重要参考人は鍋島であることを聞かされていた。その事実を知った一色は鍋島を引き摺り出して相応の罰を与えると彼女に誓っていたようだ。そんな彼が鍋島と結託して自身の交際相手をレイプした男らを殺すなんて考えにくい。 「いや、ちょっと待て。一色が鍋島を利用して2人を殺して、その後に鍋島を捕まえようとした。そう考えられんけ。しかしそれが失敗し一色は逃げた。鍋島もその存在が世間的に明るみになるのが不都合な立場やから姿を消した。」 片倉は古田にこう言った。 「うーそれはどうやろう。そうなると一色が何で桐本と間宮を殺さんといかんがや。レイプとか6年前の事故に何の関係もない奴やぞ。その線はちょっと薄いんじゃねぇかいや。」 2人は黙ってしまった。 そうこうしているうちに、再び片倉の携帯が鳴った。どうやらメールのようだ。 「岡田や。」 片倉は画面をタッチしてその内容を確認した。そして彼はまたも固まった。 「何や。岡田は何やって言っとるんや。」 「穴山と井上はシャブの売人やったらしい。」 「はぁ?」 「シャブって…言うとトシさん。」 「仁熊会…。」 ふたりはここでしばし無言となってしまった。 「…なぁ片倉。ここは自分が一色やったらって立場で考えてみんか。」 古田はそう言うと車外に出た。片倉も続いた。 「始まりから考えよう。今までの情報から考えると、一色が穴山と井上との接点を持ったのは3年前の7月のレイプ事件からや。あいつは何かの方法をもって2人に復讐する意思を持っとった。それを実行するためにその機会を虎視眈々とうかがっとった。あいつは確かにワシに言った。素早くそして確実に被疑者に罰を与えねばならんと。警察という組織の人間であれば何かの口実をつけて、穴山と井上を逮捕し、取り調べの中でその二人から吐かせればそれで犯罪成立。起訴、裁判、判決。で、あの二人の罪は現在の法制下でシステマチックに処理される。」 「しかしその法の裁きに一色は不満を抱えていた。」 「そうや。自分の交際相手は女性として殺されたようなもんや。目には目の精神で考えれば、奴らにも同等いやそれ以上の制裁を与えんといかん。」 「考えたくねぇけど、俺も自分の娘がもしそんな目にあったとしたら、悔しくて、憎くて、許せんくて、…殺してしまうかもしれん。」 「急迫不正の侵略を受けて反撃に出ん奴はおらん。ワシもそうや。」 「しかし仇討ちは法で禁じられとる。」 「そう。そこであいつはワシに方法はあるって言った。あいつは何か別の手段を持ち合わせとった。」 「まさか、一色はその時点ですでに穴山と井上がシャブの売人やってこと知っとったとか。」 「そうかもしれん。シャブの背景には仁熊会がおる。仁熊会とそのフロント企業のベアーズデベロップメントは6年前の忠志の事故に関係しとる。一色は穴山と井上に制裁を与える他、その周辺にも制裁を課そうとしたんじゃねぇか。」 「レイプ事件の一年前には仁熊会が関係しとると思われる私立病院の事件もあったしな…。…って待て、トシさん。この時点で一色は鍋島の存在を把握しとるがいや。」 「そうねんて。一色なら当時、写真を見た時から高校の同級の鍋島やって分かっとったやろ。」 「高校の同級が事件に関与しとる疑いがある。しかも重要なキーマンや。一色は闇に葬り去られそうな事件を掘り返して、なんとか真相を暴こうとした。」 「しかしそれは何処かで握りつぶされた。」 「その私立病院の事件の後にレイプ事件…。」 「なんか見えてきたような気がする。」 「トシさん。俺もや。」 「一色はあの病院横領事件の時に仁熊会へガサ入れようとしとった。しかし、その直前に殺しが起こって、二課から一課へ捜査権限移譲。」 「そもそもここからおかしい。タイミングが良すぎるんやて。うちの中の誰かが捜査情報をどっかにリークしとったんじゃねぇか。ほんで手際良く二課の捜査外し。一色が仁熊会と接触するのをなんとか阻止させようしとるみたいや。」 「担当外の人間であるお前でさえ思うんやから、当事者である一色もその事は感じとったやろうな。」 「で、あいつは極秘裏にいつもの個人捜査でいろいろ調べる。ほんで何か重要な情報に行き着く。」 「そこで交際相手をレイプされた。」 「知られると随分とまずい情報やったんやろう。その情報そのものは何かは分からんが、一色の交際相手を凌辱することで、あいつに警告を発したんやろうな。」 「となると、穴山と井上は自発的に一色の交際相手を犯したというよりも、誰かからの指示を受けて実行したと考えたほうが自然やな。」 「穴山と井上はシャブ絡み。あいつらの上には仁熊会がおる。仮にそこの指示やとすっと、全てにおいて辻褄が合いはじめる。」 「仁熊会がレイプの背景にいることを知った一色は、その周辺を洗い始める。そこで田上地区と北陸新幹線に係る利権構造が存在しとることに気がつく。ほんでそこに仁熊会が入り込んでいることを突き止めた。」 「なるほど、ほんで検察さんの出番ってわけか。」 「ほうや。あいつらは新幹線事業と仁熊会の流れを追っとる。」 「一色からの情報を得てな。」 「政治が絡む事件は特に慎重にせんといかん。指揮権発動なんかされたら、せっかく詰めた捜査も全部パアや。」 「トシさん。検察に突っ込むと話がややこしくなる。それはそれでちょっと置いとこうぜ。利権構造を知った一色はその周辺を徹底的に調べる。ほんで出てきたのが6年前の忠志の死やった。」 「おう。かつての同級生の父親っちゅうことで、一色は慎重に周辺を調べて文子と接触。口止め料の現金授受のキーマンがこれまた四年前の事件に顔を出した、鍋島惇であったことを知る。交際相手の強姦を指示したと思われるもの、四年前の病院横領・殺人事件に関係するもの、さらに6年前に友人の父親を事故に見せかけて殺害したと思われるもの。これら全てに仁熊会が関係しとる。あいつの仁熊会に対する不信は頂点に達する。」 「しかし、ここであいつの捜査はプツリと切れた。」 今まで集めた情報が一気に繋がりを見せた推理展開であったが、ここで二人は黙ることとなった。そしてその沈黙を先に破ったのは古田だった。 「なぜ、ここで切れたか。」 「あぁそこやな。」 「何で、あいつが殺しをせんといかんかったか。」 「穴山と井上を殺すだけじゃあいつの目的は達成できん。レイプ事件の仇討ちだけにとどまってしまう。今の俺らの推理に従えば、その周辺の闇の部分を明らかにせんといかんはずや。」 古田は北高の剣道部の顔写真を取り出してしばらくそれを見つめた。 「待てよ…。」 「どうした?トシさん。」 「待て待て待て。あぁ…そうか…そういう線があったな…。」 「おいトシさん。なんねんて。」 片倉の言葉を受けて、古田は5枚のうち一枚の写真を取り出してそれを片倉に見せた。 「村上?」 「おう。こいつ、本多善幸の秘書やろ。」 「はっはぁー。なるほど。こいつなら善幸の出身のマルホン建設と何かしら繋がっとるな。」 「お前、今朝村上の聴取をした時、鍋島の名前だしたらこいつの顔色が変わったとか言っとったな。」 「おう。明らかに変わった。ほんでこいつの言い分は佐竹と赤松の言うことと食い違っとる。」 「ほらほら、こいつも何か絡んどるかもしれんぞ。」 ここで二人は再び黙ってしまった。 「なぁ片倉。」 「トシさん…。」 「切り込むか…。」 片倉は古田の表情を見た。彼の顔つきは何か達観した様子だった。片倉は眼下に見える、薄く雪化粧した金沢の街へ視線を移した。そして何も言わずに煙草を取り出してそれに火をつけた。吸い込んで吐き出す煙には彼の白い吐息が混ざりこみ、それは吹き付ける風に乗って瞬時に消え失せた。 「マルホン建設と仁熊会か…。聖域やな…。」 古田も何も言わずに街並みに目をやった。 「この聖域が一色に二の足を踏ませたんか…。」 「一人でできる事には限界がある。だから一色は協力者を密かに募って、誰にもわからんように下準備して一気に攻め込むことにした。」 「奇襲か。」 「でも奇襲は成功すれば戦果は大きいが、失敗すれば一敗地にまみれる。…あいつは…逆襲にあったんかもしれんな…。」 「どうする。片倉。」 片倉は古田の顔を見た。彼の表情からは感情というものを汲み取れなかった。古田はただひたすらに片倉の瞳を見つめている。 「俺にも守るべき家族がおる。」 古田は片倉を見つめたままだ。 「…だが、このままだと結局世の中はなにも変わりやしない。」 片倉は咥えていた煙草を地面に投げつけた。 彼は何度も何度も力の限りそれを踏みつけた。そして側にある樹木に向かって何度も体当たりをした。その様子を古田は黙って見つめていた。Thu, 16 Apr 2020
- 216 - 62,【後編】12月21日 月曜日 14時17分 マルホン建設工業
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Thu, 09 Apr 2020 - 215 - 62,【前編】12月21日 月曜日 14時17分 マルホン建設工業
【お知らせ】 このブログは「五の線リメイク版」https://re-gonosen.seesaa.netへ移行中です。 1ヶ月程度で移行する予定ですのでご注意ください。 62.1.mp3 「失礼します。」 木製の重厚感ある扉を開いて佐竹は入室した。彼の目の前には仕立ての良いスーツを見に纏い、窓から外を眺める本多善昌の姿があった。 本多善昌は衆議院議員本多善幸の実子である。本多善五郎が築き上げた裕福な生活基盤を受け継いだ善幸は一人息子である善昌を殊の外かわいがった。ありとあらゆるものを買い与えた。その寵愛ぶりが善昌の人間形成に大きな影響を与えたのだろう。欲しいものは絶対に手に入れなければ気が済まない性格となる。市内のエリート養成幼稚舎からエスカレータ式にその系列の高校を卒業した善昌は、善幸にアメリカへ行って見聞を広めたいと申し出る。常に自分の側に置いておきたい一人息子であり、万が一のことがあるかもしれないと思うと善幸は気が気でなかった。しかし一人の人間として考えた末の決断であり、その意志を尊重したいということで善幸は善昌のアメリカ留学を認めた。 しかしこの留学がいけなかった。善昌の成績は高校の二年あたりから振るわなくなってきていた。見聞を広める、語学を修得するというのが名目の留学の実際は、親の目から離れた遠い異国の地で放蕩の限りを尽くしたものとなっていた。彼はアメリカ留学時にタバコや酒、ギャンブルを覚え、現地の女性にも手を出して妊娠すらさせた。これらの目に余る放蕩ぶりに激怒したのが祖父の善五郎だった。彼は強制的に善昌を日本へ呼び戻す。そして退廃しきった彼の性根を一から鍛え直すということで、善幸から奪うように善昌を預かった。帰国直後は善五郎の厳しい躾のせいで1年間引きこもりの状態であったが、徐々に祖父との生活にも慣れ3年後には自衛隊へ入隊させられる。自衛隊入隊時に祖父の善五郎が他界。これをきっかけに善昌はすぐさま除隊。善五郎の監視の目から開放された善昌は父の勧めでマルホン建設に入社する。その後総務課長、部長、常務取締役、専務取締役を経て昨年代表取締役となっていた。 「佐竹さん。まだウチの口座に1億入ってなんだけど。困るじゃないですか。」 「申し訳ございません。」 「あのさぁ、こっちはこっちで支払いの都合があるんだからさ。」 窓から外を見ていた善昌はこう言って振り返った。 「あれ?」 善昌の視線の先には佐竹ともう一人の男があった。彼は善昌と目が合うと軽く会釈をした。そして善昌を無視するように社長室中央に配されている応接ソファまで足を進めて、そのまま腰を懸けた。 「なんなんだお前。」 「支店長の山県です。社長、1億は貸せんことになりました。」 「はぁ?」 顔つきが変わった善昌はソファに懸けている山県の正面に乱雑に座った。 「どういうことだよ?冗談は顔だけにしろ。」 「はははは、すんません社長。嘘言いました。1億の融資は明日には実行されます。」 「お前、ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ。俺を誰だと思ってるんだ。」 「…ただの社長。」 山県は不敵な笑みを見せた。 「ただの社長? 何?その上から目線。」 佐竹から1センチほどの厚みのある資料を提供された山県はそれを善昌の前にそっと差し出した。 「これを飲んでくれたら1億は明日オタクの当座に入金されます。」 善昌は出された書類に目をやった。その表紙には大きな明朝体で「マルホン建設工業株式会社の経営改善策について」と記載されていた。 「経営改善?」 「ええ、これを即座に飲むのが条件です。」 「条件だと?」 「はい。これを蹴られるんでしたら融資はできかねます。」 「はははは。山県支店長でしたっけ。」 「はい。」 「ふざけたことぬかすんじゃねぇよ。」 「ふざけていません。」 「こんなままごとみたいな書類なんか読むに値しない。」 「…読みもせずにままごと扱いですか。」 「お前みたいな下っ端じゃ話にならんよ。もっと上の人間を寄こせ。」 「はぁ…社長さん。今日はね、私、役員会の決定を受けてここに来てるんですよ。」 「なに?」 「ままごとはあんたの経営です。あんたには選択権はないんですよ。さっさとこれを読んで下さい。」 山県の姿勢に憤りを感じながらも善昌は書類を手にとって目を通し始めた。 2,3ページ読み進めた善昌は顔を上げて山県を見た。彼は不敵な笑みを浮かべて善昌を見た。 「悪い話ではないでしょう。」 「提携だと?」 「はい。社長もこの辺りを車で走っとたらお分かりやと思いますけど、最近、なんか新しいもの建てとるなぁと思っとったら、大体が高齢者施設。私はその分野の細かなことは分かりませんけど、特養とかデイサービスとか小規模多機能型とかいろんなもんが建っとりますわ。その介護分野にこのドットメディカルが参入を検討しとるんですよ。」 「何を持ってきたかと思えば、今流行りの介護事業参入を画策する会社と提携しろと?我が社に新規事業を起こせと言うのか。しかも俺も聞いたことがない会社じゃないか。」 「やれやれ、ドットメディカルも知らんのですか。」 山県はため息をついた。 「しかも直ぐに結論を求める。ちゃんと書類を読んでから話してくださいよ。見出しだけ読むのは週刊誌だけにして頂きたいもんですな。」 山県は善昌に対して要点を掻い摘んで説明するように佐竹に言った。 「はい。ドットメディカルは金沢市に本社を置く医療機器卸売の会社です。近年、海外大手の医療機器メーカーの特約店契約を取り付け、そのメーカーを背景とした信用と充実したサービスの提供から業界では成長著しい会社です。このドットメディカルが今検討中なのは、先程山県が言った介護事業です。この会社には海外の医療業界とのパイプを持ち、異国の様々な事例、設備、サービスなどに深い見識を持つスタッフが大勢います。そして地元の医療機関でのシェアも確実に伸ばしています。今まで培った国内外の医療の専門的見地をふんだんに取り入れた新しい形態の介護サービスを提供しようとしています。」 「ふーん。で。」 「医療や介護のノウハウ蓄積はドットメディカルと関係のある会社からスタッフを引き抜いて、専門の部署を立ち上げて順調に準備は進んでいます。ですがひとつ課題があるのです。」 「なに?それは。」 「建設ノウハウです。」 善昌は佐竹と山県の顔を見た。 「実はドットメディカルはその介護事業において建築、デザイン、設備、人員、サービス、情報システムなど全てのものを自らの手で利用者に提供することを考えています。そして質の高い介護サービスを比較的安価に提供できる仕組みを検討しているのです。」 「で。」 「人員やサービス、システムといったソフト面はある程度固まってきています。いままでのコア業務の延長線でものごとを考えて計画できますから。ですが、建設やその設計といったところになるとそう簡単に行きません。不得手なものは外に丸投げするというのは確かに方法の一つです。しかしドットメディカルは介護に関するすべてのものを自分たちの責任で利用者に提供するとことを考えています。ですので緊密に連携をとった動きをできるパートナーを探しているんです。」 善昌は腕を組んで考えた。 「御社には3つの核となる事業部があります。公共事業における大型工事や企業プラント建設のようなものを扱う総合建設事業部。 不動産仲介、賃貸、戸建て分譲を行う住宅事業部。 遊休地の有効活用をコンサルティングする開発コンサルティング事業部です。これら総合的な建設に関するノウハウを御社は長い年月の中で蓄積しています。ドットメディカルはこれが欲しいんです。あの会社は何も一棟の介護施設を立てることだけを目的としているのではない。彼らの事業戦略はもっと大きいものです。」 「大きいもの?」 「独自のノウハウを活かした介護施設を実際に経営し、そこで得られたノウハウをパッケージとして新規事業参入者に提供するというものです。」 山県の言葉に善昌は頭を振る。 「ノウハウ提供だけだったら、ウチは今まで培ったノウハウをみすみすその会社に売るだけになってしまうじゃないの。」 山県は呆れた表情で善昌を見る。 「社長。私はマルホン建設のノウハウだけを売れとは言ってません。提携したらどうですかと言っています。」 「なんだよ。勿体ぶらずに早く教えなさいよ。」 「はーっ…。」 ため息をついた山県はしばしの間うなだれた。 「いいですか。だから提出された書類をちゃんと読めと言っとるんですよ。」 「後で読むよ。こっちは忙しいんだよ。何事も結論から言ってもらわないと、その話が検討に値するかどうかの判別に時間がかかるじゃないですか。」 山県は目の前の机を思いっきり叩いた。 「いい加減にしろ。無能経営者。」 「なにぃ!!」 「冒頭言ったやろ、お前には選択権はないって。」 「貴様!! 誰に向かってその言葉を言っている!!」 「やれやれ気に食わない事があれば大声を上げるのは当行の本多専務と一緒ですな。」 「黙れ!! 俺の問いに答えろ!!」 「本多善幸議員のご子息であり、かつ当行専務取締役本多慶喜の甥っ子さんでしょう。」 「俺の力を使えば、お前の処分なんか何とでもできるんだよ。」 「だから言っとるでしょ。これは金沢銀行役員会の決定やって。」 「そんな馬鹿な話なんかあるもんか。」 そう言うと善昌は懐から携帯を取り出して電話をかけた。その様子を見ていた山県は彼がどこに電話をかけているか瞬時に悟った。彼は何度も電話をかけ直し、それを耳に当てるも言葉を発さなかった。 「専務もいろいろとお忙しいですからね。」 善昌は手にしていた携帯を力なく落とした。 「仕方が無いから説明しましょう。先ほどの続きです。御社がドットメディカルと提携して得られるものは大きい。彼らが初回に建設する介護施設の建設はおろか、彼らのノウハウをベースに介護事業に参入する者たちの建設案件も受注できる。何故ならドットメディカルは事業そのもののノウハウを全てを売るわけだから。ソフトもハードもまるまるドットメディカルが参入事業者に提供する。建物もそうですよ。」 「…悪い話じゃ…ない…ですね…。」 「良い話です。この上ない良い話です。」 山県は笑みを浮かべてテーブルの上に配された灰皿を指差した。 「…どうぞ。」 煙草を咥えてそれを堂々と嗜む山県の姿は、力なく受け応えする善昌とは対象的だった。 「受けて貰えますね。」 「…はい。」 善昌の言葉を受けて笑みを浮かべた山県は、佐竹に直ぐにドットメディカルへ連絡をするよう指示した。 「しかし…。」 「いいから直ぐにドットメディカルに連絡しろ。善は急げだ。」 「わかりました。」 そう言うと佐竹は社長室を出て行った。 善昌は社長席に座って窓の外を眺めていた。 「社長。この言葉をご存知ですか。」 「何ですか…。」 彼は山県の方を見ずに力の無い返事をした。 「軍人は四つに分類されるそうです。」 「軍人?」 「はい。有能な怠け者。有能な働き者。無能な怠け者。無能な働き者です。ご存知ですか?」 「いや。」 「有能な怠け者。これはどうすれば自分が、部隊が楽をして勝利できるかを考えるため、前線指揮官に向いていると言われます。」 「ほう…。」 「有能な働き者。これは自ら考え、実行しようとするので部下を率いるよりは、参謀として指揮官を補佐するのが良い。」 「なるほど。」 「次は無能な怠け者。」 「耳が痛いな。」 善昌はそう言うと椅子をくるりと回して、座ったまま山県を見た。 「これは自ら考えて行動しないため、参謀や上官の命令通りにしか動かない。よって総司令官、連絡将校、下級兵士に向いている。」 「くっくっく…。」 「最後に無能な働き者。無能であるために間違いに気付かず、進んで実行するため、さらなる間違いを引き起こす。よって処刑するしかない。」 山県の言葉を受けて善昌は頭を抱えた。 「なんだ…。俺はその無能な働き者だとでも言いたいのか。」 「いいえ。」 「じゃあ何でそんな話を引き合いに出すんだ。」 「私はこれに独自の解釈を加えているんですよ。もうひとつ付け加えます。無能なのに働き者の振りをしている者。」 「何だそれは。」 「無能でも働き者であるというのは結構なことです。確かにこのような人間が上に立ってしまうと、組織は混乱する。しかしそのために参謀という役職があるのです。彼らが機能すれば、トップの行動力が推進力となり組織が回り出す。問題なのはそのトップが実際のところ何もしていないのに、重責を抱えてさも日々忙殺されているかの如く振る舞うことなのです。これは非常に具合が悪い。忙しそうに振る舞うことで参謀の言葉に耳を傾けない。そして向き合わなければならない事から目を背け続ける。その癖変にプライドが高いため、無駄に世の中のトレンドなどを知っている。しかしそれらはテレビや雑誌から仕入れた上辺をなぞった程度のもの。掘り下げて自分で考えようともせずに、知っていることそのものに価値があるかと勘違いする。威張りちらすしか能がなく結局のところ何も自分の手で実行しない。これが本当に処刑せねばならない対象なのです。」 善昌は天を仰いだ。 「それが俺だというのかね。」 山県は善昌をただ黙って見つめる。 「ついさっきまではそう思っていました。」 山県の表情には笑みがあった。 「あなたは経営者として無能だ。業績をみれば一目瞭然。そしてろくに働きもしない。しかしどういう訳か素直だ。現に今、あなたは私が提出した経営改善案を受け入れました。」 「褒めているのか、貶しているのか…。」 「あなたが全ての元凶ではないんですよ。」 善昌はうっすらと笑みを浮かべた。 「社長。改善案の最後のあたりを読んでください。」 山県の言葉に従って、善昌は改善案のまとめの段を読んだ。彼がこのくだりを読むには2分ほどの時間を要した。読み終えた彼は山県を睨みつけた。 「俺を除いた全役員をクビにするのか。」 山県はタバコに火をつけ、それを吸い込んで目一杯の煙を吐き出した。 「はい。せっかく磨けば光る素直な経営者がいるのに、それを活かしきれない役員連中は無能の極み。これは一刻も早く処刑せねばなりません。」 「ふざけるな!!」 「社長。言ったでしょう。提出された書類にはちゃんと目を通した方がいいって。」 「認めん。認めんぞ!」 社長室のドアが開かれ、佐竹が戻ってきた。 「ドットメディカルは社長の英断に感謝するとのことです。今日の晩にでも一度社長とお会いしたいとの申し出です。」 「なにぃ!? お前、なにを勝手なことを!」 善昌の反応に佐竹は戸惑った。 「はははは。交渉成立ですな。社長。いやめでたい。誠にめでたい。」 「山県!! 貴様!! 俺を嵌めたな!!」 「社長。残念ですが、承諾したのはあなたですよ。こっちはただ伝書鳩みたいにただ先方へ連絡しただけですわ。撤回したいんならご自分でどうぞ。」 怒りに震えていた善昌であったが、事を飲み込んだのか方の力を落として諦めの表情となった。 「流石、善五郎さんのお孫さんだ。飲み込みが早い。」 そう言うと山県は立ち上がって社長席に座る善昌の側まで歩み寄った。 「さて、社長。今晩のドットメディカルとの会談を前にあなたがやるべき大きな仕事がある。」 善昌は自分の前に立ちはだかる山県を見た。小柄であるはずの彼の姿は、今の善昌にとって途方もなく大きな壁のように見えた。 「一族をそれまでに罷免しろ。どんな手を使ってもいい。それがお前とマルホン建設が生き残るための唯一の方法だ。」 「そんな…無理だ…。」 山県は善昌の襟元を掴んで詰め寄った。 「支店長!!」 「いいからやれま!! お前がやらんくて誰がやれんて!!」
Thu, 09 Apr 2020 - 214 - 61,12月21日 月曜日 13時10分 熨子山連続殺人事件捜査本部61.mp3 松永は自席に座って右脚を小刻みに動かしていた。 「連れてきました。」 一見するとヤクザかと思われる迫力の風貌をもった男が松永の前に立たされた。 「組織犯罪対策課の十河と申します。」 「そこに掛けろ。」 松永の向かい側の座席に座った十河は、そこに広げられている穴山と井上に関する資料に目を通し始めた。 「どうだ。なにか分かるか。」 十河は資料にさっと目を通して松永の問いかけに即座に答えた。 「ポンプ(注射器)が確認されますね。突きですからシャブ(覚醒剤)です。シャブとなるとこの辺りでは大体が仁熊会が元締めだと言われています。」 今回の事件の被疑者は一色貴紀である。彼は熨子山で穴山と井上を殺害し、その後桐本と間宮を殺した。そして一色かどうかは完全な確証を得たわけではないが、どうやら昨日の夕方にも七尾で男ひとりを殺して、彼は現在逃亡中。動機は依然として不明。 先ほど県警本部で松永は片倉と接触した。6年前の熨子山での事故をめぐる背景を片倉から聞かされ、松永の頭の中には仁熊会の存在がインプットされていた。 最初に殺された穴山と井上はどうやらシャブの売人の顔を持っていたようだ。十河の言うところではシャブの出処は仁熊会とかいう石川県の暴力団の可能性が高いそうだ。この仁熊会のフロント企業はベアーズデベロップメントと言い、6年前の熨子山での事故に関わっている可能性がある。その6年前の事故を殺しではないかと一色は個人的に捜査をしていた。別の事件と思われるものが仁熊会という組織の登場で関連性が現れてきていた。 「十河と言ったな。お前、この穴山と井上のこと把握していたか。」 「いえ把握しておりませんでした。面目次第もありません。」 松永はうなだれた。 「じゃあ別の質問にしよう。シャブのことは置いておこう。その写真の中に金沢のクラブらしきものが写っている。この店はお前知ってるか。」 十河は松永が指す写真が掲載されたページを見てすぐに反応した。 「ああこの店は分かります。仁熊会の関係者が時々使う店ですよ。」 「なに。」 「どちらかと言うと会の末端の人間が使う店ですね。」 「どこにあるか分かるか。」 「はい。」 「よし。おい。」 松永は捜査員を呼び出した。 「おまえはこのクラブを今から当たれ。穴山と井上の情報を聞き出せ。」 「理事官。出来ました。」 関が捜査本部へ入ってきた。彼は十河と話し込んでいる松永の横に立ち一枚の紙ペラを机の上に広げた。 「小西の協力を得て、彼が熨子町まで運んだ男の似顔絵を作りました。」 関が提出したものには丸型のサングラスをかけた男の似顔絵があった。厚手の下唇。コケた頬の輪郭が特徴的だ。 「なんだこれは。今どきこんなサングラスかけてたら、随分と目立つじゃないか。」 松永がこう言った直後、その場で一緒に似顔絵を見ていた十河が口を開いた。 「…ちょっと待ってください。」 「なんだ。どうした。」 「これ...まさか...。」 松永と関はお互いの顔を見合わせた。 「鍋島じゃあないですかね...。」 「鍋島?」 「ええ。そっくりですわ。」 「鍋島って誰だ。」 「仁熊会に時々出入りしている奴ですよ。謎が多い奴でして、会の関係者もこの男の詳細は誰も知らないんです。」 「なんでそんな素性のよくわからない人間のことを、お前は覚えているんだ。」 「4年前にとある事件がありましてね。その時にちょっと話題になったんで覚えとりますよ。多分、自分以外の人間もその事件に関わったことがある奴なら、覚えとるでしょう。」 「なんだその4年前の事件って。」 十河は松永に4年前の私立病院をめぐる横領、殺人事件の顛末を松永に話した。 「事件から2年後に捜査二課の古田警部補がたまたま片町でこの男にそっくりの男を見かけたんですよ。4年前の目撃者に似とるって。」 「古田ねぇ…。で、どうした。」 「当時、二課の課長やった一色が何度も再捜査を上に進言したんですが、それが採用されることはありませんでした。」 「なんで?」 「どこかで揉み消されたのではないかと。」 「もみ消されたぁ?」 十河のこの言葉に松永は豹変した。 「もみ消された?はぁ?おまえ何言ってんの?なんでそんな大事なことを握りつぶす必要があるのかな?僕らは警察だよ。警察官。わかる?」 「あ、あの…。」 「結局のところ根拠の薄い一色の主張は上層部にとって取るに足らない話だったってことだろ。てめえの無駄な推理なんかここで垂れるんじゃねぇよ!!」 「も、申し訳ございません…。」 「わかったら言葉の使い方に気をつけろ!!」 「はいっ。」 机を激しく叩いて松永は思いっきり息を吸い込んだ。 「関。おまえこの鍋島って男を調べろ。いまから仁熊会の親分にでも会って直接話を聞いてこい。」 「わ、わたしがですか…」 関はどこか落ち着かない表情で松永の指示に返事をした。 「あら?まさか…君、ヤクザの親分が怖いのかな。」 「い、いいえ…。そのような現場仕事は現場に任せておけばよろしいのでは…」 「何言ってんだ関。お前しっかりしろ。現場が無能だからお前がきっちりと仕切ってくるんだよ。」 「しかし…。」 「おいおい。まさかお前俺に金魚の糞みたいについてくれば、それで立派な実績になるとでも思ってんのか。」 「い、いえ…。」 「マルボウから何人かピックアップして行って来い。おれはもう少し十河から聞くことがある。他を当たれ。」 「ですが…。」 「なにビビってんだ。今回の捜査はお前の働きぶりにかかっているところが大きいんだ。俺はお前に目立つ実績を作って上に上がるチャンスを与えてんだよ。それぐらい分かれよ。」 「かしこまりました…」 関は一礼し松永に背を向けて捜査本部を後にしようとした。 「あ、そうだ。関。熊なんとかって奴ががたがた抜かすんだったらこう言っとけ。」 「は?」 「警察なめんじゃねーぞこらぁ。」 松永は関を熊崎に見立てて彼に向かって中指を突き上げた。 「って察庁のイカレた捜査員が言ってましたってな。」 「は、はい。」 松永は元気の無い背中を見せながら、捜査本部を後にする関の後ろ姿を見送った。そしてため息をついて十河と向き合った。 「理事官…大丈夫ですか…」 「なにが?」 「今の関課長補佐を見る限り、熊崎相手に渡り合えるか…」 松永はニヤリと笑うだけで十河の言葉には答えなかった。 「おい。さっきの件だが聞きたいことがある。」 そう言って松永は周囲を見回した。捜査員たちは皆、自分のすべき仕事に没頭しているようだ。 「誰だ。揉み消したのは。」 「え?」 「誰だって聞いてんだよ。」 「え…でも理事官、さっき…」 ついさっき、治安を司る警察組織が何かの訴えを揉み消すようなことはあり得ないと松永は十河を糾弾した。それなのに今は揉み消しの犯人は誰かと十河に聞いてきた。いったい松永という人間はどういう思考回路を持っているのだろう。周囲の人間は彼に翻弄されるばかりだ。 「理事官。それは私には分からんがですよ。ただ、上がそうしたとしか聞いていません。」 「上とは?」 「わかりません。当時の一色の上司かもしれませんし、そのさらに上の方かもしれません。」 「…なるほどわかった。そういうことが過去にここで有ったんだな。」 「は、はい。」 「記憶にとどめておく。」 松永は額に手を当ててしばらく考えた。そして向かい合って座っている十河の瞳を直視した。 「十河。お前を組織犯罪対策課のベテランと見込んで頼みたいことがある。」 「私にですか?」 松永は頷いた。 「マルホン建設と仁熊会の関係を教えてほしい。」 そう言うと松永は手元のコピー用紙の端を手でちぎって、そこにある施設の名前を記した。 「今から2時間後ここに来い。部屋は512号室。」 「理事官…。」 「何だ?」 ヤクザのような強面の十河であるが、この時の彼の眼差しは人を威嚇するものではなく、どこか少年のような純粋さを感じさせるものだった。 「どうした。」 「突っ込むんですか…」 「何がだよ。」 「あそこに…手を突っ込むんですか。」 「あそこって、お前昼間からいやらしいこと言うんじゃねぇよ。そんなお楽しみなんかとんとご無沙汰だ。」 「茶化さないでください理事官。あなた本気なんですか。」 松永は十河の目を直視した。 「覚悟はできている。」Thu, 02 Apr 2020
- 213 - 60,12月21日 月曜日 13時22分 フラワーショップアサフス60.mp3 店の奥にある畳敷きの文子の部屋で古田と片倉は彼女と向かい合っていた。 「当時のことは剛志さんからお聞きしました。」 「そうですか。」 「単刀直入にお聞きします。文子さん。あなたは500万の口止め料を貰いましたね。それは誰からのものですか。」 「剛志から聞いたでしょう。コンドウサトミという人です。」 「いえ、私がお聞きしたいのはあなたが口止め料を振り込むようにと依頼した人です。コンドウサトミさんではありません。」 文子は古田の言葉に黙ってしまった。 「忠志さんは口止め料の受け取りを拒んだ。しかしあなたは旦那さんに内緒で口止めを依頼する人間と接触した。だから500万が口座に入金されたんですよね。」 文子は問いかける片倉と目を合わさない。その様子を古田は片倉のそばで観察した。 「あなたが接触した人間は誰ですか。」 文子は黙ったままだ。 「文子さん。我々はあなたが口止め料を貰ったから、罪に問われるとか言ってる訳じゃないんです。ただ、当時の本当のことを知りたいだけなんです。」 この片倉の台詞にはっとした文子は、塞いでいた表情から一転して片倉の目を正面から見ることとなった。 「…あの人も同じことを言っていました。」 「あの人?あの人って誰ですか。」 「一色くん…です…。」 文子は瞳に涙を浮かべていた。片倉と古田はお互い顔を見て頷いた。そして片倉が続けて質問をする。 「文子さん。その一色と同じように我々にも教えていただけませんか。」 「刑事さん。」 そういうと文子は改まって座り直してお下座をするように二人に頭を下げた。 「お願いです〓これ以上聞かんといてください〓この通りです〓」 「文子さん…」 「お願いです。お願いです…これ以上私を責めんといて下さい〓」 何度も何度も畳に頭を擦り付けるように懇願する文子を前に片倉と古田は困惑した。 「文子さん。私はあなたが何故そこまでその人物の名前を言うのを拒むのかよく分からんのですよ。仮に私たちが今聞いている人間が仁熊会の関係者であったとしてもご心配ありません。あなた 「お願いです。もうこんな思いを誰にもさせたくないんです…」 髪を振り乱し何度も頭を下げた文子の様子は明らかにやつれている。 ここまで証言を拒む理由はよくわからないが、このまま聴取を続けるには彼女の負担が大きすぎる。そう判断した片倉は古田に改めて出直すかどうか諮った。それを受けて古田は片倉に代わって文子に言葉をかけた。 「文子さん。剛志さんが言っとりましたよ。感謝しとるって。」 「え?」 「詳しい経緯は分かりませんが、昨日そのことをすべて剛志さんに打ち明けたんでしょう。今回の被害者の一人がかつてこの店で働いていたアルバイト。そのことで心の中がぐちゃぐちゃになっているのに、更に精神的に負担となる6年前の過去の件を彼に話したんでしょう。あなたのその心の傷の大きさを考えると剛志さんは聞くタイミングを間違えたと後悔していましたよ。しかし、それでも正面から向き合って話してくれたことに感謝をしとるって。」 この言葉に文子は肩を震わせて泣いた。 「でも…でも…。」 「我々はそんなあなたに随分な負担をかけてしまったようです。土足で他人の家に入り込むような聴取をして誠に申し訳ございませんでした。」 古田は文子を前に頭を下げた。その様子を見ていた片倉も彼に合わせて深々と頭を下げた。 「課長。今日は一旦帰りましょう。」 古田は片倉にそう言うと、畳に置いていたメモ帳とコートを抱え立ち上がった。片倉も頷いて再度文子に会釈をして立ち上がろうとした。 「待ってください。」 古田と片倉は振り返って彼女を見た。 「聞いていいですか。」 「なんでしょう。」 「私がその交渉役の名前を言うことで、その人は何かの罰を受けることになるのでしょうか。」 片倉は古田と顔を見合わせた。 「それは何とも言えません。口止め料の授受だけでは基本的に犯罪の構成要件を満たしません。しかし6年前の事故、つまり忠志さんの死に何らかの形で関わっているとなればあなたおっしゃる可能性は否定できません。」 「文子さん。あなたはなぜ交渉役を庇うようなことを仰るんですか。旦那さんが殺された疑いがあるというのに、なぜかその重要参考人の情報を明らかにすることを拒んでいる。それでは交渉役とあなたはもしや謀議を計っているんではないかと思われても仕方がありませんよ。そうなればあなたまで我々は捜査の対象と見なければなりません。せっかくの剛志さんの感謝の気持ちをあなたは踏みにじることになりますな。」 先ほどまで文子に寄り添うように接していた古田は、手のひらを返したように彼女に言い放った。その表情は非情である。文子は愕然とした表情で古田を見た。そしてうなだれてしまった。 「それでは失礼します。」 「一色…。」 その場から立ち去ろうとした古田と片倉は振り返った。 「一色くんは約束をしてくれました。」 「約束?」 「そう、その交渉役を必ずこの手で引きずり出して相応の罰を与えると。」 文子は自分の手のひらを見つめそれを握りしめた。 「一色には言ったんですね。それが誰か。」 「はい。」 「誰ですか。」 「…鍋島惇。」 「まさか…。」 古田は思わず声を発した。 「可笑しいですよね。旦那の殺害に何らかの関係を持っている人物も、その真相を暴こうとしている人も、昔うちに出入りしていた剛志の友達同士。でも昨日から鍋島のことは絶対に許さないと言っていた一色は、うちでバイトをしていた由香ちゃんを殺した連続殺人事件の容疑者。鍋島は依然として行方不明。もう私は誰を信じていいのか分からない…。」 「…何てことだ。何て事になってたんだ…。」 片倉は呆然とした。 「刑事さん。私は何を信じればいいんでしょうか。お願いです。教えてください。」 再び嗚咽してか細い声で救いを求める文子に古田が答えた。 「…家族です。」 「え。」 「文子さん。あなたが今もっとも大事にすべきは家族です。」 この言葉に文子は堰を切ったように泣き出した。古田は再び文子と正対して座った。そして一枚の顔写真を文子の前に差し出した。 「これがあなたにする最後の質問です。鍋島惇はこの男でしょうか。」 サングラスをかけて振り返る様子の写真。もともと遠くから写されたものを無理やり拡大したため粗い画像である。文子はそれを手にとってしばしの時間沈黙を保った。そして首を捻った。 「違いますか。」 「サングラスをしていたら分かりません…。」 「…やはり…そうですか。」 古田は少し落胆した声を出した。 「あ…ちょっと待ってください。ひょっとして…」 涙を拭った文子は立ち上がって、押入れからアルバムを持ってきた。そしてそれを古田と片倉の前でめくり始めた。 「剛志の高校時代の写真です。あの時はみんな仲が良くて、部活以外でもどこに何をしに行くのかわからないけど、よくあの子らは遊んでいました。剛志はカメラが好きでしてね。ほら当時あったでしょ、インスタントカメラって。あれでよくみんなの様子を撮っていたんですよ。ひょっとして…」 アルバムには剣道の試合や集合写真の中に混じって、カラオケでふざけている様子、合宿先かどこかでバーベキューに興じる様子などがあった。 「あ。」 古田がそういうと文子は手を止めた。 写真の中に剣道部の皆が仮装のようなものをしてポーズをとっている写真があった。その中に古田が差し出した写真と同じ様な丸型のサングラスをかけている男がいた。 「鍋島。」 片倉と古田は同時に男の名前を呟いた。 「すいません。この写真、しばらく預かってもいいでしょうか。」 片倉の申し出に文子は応じた。 「文子さん。よく私達に教えて下さいました。本当にありがとうございます。」 古田と片倉は文子に向かって深々と頭を下げた。 「ひとつ言い忘れたことがありました。」 「なんですか。」 「あなたが信ずるべきものはもうひとつある。」 「はい?」 「我々です。」 「え?」 「我々を信じてください。必ず事件の真相を突き止めて見せます。」 文子は古田の顔を見て部屋の仏壇に置かれた忠志の遺影を見た。遺影の忠志はこちらに向かって微笑んでいる。彼女は忠志に向かって頷き彼らに向かって一礼した。 「どうかよろしくお願いします。夫の無念と桐本さんの無念を晴らしてください。」 「約束します。必ずや真実を白日の下に晒してみせます。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーThu, 26 Mar 2020
- 212 - 59,12月21日 月曜日 13時15分 金沢銀行本店 役員会議室59.mp3 金沢の南町に居を構える金沢銀行。大正期に当時の著名な建築家の手によって建てられた石造りの重厚な外観は権威的でもあり、その中も当時の面影を色濃く残した作りとなっている。10メートルほどの高さを持った一階営業店フロアは圧巻であり、中でもその背後の中央から左右に別れるように広がる階段は翼を広げた鷹を彷彿させ、来店する皆を圧倒する迫力を持っていた。金と権力が集まる石川県の第一地銀金沢銀行の中枢には、この階段を登って行かねばならない。赤絨毯が敷かれた階段の先には役員と関係者のみが出入りを許される、役員会議室と頭取室があった。 「では小堀部長続けてお願いします。」 会の進行は総務部の担当である。総務部長は上座窓側に立って資料に目を落としながら議事を進めた。Uの字を思い起こして欲しい。この文字の底辺となる場所に頭取は座る。その両サイドの直線となったところの最も底辺に近い位置に専務取締役の本多慶喜。常務取締役の加賀京三が向かい合って座り、それから順に取締役達が並んでいる。これらの男どもが、口を真横一文字に噤んで権威的な建造物が作り出すこの重厚な空間に負けじと踏ん反り返っている様は、第三者がみると滑稽に映るかもしれなかった。 「マルホン建設に関して、今般一億の手貸の承認を求める稟議が金沢駅前支店より上がっています。」 融資部から検討用の稟議の写しが会議室の全役員に配布された。資料がひと通り全役員に行き渡ったあたりで役員たちがざわざわと騒ぎ始めた。本多はそれを鎮めるように役員室全体に響くほどの声を発した。 「小堀部長!! 何だこの稟議は。支店長の判子がないじゃないか!!」 「申し訳ございません。」 「バカも休み休みにしたまえ!!こんな不完全な書類でマルホン建設の融資が承認されるとでも思っているのか!!」 「まぁまぁ専務。落ち着いてくださいよ。」 常務の加賀は正面に座る本多をなだめるように言った。 「小堀部長。どうしてこんな稟議をこの場で提出したんですか。これは支店長の承認がない時点で否決案件ですよ。ねぇ専務。」 不敵な笑みを浮かべて加賀は本多の方を見た。金沢銀行では本多慶喜率いる派閥が過半数を占めている。この役員会でもそうだ。加賀は財務省からこの金沢銀行に三ヶ月前に天下ってきた40代後半の男である。 「金沢駅前支店支店長山県有恒に代わって、私がマルホン建設の融資についてご説明申し上げます。なので融資部直轄案件として皆さまにはお聞き願いたくここで伺うものです。」 「なんだその融資部直轄案件ってのは!!いつからマルホン建設はそんな扱いになったんだ!!いいから山県支店長を今すぐここに呼びたまえ!!」 先ほどから大声を張り上げる本多は冷静さを欠いているとしか思えなかった。 「本多専務、先ほどから大きな声でどうされたんですか。いいじゃないですか。小堀部長がご自分でこの場でマルホン建設の融資について説明するっていうんですから。聞いてあげましょうよ。」 加賀は同席する役員たちの顔を眺めた。誰も彼も困惑した表情である。 「お願いします。何卒よろしくお願いします。」 小堀は深々と頭を下げて役員たちの同意を願う。専務の本多は彼と目を合わせようとせず、ただひたすらに提出された稟議を手にして肩を震わせている。 「マルホン建設の明日がこれにかかっています。」 「ほら皆さん。金沢の有力企業の明日がこの融資にかかっているんですよ。苦しんでいる企業があればその言葉に耳を傾ける。地元経済の発展を願う地方銀行としてはあたりまえのことじゃないですか。ましてやマルホン建設はここにおられる本多専務のご実家ですよ。みすみす否決にもできないでしょ。まぁでも、小堀部長の説明を聞いてからでないと何とも言えませんがね。」 加賀はそう言って頭取である前田平八郎の顔色をうかがった。前田は黙って頷いた。その様子を見て小堀は頭を下げた。 「ありがとうございます。ではご説明申し上げます。」 小堀はマルホン建設の与信状況の説明を始めた。 「マルホン建設はお手元の三期分の決算書をご覧の通り、二期連続の赤字でございます。幸い今のところ決算書上では債務超過ではないことから当行の与信判断からは要注意先と判断されています。しかし先方の強い申し出から貸出条件は緩和しており、試算表から見るところ今期の業況も思わしくなく、このまま行けば今期も赤字。そのための累損、債務超過は必至です。これらのことを総合的に勘案しますと、実質は要管理先いや破綻懸念先と言えます。」 「何だ君は〓現状の与信判断は要注意で留まっているというのに、君の勝手な予想と見解をこの場で述べるな〓」 本多は私見をこの場で述べる小堀を叱責した。 「ふーん。なるほど。続けてください。」 本多とは対象的に加賀は小堀に説明を続けるように促す。 「マルホン建設はご存知の通り公共事業を主たる業務としています。現在、北陸新幹線に係る仕事を自治体から請け負うことで営業を続けております。なので急激に業況が悪くなるという懸念はありません。それに先ごろ国土建設大臣になった本多善幸は公約のひとつに新幹線事業のさらなる拡充というものを掲げています。なので、ひょっとするとマルホン建設は来期以降、工事受注額が増えて持ち直す可能性もあります。今般の一億円の手形貸付は当該先の年末の資金ショートを回避するための限定的なものです。返済原資は売掛金の回収によってなされる見通しです。」 「なんだ、よくある話じゃないですか。専務。年末の資金ショートは何もマルホン建設だけに限った話ではありませんよ。」 加賀は本多の方を見て不敵な笑みを浮かべた。 「私はいいと思いますよ。今回の融資は。皆さんはどうでしょう?」 手元の稟議を見ながら気難しそうにしていた役員たちは一様に頷いた。 小堀は役員に向かって一礼した。 「ありがとうございます。」 「専務。皆さんが賛同されていますよ。良かったじゃないですか。」 本多は自分の実家の財務的窮状を役員全員の前で晒されたことで怒りに震えていた。 「なにもそこまで取り乱すことじゃないでしょう。そうですよね頭取。」 頭取の前田は役員会が開かれてから一度も口を開いていない。彼はただ頷くだけだった。 「でもですよ。金融検査では指摘されるでしょうね。この先は。」 この加賀の言葉に役員室は静まりかえった。 「仮に実質破綻先に格付けされたら、引き当ても随分と積まなくちゃいけませんからね。」 「山県支店長はことのほか、そのことを気にしているようです。」 小堀は加賀に答えた。 「確か金融庁が入ったのは二年前でしたっけ?」 「はい。」 「じゃあさっさと改善させておかないとまずいですね。」 「はい。いつまた入るかわかりません。」 「それなら話は変わってきますね。マルホン建設の早急な経営改善を私は求めます。でなければ、私はこの融資に賛同しかねます。」 役員たちは加賀の初議にざわめいた。 「はははは。加賀常務。一体あんた何なんですか。」 「え?金沢銀行常務取締役ですけど、何か?」 「さっきから黙って聞いていれば、随分と好き放題にご意見されていらっしゃる。たった三か月前に財務省から天下ってきたご身分だというのにご主張が過ぎるのではありませんか。」 本多は加賀の言い分についに堪忍袋の緒が切れたようだ。 「はて、本多専務。私はおかしなことをいいましたか?金融庁検査はだいたい二年ごとに入ると相場は決まっています。いやね、別にこの先が優良先ならいいですが、ほら、際どいでしょう。」 「際どいもんですか。今まで当局から指摘など受けたことはないですよ。」 「いやいや。だって二年前のことでしょ前回の検査は。お手元の決算書を御覧なさい。ほら、要注意の二期連続の赤字、それでもって貸出条件緩和債権あり。これはいけませんよ。で、なんですか。融資部の見立てでは今期も随分と残念な見通しのようじゃないですか。私が検査官の立場ならジッパですよ。」 「ジッパ…。だと…。」 本多は拳を握りしめた。 「専務さん。お気持ちはわかりますけど、あなたも銀行員として長いキャリアを持ってらっしゃるから言わなくてもわかるでしょ。ジッパになったら引き当て積まないとねぇ。そうなったらマルホン建設の心配よりも当行の財務が心配になっちゃうでしょ。」 「加賀常務。どうやらあなたはお分かりになっていないようですね。」 「何のことでしょうか?」 「金融検査があるのは百も承知ですよ。そのために貴方がいらっしゃるんでしょ。」 加賀は首を傾げた。そして隣に座る別の役員に自分の役割について尋ねるも、彼は明確な答えを示さなかった。 「何でしょうか本多専務。あなたのお言葉はいまいち良く分からない。もうちょっと噛み砕いてご説明くださいませんか。」 「おやおや本当にお解りでないようですね。皆さん。これは困りましたよ。はははは。」 本多に合わせるように役員の過半は笑い出した。 「働きかけるんですよ常務。」 「働きかける?」 「まったく分からない方だな。あなたの仕事はお上相手の調整ですよ。それ以外に考えられないじゃないですか。通常の銀行業務は我々にお任せください。あなたは霞が関の方だけ見ていればいいんですよ。」 加賀は本多とほかの役員連中を見回した。彼らの視線は厳しく、そして威圧的でもある。 「分かりました。それが私の仕事というならそうしましょう。」 「何だ、素直じゃないですか。加賀常務。」 「しかし、あなた達の期待している結果とは真逆の事になるかもしれませんよ。」 「なにい?」 役員たちはお互いの顔を見合わせる。 「確かに私は財務省からの天下り。一般的にはあなた達のおっしゃる役割を期待されているんでしょう。それはあなた達の世界での出向と似た性格を持っている。」 「馬鹿言え。君たちの役人の給料は我々民間企業が負担しているんだ。中央官庁でお役御免となった連中に我々は税金を払い、尚且つ給料も払う。こんな破格の待遇で当行はあなたを雇い入れているんだ。それなりの働きをしてもらわないと困るんだよ。出向と同じに扱うんじゃないよ。」 「俺が自ら希望してここに入ってきたとしたらどうだ?」 先ほどから失笑渦巻く役員室が水を打った静けさとなった。 「俺が志願してここに入ってきたらどうなんだと言ってるんだ〓」 激しく机を叩いた加賀は鬼の形相で本多はじめ全役員の顔を睨みつけた。 「いいかひとつだけ覚えておけ。役人の世界でなし得ないこともあるんだ。そのためにその世界を飛び出すモノ好きなやつもいるんだよ。」 「な…。」 本多は会議開催時から沈黙を保っている頭取の顔を見た。彼は本多と目を合わせずにただ正面だけを見つめている。 「専務。あなたがおっしゃる通りに働きかけますよ。どうやら金沢銀行の融資審査はザルの部分があるってね。さっさと検査した方がいいんじゃないですかってね。」 「ま、待ってくれ…。」 「え?働きかけを期待されているんでしょう。ねぇ皆さん〓」 加賀の発言に役員たちは狼狽を隠せないようだ。それとは対象的に前田頭取は身動きひとつせず静観の構えを保っていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 19 Mar 2020
- 211 - 58,12月21日 月曜日 12時45分 河北潟周辺58.mp3 「何だって?お前はその刑事にそんなこと言ったのか。」 「ああ。」 「まったく何てことしてくれたんだ。」 「なんだよ。聞かれたことをその通り話して何が悪いんだ。」 「あのなぁ。俺はお前とは連絡とって無いって言ってしまったんだぞ。あぁ辻褄が合わなくなってるじくるじゃないか。」 「はぁ?なんでそんな嘘をつく必要があるんだよ。」 「いや…。」 確かに佐竹のいう通りだ。村上は佐竹に余計な面倒をかけたくないとの気持ちから片倉に嘘の答弁をした。警察から事情を聴取されたという佐竹からの連絡もなく、おそらく自分が最初の聴取対象であろうと踏んだのが間違いだった。まさか別の者が同じような時間帯に佐竹を聴取していようなどとは村上は想定していなかった。物理的に離れた環境にいる他者の気持ちを以心伝心で組めるほどの卓越した能力を持っている人物などいる訳もなく、村上は自分の軽率な言動を後悔した。 「他に何か聞かれなかったのか。」 「いや、俺は俺で年末のゴタゴタで忙しいから今日の晩にもう一回出直してくれって言っといた。」 「そうか。」 「なぁ、なんでお前そんな嘘ついたんだ。」 「いいだろお前には関係ない。」 「関係ないってなんだよ。おまえこそ変にあいつらに勘ぐられることになるぞ。」 ここで村上は昨晩談我での店主とのやり取りを思い出した。 「相手に黙って、こそこそするからダメなんじゃあ無いのかなぁ。なんて言うのかな、こうちゃんと向きあって、俺はこう思っている、君はどう思うって。」 「いやぁ、なかなか面と向かって言えないよ。」 「そうかなぁ。でもそういう本音の部分を話せるの間柄って言うのが、友達の良い部分じゃないのかなぁ。」 「佐竹、あのな。」 「どうした。」 村上は頭髪をかき乱しうな垂れながら言葉を発した。 「…俺、実は今ピンチなんだ。」 「なぜ。」 「あのな…あれ…ほら、あれだよ。」 「何だよ。」 しばらくの沈黙を経て村上は意を決した。 「ウチのボスの弟の慶喜。お前んとこの専務がちょっかいを出してきた。」 「専務が?」 「ここだけの話だ。石川3区の立候補予定者がいてな。俺にその秘書をしろと言ってきやがった。」 「それがどうピンチなんだ。」 「あのなぁお前にはさんざん話していただろ。俺が何故今、政治家の秘書なんかやっているか。」 「ああ、お前は政治家になるんだろ。」 「そうだ。そのために俺は本多善幸一筋でこの仕事をしてきた。あいつの代わりに嫌いな人種に頭を下げたり、嫌な汚れ役も先回りして引き受けてきた。それもこれも善幸の支持を得て俺が選挙に出るためだった。」 「そうだな。」 「この世は腐っている。善幸がどうして政治家になっていられるか。それもこれも特定の利益集団に担がれているからだけなんだよ。あいつ自身それほどまで確固たる政治思想を持っているわけでもない。北陸新幹線に関してもそうだ。多重型国土軸形成なんて単なるお題目。意図するところは支持母体や自分ところの会社を延命するだけなんだよ。」 電話の向こう側で村上の政治に対する姿勢を聞いていた佐竹は、先ほどまで山県と話していた金沢銀行改革のための思想を思い出した。今、村上が言っていることは山県の信念とダブるところがあった。 「いいか国会議員ってもんは国の代表だ。地元のことは地元の議員がやるべきだ。それがなんだ気づいたら国会議員は地元セールスマンになり変わっている。こんなことじゃ激変する国際社会の競争に、この日本は取り残されるんだよ。」 「村上…だったら決別しろよ。」 「なんだって。」 「決別しろって言ってんだ。」 不意をついた佐竹の言葉に村上は頭が真っ白になった。 「俺は思うんだよ。そんな忌み嫌う連中に平身低頭で支持を取り付けて仮にお前が政治家になったとしよう。お前はその呪縛を引きずることでしか組織票を勝ち得ることはない。そうなればお前が善幸の意図したところを先回りしてやってきた損な役回りを、別の人間がするだけだろ。」 河北潟を望んでいた村上は風に煽られて揺れる水面を見つめた。川でも海でもない潟に漂う波はたおやかであり、風と共になびく水辺の枯れたススキがさわさわと音を奏でている。 「俺が今までやっていたことは無になるじゃないか。」 「無になるかならないかはお前次第だろ。俺もついさっき重大な局面に立たされた。だからお前の話に正面から向き合っている。」 「佐竹…」 「なぁ村上。業務に関わることだから詳しくは話せないが、ひょっとすると俺が今立たされた立場によって、お前が不利益を被ることになるかもしれない。」 「なんだって…」 「だから俺はお前には後悔のない生き方をして欲しいんだ。」 村上は足元に転がっている石ころをつまみ上げてそれを目の前に広がる河北潟めがけて投げ入れた。肩には多少の自信があったが、自分でも意外なぐらいの飛距離をもってその石つぶては水の中に落下し、波紋を作り出した。 「どうやら俺はずいぶんと遠回りをしていたようだな。はははは。佐竹、済まんな。電話で話すレベルの内容じゃなかったな。」 「いや村上、お前先回りしすぎて変に自分の身動きが取れなくなる癖があるだろ。だから心配なんだよ。」 「そうだな。」 ひと呼吸おいて村上は口を開いた。 「俺もお前に不利益をもたらすかもしれん。」 「なんだって…。」 「まぁ、お前の勧めの通りに行動すればそれはないだろうが、それを決めるのは俺次第だ。何故なら俺の人生だからな。」 電話の向こう側の佐竹はしばらく黙っていたが、しばらくして笑い出した。 「そうだ。お前の人生はお前が決めろ。」 「あぁ、そんな単純なこと、何で今まで分からなかったんだろうな。俺は俺で判断する。消して悔いのないように。」 「長い付き合いの男ととうとう対立する立場か。まるでドラマみたいだな。」 「佐竹…すまんな…。」 胸襟を開いて話したはずが、どこかもの寂しげな空気が漂っていた。二人の心境をそのまま表現したかのように、河北潟には12月の寒風が吹き荒んでいた。 「でも、絆は大切にしたいな。」 「絆?」 「お前昨日言ってただろ、疎遠になった間柄といえども絆ってものはあるって。」 立ち尽くしていた村上の頬に一筋の流れるものがあった。この電話以降、自分の行動如何によって佐竹とは反目し合う関係となるかもしれない。それだけにこの一言は村上の琴線に触れるところがあった。 「そうだな。」 「お互いベストを尽くそうぜ。」 高校時代に苦楽を共にした戦友として二人はお互いを認め合っていた。時には対立し、時には価値観を共有し、社会に出た今日まで絆を深めてきた。自分が慶喜の申し出を断ることで、佐竹の出世が脅かされようが、それはそれで止むを得ないことである。佐竹も思わずがな自分に不利益を与える立場になったようだ。それは彼の望むところであろうがなかろうが、彼自身の手で決断したこと。そんなことで決定的な溝ができるほど二人の間は柔なものでもない。二人はそのように語り合い、お互いの健闘を祈って電話を切った。 切った携帯電話をしばらく見つめた後、村上は河北潟の様子を眺めた。そして振り返って10メートルほど離れたところに止めてある自分の車に目をやって言った。 「ははは、また敵が増えちゃったよ。一色。」Thu, 12 Mar 2020
- 210 - 57,12月21日 月曜日 12時24分 金沢銀行金沢駅前支店57.mp3 人気が少なくなったロビーの雑誌類を整理していた佐竹は、店内に設置されたデジタルサイネージに目をやって今の時刻を確認した。 そろそろ休憩をとっても良い時間だ。一足先に休憩に入っている橘はもうしばらくすればここに戻ってくる。彼の帰りを確認して自分も休憩をとろう。そう思いながら佐竹はひと通り店内を見回した。彼が店内奥の職員通用口に目をやった時に、その扉は開かれた。 「支店長。」 山県は羽織っていたコートを脱いで、そばにあるコートハンガーにそれを掛けた。支店長の決裁を求める稟議書がうず高く積まれた自席に目をやってため息を付いた彼は、立ったままデスクの引き出しに手をかけた。 ーさぁどうする。 引き出しの中を確認した山県は店内を見回した。そこでロビーに立っている佐竹と目があった。山県の目つきは鋭く、5m先にいる佐竹は固まってしまった。そこに休憩を終えて外から帰ってきた橘がタイミングよく通用口から店内に入ってきた。橘は山県の車が駐車場に止まっていることから、彼が帰ってきたことを知ったのだろう。店内に入るやいなや支店長席の方へ駆け寄った。橘の動きを見て佐竹は同じく支店長の側へ駆け寄った。 「次長も代理もそろって何や。」 「融資部からの再三の催促で支店長には無断で稟議を本部へ送りました。」 橘が支店長不在時の事の顛末を報告した。 「これみれば分かるわ。」 そう言うと山県は自席の引き出しを開けてその中を二人に見せた。 「すいません。」 「次長も代理も揃いも揃ってだらやな。」 山県の表情には笑みが浮かんでいた。 「おい、ちょっと応接にこいま。」 応接室に入るやいなや山県はタバコを咥えてそれを吸い始めた。 「どう思う。」 「どう思うって言っても...。」 橘はそう言って佐竹と顔を見合わせた。 「小堀部長何か言っとったか。」 この問いに佐竹が答えた。 「13時からの役員会で承認もらうから、とにかく稟議を直接こっちまで持って来いって言ってました。ですが稟議は支店長の席にあって、尚且つ不在なためそれは難しいと答えました。」 「そしたら?」 「書き直せとの指示でした。」 「書き直すのは容易いことですが、私たちとしても後で現場の独断で融資を起案したと責任をなすりつけられるのは困ります。そこでダメもとで支店長の席の引き出しを開けると稟議がありました。 支店長が却下された稟議としてそのまま融資部へ持って行って現在に至ります。」 「でもそれやったら俺が却下した稟議かどうか証明できんぞ。マルホン建設が仮に飛んだりしたらお前らに責任が擦りつけられるかもしれん。」 「そのあたりはここに証拠を収めておきましたので何とかなるでしょう。」 佐竹は胸元から携帯電話を取り出した。 「携帯?」 「ええ、スマートフォンじゃないですが、これでも立派に録音ぐらいは出来るんですよ。」 佐竹は携帯を操作して録音した音声をこの場で再生した。 「融資部に入ったところから録音しています。」 「お疲れさまです。上杉課長。」 「お疲れさん。佐竹、マズイぞ。小堀部長が朝からソワソワしてめちゃくちゃ機嫌悪いげんわ。」 「それで今、ここに来たんですよ。課長。ちょっと教えて欲しいんですが、今日は何月何日ですか?」 「なんねんて佐竹。」 「いや、ちょっとここまできて稟議書の日付があっとるかどうか不安になって。」 「おいおいここまできて書き直しは辞めてくれや。12月21日。」 「えーっと今何時でしたっけ。」 「時計見れや。9時半やろ。」 「稟議。」 「君かマルホン建設を担当しとるのは。」 「はい。」 「佐竹君やな。」 「はい。」 「支店長は休みや。」 「いま何て言いました?」 「だから支店長は休んどるって言っとるやろ。」 「部長。意味がわかりません。支店長はこの稟議書をちゃんと読んで却下されました。その却下された稟議書の原本を持ってきてるんですけど。そもそも部長は支店長とこの一件で朝電話されていたじゃないですか。」 「山県のやつ、べらべらべらべらと喋りやがって。もういい。わかった。これは受理する。」 「失礼します。」 録音された音声はここで切れた。 「ははは。代理、おまえなかなかな策士やな。」 「そうや。日付と時間を第三者に言わせて裏を取るとか、まるで刑事やな。」 山県と橘は佐竹のツボを抑えた録音に感心しながら笑みを浮かべた。 「別に専務派とか支店長派とかのことを念頭においてやったことではありません。ただ自分達の身を守るために必要だろうと思ってやったことです。」 この言葉を受けて山県は真剣な面持ちとなった。 「佐竹。それは大事なことや。それはお前のみならず、次長やこの店で働く全行員の身の安全を図る手立てとなる。良くやった。」 佐竹の隣に座る橘も山県の言葉に頷いた。 「ありがとうございます。」 「支店長。私たちも今の融資体制には疑問を持っています。我々もできる限りのことをしますので、支店長の今後の展望をお聞かせ下さいませんか。」 「ははは。次長。あいにく俺は専務のような徒党を組むことが苦手でな。お前もその口やろ。」 「まぁそうですが…。」 「その言葉だけありがたくもらっとくわ。」 「どうして私たちには明かしてくれないんですか。」 ここで佐竹が口をはさんだ。 「私達だって現状の人事や業務に疑問を持っているんです。だから今回のマルホン建設の稟議の扱いも自分なりに考えてリスクを冒しながら本部に持参したんです。支店長からは何も聞かされていません。今回はたまたま私が融資部でのやり取りを録音していたから、あとから何とでも弁明できますが、これがそうでなかったらどうするんですか。それこそ私や次長にマルホン建設の融資事故が起こった際に責任が被せられる。支店長は小堀部長と親交があるから欠勤扱いになるかもしれないですが、私たち当事者はそうは行きません。」 「佐竹…」 支店長に食ってかかる佐竹を見て橘は少したじろいだ。 「私も派閥とか権力闘争とかは好みません。しかし支店長がおっしゃる融資体制のおかしな点を改めたいということには賛同します。賛同するからこそ支店長、あなたの真意を聞きたいんです。」 山県は佐竹の目を見て微動だにしない。 「支店長。あなたは出世にために、もしくは派閥抗争に勝利するためにマルホン建設を踏み台にされるんですか。それとも当行を本来あるべき姿に変革したいがために、マルホン建設を切り捨てようとされているのですか。」 「前者だ。」 佐竹と橘は固まった。額から一筋の汗が流れ落ち、それが喉を伝った。 「と言ったらどうするんだ。ん?」 ソファに深く座り肘をついて佐竹の言い分を聞いていた山県は、座り直して前屈みの姿勢となった。この時佐竹は心の中では動揺していた。血気にはやって直属の上司を問いただすようなことをしてしまった。彼の刺すような視線に目を背けたい気持ちに駆られたが、こう言い放ったからには引くに引けない。 「身の処し方を考えます。」 「おい佐竹。よせ。」 「はっはっはっ。」 山県が大きく笑った。 「代理。必死やな。必死すぎると大怪我するぞ。」 「支店長…。」 「冗談や。冗談。まったくお前がこんなに熱い男だとは思っとらんかったわ。俺が派閥抗争なんかするとおもっとるんか代理。」 「いえ。ですがその言質を頂いていませんでしたので。」 「すまんな。あまり自分のことを語る主義じゃないんでな。お前らに変に気を遣わせてしまっとったか。すまん。」 山県は佐竹と橘に頭をたれた。 「これは俺の独断や。お前らには絶対に迷惑はかけん。ほやからもう少しの辛抱や。金沢銀行の癌は全て本多専務とその取り巻きにある。あいつらを一掃して本来あるべき姿に戻す。そのためには俺は刺し違える覚悟や。ただ今の俺の立場では何もできん。何かを変えようと思ったら変える立場に自分が上がらんといかんのも事実。だからお前の問いに答えるとするならば、両方と言えるかもしれん。」 佐竹は山県の目を見た。彼は視線をそらさない。嘘をつくような人間ではないと思うが、佐竹は不安だった。 「信じていいんですね。」 「信じるか信じんかはお前に任せる。」 「…わかりました。」 「どうしてこのタイミングで支店長は事を起こそうと思われたんですか。」 橘が山県に問いかけた。 「次長。奇襲っていうもんは相手の虚をつくから奇襲っていうんや。マルホン建設から出た本多善幸が国土建設大臣になった。お膝元ではホッとして胸をなでおろしとるところやろ。あいつの関係者もそうや。そいつらは相変わらずなんの考えもなしに利権構造にしがみつきっぱなしや。税金ちゅう蜜に群がる蟻や。そんな奴らの目を覚めさせるんや。」 「しかしマルホン建設が飛ぶとなると、社会的影響は計りしれません。」 「おれは別にあの会社を潰したいわけじゃない。本当の意味での競争力を身につけて欲しいだけや。そのためにはマルホン建設そのものの刷新。そして現状変化を望まずただ延命だけを計るウチの上層部をガラリと変える必要がある。そのための奇襲や。俺はマルホン建設を潰すなんて一度も言った覚えはない。」 「しかし、今朝の小堀部長とのやり取りで支店長はマルホン建設はどうなっても知らんと。」 山県はタバコを咥えて橘の問いかけに答える。 「あれは売り言葉に買い言葉や。小堀さんはきっと解ってくれる。」 山県はそう言って勢いよく煙を吐き出し、落ちてきた眼鏡位置を調整した。 「いや解っとる。」 ここで佐竹の携帯電話が震えた。彼は胸元からそれを取り出して画面に表示される発信者の名前を見た。 ー村上。 村上は本多善幸の選挙区担当秘書。山県の画策に賛同して気持ちが高揚していた佐竹であったが、ここでふと我に帰った。いま山県が言っていたことを実行するとなると、彼に何らかの影響が及ぼされるかもしれない。思いを巡らせている間に着信は途絶えた。 「代理、大丈夫か?」 橘が顔色が悪くなった佐竹の様子を伺った。 「え、ええ。大丈夫です。ちょっと気分が。」 佐竹は得意先への訪問の予定があると言って、応接を後にした。応接には山県と橘の2人だけとなった。 「次長。悪く思わんでくれ。」 「いえ。」 「ここが天下分け目の勝負や。」 「はい。」 「急なことで済まんが、付き合ってくれ。」 「わかっていますよ。」 「それにしても佐竹のやつどうしたんや。」 「さあ、ただ何かのスイッチが入ったようですよ。」 「仕事も人間関係も無難にこなしてあまりこれといった特徴が無い奴やと正直思っとったけど、熱いもん持っとるんやな。」 「そうですね。」 「まるで昔の俺を見とるみたいや。」 「何言ってるんですか支店長。あなたは今も大概ですよ。」 「そうか。」 二人は声を押し殺して笑った。 「ただな。あいつには言ってなかったが、事を起こす時は得てして何かを失うもんや。その辺りは次長。佐竹のフォローを頼むぞ。」 橘は山県を見てゆっくりと頷いた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 05 Mar 2020
- 209 - 56,12月21日 月曜日 11時53分 県警本部交通安全部資料室56.mp3 「松永…。」 片倉の前方10m先にはコート姿の松永が立っていた。 「お前、そこで何をしている。」 そう言って松永はこちらに歩いてくる。 「おい、片倉。松永か。まつ…。」 電話の先で声を発する古田を遮るように、片倉はそれを切った。 「やれやれ。ちょっとは大人しくしていてくれればいいものなんだが…。」 松永は伸びきった自分の髪の毛を掻きあげた。 「ちょろちょろちょろちょろネズミが動きまわって目障りなんだよ。何を調べていた。」 「別になんでもいいだろ。あんたこそなんでこんな所におるんや。」 「何だ…その態度は。」 「こっちは今あんたとは何も関係がないんだ。指図は受けねぇ。」 片倉の態度に呆れた表情を示した松永だったが、昨日の狂人のように振る舞う素振りは見せなかった。松永は片倉が左手にスマートフォンを持っているのを見た。 「捜査資料の無断複製、外部持ち出しは懲戒もんだ。」 そう言って彼は片倉からそれを取り上げた。 「消せ。」 「…。」 「今すぐこの場で消せ。俺の目の前で確実に消せ!!」 「それはできん。」 「あのなぁ、この俺が最大の親切心で言ってやってんのに、それすらもお前は無視か?」 そういうと松永はコートのポケットの中からホッチキスで止められ、強引に4つに折りたたまれた10枚ほどの用紙を取り出した。 「お前が欲しいのはこれだろ。」 松永が手にしている資料は、いま片倉が撮影した6年前の県道熨子山線交通事故に関する調査報告書そのもののコピーだった。 「なんで…」 「質問は後だ。いますぐこの中のデータを消せ。」 松永は奪い取った携帯を片倉に返した。片倉は渋々該当するデータを松永の目の前で消した。 「それでいい。ったく、情報セキュリティのいろはもわからん奴が、その手のデバイスを何の警戒もなしに使用するのは見てられん。何かの拍子で外部に漏れたらどうするんだよ。」 そういうと手にしていたコピー用紙を松永は片倉に差し出した。 「ほらよ。くれてやる。」 「なんだよ。どういう風の吹きまわしだ。」 「ほら、さっさと受け取れ。」 片倉は今、自分の目の前に起こっている状況を掴みきれない表情で資料を受け取った。 「なんでお前がこの資料を漁ってるんだ。」 「…。」 「なんでお前がこの資料を漁ってるんだ?ん?」 「…。」 「やれやれ…。俺も随分な嫌われ役になったもんだな。まあそれが俺の役割。今のところ自分に及第点を与えてやっても良いか。」 「どういうことだ。」 「知りたいか。知りたければお前が今、ここにいる理由を先に説明してみろ。そうすれば教えてやってもいい。」 片倉は暫く考えた。松永の意図するところが全くわからない。 その中で自分の手の内を明らかにすることは、相手に付け入る隙を晒す非常に危険な行為である。だが松永の真意を知りたくもある。 昨日、自分を捜査から外した松永は傍若無人という形容がそのまま当てはまる人物だった。本部長からも松永の人となりを注意せよと聞いている。しかし今、自分の目の前にいる彼はその言動に気に食わない箇所があるにせよ、こちらにとって不利益をもたらす人物には思えなかった。抑えたデータを消去するよう要請はされたが、その代替として資料のコピーを提供してくれている。 「俺は俺なりに今回の事件を調べたいんだ。各方面から情報を収集しとる。この資料を抑えるのもその一環や。」 「6年前の県道熨子山線の事故と今回の事件が一体何の関係があるって言うんだ。」 「話せば長くなる。」 「長くなるのがお前にとって不都合なのか。」 別に不都合ではない。ただ自分と古田の捜査は極秘であるため、それを知られたくないだけだ。 「今、電話をしていた相手は誰だ。」 「知らん。」 「知らないやつと捜査の話か。そんな訳ねぇだろ。」 「誰と話をしようがお前には関係はないやろ。お前の捜査手法に疑問を持つ人間なんてわんさとおるからな。」 「古田登志夫。」 「は?」 「県警本部捜査二課課長補佐 古田登志夫だろ。」 唐突だった。話し相手を当てられた驚き。古田の名前を松永が知っていた驚き。このふたつの衝撃が片倉に走った。古田は熨子山連続殺人事件の捜査には招集されていない。なぜ松永は古田の情報を得ているのだろうか。 「なんでトシさんの名前を知っとるんや。」 「それも俺の仕事だよ。」 「仕事?」 「知りたいか。それなら6年前の事故と今回の事件の関係を言え。」 捜査の機密を保持したい気持ちは強いが、ことごとく意表をつく言葉を返す松永を前にして、彼の本心を知りたい衝動に駆られた。逡巡した挙句、片倉は松永に口外無用を条件に、つい先程古田から入手した県道熨子山線における事故の背景を語ることにした。 「なるほど。事故に見せかけたコロシか。いまお前の言った背景を考えるとそれほど飛躍した推理でもなさそうだ。」 「そうか。あんたもそう思うか。」 素直だ。自分を機械呼ばわりした昨日とは全く別人だ。片倉は松永の人格の変容に終始戸惑いながらも、彼が人の意見を聞く耳を持つ側面もあることに、何かしらの安堵感を抱いた。 「その文子という女性は健在なんだろう。そこからベアーズかマルホン建設かそれとも仁熊会の関係者を割り出せそうだな。」 目の付け所が自分と同じであることが、松永に対する片倉の警戒心を一気に解いた。 「そ、そうねんて…。ちょうどその話をしていたところなんだ。」 「スッポン捜査の古田。熱くて意外とクレバーな片倉。」 「意外とはなんだ。」 片倉はむっとした。 「まあいい、その線で攻めてくれ。」 「なんだって。」 「ああ、帳場に戻れとは言っていない。そのままこっそり古田と続けてくれ。」 「…いいのか。」 「但しもう少しわかりにくく動け。古田はどうか知らんがお前はダメだ。分り易すぎる。現に俺はお前の行動を補足していた。以後注意を怠らぬように。」 片倉は松永の指摘にぐうの音も出なかった。 「さて、こちらも口外無用だ。」 バイブレーションの音がなった。松永の携帯からのもののようだ。 「松永だ。ああ、正午の件だなちょっと遅れそうだ。どうした。…なに…。穴山と井上が…。そうか、わかったすぐにそっちに行く。ああちょっと待て。」 そう言うと松永は携帯のマイクの部分を手で覆って片倉の方を見た。 「ここから北署まで何分だ。」 「15分。」 「15分で戻る。それまで待機だ。」 電話を切ったのを確認して片倉は松永に声をかけた。 「穴山と井上がどうかしたか。」 「随分とややこしい話になってきた。俺は帳場に戻る。」 「おいちょっと待て。俺はお前の話を聞いてない。」 「すまんな。急用なんだ。機会があればまた今度。」 松永は肩を竦めてその場から早足で立ち去ろうとした。 「おい!! 話が違うがいや!! 」 「そのうち分かるさ。ああ、帳場の情報は岡田にでも聞いてみてくれ。じゃあな。」 「岡田?」 松永が去った後の資料室に再び一人になった片倉は呆然としていた。 結局こちらから一方的に情報を提供して、相手方の情報をひとつも聞き出せなかった。松永ははじめからこちらの情報を得ることだけを考えて、片倉と接していたのだろうか。いやそれならば熨子山の事故資料のデータ破棄と引き換えにコピーを渡すなんてことはしないだろう。そもそもなぜ松永は片倉が交通安全部の資料室にいることを知り、尚且つ彼が求める資料のコピーを持っていたのか。謎が多い。 さらに松永は去り際に岡田の名前を出した。片倉は先ほど本多事務所で岡田とバッティングし、その事自体をなかったことにしようと本人と話し合った。それが既に松永に露見したというのか。岡田のことを疑いたくないがまさかこちらの動きが報告でもされているのか。 「訳が分からん。やっぱりあいつ変人や。」 そう呟いて片倉は後味悪く資料室を後にした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 27 Feb 2020
- 208 - 55,12月21日 月曜日 11時30分 県警本部捜査一課55.mp3 携帯電話の音がなった。胸元にしまってあるそれを取り出して、片倉は画面に表示される発信者の名前を見た。そこには古田登志夫の名前があった。 「おうトシさん。」 「片倉。なんやら次から次とどえらいもんが出てきたぞ。」 「そうか。ちょっと待ってくれ。」 そう言うと傍らの職員にしばらく離席する旨を伝え、彼は捜査一課から喫煙室へと移動を始めた。熨子山連続殺人事件の捜査本部は北署に設置されているが、県警本部との連携をとるために、ここにも連絡室なるものが設置されている。そのため県警本部全体もいつもより慌ただしく殺気立った雰囲気が充満していた。足早に歩く私服警官。県境を中心とした徹底した検問体制を敷く警備部。皆余裕が無い様子だ。 「で、どうした。」 「赤松と接触したんやが、あいつの父親が6年前に事故で死んどる。」 「で。」 「その事故がコロシじゃないかと一色がこっそり捜査をしとったようなんや。」 「おいおい待てよ。トシさん。また訳が分からんくなる情報やな。」 喫煙室の目の前に来た片倉だったが、そこで踵を返して別の方向に向かった。 「まぁ黙って聞け。お前、今どこに居る。」 「県警本部や。」 「そりゃあありがたい。片倉、ちょっくらそのまま交通安全部の資料室で当時の事故の調書見てくれんか。」 「そう言うやろうと思って、いまそこに向かっとる。」 「お前、天才やな。」 「まあな。で、どうなんや。」 「当時の一色が言うには、ブレーキひとつ踏まんと崖から転落するなんて考えられんっていうんやと。」 「ブレーキ踏まんと崖から転落?」 「ああ。」 「うーんトシさん。それやったら自殺って線もあるんじゃねえが。」 「ワシもはじめそう思った。ほやけどその死んだ当の赤松の父親をめぐる話を聞いたら、一色の推理もあながち無視できんげんて。」 「と言うと。」 「赤松の家は田上の花屋や。あの辺りは区画整理でいまは随分と綺麗になっとるわけやけど、そこの用地取得に関する不正な構造を、赤松の父親は何かの形で知っとったようなんや。」 「不正な構造?」 「あの辺り一帯の土地は昔マルホン建設が買い漁っとった。ほやけどバブル崩壊であいつらは大損。売るにも売れんくてどんどん含み損が増えていく。このゴミみたいな土地をどうにか手放せんかって思っとったときにベアーズデベロップメントっちゅう会社がそいつを全部買ってくれた。その後、そのゴミみたいな土地を含む田上地区の区画整理が持ち上がってベアーズデベロップメントは購入金額よりも高値で国に土地を売却。一見するとベアーズデベロップメントの先見の明が成し得た、不動産投資の成功話。」 「そうやな。」 「そのベアーズって会社が普通の不動産投資会社なら話はそれで終わり。ほやけどほら、この会社は仁熊会のフロント企業ってやつや。」 交通安全課資料室の前まで来た片倉はその扉を開け中に入った。人は全くおらず、書架が整然と並び、書類保存のため一定の温度と湿度を保った凛とした空気感は、暖房と人の熱気が充満する県警本部全体の環境とは一線を画すものであった。 「仁熊会やって…。」 「ほうや。まぁちょっと聞いてくれ。マルホン建設と言えばお前、何を思い出す。」 「そりゃ本多善幸…。って…ちょっとまってくれトシさん。」 「ああ、お前が言いたいことはわかるけど、先にこっちから報告するから待っとってくれ。」 「わかった。」 片倉は年号別に書類が整理された書架の中から6年前のものを探した。 「バブル崩壊時にどんな博打打ちでも、みるみる評価損を出すような土地を買うなんてことはせん。そこをベアーズデベロップメントはマルホン建設から買った。業界で有名な不動産投資会社って言うならわかるけど、世間的には誰も知らん仁熊会のフロント企業や。マルホン建設の当時の社長は本多善幸。あいつはベアーズに土地を売却した後に政界進出。その後に田上の区画整理。一時的に損をしたベアーズは地価を持ち直し、上昇に転じたそいつを国に売却することで最終的に多額の利益を得る。いわゆる税金を食い物にした構図のできあがり。」 「その構図を知った赤松の父親が口封じに殺されたっちゅうんか。」 「ああ一色はそう推理したようや。ほやけどちょっとよう分からん事があってな」 「よう分からん?」 「父親の忠志は500万で口止めを依頼された。だが正義感の強い忠志はそれを固辞。旦那に内緒で母親の文子が500万の口止め料を受け取った。それを知った忠志は文子を非難する。いくらなんでもそんな後ろ暗い金は取れんちゅうことで忠志は全額を引き出して返しに行った。それがどうやら深夜の熨子山。そこで事故。」 古田と会話をしているうちに片倉は6年前の事故資料が保管されている段ボール箱を書架に発見し、その中を漁り始めた。 「事故後にその500万円は赤松の店でバイトをしとる人間を介して、赤松家に戻ってくる。当初の口止め料の振込人はコンドウサトミとかいう女性。後で現金で戻ってくる時の封筒にもコンドウサトミ。しかし、文子はこのコンドウサトミとは面識がない。なんで500万っちゅう金がマルホンとかベアーズのほうと赤松の家をこうも行ったり来たりするんか…。そこらへんがよう分からんがや。」 「トシさん。今聞いとって思ったんやけど、赤松の母親の文子って今も健在ねんろ。」 「おう。」 「ほんなら文子に聞けばいいがいや。」 「何をいや。コンドウサトミのこと知らんっていっとるがいや。」 「トシさん。文子は口止め料を入金してくれって用地取得の関係者とコンタクトとってんろ。ほんなら文子からその関係者ってやつ聴きだしてみれば、なんかの手がかりが出てくるかもしれんがいや。」 「あ。」 「あ…って、トシさんも寄る年波には勝てんげんな。ちょっと勘が鈍くなってきたんじゃねぇか。ああ…これやこれ。6月15日付け県道熨子山線交通事故に関する調査報告書。ちょっと待ってくれ。」 「そうか…俺も年やなぁ。定年60歳っていうのも何か分かるな。ははは。…って今お前なんて言った。」 「何って、勘が鈍くなってきたんじゃねぇかって。」 「違う。日付やって。日付をもう一回言ってくれ。」 「なんねんてトシさん。今度は耳でも遠くなったんか。6月15日。」 「それ当たりや。」 「なにが。」 「一色のやつ1年半前の6月15日に赤松の店に花を買いに来とる。」 「は?」 「なんでも知り合いの墓参りとか言って、赤松と直接会ったらしい。しかし、今お前が指摘した文子のこと。一色が気づかんかったとは到底考えられん…。あいつの中での捜査は一体どこまで進んどったんやろうか。ひょっとして何かの壁にぶち当たったか、それとも…。」 「…。」 「おい。片倉、どうした。」 「トシさん。これはひょっとしたらヤバいもん見たかもしれん…。」 「何が。」 「この報告書の検印。官房の宇都宮の判子が押されとる。」 片倉と古田は本部長の朝倉から、今回の熨子山連続殺人事件の捜査本部に松永が派遣された理由のひとつに官房宇都宮からの指示があったことは聞かされていた。宇都宮は以前、当県警で1年半交通安全部の交通課課長を務めていたことがあった。その後、全国の主要警察本部で要職につき、現在の官房総務課課長となっている警察キャリアの中の勝ち組的存在である。 「どう見たってこれは事故じゃねぇわ。ブレーキひとつかけずに見事なダイブ。自殺なら納得行くけど事故って言うなら誰もが首をひねる代物や。」 「おいおい。まさか官房さんもこの件にいっちょ噛みしとんるんじゃねぇやろな。片倉、その資料、お得意のあれ。えーっと何って言った。あの画面を指でピッピって触るやつ…。」 「スマホか。」 「ああそれそれ。スマホコピーしといてくれんか。」 「ああ分かった。長居は無用や。さっさと写して退散するぜ。」 背広の内ポケットからスマートフォンを取り出して片倉は手際よくそれらの資料をカメラで収める。 「携帯2台持ちって昔はお水の姉ちゃんぐらいやったけど、今じゃ俺みたいなおっさんも必要な時代ねんな。」 「で、そっちはどうやった。」 「ああ、こっちはその噂のマルホン建設輩出の本多善幸の秘書さんと会ってきた。こいつがこれまたどうも胡散臭い。」 「胡散臭い?」 「おう。村上隆二は昨日熨子山で検問にひっかかっとる。ほんで氷見に抜けて帰りは検問に引っかかることなく羽咋経由、金沢入り。現在も事務所で仕事中や。」 「なんやそれ。」 「鍋島についても反応を示したぞ。」 「どんな。」 「鍋島の名前を出した途端、顔色が変わったわ。でも村上は鍋島と連絡を取っとらんって言っとったから、実際に何が理由であいつの表情が変わったかは分からん。トシさんが言っとった高校時代のトレーニングについて聞いたら、やっぱりインターハイで優勝する奴やな。鍋島が飛び抜けて優秀やったって言っとった。あいつが鬼の時はどこで気づくんか分からんけど、隠れとってもすぐに捕まる。あいつが逃げる側のときはいつも最後まで捕まらんかったって。鍋島は相当熨子山の地理に精通しとるわ。」 「…そうか。佐竹や赤松の言うこととは食い違っとるな。」 「なに?本当か。」 「おう。どっちが本当のことを言っとるか分からんけど参考にさせてもらうわ。村上は佐竹のことを言っとったか。」 「いや、連絡は取っとらんって。」 「おかしいな。佐竹は村上と連絡をとったって言っとったぞ。実際連絡をとった時刻も方法も通話の履歴も見せてもらった。」 「あいつ、嘘をついとるな。」 「マルホン建設関係は6年前の件といい、今回の事件といい何か臭うな。」 「ああ。」 資料をひと通り撮影し終えた片倉はそれらを元の位置にしまって、部屋を後にしようとした。 「どうや片倉。昼飯で落ちあわんか。金沢駅に様子のおかしい喫茶店がある。そこで話を整理しよう。」 片倉の返事はない。 「おい片倉。どうした。」 「松永…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 20 Feb 2020
- 207 - 54,12月21日 月曜日 11時12分 金沢銀行金沢駅前支店54.mp3 事業所融資の稟議書をパソコンに向かって作成していた佐竹は行内にある時計に目をやった。時刻は11時を回っていた。目、肩、腰に疲労を覚え始めていた彼はいったん手を止めて、両腕を天井に向けておもいっきり体を伸ばした。その時、自席の後方に位置する支店長席を見ると山県の姿は確認できなかった。彼は朝から店を出たきりだ。連絡も何もない。 「支店長まだ帰ってこんな。」 自分の隣に席がある橘がつぶやいた。 「そうですね…。あれから次長に連絡ありましたか。」 「いや、何にも。」 「融資部からは?」 「それもない。」 「…それにしても、なんでこのタイミングでこんな派手なことするんですかね。支店長は。」 「ほんなもん分かっかいや。」 窓口業務につきものの検印を押しながら橘は佐竹の問いかけを適度にあしらった。 「…でもな、支店長言っとったがいや。」 「はい?」 「奇襲って。」 「ああ、そんなこと言ってましたね。小さな勢力が大きな勢力に立ち向かうときに有効な手立てって。」 「そんな攻撃誰に向けてすれんて…。そこら辺ちょっと考えてみてみぃや。ああ、高橋さん。この改印届けオッケーね。」 「え…あんまり考えたくないんですが…権力闘争とかってやつですか。」 橘は苦笑いし佐竹を見る。 「それやろうな。」 「…まじですか。」 「マジ。代理、あたりを見回してみぃや。」 佐竹は素直に店内の周囲を見回した。店の一番奥に支店長席。その前に自分と次長。その左側には融資係。右側にはパーテーションで仕切られた区画がありそこは営業部隊のスペースであるが、この時間には誰もいない。前衛には預金、為替、年金、投信、各種手続きをを担う窓口業務を行う女性行員が慌ただしく来店客の対応をしている。いつもの風景だ。 「金沢銀行の実力者はだれか知っとるよな。」 「本多専務です。」 「ほうや。代理から見て左側の融資係、右側の営業係。どちらの長も専務派。」 「ええっ!?」 「なんやお前。なんも知らんげんな。」 会社ごとにその構造は違うだろうが、なぜか銀行という世界は派閥を作りたがる。 学歴によるものもあれば、縁故地縁によるものもある。仕事に対する価値観で派閥を形成するケースもあろう。人事考課という明文化された評価基準は整備されているが、金沢銀行ではその運用方法が特殊であった。上位考課者による主観的評価のウェイトが非常に重い制度となっていた。この前近代的で硬直化した組織において出世をする際に重要となる要素のひとつは組織内営業。すなわち組織内で上司にいかに気に入られるかということが重要となる。仕事本来の実績は確かに重要であるが、結局のところ上司の胸先三寸によるものが大きいため、それはさしたるものではなかった。 金沢銀行では本多派が圧倒的多数を占めている。この中で出世をするにはこの主流派の信任を得ることが第一条件だった。 「俺ダメなんですよ。その手の社内営業。」 「わかるよ俺もおんなじや。でもなぁ。」 「でも?」 「代理は結婚もしとらんし、子どももおらん。気を悪くせんと聞いて欲しんやけど、今この瞬間に代理は職を失ったとしても、年齢もまだ若いし何とかやっていけるかもしれん。でも、俺みたいに家庭を持って年頃の子どもとか抱えて住宅ローンもあったりすると、そういうわけにもいかんのよ。」 「守るものがあるってやつですか?」 「そういうこと。俺も派閥とか出世とか下衆な人間関係はごめんや。でも家庭を守るために時として派閥の人間に肩入れすることだってあるわいや。」 「…だとしたら、今回のマルホン建設の件、次長も気が気じゃないでしょう。」 「何か分からんけどなるようになるやろって思ってきたわ。こっちは取り敢えず本部の言うとおりのことしたし、専務派の人間には対面保ったやろ。」 「でも支店長には黙ってやりましたよ。」 「うーん。でもさぁ。俺ちょっと思っとるんやって。」 「何をですか?」 「支店長、俺らがこうやることを想定して引き出しに鍵かけんと出て行ったんじゃないかって。」 橘は空席のままの支店長席を眺めた。 「支店長としてはマルホン建設の融資はもうしたくない。しかしそのために部下を巻き添えにしたくない。電話で小堀部長にあんなに強く言ってもきっと融資部は稟議上げろと指示してくる。そのために自分が目を通していない稟議書をゼロから書いて本部に上げてしまうと、部下が独断専行で融資を起案したように捉えられるおそれがある。それなら実際支店長自らが目を通した稟議をそのままはんこがない状態で本部へ上げた方が体は良い。あとは本部が独断専行でやったことってな。」 「なるほど。」 佐竹は思わず手を叩いた。 「俺達は今回のマルホン建設の融資には一切タッチしていません。ただ言われたとおりにやれと言われたことをやっただけ。その証拠は支店長の判子が押されとらん稟議。」 「ほほう。となると次長。これは面白いことになってくるんじゃないですか。」 「なにが?」 「だってこれは支店長の専務派に対する宣戦布告みたいなもんでしょう。専務の実家のマルホン建設の融資については今後一切タッチしませんよ。追加の融資もしませんよって意思表示でしょう。だから今後の責任は全部本部のお偉方ででよろしくって。」 橘は呆れた顔で佐竹を見る。 「代理。お前もうちょっと賢い人間やと思っとったけど、案外そうでもないんやな。」 佐竹はむっとして言った。 「何がですか。」 「小堀部長言っとったやろ。もう庇えんって。あれは小堀部長が専務派ながら影で山県支店長を支えとったってことやろ。今後はその歯止めがきかんくなる。専務派の攻勢が一気に始まるってことや。」 「どういうことですか。」 「切り崩しに来る。既に融資係と営業係は取り込み済み。山県支店長を孤立化させるために俺とか代理とかを取り込みにくるぞ。他人事じゃ済まされんぞ。」 「ちょっと待ってくださいよ。そういう変な派閥とかが嫌いだから俺は中立でいままで仕事をやってきたんですから。」 「代理さ。これがこの世界の常識ねんぞ。立ち振舞を間違えたら俺みたいに万年次長止まりとか、窓際、出向だってある。」 橘は45歳で次長になった。同世代の入行組でも比較的順当に昇進してきた部類であったが、次長になってからというもの、10年間一切の昇進をしていない。方や橘よりも遅くして次長になった連中でも専務派といわれる派閥に属している連中は支店長や本部の役付けで活躍していた。これも派閥の力学がさせるものなのだろうか。 「次長はどうするんですか。仮に専務派が攻勢に出てきたら。」 「…さあな。その時はその時や。俺だって生活あっから…。ただあいつらから見れば俺らは山県派として見られとるんは間違いない。」 佐竹は不安になった。橘から「お前は独り身だから何が起こってもある程度の融通がきくだろう」と言われたが、そんなに自分の置かれた状況は楽観的なものではない。確かに家庭をもった人間から見れば守るものもさほど無いように見えるだろう。だからといってしばらく俗世と距離置けるほどの蓄えもない。佐竹にはやはり毎月の決まった収入は必要である。36歳。転職・再就職には絶望的な年齢だ。さらに金融機関の仕事は他の業界でつぶしが利かないことで有名であることが佐竹の不安心理を助長させた。 「派閥に入り込んだらそれはそれで派閥内の権力闘争がある。入らずに中立でいたらこれだ。代理、お前ならどっちがいい?」 佐竹は橘の問いかけに答えることができなかった。 「権力闘争はえげつないもんや。いかに上の人間に気に入られるかということよりも、結局のところいかに他人を出し抜くかってことなんや。そんなんじゃ仕事の上で価値観を共有する仲間といえるもんはできん。表面上はいい面しておいて、後ろを向いてあっかんべー。クソみたいな人間関係ばっかりになる。」 「…そんなクソみたいな権力闘争を勝ち抜いても、信頼出来る仲間がいない。そうなれば仮に出世したとしても辞めるまで延々と他人を引きずり落とすことしか考えなくなる。そんなのはゴメンですね。」 橘は佐竹の言葉に笑みを浮かべた。 「次長。ここは銀行です。人から預かったお金を必要としている人に貸す。ただそれだけの仕事をする場所です。そこにわけの分からない派閥とか権力闘争とか温情融資とかお家の事情を持ち込むことが異常なんです。」 「代理…。」 「やりましょうよ次長。俺達は俺達の筋を通しましょう。権力闘争なんかくそくらえです。」 ため息をついた橘はどこか呆れ顔だったが、佐竹の言葉に嬉しさを感じているようにも見えた。 「お前、本気になったな。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 13 Feb 2020
- 206 - 53,12月21日 月曜日 10時22分 熨子山連続殺人事件捜査本部53.mp3 「そうですか。その小西とかという目撃者の話によると、穴山と井上は18時の段階ですでに一緒にいたってことですね。」 部屋の一角に設けられた会議スペース。大きなテーブルに様々な資料が雑多に置かれ、その中心に位置する席は主である松永が外出中であるため空席であった。関はその空いた席の横に座り、捜査員から上がってきた情報の取捨選択に暇がなかった。 「目撃された田上から現場までどれくらいの時間がかかるんですか。」 「30分から40分といったところでしょうか。」 「ならば事件発生時刻までの空白の時間が生じる訳ですね。」 関は捜査本部に掲示されている金沢市の地図を眺めた。 「どうですか。熨子山までに彼らが時間を潰しそうな施設などは、この辺りにあるんでしょうか。」 「田上周辺には国立や私立の大学があることから、それなりに商業施設はあります。なので彼らがしばらくこの辺りに滞在していても何ら不自然なことはありません。」 捜査員の一人が関に答えた。 「よし。田上地区のめぼしい商業施設の防犯カメラを調べてください。聞き込みもやりましょう。彼らがなぜ一色に殺されなければならなかったのか、何かの手がかりになるかもしれない。」 「はっ。」 関の指示を受けて捜査員は駆け足で本部をあとにした。 「ほかに穴山と井上に関する情報はないですか。」 別の捜査員が手を挙げた。 「穴山と井上の共通の知人にコンタクトをとりました。」 「どうぞ。」 「あいつら札付きのワルです。」 関をはじめとした捜査員たちの顔つきが変わった。 「具体的に。」 「これは生前の穴山と井上の写真です。」 そう言って捜査員は何枚かの写真をホワイトボードに貼りだした。捜査員たちはそれを見て反応を示した。 「これはこれはなんともゴージャスなことで。」 貼り出された写真にはヨットの船上で大勢の女と一緒に豪遊する穴山と井上をはじめとした男ども、どこかの南国の高級リゾートと思われるプールで、これまた複数の女達と一緒に写っている穴山と井上の姿があった。また別の写真では金沢の高級クラブでホステスたちと一緒に写った二人もある。 「これは一介のサラリーマンができる贅沢さを超えていますね。」 「穴山と井上がこのような浪費をし始めたのは3年前からのことだそうです。共通の知人、仮にこの場ではAとします。このAが言うには奴らの浪費は突然始まったようです。二人は以前からパチンコなどのギャンブルに手を出して借金をしていたようでした。しかしこれがさっぱりでAにも金の無心をしている有様でした。しかし3年前のある時期から生活ぶりは一変。この手の浪費に金を使うようになったようです。Aが二人にその出処を聞くと、なんでもギャンブルで一山当てたとかで、詳細は一切明かしてくれなかったとのことです。奴らはAに借りがあったので、この手の催し物には必ず同席させ、その借りを返していたようです。」 「しかし穴山と井上の住まいとか身なりはごく普通だったと報告が入っていますよ。」 「ええ、そのとおりです。彼らの住まいはどちらも平均的相場の賃貸住宅。所有する車も中古の軽と一見すると地味なもんです。しかしこの手の水物の出費には糸目をつけななかったとAは言っていました。」 「Aに無心したお金はいくらなんですか。」 「50万。」 「それならAにはその金額と利息分だけを払って、後は自分たちのものにしようとするほうが合理的だと思いますが。」 「私もそれが引っかかっていたんでAに詳しく聞きました。Aも不思議に思ったようです。それだけの豪遊ができる金があるなら、現金で返してくれとAは言ったそうです。すると穴山と井上はそれはできない。現金で返すことができないからこれで返していると言っていたそうです。気味が悪くなったAは貸した金以上の見返りを貰うことはできないという理由をつけて、ある時点から彼らと連絡を取らなくなったそうです。Aは懸命な判断をしました。」 「というと。」 捜査員は鞄の中からA4サイズにプリントアウトした写真を取り出して、関の前に広げた。 場所はどこかはわからない。高級ホテルの一室のようにも感じられる。豪華な調度品が写り込んでいた。そこには穴山と井上のほかに20代とおもわれる女性が3名裸で写っていた。 「反吐が出ますね。」 写真を見た関は不快感を露わにした。 「関係長。よく見て下さい。」 関はプリントを手にとって見た。その場にいる捜査員たちも関の後方にまわって写真を覗きこむ。野放図な様子の彼ら彼女らの奥にベットの上に横たわって、かろうじて写っている鋭利な物体を確認した。 「これは…。」 「そうです。クスリです。」 「なるほど。ようやくわかりましたよ。穴山と井上はただ豪遊していた訳じゃなかったわけですね。」 「そうです。初めは羽振りの良さを見せつけるただの豪遊だったのかもしれない。現にAが招待されたパーティーではクスリは一切使用されていなかったそうです。何回かの享楽的な体験すると人間の欲というものは際限がなくなる。快楽を極限まで追求するようになります。そこでクスリの登場です。薬物は快楽追求のリミットを外します。快楽の奴隷を創りだすことによって穴山と井上はその奴隷から搾取を始めます。自ら連絡を取らなくなったAは、その後何度か穴山と井上からパーティーに招待されています。そのときのメールに添付されていたのがこの写真だそうです。」 「となるとスポンサーが問題ですね。」 「はい。」 関は腕を組んで考えた。 「わかりました。この件については正午に理事官に指示を仰ぎましょう。あなたはそれまでにこの件を資料に取りまとめておいて下さい。」 「はっ。」 「さて。七尾の件はどうなっていますか。」 「死因は特定出来ました。」 別の捜査員が資料を関のデスクの前に並べる。そこには凄惨な現場の写真、遺体の解剖に関する情報などが記載されていた。 「ガイシャはいったん睡眠薬で昏睡状態に陥らされ、頭部を拳銃で撃ちぬかれています。」 「拳銃?」 常に平静を保つ関の顔つきが険しくなった。 「まさか…その拳銃は。」 捜査員は苦渋の顔つきで関の顔を見つめて言った。 「はい。ご察しの通りです。弾丸と薬莢を現在BIRI(ビリ)で照合していますが、鑑識が現状見る限り、県警で使用される拳銃と同型のものではないかとの話です。」 関はこの言葉に天を仰いだ。 「ガイシャの身元は。」 「ダメです。」 これまた苦い顔をした別の捜査員が関に答えた。 「ダメとは。」 「身元を特定する手がかりがない状態です。」 「え?何言ってるんですか。全く無いなんてあり得ませんよ。遺留品とか指紋とか、なんでも手がかりになるでしょう。」 「ガイシャの指紋照合には時間を要する状況のようです。遺留品についてもガイシャに身元につながるものはまったくない状況です。」 「何なんですか…それ…。」 「唯一手がかりらしいものとして現場物件の賃貸借契約があります。」 「それですよ。私が聞きたいのは。」 「借主はコンドウサトミという人物だそうです。」 「コンドウサトミ?」 「ええ。コンドウサトミ。女です。」 「女…だと…。」 「いくら身元の手がかりが無いといえ、遺体が男性であることは一目瞭然。借主とガイシャは同一人物ではありません。」 「でも契約書に添付してある身分証明書を見ればコンドウサトミがどんな人間かすぐにわかるでしょう。」 「それが…。」 「それが?。」 「どうやら偽造された免許証の写しのようなんです。」 「なんだって?」 「コンドウサトミの免許番号と警察保管のデータが一致しないんです。」 「…。」 「また家賃の引き落とし口座を調べようと思ったんですが、この物件の家賃は契約時に一年分を現金で一括払いをしているため、コンドウサトミの銀行口座を抑えることができませんでした。」 「公共料金は。」 捜査員は首を横にふる。 「それもすべて現金払いです。」 「付近の住民の目撃情報は。」 「皆無です。そもそもこの部屋に人が住んでいたことすら知られていませんでした。」 関は腕を組んだ。気のせいか彼の顔に笑みが見えた。 「一色さん。用意周到ですね。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Fri, 07 Feb 2020
- 205 - 52,12月21日 月曜日 10時35分 喫茶ドミノ52.mp3 「コンドウサトミって誰ねんて…。」 赤松剛志は誰に言うわけでもなく、コーヒーをすすりながら呟いた。 「自分の頭のなかだけで考えとっても整理できん…。」 そう言うと彼は胸元からヘミングウェイやピカソがかつて愛用していたメモ帳のようなものを取り出して、ペンを走らせ始めた。 ー6年前の事件のことをここに書き出してみよう。 赤松は父親の忠志を中心にしてそこから放射状に人物を書き出し始めた。先ずは6年前の事件の相関関係。マルホン建設とベアーズデベロップメント、そして本多善幸。その構造を知ったのが父。その情報を共有していたのが母の文子。誰が父に直接手を下したかはわからない。警察では事故で処理された父の死だったが、一色は事故ではないと言っていた。キーワードはコンドウサトミという架空の人物。500万の現金は回収されたはずなのに、なぜか再びウチへ戻ってきた。 この辺りまで書きだした赤松は筆を止めた。 ーここだよ…やっぱりここが気になる…。誰が500万をウチに持ってきたんや。 ため息をついて赤松は天を仰いだ。 「誰ですか。コンドウサトミさんって。」 野太い声が赤松の世界に割り込んできた。 「誰や。」 体勢を元通りにした赤松の目の前に、髪を短く刈り込んだ強面の男が立っていた。 「失礼しました。私こういうものです。」 「警察本部捜査2課…。」 「古田と申します。赤松剛志さんですね。」 突然自分の世界に割り込んできたかと思えば、この古田という男は自分の名前さえ知っている。名刺を見る限り目の前の男はどうやら警察官。警察という人種はこうも無粋なものなのか。憤りを感じながらも赤松は「はい」と返事をし、テーブルの上のメモ帳を閉じた。 古田は店内を見回した。客らしき人間は自分と赤松だけ。店の調度品の類はみな年期が入ったものばかり。木製のソファーにはあずき色のスエード地でクッションが誂えてある。純喫茶の雰囲気をもつ喫茶ドミノは、先ほどまで古田が滞在していた喫茶BONと対照的な作り、客の入りであった。 「やはり月曜のこの時間ですと、喫茶店を利用するの客層っていうのは限定的ですな。」 赤松と向かい合う席を指でさして、彼が着席を許可するのを確認して古田はそこに座った。 「今日はお休みですか。」 「ええ。ウチは月曜定休と昔から決めてあるんです。」 「そしたら暫くお時間を頂戴してもよろしいでしょうか。」 古田は出された暖かいおしぼりでもって自分の顔を拭いた。 「ひょっとして事情聴取ってやつですか。」 赤松は腕時計を見て小一時間ぐらいならば話に付き合えると返答した。古田は赤松の申し出に謝意を表し、コーヒーを一杯オーダーした。 「実はですね、さっき佐竹さんと合っとったんです。」 「え?佐竹…ですか。」 赤松の動きが止まったのを古田は見逃さなかった。 「赤松さん。まぁそう緊張されずに構えてくださいよ。そうそう先ほど書かれてたメモ帳ですが、良かったらもう一度見せていただけますか。」 ー馬鹿な。これはあくまでも自分の家の事情を整理するために書き記してるだけのもの。プライベートを覗きこまれるなんてゴメンだ。 「コンドウサトミさんもそうですが、あなた、その相関図みたいなものに一色の名前を書かれていましたね。それを知っちゃあ事情を聞かざるを得ない。」 古田はどうやら赤松が書いていたメモの一部始終を別の席に陣取って観察していたようだった。どのタイミングでこのドミノへやってきて、どういう術で赤松のメモを覗き見したかは知らないが、古田がメモの中身を把握しているのは間違いないようだった。 「その相関図は一体何を示しているんですか。」 赤松は思った。そもそも警察が父の訴えに聞く耳を持たなかったことが事の発端だ。警察が父の訴えをしっかりと聴いて、何かしらの行動を起こしていれば父の命は奪われなかったかもしれない。 「いまさらかよ。」 「なんやって。」 「そもそもあんたらのせいねんて。俺の家がめちゃくちゃになったんは。」 「赤松さん。申し訳ないが私はあなたが何に対してお怒りなのかわからないのです。お聞かせくださいませんか。」 「こっちは警察に裏切られっぱなしなんや。あんたらに話すことはない。」 赤松の言葉を受け止めた古田は少しの間をおいて口を開いた。 「赤松さん。我々警察は全体の奉仕者です。あなたのような一市民にそのような感情を抱かせてしまっていることに対しては、率直にお詫び申し上げねばならない。しかし…。」 「どうして私は貴方の正面に座ることを許されたんでしょうか。」 「…。」 「座ることはおろか、小一時間の聴取にも同意を頂いたというのに、手のひらを返したように突然、話すことはないとおっしゃる。おかしいですな。」 古田の問いかけに赤松は沈黙を保っていた。 「あなたが今回の熨子山連続殺人事件をうけて、精神状態が穏やかでないというのはわかる。しかしどうやらあなたの精神的不安定をもたらしている要因は、そのメモに在る何かによるもののようですな。」 赤松は手元の閉じられたメモ帳に目を落とした。 「私はあなたから事件に関する話を聞きたい。そのためにはあなたの精神を侵すその何かについても受け止める必要がある。」 「どうですか、赤松さん。私に話してくれませんか。」 顔を上げて古田の目を見た赤松は彼の眼光の鋭さに圧倒されそうになった。彼の視線は赤松の目を通り越してその奥に潜む心の中までも覗きこみ、心理の変容さえも捕捉するかのようだった。 「…わかりました。」 古田は頷いた。 「6年前にさかのぼります。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 30 Jan 2020
- 204 - 51,12月21日 月曜日 10時18分 本多善幸事務所前51.mp3 駐車場に停めてあった自分の車に乗り込んで片倉は胸元からタバコを取り出しそれに火を着けた。 助手席側には先程まで一緒にいた岡田が座っている。 松永率いる捜査本部とは別に自分と古田が独自の捜査を行なっていることは極秘だ。 このことが露見すると松永の叱責が自分に飛んでくることはおろか、命令を出した朝倉の責任も追求されよう。 一緒に行動している古田も同様だ。片倉は村上から聴取した内容を頭の中で整理しながらタバコをふかした。 「お前、どう思う。」 「どうって言われても、正直課長が何を聞き出したかったのかわかりませんでした。」 「そうか。」 片倉は岡田にタバコを差し出した。 「吸えや。」 「いただきます。」 「お前、目の付け所がいいな。」 岡田はタバコの煙を吐き出して無言を保った。 「あいつ、何か臭う。」 「何がですか。」 「結果的に検問に一回しか引っかってないから、氷見から石川に入ったのは間違いねぇ。しかし。」 「しかし?」 「羽咋から民政党金沢支部までの時間が随分かかっとる。」 「それは私も感じました。…ただよくいるじゃないですか。広い駐車場みたいなところで車止めて死んだように寝とる営業マンとか。あいつも息抜きしたかったんじゃないですかね。」 思いっきり吸い込んだ煙を吐き出して、片倉は吸殻を捻り潰して灰皿にしまった。 「普通の状態ならわかれんて。あいつが。」 「高校の同期が容疑者だって話ですか。」 「ああ。」 「確かに…。頻繁に会っとったんに、気がついたら疎遠ってことはよくある話です。私もそういう関係の友人はいっぱいいます。結局そんな関係性しかない人間ってのは所詮他人。ほんなもんですよ。ですが村上は何か感情が高ぶる要素があった。だから熨子山へ足を伸ばした。」 「仮に羽咋から金沢までの時間の事は目をつむったとしても、交友関係はどうや。疎遠な人間の事に動揺して事件現場付近に向かうか?」 「事件の前もその後も高校時代の連中とは連絡はとっていないって言ってましたね。」 「そこがわからんげんわ…。」 片倉は再びタバコを咥えて窓から見える北陸特有のどんよりと曇った空を眺めた。大空を覆い尽くすその様子は展開の鈍い今回の事件を象徴しているようにも感じられた。 「まぁいいわ。んで、お前ら捜査は進んでるか。」 岡田は首を横に振った。 「課長。極秘なんですよ。」 「何がだよ。」 「私がここにいること自体が。」 片倉は岡田の困惑した表情を見て何かを悟ったのか、ため息をついて再び窓から外を見た。 「岡田ぁ。実は俺も今回は極秘なんだよ。」 事務所を囲うように植えられた雪吊りを施された植木たちが、おりからの強風に煽られてざわざわと音を立てた。 「ほやからここでおたくら帳場のサツカンとバッティングしてしまったことは不味いんや。」 「こっちだって片倉課長と会ってしまったことが不味いんです。」 「ほんなら一緒やな。」 片倉が笑みを浮かべてそう言うと、岡田の硬い表情が緩んだ。 「よし岡田。ここは取引せんか。」 「なんでしょう。」 「俺は本多事務所には来なかった。だからお前とも合っていないことにする。」 「それはありがたい提案です。」 岡田は思案した。松永からは極秘であると厳命されている。自分は村上隆二について調べたいとだけ松永に進言した。その方法については特段指示を受けていない。岡田にとって大事なのは自分が知りたい情報を得ることと極秘であることだけだ。片倉は極秘を誓っている。以前一緒に仕事をしてその性格などをある程度心得ている上司の片倉がそういうのだから、秘密は保持されよう。また、片倉が何を極秘に調べようとしているのかも知りたい。 「わかりました。」 「OK。ただ。」 「ただ?」 「一色と剣道部っていう関係性だけは胸に秘めておいてくれ。」 「どうしてですか。」 「お前らの最重要課題は被疑者の確保。俺はお前らとは別の角度から攻めている。捜査のベクトルが帳場とバッティングしてくるとこちらの存在意義ななくなってしまうんやわ。」 片倉には片倉の事情があるのだろう。こちらとしては村上の20日の行動履歴を抑えることができたので、当初の目的は達成だ。上司である片倉の依頼だ。無下に断ることもない。 「了解です。」 「特に鍋島惇の名前は伏せていてくれ。」 「…課長がどういった捜査をしているのか興味が有るところですが、捜査の妨げになるのでしたら口外しませんよ。」 「ははは。話がわかる部下を持てて俺は嬉しいぜ。」 価値観を共有できる存在を目の前にしてホッとしたのか、岡田は安堵の表情を浮かべた。 「なんだろうな。あいつ、何か臭うんだよ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 23 Jan 2020
- 203 - 50,12月21日 月曜日 9時30分 本多善幸事務所50.mp3 「少しだけお話をしたいんですよ。」 本多事務所の受付の女性に名刺を渡して、片倉はその中の様子を伺った。 名刺を受け取った女性はそれに目を落とした。そして怪訝な顔つきでその名刺と片倉の顔を何度か見合わせた。 「どうしました。」 「警察の方なら今村上が対応しています。」 「は?私じゃなくて?」 「ええ。」 ーしまった。帳場の捜査とかち合った。…こうなったら一か八かだ。 「それは失礼。」 そう言うと片倉は女性の手にあった名刺を奪った。 「私はその人間の監督をする立場の者です。事務所の前で待ち合わせて一緒にお話を伺う予定だったんですが、彼は先に村上さんにお会いしてたんですね。大変ご迷惑をおかけいたしました。」 受付の女性は手のひらを返したように態度を変える片倉の対応に苦慮している様子だった。 「で、彼はどちらにいますかね。」 片倉は女性に付き添われて事務所二階の一室の前に案内された。女性がその部屋のドアをノックする。 「今来客中だから。」 憮然とした表情でドアを開けた男に片倉は一礼した。 「だれ。」 「申し訳ございません。私も同席する予定だったのですが遅れてしまいました。」 片倉は名刺を村上に渡した。 「捜査一課課長…。」 「村上隆二さんですね。」 「はい。」 「うちの若いのが先にお話を伺っていると思いますが、私も同席させていただいてよろしいでしょうか。」 村上は片倉の表情と名刺を見比べてどうぞと部屋へ招き入れた。 部屋の応接ソファに腰をかけていた捜査員と思われる男はギョッとした顔つきで片倉を見た。 「すまんすまん。遅れてしまって。」 不意を打つ人物の登場で彼の体は固まってしまっていた。 「岡田じゃねぇか。ちょっくら力貸してくれ。」 片倉は岡田の横に座って彼にしか聞こえないような小声で耳打ちした。 「で、どこまで話をお聞きしたんだ。」 「あの…。」 岡田が手にしている手帳の中身を覗くと、今まで何を聴きとったかの大体を把握できた。どうやら彼が事情聴取を開始してそんなに時間が経っていないようだ。 「続けて。」 ーなんで片倉課長がここで出てくるんだ。 岡田は金沢北署捜査一課所属の警部補である。片倉とは以前別の署の捜査課で仕事をしていた。よって二人は顔見知りである。今回の事件ではこの岡田と熨子駐在所の鈴木が真っ先に現場に踏み込んだ。現場検証に立ち会った際には岡田が当時の状況の説明を片倉に行なっていた。 「岡田警部補。続けなさい。」 困惑した表情を表に出していた岡田は片倉の命令によって我に返った。 「事件当日の村上さんの行動履歴についてはわかりました。確かにあなたは熨子山を通って高岡方面へ向かっています。当時の資料をみると村上さんの名前が確認できます。」 片倉は岡田の言葉にいちいち相槌を打ちながら、村上の表情に変化がないかつぶさに観察する。 「聞くところ、あなたは党の会合があるとかで高岡に向かったそうですね。」 「ええ。」 「おかしいですね。民政党高岡支部に聞きました。そんな会合は無いって話でしたよ。」 「そうでしょうね。」 当時の村上の言動と実際が異なっている。この辺りから彼の不審点を炙り出そうとしていた岡田は、あっさりとその不一致を認めた彼の言葉に肩を空かされてしまった。 「だっていろいろと詮索されたら時間も取られるし、面倒臭いでしょう。」 「時間が取られるのがあなたにとって煩わしかった訳ですか。」 「まぁそんなところですか。」 「ではあなたは富山方面になぜ向かったのですか。しかもわざわざ事件現場である熨子山を通ってです。」 「容疑者が高校時代の同級生である一色貴紀であったから。」 横から片倉が口を挟んだ。 この言葉を聞いた村上の表情は誰が見ても明らかなように変化を示した。 「そうですよね。村上さん。」 不意を打つ片倉の問いかけ。そして自分には知り得なかった容疑者とこの目の前に座っている男との関係性が、岡田の心の中を掻き乱した。 「まぁそうです。」 「続けて。」 片倉に促されて岡田は自分が聞きたかった事を聞くことにした。 「結論から申し上げます。あなたが富山から石川に再び入った形跡がないんです。」 「と言うと。」 「県警ではこの事件発生から県境全てに検問体制を整えています。ですから、あなたが富山、正確にいうと高岡ですが、我々の検問にかからずに再び金沢に入ってくることはできないのです。」 傍の片倉はなるほどと興味深そうに岡田の発言に何度か相槌を打った。 「どうやってあなたは金沢まで戻ってきたんですか。」 ーこいつは面倒臭いことになってきたな。 「はて、刑事さん。あなたは県境全てに検問体制を整えたとおっしゃいましたが、少なくとも私が金沢に戻るまでの道のりに、そのようなものは存在していませんでしたよ。」 岡田はそんなはずはないと一枚のA4コピー用紙を村上の前に差し出した。 「差し支えのない程度で結構です。村上さん。あなたが高岡から金沢に戻るまでの行動記録をここに書いてください。」 「まるで私が疑われているみたいですね。容疑者はまだ逃走中だってのに。」 村上の表情は憮然としたものだった。村上の感情は至極全うなものだ。今の状況下での警察の最優先事項は容疑者一色の確保。なのに自分がちょっと検問に引っかかっていたため詳しく話を聞きたいと言われ、好意で岡田との面会時間を設けたのに、挙げ句の果てには何かの疑いをかけられているように受け止められる。しかもだからどうだということではなく、とにかく当時の行動を詳らかにせよとだけ。一方の課長といわれる片倉という男も自分と一色は高校時代の同級生ですねと言ったきりだ。 「どの時点から書き出せばよいのですか。」 「できれば12月20日全て。」 「どうやって書けば良いのですか。」 「大体の時刻を書いて、その横にあなたが何をしていたのかって程度で結構です。」 「ふぅ…。」 村上はため息を付いて渋々自分の当時の行動履歴を目の前のコピー用紙に箇条書きに書きだした。 「20日は私は朝からここにいました。」 そういうと村上は8時~10時半頃という時刻を記入し、その横に本多事務所と書いた。 「その間、あなたは何をされていたのですか。」 「本多が国土建設大臣に就任したでしょう。そのため支持者のみなさんがお祝いを持ってきたり、挨拶をしにきたりと朝からてんやわんやだったんですよ。」 「なるほど。」 「支持者が朝から事務所に来てその対応がひと段落した時です。今回の事件が起こったことを知ったのは。」 「何で知りましたか。」 「テレビです。朝のワイドショーみたいなのがあるでしょう。たまたまそれを見ていたらやっていました。」 「容疑者が一色だと知った時、あなたはどのように感じましたか。」 ここで片倉が岡田と村上のやり取りに割り込んできた。当時の感情を即座に思い出して言ってみろと言われても、即座に言えるほど鮮明な記憶は持ち合わせていない。村上は当時の自分のことを思い出すためにしばしの時間を要した。 「テレビに容疑者の顔が映し出されたぐらいでは、あの一色かどうかわかりませんでした。ですが名前が呼ばれた時に高校時代の同級生である一色貴紀だとわかりました。」 「どうして。」 「当時の面影が残っていたんです。あと特徴的なほくろもちゃんとありました。」 「あなたは一色が県警に勤務していたことは知っていましたか。」 「知りませんでした。ですからはじめのうちは本当に同一人物か確証を得ることができませんでした。」 片倉はここで疑問を感じた。議員の秘書たるもの、地元自治体の要職にある公務員の情報ぐらい得ていても良いだろう。村上が一色の存在を把握していなかったとは考えにくい。 「本多自身が警察との関わりを持たない主義ですので、我々スタッフの側も警察の情報は持ち合わせないからですよ。せいぜいで付き合いがあるのは本部長さんぐらいです。まぁ他の議員さんのことは承知はしていませんがね。」 片倉が持っていた疑念に気づいたのかは分からないが、村上は彼の疑問点に端的に答えた。そのため片倉は話を続ける。 「では容疑者が高校時代の一色貴紀と同一人物であるとあなたが確証を得たのは何がきっかけなんですか。」 ここで村上は黙り込んだ。 「どうしました。村上さん。」 ーここで佐竹とのやり取りを持ち出すとあいつに迷惑がかかってしまう。 「なんて言うんでしょうかね。閃きとでも言うんでしょうか。感覚的にあの一色だとわかったんですよ。」 片倉は納得するように頷いた。何事も言葉で説明できるほど人間は合理的な生き物ではない。行動のきっかけの大半が直感や感情といった非合理性なものに由来する場合が多い。そのためあらゆることを論理的に説明されるとかえって疑いを持ってしまう。村上の受け答えは片倉にとってごく自然に感じられた。 「一色とは高校卒業以来連絡も何もとっていません。やっぱり落ち着きませんでしたよ。ですから野次馬根性が鎌首をもたげたとでも言うのでしょうか、何故か事件現場の方に足が向いていました。」 「剣道部の部長でしたからね。他人ごととは思えんでしょう。」 「ええ。」 片倉の言葉に頷いて村上は筆を進めることにした。 「12時ぐらいでしたか。熨子山の検問に出くわしたのは。」 岡田はコピー用紙に目を落とす村上の表情の変化を見落とさないように黙って観察した。 「そこで氷見の方へ足を伸ばしました。時刻は正確には覚えていませんが確か14時ごろだったと思います。」 「氷見?。どうして。」 「何か海を見たくなったんですよ。ああ、具体的な場所も書かないといけませんかね。」 「できれば。」 「氷見漁港近くのコンビニです。あそこは眺めがいいんですよ。あそこの景色を見るとなんだか落ち着くんです。穏やかな内浦が心を和ませてくれるんです。30分ほど車を止めてただひたすらに海を眺めていました。その後は宝達山を超えて羽咋を経由して夕方の本多のパーティーに加わりました。」 「内浦の穏やかな海の様子を眺めて日常に戻る。村上さんはロマンチックな方なんですね。」 片倉の言葉に村上は苦笑いした。 「なるほど。それなら村上さんが再び検問に合うことなく石川県に入って、17時からの本多議員のパーティーに同席しているのが理解出来ますね。」 岡田は少し落胆した表情だった。 「岡田さんっておっしゃいましたっけ。」 「はい。」 「いったいどういうことなんですか?あなた言いましたよね。私が検問に引っかかることなく、再び石川県に入ることができないってのは。」 岡田は片倉の様子をうかがった。 「いいよ。話してあげなさい。別に捜査になんら影響もないだろう。」 片倉の承認を得て岡田は村上に事件発生当時から金沢から県外に出る県境主要道に検問の体制が敷かれており、17時には県境全ての道という道に検問体制が敷かれている旨を村上に説明した。 村上は高岡支部へ行くと熨子山の検問に言った。あくまでも仕事の一環。普通の人間ならばよっぽどの油を売らない限りは、疲労を貯めこまないためにもそのまま仕事を済ませて金沢へ戻る。一般的に熨子山を通って金沢から富山方面に向かった場合は、往路と同じ県道熨子山線を使用するか、それに次いで最短ルートである国道を利用して再び金沢へ戻る。場合によっては高速道路を利用するというのもあるだろう。これらの道には当時から検問がなされている。しかしそれらの検問報告には村上の名前はない。そのため村上が17時の本多善幸の会合にいたことが解せなかった。 「なるほど、そういうことだったんですね。」 「ですが、今のあなたの当時の行動を伺って理解出来ました。あなたが羽咋へ抜けたと思われる時間帯には宝達山の検問体制は整っていません。」 「ではこれでよろしいですか。」 「いいえ。まだです。」 片倉が言った。 「いままでの行動履歴はよくわかりました。ですがどうも腑に落ちない。」 「何が。」 「あなた、高校時代の同級生が今回の容疑者やって何らかの確信を得たんでしょう。そして言葉で説明はできんが感情が高ぶって熨子山まで足を運んだ。そこでUターンをする訳もいかずにそのまま富山方面に向かったが、気持ちの整理ができない。なので氷見漁港から富山湾を望んで気持ちの整理をつけた。しかしなぜそこから遠回りとなる羽咋を経由して金沢へ戻ったのですか。あなたは一応仕事中だ。夕方には大事な会合が控えている。」 「私だって日々の仕事の中で気分転換が必要なんです。ですから車を走らせて心のゆとりを取り戻したい時もありますよ。」 「今はどうですか。」 「はい?」 「今はある程度の心の整理ができていますか。」 「まぁ一日経ちましたからね。」 「あなたが一色貴紀と高校の同級であるということ、こちらにお勤めの方は御存知ですか。」 「いいえ。」 「ならばあなたの中だけで一色との関係性を処理しているんですね。」 「まぁそうです。」 「お辛いでしょう。」 「何ですか。何が言いたいんですか。」 「あくまでも私の個人的な経験則で話しますが、あなたのようにできた人間はそうもいないということです。」 ーなんだこいつ。 「溜め込んだ感情。それが正のものでも負のものでもすべて飲み込んで自分一人で消化できる人間はいません。必ずどこかでその感情は発露されねばならない。発露の仕方は人それぞれ。物にあたる人間もいるし、八つ当たりという形で表面に現れる人間もいる。しかし、大抵の人間は自分が抱いている感情を誰かと共有することで、そのストレスを解消する。」 片倉は村上の目を直視して言葉を続ける。 「本件の被疑者とあなたの共通項は高校時代の剣道部の同期である点です。村上さん。剣道部の誰かと事件後に連絡を取りませんでしたか。」 村上は黙ったままだ。 「氷見から羽咋。正直どうも取ってつけたような理由なんですよ。海を眺めて気持ちの整理をつけるなんてね。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 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- 201 - 49,3年前 8月3日 水曜日 15時13分 フラワーショップアサフス49.mp3 文子は固唾を呑んだ。 「忠志さんは知ってしまったんです。指定暴力団の仁熊会が公共事業に関する用地取得に深く関わっていることを。それもこの開発目覚しい田上地区に関する用地取得。そしてこれから本格着工される北陸新幹線沿線の用地取得についてです。用地取得にありがちな不正は、地権者が取得者に対して賄賂を送って、その査定に便宜を図るよう依頼するというものです。これだけなら話は簡単です。」 彼女はだまって眼鏡の奥に光る一色の目を見ている。 「忠志さんが知ったのは用地取得に関する複雑な構造だったのです。」 すると一色は自分にお茶うけとして出された3つの最中を文子の前に横一列に並べた。 「左から順番にマルホン建設。仁熊会。そして国としましょう。」 「国の用地取得での当事者における関心事は2つ。ひとつはその承知取得そのものの実施、そしてもうひとつがどの土地が取得対象になるのかということです。そこでまずこのマルホン建設工業が登場します。」 一色は左側の最中を手にとった。 「マルホン建設工業。石川県の地元有力土建会社です。先代社長は現在の衆議院議員、本多善幸です。彼は土木建設業界出身ということもありその分野に関しては深い見識を持っています。またマルホン建設自体が公共事業を生業としていることから、省庁にも顔が利きます。本多は国土建設省の族議員として政界で活躍をします。政務次官や党の部会長などを経てその影響力を高め、国土建設省の政策決定に深く関与して来ました。」 一色は最中を畳の上に置いて話を続ける。 「今から25年前のことです。マルホン建設はここ田上地区周辺の土地を買い漁っています。バブル華やかなりし時代です。誰もが投資をすれば儲かるなんて言 われたばかみたいな時代です。マルホン建設も周囲と同じように不動産投資を積極的に進めます。しかしそれは見事に崩壊。マルホン建設は多額の含み損を抱えることになった。」 ぬるくなってしまった茶をすすり、彼は真ん中の最中を手に取った。 「続いてベアーズデベロップメントという会社が登場します。不動産投資業を営む会社ですが、その正体は仁熊会のフロント企業です。ベアーズは多額の含み損を出したマルホン建設の土地をすべて購入しました。バブル崩壊から1年も経たないころのことです。土地の価格は下落傾向。これからどれだけその下落が進行するかわからない。不動産投資に誰も見向きもしない時期にベアーズはそれをすべて買い取ったのです。その後本多善幸が国会に進出、やがて田上地区の開発計画の噂が流れだします。この噂を受けて田上地区の地価は下落から横ばいに推移しました。そして噂が実際の計画として発表された頃から、地価は上昇に転じました。計画の実施にあたってこのこの辺りの用地取得が必要となります。結果的にベアーズがマルホン建設から買い取った土地の殆どが国の用地取得の対象となり、国に買い取られることになりました。」 彼は右側の最中を手にした。 「お母さん。お分かりでしょう。マルホン建設は評価損の土地をさっさと売却したかった。それに応じたのがベアーズデベロップメント。時代が時代です。バブル崩壊のあおりを受けて、今後どれだけの不利益を被るかわからない不動産投資の契約なんぞ誰も自ら進んで結びません。しかし仁熊会のフロント企業がそれを引き受けた。不自然ですね。おそらくマルホン建設の社長であった本多善幸が公共事業に何らかの影響力をもつ存在になることで、将来的にベアーズに利益をもたらす密約でもあったのでしょう。事実、ベアーズはマルホン建設から購入した金額よりも3割高値で国に売却しています。ベアーズは多額の利益をこの取引で得ることとなった。」 一色は右側の最中を2つに割って、その一方を口に入れた。 「ぎっしりと詰まったこの最中の餡は実は全て税金だった。国民の血税が特定の連中に食い物にされている。それを忠志さんはどこかで知った。」 「…はい。その通りです…。」 「忠志さんは現在進行中の北陸新幹線建設にかかる用地取得でも、田上地区の用地取得に関するマルホン建設、ベアーズ、国の三者構造が潜んでいることを忠志さんは知った。田上地区は終わった話。しかし新幹線に関することは現在進行形の話。」 「そうです。」 「忠志さんは正義感が強い人です。それはむかしこの家に出入りしていた私が身を持って知っている事実です。忠志さんは警察に行きます。忠志さんが金沢北署に来ていたことは当時の資料からすぐに分かりました。これが6年前の事故の2ヶ月前のことです。」 ここで一色は言葉に詰まる。 「しかし警察は動かなかった。」 「そうです。主人は警察に行きました。何度も。ですが証拠も何もないのに動くことはできないと言われたそうです。」 「知ってしまった事実と現実社会の間で忠志さんは苦悩します。忠志さんはあなたにも相談します。自分は一体どうすればよいのか。このまま黙って見過ごすことは容易いが、人としての良心が放っておかない。そんな中、この用地取得の関係者と忠志さんは接触します。おそらく向こう側から接触してきたのでしょう。この手の話の場合、口止めが接触の主な動機です。忠志さんは先方の申し出を断ります。」 「当時、私達の店は決して楽な経営状態ではありませんでした。500万円という口止め料を提示されたと主人から聞かされたときは心が揺らぎました。しかしあの人はその場で断ったそうです。その原資も税金からくるものなのかもしれない。それを考えると尚更、先方のやり口に腹が立つと怒っていました。一度こうだと思ったら頑としてブレないのは主人の性格ですからね。でも現実問題としてまとまった資金は店を経営していく上で必要でした。」 一色の物語を自然と補足するように語りかける文子に彼は頷いた。 「あなたはご主人に無断で先方と連絡をとって入金口座を教えた。ある日口止め料が入金されます。コンドウサトミという人物からです。あなたはコンドウサトミさんを御存知ですか。」 文子は首を横にふる。 「そうでしょうね。このコンドウサトミという人物はこの世に実在しません。銀行にある本人確認書を照合した結果、偽造されたものだとわかりました。架空の人物を創りだすことにその筋の人間は長けています。おそらくこれにも裏社会のパイプを持つ仁熊会が絡んでいるんでしょう。」 「いつものように銀行にいって通帳を記帳するとその人から500万が入金されいていました。その数字が記帳された通帳を見て、私は主人を裏切ってしまった後ろめたさよりも正直ホッとしたんです。」 一色は彼女の様子を黙ってみる。 「綺麗事ばかりでは生活は成り立ちません。この店は火の車でした。このままじゃ京都で生活している剛志たちにも迷惑をかける事になる。だから私はそうしたんです。ですが主人は違いました。あの人は曲がったことが大嫌いです。今回の件もそうです。ですから私が口止め料をもらったと知ったときは恐ろしいまでに怒りました。」 「そうでしょうね。」 「私は間違っていました。今回の件はあくまでも主人とマルホンとベアーズとの間での話です。私はそのことについて主人に相談されただけ。そこに降って湧いたように500万が入ってくるかもしれないと話があって、それに縋った。目先のお金に目が眩んだんです。」 「お気持ちはよくわかります。あまり自分を責めないで下さい。」 「主人は絶対に受け取れないお金だと私を諌めました。そして翌日銀行でそのお金を全額引き出しました。」 一色は通帳の写しを眺めて払い出しの欄に500万の数字が記入されているのを確認した。 「その夜のことです。主人が事故で死んでしまったのは。」 文子はその場で泣き崩れた。 「私が悪いんです。私が目先のお金に目が眩んだからです。」 文子に掛ける言葉がなかったが、このまま彼女の様子を見ている訳にはいかない。うかうかしていると赤松も店に帰ってくる。 「お母さん。自分を責めても何の解決にもなりませんよ。」 そう言うと一色はハンカチを取り出して文子に差し出した。 「涙を拭いてください。」 一色は通帳の写しに目を落として話しを続けた。 「500万は確かに事故当日に引き出されています。忠志さんはこのお金を持って関係者と接触を図る。それがひょっとしたら夜の熨子山だったのかもしれない。そこで事故を装って関係者に殺害された。そして500万も関係者に回収された。」 文子は涙を拭っていた手を止めた。 「…違います。500万円はここにあります。」 「…え。」 おもむろに立ち上がった文子は、押入れの奥から現金が入った封筒を持ってきて一色に見せた。 「…どうして。」 「葬儀も一段落して、剛志がこっちに帰ってくるかこないかの話をしていた頃です。店番をしていたアルバイトが私に渡して欲しいってお客から預かったそうです。お菓子の箱だったんですが、中を開けるとこれが入っていました。」 封筒には文字が書かれていた。彼は声に出してそれを読んだ。 「コンドウサトミ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Fri, 10 Jan 2020
- 200 - 39,12月20日 日曜日 19時48分 佐竹宅39.mp3 帰宅した佐竹の心中は穏やかではなかった。 ーなんで赤松の母さんは、俺に一色のことなんて聞いたんだ。俺は一色とは何の関係もない。赤の他人だ。俺は何も知らない。何も関係がない。あいつが悪いんだ。あいつが全部悪い。 佐竹は冷蔵庫を開け、そこに入っていた缶ビールを一気に飲んだ。 ーまさか…俺…疑われているのか…。 ふと動きを止めて部屋に飾ってある高校時代の写真に目をやった。写真の先にある赤松の表情は笑顔だ。 ーいや、そんなはずはない。 再度、佐竹はビールに口をつけた。 赤松文子から唐突に自分と一色の関係を尋ねられたことに、混乱と一種の憤りのようなものを佐竹は抱いていた。 ー一色くん…。くん?…赤松の母さん、一色のこと君付けで呼んでたよな。なんで自分のところのバイトを殺した一色のことをそんな呼び方するんだ? 飲み干した缶ビールを握りつぶした。 ー考えすぎだ…。 佐竹は自分の精神状態が穏やかでないことは知っていた。 高校時代の同級生が連続殺人事件の容疑者として世間を騒がせている。その容疑者は縁もゆかりもない存在ではない。高校時代はむしろ密接に彼と関わってきた。 そうであるがために、一色の存在は自分の心に影を落としている。気を紛らわせるためにも村上と連絡を取り、そして赤松とも直接会った。 アサフスで目にした山内美紀の魅力に心奪われはした。しかしいま冷静に考えてみると、自分は本当に彼女に好意を抱いているのだろうか。ひょっとして落ち着かない自分の心を何か別のものに集中させることで、精神の安定を保とうとしているだけではないか。 考えたくないもの、聞きたくないもの、自分にとって都合が悪いもの、それらのものから目を背けたいときは幾度となくある。そういう時に有り難いのは自分の存在にオッケーを出してくれる情報、存在だ。佐竹は自分がそういったものにすがることで、現状から逃げているだけではないかと自己嫌悪に陥った。 ーなんで一色なんだ…なんであいつがこんな変なもん持ち込むんだ…。 自分ひとりで考えていても何も進まない。そんなことはさっき気づいたはずだった。しかし家に帰ってきた今、また同じことを繰り返している。現状からの脱皮が図れるかもしれない。そういう思いでアサフスに行ったはずなのに、かえって自分の心中を複雑化させてしまった。 ー被害者である桐本由香は赤松の店でバイトをしていた。このことは赤松はもちろん、あいつの奥さんもそしてあの母さんも知っている。それだけでもショックは大きいのに、犯人がむかし出入りしていた一色だった。もう、こうなってしまうと精神状態はぐちゃぐちゃだ。ついでにその一色は何故か去年アサフスに来ている。…そんな赤松の家の事を考えたら、俺なんかくだらんもんだ。 赤松を取り巻く今回の連続殺人事件の状況と、自分の状況を比べると、比較にならないほど赤松の負担が大きい。 ー俺って、つくづく小さい人間だよ…。 佐竹はキッチンの換気扇を回し、その下でタバコに火をつけた。心の落ち着きを少しでも取り戻させようとしたのだろう。煙を吐いたとき、先程の赤松のフレ ーズが思い浮かんだ。 「ほら俺の親父、6年前に事故で死んだやろう。」 「そのことについて、母さんにいろいろ聞いとったんやって。」 考えて見みれば、赤松家にとっていまの一色は憎悪の対象だ。なぜならば自分の店で働いていた女性を殺害されたからだ。先ほどアサフスで文子と会ったときは「一色と連絡をとっているのか」と聞かれた。その時は一色の名前を自分の前に出されたことで、気が動転していたのか文子の表情を佐竹は明確には覚えていなかった。ただ、今振り返ってみれば、その時の文子の表情には悲しさというか、不甲斐なさというか、どういう言葉が適切か分からないが、彼女自身を責めているようにもとれる表情だったようにも思える。 とすると、一色の存在は一体何なんだろうか。 ー赤松の親父さんの事故を6年経って再捜査か…。たしか、一色が来てから警察が何度か来たって赤松の奴、言ってたな。ってことは一色が部下に捜査をするように指示したって可能性もある。 佐竹はタバコの火を消した。そして冷蔵庫を開けてさらに一本の缶ビールを手にする。 ーあの時の赤松の母さんの表情。憎しみの表情じゃなかった。 ーということは、再捜査に何かを期待していた可能性もある。 ーだが、一色は熨子山で人殺しをした。 ー期待を裏切られた落胆か。 ー桐本由香という女性は昔アサフスでバイトをしていた。 佐竹はおもむろにパソコンを起動し、熨子山連続殺人事件で検索をかけ、そのトップにヒットした新聞媒体のサイトを開いた。その記事の中に被害者の名前と年齢が記載されていた。 ー23歳か…。 ー今から一年半前に一色は間違いなくアサフスに来店にしている。 ーそのときにまだ桐本がアサフスでバイトしていたとしたら…。 現代は就職難の時代。就職浪人をするケースなんかざらだ。だとすると桐本が当時アサフスでバイトしていたと考えてもおかしくない。 ーまさか…。一色は再捜査を名目に、初めから桐本をマークしていた。そして、なにかのきっかけで…。 ー間宮とかいう男がいることを知り、交際相手ともども殺した。 全く根拠はない。佐竹のこの考えは推理でもなんでもない。妄想とも言える。そのことは佐竹も気づいている。 ーでも、その前に一色は山の小屋の中で二人を殺している。時系列的に考えて説明がつかない。 色々と考えを巡らすも、腑に落ちる説明を自分自身にできない時点で、佐竹はこの手の推理をやめた。そもそも一色がストーカーであったという前提は飛躍に過ぎる。とにかくこの事件に関して自分に災厄がもたらされないことが専決事項である。そう佐竹は判断した。 そんな中に電話が鳴った。見覚えのない番号からだ。 ーまたか…。 昨日の夜中に得体のしれない電話番号から電話があったことを思い出した佐竹は不快な気持ちになった。今度こそ抗議をしよう、そう思って電話に出た。 「もしもし。」 「あの…。」 「もしもし、あのねぇ…。」 「あっ、すいません。佐竹さんの電話ですか?」 「えっ。」 こちらは完全に間違い電話であると思っていたので、相手が自分の名前を読んだことに驚きを禁じ得なかった。 「ええぇそうですけど…。」 「ああよかった。アサフスの山内です。」 佐竹の動きが止まった。 「今日はありがとうございました。ケーキまでもらってしまって…。」 「あ、えぇ。」 「社長が佐竹さんにお礼を言うようにって…。」 「あの…。いや、よろこんで貰えれば…。」 「ありがとうございます。…でも…。」 佐竹は身構えた。 「自分ひとりじゃ食べきれないんです。」 「あ、ごめん…。」 電話の向こう側からくすくす笑う声が聞こえた。 「…そしたら、友達と一緒に食べたら。」 ーうわっ、俺何いってんだ。 「…あっ、そうだ。そうですね。」 ーあぁしまった。 「でも、みんな忙しくて…。」 「ごめん、なんかかえって迷惑になるようなことになってしまって…。」 「違うんです。ありがとうございます。本当に嬉しいです。わたし、ここのケーキ好きなんですよ。」 「そう、そう言ってもらえるとこっちも嬉しいよ。たまたま街のほうをぶらついてたら、目に入ってきて。」 「あっ、クリスマスですもんね。」 「まぁ、世間はクリスマスムード一色だけど俺はあんまりそんな感じじゃないよ。」 「でもプレゼントにさっき…。」 「あぁ…あれは…観賞用…。」 「えっそうなんですか?てっきりクリスマス用だと思ってそういう花ばっかり選んじゃいました。」 「あぁ…そう…みたいだね…。」 「すいません…。」 「いや、全然気にしてないんだ。素敵な花だよ。ありがとう。」 「なんか、佐竹さんって花とかケーキとか…。いいですね。」 「え?」 「あぁクリスマスかぁ。いいなぁ。」 「何?山内さんはいい人いないの?」 「いるわけ無いじゃないですか。仕事仕事ですよ。はやく一人前に仕事できるようにならないとですね。」 「ふーん…偉いね。」 男女というよりもどちらかというと先輩、後輩といった雰囲気が漂っていた。お互いの仕事のことなど他愛もない会話を楽しみ、意外にも価値観などに共通点が多いことから、お互いの連絡先を交換することとなった。佐竹にとっては願ってもない展開だった。 電話を切り、佐竹は山内の連絡先をあらためて携帯電話に登録をした。そして着信履歴を見た。山内美紀の名前が自分の着信に表示されるのを見て、久しぶりの高揚感を味わった。 まさかたった数時間でこれだけの展開があるとは思わなかっただけに、佐竹の喜びはひとしお。しばらく携帯に表示される山内の名前を見入った。山内美紀の名前の2段下に昨晩の不明の電話番号が表示されていた。 ーしかし、この電話は何なんだろう。 今となってみれば、この不在着信も何かの縁だったのだろう。山内美紀との出会いを暗示したものだったかもしれない。そう思って佐竹はベッドの上に横たわった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 31 Oct 2019
- 199 - 19,12月20日 日曜日 11時52分 喫茶「ドミノ」19.mp3 ひととおり説明した赤松は手元に置いてあるメニューに目を通し、その中から定食を頼んだ。佐竹も赤松と同じものを頼む事にした。 「今になって考えてみれば、あいつがウチの店に来てから何度か警察が来た事があったわ。」 「警察が?」 「ああ。」 「警察が何をしに?」 胸ポケットにしまってあった煙草を取り出した佐竹はそれをテーブルに置いた。赤松に「どうぞ」と促された彼はそれを咥えて火をつけた。 「ほら俺の親父、6年前に事故で死んだやろう。」 紫煙を口から勢い良く吹き出しながら佐竹は頷く。 「そのことについて、母さんにいろいろ聞いとったんやって。」 「え?今更どうして…。」 赤松は手持ち無沙汰そうに自分の人差し指にできたタコのようなものをかりかりと左手でいじりながら話す。 「わからん。でも当時の事は母さんしかよく分からんからな。俺は京都でサラリーマンしとったし。」 「母さんに聞かなかったのか。」 「…聞いたけど、あんまり詳しく教えてくれんかった。事故当時は母さんも親父が死んだ事にかなりショック受けとったから、俺としてはそれ以上突っ込んで聞く気にはなれんかった。」 佐竹はそっと灰皿まで手を伸ばし、落ちそうになったタバコの灰を人差し指で軽く叩いて落とした。そして再度それに口をつけて吸い込んだ。 「だから、俺としては正直複雑なんやわ。この事件についてはにわかに信じる事ができんげん。」 「すまん。久しぶりにお前に会ったと思ったらこんな形で。」 「気にすんな。逆を言えばこの事件がお前と俺を再会させた。そういうことやわ。」 「お、おう…。」 注文の品が出てきて、佐竹は煙草の火を消した。二人は定食に箸をつけ始めた。 「赤松さ。」 「何や。」 「怖くねぇか。」 「ん?」 「俺さ、怖いんだよ。一色の事が。」 赤松は食事を食べながらうつむいたまま話す佐竹を黙って見た。 「まだ捕まっていないだろ。」 「おう、そうやな。」 「ひょっとすると俺らの方まで何かの形で巻き込まれそうな気がするんだ。あいつとは全く関係がない間柄でもないしさ。」 佐竹がこの事件に関して無視を決め込みたかったのは、そういった感情を封殺するためだったのか。それとも単なる心細さからくるものなのだろうか。赤松は佐竹の心情を彼なりに解釈しようとした。 「あぁそうや。ちょっと待っとってくれ。」 そう言うと赤松は食事も途中のまま、外に出て行った。しばらくして彼は頭や肩に雪をつけてひとつの箱を持ってこの場に帰ってきた。そしてその箱についた雪を手で払って佐竹に渡した。 「これ。」 赤松は佐竹にその箱を手渡した。 「さっきお前が注文してくれたやつ。」 「あ…すまん。」 「お前、これ誰に上げらん?」 「いや、別に…。親にでもやろうかな。」 赤松は口元に笑みを浮かべ。 「お前、ウチのバイト気に入ってんろ。」 「なんで…そんな事ねぇよ。」 口ごもりながら佐竹は食事を続けた。 「お前、顔がにやけとったぞ。ばればれやぞ。」 気づくと赤松は食事を終え、備え付けのコーヒーに口をつけていた。 「お前、今も独身か。」 「大きなお世話だ。」 最後に残っていたみそ汁を一気に飲み干し、再度煙草に手をつけそれに火を付けた。 「36で独り身なら出会いの場も少ないやろ。」 佐竹は一瞬赤松の顔を見た。そしてうつむき加減に口を開く。 「まあな…。」 赤松は読みが当たったことに思わずほくそ笑んでしまった。 「あのな…ウチのバイト。あぁ美紀。山内美紀って言うんやけど、クリスマスは予定ないらしいよ。」 「はぁ?」 「はぁじゃねぇやろ。いい子やぞーあの子は。なんなら俺がちょっと様子をうかがってみても良いけど。」 思いがけない赤松からの提案に佐竹は動揺した。 「別にそんなんじゃねぇよ…。」 齢36ともなる大の大人が、顔を赤らめながらも虚勢を張り、傍にあった雑誌に手をつけて興味なさそうに振る舞った。しかし同時に先ほどの美紀の姿が頭から離れずにいる自分に気づいた。佐竹は今朝、これからの自分像を考えていたことをふと思い出した。 ―結婚は無いな。 直視したくない現実から目を背けていた自分に一縷の望みが赤松から今、差し出されていた。 「まぁお前にその気がないんやったら深入りはせんけど。」 ここで拒否しては今までと何も変わらない。現状からの変化を望んでいたのは自分の方だ。そう思った佐竹は赤松と改めて向き合って彼の顔を見て言った。 「頼んでいいか。」 赤松はにやりと笑って「わかった」と快諾した。 「でもな、おれはあくまでも情報提供するだけやぞ。動くのはお前やからな。」 佐竹は「すまん」と軽く赤松に頭を下げ、おもむろにズボンのポケットから財布を出して、花の代金を支払おうとした。 「いいわいや、お代はいらんって。それよりもお前は目の前の目標をクリアする事に集中してくれ。」 何度も支払いの意思を示すが、赤松はそれを固辞した。 「俺やって今起こっとる事件について誰かと腹割って話したかったんや。でもほんな相手誰もおらん。そんなときにお前のほうから俺に会いに来てくれた。別にこっちから連絡もしとらんげんに。」 「悪かった。急に顔だして。…でもなんか電話とかするよりもそのままお前ん所に行った方がいい気がしたんだ。」 「こう言ったらなんやけど、嬉しかったぜ佐竹。」 「え?」 「ほらこの歳になると、わざわざアポとって会うとか多いやろ。知らん間柄でもないげんに。」 「あ、ああ。」 「でもお前、昔みたいにふらっとウチに来てくれた。んで回りくどい説明とか無しで、すぐに本題に入った話ができた。」 「そうだな。」 「こういうことねんろうな。本当の友達って。」 赤松のこの言葉は佐竹の心に刺さった。 「お前と話しして少し気持ちが楽になった。あんやと。」 「俺こそお前に感謝している。おかげで気が紛れた。」 「頑張れや。また連絡する。」 「お前もな。」 二人はそう言うと席を立ち、ドミノを後にした。 店の外は雪が舞っていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 20 Jun 2019
- 198 - 18,6月15日 火曜日 15時00分頃 フラワーショップ「アサフス」18.mp3 一年半前の雨が滴る六月。赤松は自分の店で店番をしていた。 六月の花と言えば紫陽花、菖蒲、泰山木と言ったものが主で、普段花を使用した生活を営んでいない一般の家庭にはあまり花屋は縁がない時期かもしれない。 アサフスに来店する一般客の多くは田上、杜の里の住人である。赤松はそれらの客の顔と名前を大体覚えていた。たまに見慣れない顔の客が来る事があるが、それらの一見客はここから車で二十分先にある熨子山の墓地公園へ墓参りに行くための花を買いにくる客が主だった。だがそれらの大半は盆や彼岸の時期に集中する。 スーツを着たサラリーマン風の男が梅雨時の昼間に、この店に来る事はあまりない。第一印象が不自然だったため、当時の事はよく覚えている。 男は店内にある花が入った冷蔵庫の中を眺め、足下に置いてあったバケツに入った墓参り用の花束に目をとめた。 「これ、ひとつ下さい。」 男はその佛花を指差し、低い声で店にいた赤松に言った。 赤松は返事をして花を取り出し、包装紙に包んだ。 「お客さん、お墓参りですか。」 男の口元は少し緩んだ。 「赤松、俺だよ。久しぶりだな。」 誰か分からなかった。赤松は男の顔を3秒程眺めた。口元にある黒子が目に入った時気づいた。 「一色か!」 「そうだよ。」 「久しぶりやなぁ。スーツ着とっから誰か分からんかったわ。」 「冷てぇなぁ、気づいてくれよ。」 「どうしたん、こんな平日の昼間に来るなんて。」 「いや、噂で赤松が実家を継いだって聞いたから、墓参りの花を買いに来たんだ。ちょっと仕事を抜け出してな。」 「仕事?」 「ああ。」 「え…?おまえ、こっちで仕事しとらん?」 「まあな。」 赤松は一色が東京の国立大学に進学した事は知っていた。しかし、そんな立派な学歴を持った彼が地元に帰って来て仕事をしていることに、少し違和感を持った。当然、当時は一色が警察である事も赤松は知らなかった。しかしそれ以上は仕事について突っ込んだ話はしなかった。彼なりに事情があるのだろうと思った。 一色との会話は10分ほどだっただろうか。久しぶりに高校の同期の連中と集まってみたいという内容の会話だ主だった。 「ところで一色、誰の墓参りなんや。」 一色は少し口をつぐんだ。 「あぁ、ごめん。ちょっと聞いただけなんやわ。」 「いいよ。ちょっと繋がりのある人の墓参りだよ。」 そう言うと一色は店の奥で事務仕事をしている妻の綾と母の文子を見つけた。 「あの人がお前の奥さんか。」 綾はパソコンに向かって入力作業をしている。 「まあね。」 「奇麗な奥さんじゃないか。お母さんも元気そうだな、良かった。」 文子は老眼鏡を掛け、そろばんを弾いて伝票の仕分け作業をしている風だった。 「母さんは年やから、昔みたいにって訳じゃないけど、俺よりかは元気や。」 一色はしばらく綾と文子を眺めていた。 「みんな強いな…。」 そう言うと一色は勘定を済ませて、赤松にまた来ると言って背を向けた。 「赤松。」 赤松は彼の背中を見た。 「いや…何でもない。」 この言葉を残して一色は店を後にした。それから彼がこの店に来る事はなかった。 赤松はその時の一色の表情が印象に残っていた。物寂しげな表情。 昔は剣道部の部長として赤松たちを牽引してきた人間が、10数年経ちその背中に哀愁さえ漂わせる姿は、時の流れを感じさせると共に赤松にとっても寂しさを感じさせた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 13 Jun 2019
- 197 - 17,12月20日 日曜日 11時25分 喫茶「ドミノ」17.2.mp3 一時期金沢にはカフェと呼ばれる社交場が乱立した。 この手の店は、ぶらりと気軽に立ち寄れる場所はあまり多くない。洒落てこぎれいな雰囲気のものが多く、選ばれし意識の高い人種であることが条件として課せられる。 その中においてひとりでくつろげて、誰かを待つのに持ってこいであるのはやはり純喫茶だ。 客層の嗜好をしっかりと捉えた新聞や雑誌、マンガ等が豊富であり、それなりの年齢の世代が集う。店で交わされる会話も良い。何より自分だけの世界を作れることが純喫茶の魅力でもある。 アサフスから犀川を渡った旭町の純喫茶「ドミノ」に佐竹はいた。 店主以外誰もいない店の中で、彼は一番奥のテーブル席に座り雑誌に目を落としていた。 店の外で車のドアが閉められる音が聞こえた。 それから20秒後にドアが開かれ赤松が店内に入ってきた。 赤松はカウンターに立つ店主にコーヒーを注文し、そのまま佐竹の正面に座った。 すぐに店員がおしぼりと水を持ってきた。赤松は湯気の出るそれで手を拭き、続いてしっかりと顔を拭いた。 「あのさ、お前どう思う。」 佐竹は切り出した。 顔を拭いていたおしぼりを丁寧にたたんで赤松はうつむいたまま答えた。 「ふぅ…信じられんよ…。本当に。」 赤松は「それに」と付け加えて話し続けた。 「今、報道されとる被害者の女の子おるやろ。」 「おう。」 「あの子実は昔ウチでバイトしとった女の子ねんわ。」 「えっ…。」 「何が何だかさっぱり分からん。俺のかみさんもショック受けてさっきから仕事が手ぇつかん状態や。」 「あの…お前の奥さん、一色とお前の繋がりを知ってんのか。」 「いや詳しくは知らん。だからまだ救われとる。もしもそんな細かいこと知ったらあいつパニックになっちまう。」 コーヒーが出され、赤松はそれに口をつけた。 「なぁ佐竹。お前はどう思ってんだ。この事件の事。」 佐竹は手に持っていた雑誌をテーブルの上に置いた。 「お前と同じだよ。信じられん。正直そういう漠然とした感想しかでてこない。」 「そうやよな…。」 二人の間にしばしの沈黙が流れた。 「なぁ赤松。お前、村上と連絡とってる?」 佐竹が切り出した。 「え?村上?」 赤松は首を振る。 「そうなんだ。」 「村上がどうした?」 「あのさ。俺、実は今でもあいつとよく連絡とってんだけどさ。」 「へぇ。そういやお前ら昔っからよくつるんどったよな。」 「ああ。」 「村上あいつ、今なにやっとらんけ。」 「政治家の秘書。」 「まじで。」 「マジ。」 「へぇ…なんかすげぇじ。」 「ああ。たしかに政治家の秘書って言うと聞こえはすげぇ。けどあいつ自身は高校の時からなんにも変わってないよ。」 そういうと佐竹は、先ほど村上とこの事件について電話でやり取りをしていた事を赤松に報告した。 今回の事件については所詮過去人間関係。だから他人事と割り切ってしまうのが得策であると。 「んであいつはどんな反応を?」 「却下。」 「却下?」 「ああ。むしろ俺が冷たいとかで一蹴された。」 「なんやそれ。」 「あいつはいったん熱くなるとどうにも止まらん。」 「ははは。ほんとに高校からなんにも変わっとらんげんな。村上のやつ。」 「言ったろ。なんにも変わっていないって。」 「で、そんな村上に感化されてなんかわからんけど、俺んところに来たってわけか。」 自分はそうは思わないのだが、結果として見れば赤松の言う通りだ。 「高校の時もだいたい何かのきっかけを作るのは村上。ほんで佐竹、お前はまずはそれにダメ出し。でも結局行動力がある村上に引っ張られて、知らんうちにその中で巻き込まれる。お前ら18年経っても変わらんな。」 「そ、そうか…。」 「まぁでも、俺はちょっと複雑。」 「そうだな…。被害者はお前のところで働いていた子だし、容疑者は昔の同級生だし…。まさかそんな状況だとは知らなかった。すまん。」 「謝んなって。別にお前が悪い訳じゃねぇやろ。あのさ、お前が村上に言ったことは一理あると思う。いやむしろ正しいと思う。いくら昔強い繋がりがあったとしても、それ以来疎遠でありゃあ昔は昔、今は今。実際俺は一色をぶっ殺したいってくらいにすら思っとった。」 「思って…いた…?」 赤松は半分に減ったコーヒーの中にフレッシュを注ぎ、それをかき混ぜた。 「ニュースに初めて触れたときは正直、初めてづくしの情報ばっかりでなんのことかよく分からんかった。一色が警察やったってことも、あいつがそこの幹部やったってことも。」 「それは俺もさ。」 「でもしばらくして、なんとなく飲み込めてきた。ほしたらなんか、あいつのことぶっ殺したくなってきた。」 言葉に熱を帯びる自分を収めるかのように、赤松はコーヒーを飲み干した。そして深呼吸をして彼はゆっくりと口を開いた。 「でもな、実は俺…去年の夏に一色と会っとれんて…。」 「え?」 「去年の梅雨の時期や。あいつウチの店に来てさ…。」 そういうと赤松は当時の事を振り返り始めた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 06 Jun 2019
- 196 - 16,12月20日 日曜日 10時55分 フラワーショップ「アサフス」16.mp3 朝から振っていた雨は雪に変わっていた。 世間一般では金沢は雪国としてのイメージが強く、十二月の金沢といえば「雪吊」が施された兼六園の風景が有名である。樹木の幹付近に柱を立て、その先端から各枝へ放射状に縄を張り巡らせることで枝を保持する。この雪吊りの威力が発揮されるのは一月半ばから二月にかけて。この間一番雪国らしい天候が続く。昔は十二月の段階で積雪となっていたが、近年は地球温暖化の影響なのか、この時期に積雪といえる程の雪が降り積もる事は無い。 佐竹はアサフスの駐車場に自分の軽自動車をバックで止め、目の前にあるアサフスの店内の様子をしばらく伺っていた。 フロントガラスにいくつもの雪が付き、定期的に左から右へワイパーがそれを除ける。ガラスの右の端にはうっすらと雪が溜まってきていた。アサフスの駐車場には自分以外には乗用車は一台だけ止まっている。佐竹は客がいなくなるのを待っていた。 客と思われる一人の女性が店から出てきたのを確認して、佐竹はエンジンを切り、車から降りてそこへ向かった。 「いらっしゃいませ。」 アルバイトらしき若い女性が店内で作業をしながら声をかけた。 佐竹はそれとなく客の振りをして地面に置いてある花や観葉植物に目をやった。しかし彼はあまりそれらに興味が無いため、その動きに落ち着きが無かった。店に置いてある植物たちに目をやりながら、赤松がいないか確認をするも彼の姿は見えない。 「プレゼントですか。」 女性店員が佐竹に声をかけてきた。 気づくと子豚の形の鉢に三種類程の花が詰め合わせてある商品の前に立っていた。 「ああ、ええ。」 「それ、最近人気があるんですよ。花もかわいいんですけど、子豚の鉢がいいって評判ですよ。お客さんが今見てらっしゃるのはディスプレイ用なんで、もしよろしかったらお好きな花を選んでくれれば、こちらでその豚さんに詰めて差し上げますよ。」 女性は屈託の無い笑顔で対応してくれた。目鼻立ちがくっきりとした佐竹のタイプの女性だった。年齢は自分よりひとまわり若いだろうか。 この瞬間、今日の朝に結婚についてあれこれと考えていた自分の姿を思い出した。 「じゃあ、それと同じやつでお願いします。」 別に誰にあげる訳でもない。ただなんとなく買う気になった。単に佐竹のスケベ心からくるものであることは間違いない。自分の口元がなぜか若干緩んでいるのが分かった。 「ありがとうございます。それじゃしばらくお待ちください。」 そういうと女性は鉢を取りに店の奥へ入っていった。店内には佐竹しかいない状況になった。 電話の音が鳴った。店の奥から店主と思し召しき男が出てきて電話をとった。 身長は百六十センチ程。この小柄な男は、物腰柔らかに電話の応対をしている。彼の頭には白髪が散見された。天地の低い銀縁の眼鏡をかけ、あごひげを蓄えている。 「そうやねぇ、いつご入用ですかねぇ。」 金沢独特の語尾を伸ばす方言で電話の先にいるお客と会話をしている。 「二十五日け。ちょっと待ってねぇ。」 そういうと男は店内をきょろきょろと見渡し、こちらを見て動きを止めた。佐竹と目が合った瞬間彼の顔つきは硬いものになった。ひと呼吸おいて男は目を細めて佐竹の奥の方を見た。佐竹は振り返ると、すぐ側の壁にB2サイズの月表カレンダーが貼ってあることに気づいた。 「うん。大丈夫やよ。そしたら用意しとくし、その日の午前中に配達するさかいよろしくね。」 男はメモを取りながら「ありがとう」と言って電話を切った。 「赤松…。」 佐竹は男の方に寄って行き、彼の名前を呼んだ。 「久しぶりやなぁ、お前も見たんかニュース。」 赤松は真剣な顔で佐竹の目を見た。 「俺も丁度お前に連絡しようと思っとったんや。」 「お待たせしましたぁ。」 店の奥から女性店員が子豚の形の鉢を持ってきた。彼女は佐竹と赤松が向かい合っているところからどちらに言うわけでもなく「お知り合いですか」と声をかけた。 「ああ、俺の同級生。」 赤松が答えた。 「何、これお前買ってくれらん?」 「まあ…。そうだけど。」 「プレゼントだそうですよ。」 本当は別に欲しくもない花だが、何となく流れで買ってしまったなどと言える訳もなくとりあえず佐竹は答えた。 「ありがとうございます。」 そう言って赤松は佐竹を見た後、続けて女性店員を見た。そして先ほどまで真剣だった表情を少し緩めた。 「美紀ちゃん。このお客さんのために特別なラッピングしてあげて。」 「はい。がんばります。」 元気のいい声で答えると、美紀と呼ばれたその女性はその場で花を詰め始めた。 「佐竹、少し時間あるか。」 「ああ。」 「ここじゃ何だから、久しぶりに『ドミノ』でも行かんけ。」 「いいけど、お前仕事は大丈夫なのか。」 「大丈夫や。今ちょっと時間に余裕出たし。」 「そうか。」 「まぁ仕事より大事な事だってあるわい。先に行っとってくれんけ。俺、少し片付けんといかんことあるから、10分位でそっちに行く。」 「わかった。けど、その花はどうする。」 「その時に俺が持っていくから。ああ、お代はそん時で。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 30 May 2019
- 195 - 15,12月20日 日曜日 10時35分 金沢北署15.mp3 朝倉と別所の二人は記者会見を終えて北署の署長室に戻った。 するとそこに二人の男が応接用のソファに座っていた。二人は朝倉と別所に気づくとすぐに立ち上がり名乗った。 「初めまして。刑事局の松永です。」 始めに挨拶をしたのは中肉中背の年齢は三十代後半~四十代前半と思われる男の方だった。 朝倉ははじめてその男を見た時に不快感を覚えた。襟と袖だけ色の違うクレリックシャツを身に着けた松永の胸元は第二ボタンまで外されていた。 彼は朝倉に手を伸ばし握手を求めた。 ―これが上司に対する挨拶か。 渋々松永と握手をしたが、朝倉は眉間に皺を寄せ不快感を露にした。 「すいません。私のスタイルはお気に召さなかったですか。申し訳ございません。」 松永は朝倉の気持ちを察しそれとなく自分の行動の弁護をした。しかし朝倉はその言葉自体が嫌みにしか感じられず、無視をしてソファに座った。 松永は次いで別所と軽く手を握り自分の側近である関を二人に紹介した。関は松永とは違い、丁寧に挨拶をした。 「松永の補佐をしております関と申します。よろしくお願いします。」 「よろしく。」 朝倉は座ったまま関に対しては軽く会釈をした。 松永と関。対照的な人間が自分の前に座っている。松永の口元は若干上がり気味で、何やらにやにやとした表情であるのに対して、関はその表情に変化が見られない。身なりも松永はカジュアルなのに対して関はスリーピースのスーツと固い。見た目では関の方が上司に見える。 「本部長。」 前屈みになるように松永は自分の顔を朝倉の方へ近づけた。こっそりと話したい事がある人間は、自分の身や顔を近づける。しかし彼のその表情は相変わらず笑みを浮かべている。朝倉は気味が悪かったのでそのままソファに深く座った体勢で彼の言葉に耳を傾けようとした。 「勝手な事をされては困りますな。」 松永の表情は険しいものとなった。 「今後、この事件の捜査の全権は私が握ります。あなたはこの捜査に一切関与していただきたくない。おとなしく外野から見守っていてください。」 唐突だった。 「松永、貴様こそ誰にその口を叩いている。貴様こそ勝手な事をほざくな。」 はじめて松永を見たときから、その挨拶の仕方や身なりに嫌悪感を覚えていた朝倉は、階級では下にあたる彼の物言いにとうとう頭に来た。 「これは察庁の意向です。あなたこそ変な正義感を持ち出して勝手な事をしているではないか。」 ドスの聞いた声で松永は朝倉を睨みつけた。そして関に「おい」と合図をすると、彼はおもむろにバッグの中からノート型パソコンを出し、数回キーボードを 叩いて朝倉にその画面を見せた。 「これを御覧ください。」 メールが画面に映し出されていた。官房総務課長の宇都宮からのものだった。 朝倉と別所はそれに目をやった。件名は『先程の件について』である。 松永殿 先ほどの県警の記者会見は大変残念である。 上意下達の意思決定システムに支障を来すような事があっては 警察組織の混乱を招く恐れがある。 ついては君に今回の熨子山連続殺人事件の総指揮をとってもらいたいというのが上層部の意見だ。 朝倉本部長の重大な命令違反についてはけいさつにおいて厳正な処分を行う予定だ。 それまで彼にはこの事件に関する一切の関与も認めない。 そのように彼に君の口から伝えておいてくれ。 追って私からも彼に直接問いただす。 事件の早期解決に期待をしている。 「まぁこういう事ですよ。本部長。」 メールを読む目の動きが止まったのを見計らって、松永はあっさりと言った。 朝倉はじっとパソコンの画面を見つめている。 「当然、今回の件の全責任は本部長にありますが、警務部もその重大な連絡が不行きであった点でお咎め無しとはいかんでしょうな。」 別所の顔は引きつった。額には汗がにじんでいる。 「おまえは刑事局の人間だろう。」 パソコンの画面の影から朝倉は鋭い眼光を光らせ松永を睨んだ。 「そうですがなにか。」 「刑事局の人間がなぜ官房から直接指示を受ける。」 「私は事件の捜査に関して刑事局長に委任されてきましたので、その手の指揮系統のご質問についてはお答えしかねます。おい関、あれを見せてあげなさい。」 松永がそう言うと彼の隣に座っている関が再びバッグを開き、中から一枚の紙を取り出した。 A4一枚の紙には捜査の権限を松永に一任する旨がしたためられ、捜査第一課特殊事件対策室長、捜査第一課課長、刑事局長の印が押されている。 朝倉はその紙をしばらく黙って見ると深くため息をついて「わかった」とだけいった。 その言葉を受けて松永は先ほどの笑みを浮かべた表情に戻り、ソファに座り直し一礼した。 「ご協力ありがとうございます。」 「ひとつ聞きたい事がある。」 そう言って朝倉は松永の捜査経験について質問した。 どこの馬の骨とも分からない頭でっかちの世間知らずに現場を荒らされては堪らない気持ちがあった。松永は朝倉の質問にひと言で答えた。 「今回がはじめてです。」 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 23 May 2019
- 194 - 14,12月20日 日曜日 10時17分 本多善幸事務所14.mp3 「また連絡する。」 そう言うと村上は佐竹との電話を切り自分のデスクに戻った。傍にいる女性が東京の事務所から電話がかかってきている旨を告げたので、村上は保留にしてあった電話に出た。 「はい、村上です。」 「お疲れさまです。村上さん、テレビ見ましたよ。」 「あ、ええ。」 「先生からさっき電話があって、地元で起きた事件なので大変心配しているようでした。村上さんに対応を任せると言ってました。」 ―任せると言われてから動いていたら遅いんだよ。 「いやぁ僕も地元にいて長いんですが、正直こんなひどい事件ははじめてですよ。とりあえず身元が判明している被害者のお宅には、私かこっちの事務所の人間が行くように段取りしています。先生にはご心配なさらないように伝えてください。」 「それにしても警察幹部の犯行と疑われているようですね。今回の事件。」 「ええ、そのようですね。」 「こっちの方じゃ警察庁がぴりぴりしていますよ。何せキャリアですからね、容疑者は。」 村上の頭に一色の顔が浮かんだ。 「キャリアね…。」 「前代未聞の大事件。いったい警察は何やってんだか。」 「確かに。」 「犯人は未だ行方知らず。村上さんも注意してくださいよ。」 電話の内容はどうでも良いものだった。ただ、この電話で世間が容疑者=犯人として扱われている現実を知った。 まだ一色は容疑者である。 犯人は一色であると決まった訳ではないのに、世の中がそう動いている。情報の伝播の早さと何の疑いも持たず決めつけで行動する人間の怖さを村上は感じ取っていた。 「村上さん?聞いてます?」 うわの空だった村上は野田と話していた事を思い出した。 「村上さん。先生は十四時二十五分羽田発の飛行機でそちらに向かいます。十五時小松空港到着の予定に変更はありませんので、車の手配をよろしくお願いしますよ。」 「あ、はい。」 「どうしたんですか、村上さん。なんか変ですよ。」 村上は電話を切ると両目の鼻の付根を指でつまんで目を瞑った。自分は少し疲れている。 今日の段取りを部下に指示すると村上は事務所を後にした。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 16 May 2019
- 193 - 13,12月20日 日曜日 10時21分 フラワーショップ「アサフス」13.mp3 アサフスは金沢市田上の山側環状線沿いにある生花店である。 田上は熨子山の麓にある国立大学を中心とした学生街で、近年開発が進んでいる地区である。赤松剛志はここに生まれ育った。今は二代目社長としてこの店の切り盛りしている。アサフスの創業者である剛志の父は、六年前突然の不慮の事故で他界。当時、京都の大手メーカーに勤務していた赤松はそれをきっかけに妻の綾と一緒にこちらに戻ってきた。当時は花屋の仕事について無知に等しかったのだが、最近は同業の連中に板についてきたとなんとか認められるようになってきた。 赤松は今日の晩に執り行われる葬儀用の花の手配に追われていた。花屋にとって葬儀会社や結婚式場は上得意先である。そのためミスは許されない。赤松は電話で得意先と何度も確認をし、飾り付けをした花に誤りが無いか入念にチェックした。 継続的に大口の発注が出るこれらの会社を赤松は自分でコンスタントに開拓している。そのためアサフスはこの不況時においても仕事量は増えており、そんな中で赤松は忙殺されていた。 通帳の記帳で銀行に行っていた妻の綾が足早に店に戻ってきた。傘をたたみダウンジャケットについた雨の雫を払ってブーツを脱いだ。 「ただいま…。」 「お疲れさま。銀行混んどったけ?」 綾の顔も見ずに赤松は伝票を手書きで起票しながら答えた。 「綾?」 返事が無いことに気がついた赤松は手を止めて彼女の方を見た。 綾は赤松と目を合わさず、カバンを金庫にしまった。 「おい。どうしたん綾。」 「剛志…テレビ見た?」 「え?」 「テレビ見た?」 「いや…見てない。どうした?」 綾はリモコンを手にして部屋のテレビをつけた。 「それにしても残忍な事件ですね。」 「はい。警察の発表によると被害者である4人のうち2人は同じ職場の交際中の男女ということです。ひょっとすると容疑者はこの被害者である女性に何らかの好意を抱いていて、ストーカー行為に及んでしまった可能性も捨てきれませんね。」 テレビでは犯罪心理学者といわれる人物が、司会者の質問に答えていた。 「ですが先生。そうなるとこのカップルの他の2人はどうなるんですか。」 こう言って司会者はフリップを出した。 そこには間宮孝和と桐本由香の名前が書かれ、写真が貼り付けられていた。 「え…?」 「そうですね。ひょっとすると行きずりの犯行かもしれません。」 「ということは犯人はこの桐本さんに好意を抱いていて、その交際相手もろとも殺害し、ついでにまだ身元が明らかになっていない人間を2人殺したと?」 「き…桐本…?」 「ええ。サイコパスの要素を持っているとすればあながち不思議でもありません。」 「え...綾...この桐本って...。」 「由香ちゃん...。」 「そ...そんな...。」 流し台の前に立っていた綾の肩は震えていた。 桐本家は赤松家と同様、田上の土着の家だった。田上は、その住人のほとんどが元々は農業を生業とする普通の田舎町だった。それが環状線が開通する事で区画整理がされ、住民たちのほとんどが不動産オーナーになるなどして農業を棄てた。だが昔ながらの田舎特有の繋がりは依然として強固な地域であり、赤松は同じ町会の桐本家の長女由香をアルバイトとして二年間雇ったことがあった。 「なんで…。」 綾は顔を覆って泣いていた。 こんな時はすぐに彼女のそばに寄って、何も言うこと無く抱きしめてやれば良いのだが、それ以上にショックが大きくそこまで気が回らなかった。 赤松はテレビ目をやった。 司会者とコメンテーターと思われる男が話をしている。 「大変深刻な事態になってきましたね。」 「はい。現在のところ現役の警察幹部が容疑者として手配されているそうですが、仮にこの男が犯人であると立証されると、前代未聞の事態となります。本当に信じられません。」 ―警察幹部? 「確かにこれは絶対にあってはならない事件ですね。とにかく容疑者の一刻も早い逮捕を望むところです。ではここで再度容疑者の情報をお伝えします。」 容疑者の顔写真がインサートされた。赤松はその写真を見て絶句した。 「え…。」 火にかけてあった薬缶から勢い良く蒸気が吹き出していたが、相変わらず綾は流し台の前に立って肩を震わせ泣いていた。赤松はテレビに目を向けながらその火を消し、綾のそばに立ち彼女の肩を引き寄せ、弱々しく言葉を発した。 「綾…。」 赤松の自分を呼びかける声に我を取り戻したか、彼女は涙を手で拭い彼の顔を見た。赤松の視線はテレビに向いたままだった。そして彼はその方に向けてくいっと顎を上げた。綾は促されてそちらの方に向いた。 「俺、こいつ…知ってる…。」 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 16 May 2019
- 192 - 12,12月20日 日曜日 10時10分 北陸タクシー株式会社駐車場12.mp3 「ふわぁ~。」 大きなあくびをしている間は、無の境地を味わうことができる。 北陸タクシーのドライバーである小西規之は今しがた車庫に帰ってきたところだった。この仕事に関しては二十年のベテランであるが、やはり普通と違うバイオリズムでの仕事は、五十八を過ぎたこの体に鉛のように重い疲労感を与えてくれていた。 小西は車からゆっくりと降り、自分の腰をさすりながら事務所の方に向かった。今日のアガリを事務所に入金し、タイムカードを押して一分でも早く帰宅したい気持ちだった。そんな小西を背後から呼ぶ声が聞こえた。 「ノリさーん!」 振り返ると恰幅のいい男がこちらに向かって手を振っている。身長は百七十センチぐらい。体重は見た感じで百キロ相当ありそうだ。彼のベルトはいつものように腹に隠れて見えない。冬の北陸は上着なしではかなり寒い季節であるが、彼は長袖のシャツを腕まくりして着ていた。小西の後輩の南部達夫だった。彼は巨体を揺らしながら小西の側にやってきた。 「なんや?」 「いやぁ最近さっぱりでさぁ…。ノリさんはどう?」 近くに寄って初めて分かることもある。この寒い季節に南部は額に汗をかいていた。 「どうって…。全然だめやわいや。不景気や。」 そういうと小西は腰をさすりながら、再び事務所の方にむかってゆっくりと歩き始めた。南部も彼と肩を並べて歩いた。 「ほんとに最近は長距離ってないよね。」 「そうやなぁ…。少なくなったなぁ。」 「これって、やっぱり景気のせいなのかな?」 南部は地元の人間ではない。 彼は十年前に勤務先の会社が倒産し、それがもとで離婚。行く当てもなく石川県に来た時、小西の運転するタクシーに乗車した。それが縁で現在小西と同じ職場で仕事をしている。 関東出身であることは話し方で分かるが、どこの出身かは誰も知らない。それ以上のことは誰も聞かなかった。 「んーでも羽振りがいいところもあるしなぁ。」 「この時代に儲かってるってどこの会社?」 「いやぁ、ここらへんの会社はたかが知れとる。やっぱり東京のほうは会社は違うんやろう。」 二人は事務所の事務員に現金の入ったポシェットを渡して、タイムカードを切った。時刻は十時十三分だった。 「いやな、昨日のお客が言っとったんや。」 「東京の客?」 「いや、ようわからんけど、やっぱり東京のほうが銭になるんやと。そのお客は何が金になるかは言わんかったけどな。」 南部はハンカチを取り出し、自分の額をそれで拭った。 「ふうん…。で、そのお客さんは羽振りよかったの?」 小西はそっと手のひらを南部に見せた。 「五千円?」 「だら。五万や。」 「えーっ!!」 「しーっ。大きな声出すなや。みんなに感づかれるやろ。」 「…え?どこからどこまでだったの?」 「小松空港から金沢まで」 そう言うと小西は自分の腰をさすりながら周囲を見渡した。今気づいたのだが事務所の皆がテレビを見ている。小西もつられてそれに目をやった。見覚えのある建物の前にひとりのレポーターが立っていた。 「何やこれ。北署やがいや。」 誰に言う訳でもなく小西はそう言った。四十歳前後の女性事務員がそれに応えた。 「ノリさん、知らんが?」 「何が?」 「昨日の夜中に熨子山で殺人事件があってんよ。」 「はぁ…?熨子山って、あの熨子山か。」 小西は事務員の横にある空いた椅子に腰をかけた。 「そうやぁ、4人も殺されたんやって。」 「え…おい、ちょっと待てや。ワシ…昨日熨子山に客乗せてったぞいや。」 小西はそう言うと持っていた運転日報を事務員に見せた。 「うそ…。」 事務員は驚いた表情で小西を見た。そのやり取りを何となく聞いていた周囲の社員達が小西のそばに寄ってきた。 事務員は小西の日報を指でなぞりながら確認をする。そこには十八時十五分に小松空港で一人の客を乗せて、十九時三十五分に熨子町でその客を降ろしている事が記載されていた。 「ノリさん乗せたのこいつ?」 傍にいた南部がテレビの方を指差した。そこには眼鏡をかけた男が写っている。 「こいつ現役の警察官だってさ。ありえないよね。」 小西はその男の顔を見るとしばらく考えた。 「いや…よう分からんわ。なんちゅうか…ワシが乗せた客はサングラスしとったから何とも分からん。」 「でもノリさん、あの容疑者って、夜の七時まで仕事しとったってさっき言っとったから、ノリさん乗せたその人と多分違うと思う。」 女性事務員がそれとなく小西を擁護する。 「いやぁ分からんぞ。ノリさん、そりゃ警察に言った方が良いんじゃねぇか。」 「そうだよ、関係なくても情報提供はした方が良いぞ。」 小西の周囲はたちまち騒然となった。 「なんや…えらいとばっちりやな…。」 遠くの方でこちらのやり取りを見ていた部長が小西を手招きしている。小西は別に自分では何の悪い事もしていないのだが、すごすごと身をすくめてそちらの方に移動した。 「ノリさん。明日は休め。」 「部長、どういうことですか。」 「俺から社長に言っとくから、いまそこで言っとった事ちゃんと警察に言えぃや。」 「でも部長…。」 「心配すんな。ちゃんと有給にしとくから。」 部長はそう言うと声を小さくして付け加えた。 「今晩はその客から貰ったチップで飲んで、明日はちゃっちゃと警察に行ってこい。」 部長は先ほどの南部とのやり取りをしっかりと見ていたようだ。 「すんません。じゃあ明日はよろしくお願いします。」 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 09 May 2019
- 191 - 11,12月20日 日曜日 10時10分 佐竹宅11.mp3 ―どれもこれも景気の悪い話ばかりだな。 広げた新聞には世の中に対する悲観論が充満していた。 今度の内閣人事に関する分析と課題についてばっさりと斬り捨てられた政治面。 デフレによる景気後退。それに伴う消費の低迷はますます深刻さを極めつつあるとする経済面。 所得や雇用の格差に関する社説。 親が子供を殺したという殺人事件が大きな枠を占領している社会面。 この世は救われることのない、苦しみばかりの地獄であると言わんばかりの紙面だ。 地獄の原因は政策の失敗であるそうだ。現政権を打倒することが唯一の問題解決方法らしい。 だが、現政権を打倒してどのような舵取りを期待するのか。 野党から具体的な政策提言はなにもない。 とにかく現状をぶっ壊せば何か良くなる。 こんな論調が新聞紙上にも世の中にも蔓延していた。 ―こんな新聞毎日読んでいたら頭が変になる。 そう思って佐竹はそれをしまい、テレビに目をやった。チャンネルは先ほどと変わらない。 テレビではアイススケートの大会で優勝した選手のそれまでの軌跡やプライベートの様子を解説つきで伝えていた。しかし突然画面が切り替わってメインキャスターが映し出された。 「えー先ほどの金沢で起こった殺人事件について、新しい情報が入ったようなので現場から中継でお伝えします。」 画面が切り替わり、先ほど中継で出演していた記者がマイクとノートを持ってこちらに向かって立っていた。彼の背後には金沢北署。署内の会見場から走ってきたのか、彼の息は切れていた。 「はい。先ほど行われた警察の記者会見で衝撃の事実が明らかにされました。」 ーは?なんだそれ。 レポーターが興奮した様子でそう言うと即座に一枚の顔写真がテレビの前に映された。 写真の彼はその眼鏡の中の瞳で、佐竹をじっと見つめている。 「容疑者は一色貴紀。36歳。県警察本部刑事部長。現職の警察官です。」 その言葉を聞いて佐竹は一気に血の気が引いた。 「え…。」 言葉が出なかった。画面から伝わってくる鉛のような重量級のエネルギーが彼を包み込む。体が動かない。金縛りとはこういう状態を指すだろうか。 テレビの向こう側の記者とスタジオのメインキャスターは質疑応答をする。 佐竹は近くにある棚の上の写真にゆっくりと目をやった。 その写真には自分を含めた高校時代の剣道部のレギュラー五人が写っている。五人の真ん中に蹲踞の状態でこちらをまっすぐ見つめる男がいた。 「そんな…馬鹿な…。」 剣道防具の垂には一色の名前が刻まれていた。 佐竹は再びテレビを見た。テレビでは容疑者は拳銃を携行している恐れがあるという事で注意を促していた。そして時々容疑者の顔写真がインサートされる。 突然携帯が震えた。佐竹はそれを手に取った。村上からだった。 「もしもし。」 「おう、俺だ。おまえ…今…テレビ見ているか。」 「お…おう…。」 村上と話すのは三週間ぶりだ。声色から彼も動揺しているように感じ取れた。 「これって…一色だよな。」 「あ…あぁ。」 もう一度画面に映っている写真と自分の部屋に飾ってある写真を見比べてみる。 テレビに映る顔写真は昔の写真の人物の面影を色濃く残している。 「そうだと思う…。」 「やっぱり…。」 二人の間にしばしの沈黙が流れた。テレビが事件の事をひととおり伝え、別の話題に移った時、村上が口を開いた。 「なぁ…どうする…。」 「どうするって…どうしようもねぇよ…。」 自分以上に村上は動揺している。そう思った佐竹はテレビを切り立ち上がってブラインドの隙間から外を覗いた。雨が降ってきていた。 「あの…村上さぁ…。お前あいつと連絡とってんのか。」 「ん?誰だあいつって。」 「一色だよ。」 数秒前と違ってやけに冷静な自分になっている事に佐竹は気づいた。 「いや…とっていない。何だ。」 「いやな…あいつ警察官だったって俺、いまテレビ見てはじめて知った。」 「あぁ…俺もだ...。」 「金沢にいるってこともはじめて知った。」 「ああ...。」 「だからその程度の付き合いの男なんだよ。」 「え?何だお前、その冷めた言い方は。」 先ほどまで動揺していた村上の言葉に多少の怒気が含まれていた。佐竹はそれを無視した。 「なあ、今はそんな事で動揺している場合じゃねぇだろ。」 「どういうことだ。」 「お前も俺もなんだかんだって忙しいんだ。高校時代にちょっと付き合いがあった程度の友人の心配なんかするよりも自分のことを考えたほうがいいんじゃね。」 携帯の向こうで村上を呼ぶ女性の声が聞こえた。 「はっ佐竹。お前ずいぶんと冷てぇ事言うんだな。」 「んだよ。」 「曲がりなりにも高校時代に同じ釜の飯を食った仲だろ。んでそん時の経験は俺らに大きな影響を与えた。お前もそうだろ。」 「それとこれと何の関係があるっていうんだよ。」 「確かに俺はあいつと連絡はとっていない。だけどそんなお前みたいに今は付き合いないから赤の他人だって言い切れんよ。絆ってもんがあるだろう。」 「それでどうするんだ。」 「わからん。これから考える。」 「けっ相変わらず面倒くさい男だな。」 佐竹は呆れた。 「お前がそんなに薄情な男だとは俺は思ってなかったよ。仕事が入った。また連絡する。」 通話を終了し、佐竹は深いため息をついた。そして高校時代の写真を手にとりそれを見つめた。 自分は今まで困難や悩みに直面した時、よくこの写真を見てきた。血のにじむような練習を積み重ねた。部員間でいろいろな軋轢もあった。 しかし結果として全くの無名だった高校が県大会で準優勝する事ができた。目標を持って必死になって何かに打ち込めば必ず結果は伴う。そのことをこの時はじめて体を持って知った。高校時代は佐竹の価値観に大きな影響を与えた時代だった。 しかし、そのかけがえの無い時代を部長として牽引していた男が、重大事件の被疑者として現在捜査の対象となっている。 ―何かの間違いかもしれない。 どうしても受け入れがたい。本当にあれは一色なのだろうか。だが高校時代の面影がしっかりと残っている写真に写った彼の表情から考えると同一人物と考えるのが妥当だ。 佐竹は自分の気持ちの整理ができないでいた。村上には突き放した発言をしたが、それは自分の混乱ぶりが表面に出ただけのこと。さっきの発言のように振る舞うことが自分にとってできる唯一の事だともわかっている。一色とは高校卒業時から一切連絡も取っていないし、その方法も持ち合わせていない。そんな疎遠な関係である人間のことを親身になって考える事ができない。村上は絆と言った。絆をもってそこまで一色の事を考える事ができる村上が羨ましくもあった。 ―赤松や鍋島はこの事をどう思っているのだろうか。 佐竹は自分と村上そして一色と共に写っている残り二人の事を考えた。 振り返ってみれば、あれだけ皆で打ち込んできたにも関わらず、高校時代の剣道部の同窓会のような催しは一度も開いていなかった。 部長の一色の音頭がなかったからという訳でもなく、何となく燃え尽きた感から自然とお互いが疎遠になっていったためだ。佐竹は村上とは偶然クラスが同じだったせいか、部活を引退後も交流を深めていたが他の三人とは学校ですれ違う時に軽く挨拶する程度だった。そんな中でたまにはみんなで集まるという発想も生まれてこず、何となくお互いがぎくしゃくした感じを持ち、そのまま疎遠となっていった。それから赤松とは今から三年程前に偶然、香林坊でばったり会った事がある。そのときに何となく近況等を少し話して連絡先を交換したが、それ以降どちらからも連絡を取っていない。 ―赤松の家は花屋だったな。 自分の得意先にも花屋がいるので、朝早くから夜遅くまで働くその意外なまでの重労働について佐竹はわかっていた。 クリスマスも近くなりポインセチアのような季節ものの花やプレゼント用の花の販売で忙しくなるのはさることながら、葬儀やブライダルを抱えている花屋の多忙さも佐竹も知っている。そういった事情を知っているだけに佐竹は連絡するのに躊躇した。 ―行ってみるか。 どうせ自分は何も用事がない。全くの休みだ。あれやこれとつまらない事を考えているくらいならば、外の空気を吸いに出てみるのも良い。そうすれば少しは気持ちの整理もつくだろう。それに現在の赤松もどんな仕事をしているか知りたくなってきた。 佐竹はタンスの中からグレーのニットと白いシャツを取り出した。若干の湿気を帯びた冬のシャツはそれを着た佐竹の肌に冷たい刺激を与えた。冬の着替えは生地の冷たさに対していちいち身構えなければならないので、大変おっくうである。 佐竹は着替えると残っていたコーヒーを飲み干し、車の鍵をもって部屋を後にした。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 02 May 2019
- 190 - 10,12月20日 日曜日 8時40分 県警察本部本部長室10.mp3 特殊な事件だ。現場の状況報告時からただならぬ緊張感と絶望感が朝の県警を覆っていた。 片倉は深夜の午前1時半に現場に赴いた。深夜の熨子山には闇しか無かった。車を停めて現場である小屋へ懐中電灯の明かりを頼りに向かった。しばらくすると闇夜にくっきりと映し出される寂れた山小屋が目に入ってきた。鑑識が設置した投光器によってそこだけが昼間のように明るかった。 片倉が現場に入って先ず目にしたのは見慣れたセダン型の車輌だった。この車のダッシュボードから一色の名前が書かれた車検証が押収されていた。 現場には被害者のものと思われる足跡とそうでない足跡が残されていた。被害者の足跡はこの小屋の中で消えている。しかし一方の足跡は違っていた。車から降りて小屋の中に入り、二体の遺体を踏みつけた形跡があった。足跡は小屋から20メートル程先に行った県道の傍で消えていた。この途中で消えた足跡は鑑識で分析してみないと誰のものかは分からないが、普通の考え方であれば一色のものであると考えた方が良い。 片倉は小屋の周囲をひととおり自分の目で見た後、その中に入った。長年捜査一課で様々な遺体を見てきた片倉でさえも、その惨状には目を覆うものがあった。 劣化した木造の壁に飛び散った大量の血しぶき。床には血溜まりが出来ている。シートが被せられた遺体を確認すると、その二体ともの顔が無くなっていた。 顔面を鈍器のようなもので激しく殴打されている。もう原形をとどめていない。顔面と頭蓋骨は粉砕され、周囲には脳や肉片が飛び散っていた。 あまりもの状況にそこから目を逸らすと、その遺体の傍らには一枚のハンカチを確認した。これにも片倉は見覚えがあった。 ―部長のものだ。 片倉は二日前に本部のトイレで一色と同じになった。一色は用を足した後で、洗面所でハンカチを口にくわえ手を洗っていた。普段気にも止めないのだが、片倉はこのときだけ何故かそのハンカチに目が止まった。 片倉は一ヶ月前に訪れた自分の誕生日に高校生の娘からプレゼントをもらっていた。海外ブランドの財布だった。娘がアルバイトで稼いだ金で購入したようだった。元来身なりの事には無頓着な片倉だったが、愛する娘が汗水流して働いてプレゼントしてくれたものは身に付けないわけにはいかない。貰った翌日からそれを持って仕事に行った。 いつもの休憩場所である喫煙所の自動販売機でコーヒーを買おうとした時、傍にいた部下に財布について話しかけられた。 「課長、それブランドもんじゃないっすか。」 「ああ、そうらしいな。」 「どうしたんですか、それ。」 「娘から誕生日プレゼントで貰った。」 「それ、かなりいいやつですよ。良い娘さんお持ちですね。」 「そうなんか?」 「ええ、僕なんかも欲しいですけど、なかなか手が出ませんよ。」 このようなやり取りがあったため、それ以来そのブランドの存在に敏感になっていた。一色がくわえていたハンカチにも同じブランドのロゴマークが入っていた。そこで一色とそのブランドのことで二三言葉を交わした。 現場にはこの他にも一色にまつわる遺留品があった。 片倉はそれらのあまりもの遺留品の多さに戸惑いながらも、そのひとつひとつが『この犯行を行ったのは一色である』と自分に語りかけてくるのを受け止めていた。 そして今から10分前の8時半。鑑識からの新しい報告が入った。その報告は絶望的なものだった。 鑑識からの資料に目を通す朝倉本部長を前に片倉は直立不動だった。 朝倉は前頭部が禿げ上がった五十五歳の痩身の男である。目は細く少し垂れていて温和な表情をしているが、その実、眼光は鋭い。資料に目を通す眼鏡の奥に見える彼の目は刑事の目をしていた。 「信じられん。」 朝倉の意見は片倉と同じだった。 「私も信じられません。凶器からの指紋検出は決定的です。」 朝倉は資料を閉じ、しばし無言になった。 「…マル秘の氏名を公表しろ。」 朝倉の目が鋭く光った。 「しかし、察庁からは当面の間はマル秘を特定せずに捜査をしろとの指示ですが。」 この事件に一色が何らかの形で関わっているということは、現場の状況を見て即座に分かった。合計4名の被害者をだす重大な事件であるため、察庁には事件発生当時より逐一連絡を入れていた。察庁からの指示は被疑者を特定せずにあらゆる方面からの捜査を迅速に行えというものだった。 仮に一色が犯人であった場合、現役のキャリア警察官僚が起こした事件となり、それが世間に及ぼす影響は多大なもので、警察組織の信用問題に発展するのは必至である。そのため隠密に捜査をせよとの意図である。 察庁はこういったことは言葉では言わない。被疑者の発表を意図的に伸ばす指示をしたと明らかにされれば、それこそ二重の痛手となる。現場が察庁の意を汲めということだ。 「動かぬ証拠が出ているんだ、やむを得んだろう。」 「ですが本部長。察庁の了解を取り付けねばなりません。」 「それでは時間がかかる。いいからやれ。」 「お言葉ですが、そのような単独行動をすると本部長もただでは済みません。調整はした方が良いかと思います。」 朝倉は立ち上がって窓から外を眺めながら呟いた。 「片倉…お前はどこを向いて仕事をしている。」 「は?」 身内のボロを出さないように、秘密裏に捜査をしていこうという察庁の姿勢を無意識のうちに汲み取り、行動していた自分に気づいた瞬間だった。 「マル秘は現役の警察幹部。拳銃を携行している可能性があるのはお前もよく分かっているだろう。」 片倉は無意識のうちに自分のズボンの継ぎ目を握りしめていた。 「我々警察は市民の生命と財産を守る義務がある。マル秘が危険な凶器を未だ所持している可能性が捨てきれないならば、その公表は当然と考える。」 こちらに振り向いて片倉の目を見て語られる朝倉の意見は筋が通っている。 「確かに我々は警察組織の一部だ。勝手な行動は慎むべきである。だがそれ以上に我々は公僕であるという自覚を失ってはいけない。」 片倉はこれ以上朝倉に何も言えなかった。あまりの正論を聞かされたことで体が軽く震えていた。 「皮肉だが、これはマル秘がよく言っていた言葉でもある。」 朝倉が付け加えたこの言葉に片倉は少し引っかかった。 「では察庁にどのように報告すればよろしいでしょうか。今日の10時頃には松永リジ感がこちらに応援に来ますが。」 「調整は別所部長と俺に任せろ。おまえはそんな事に気を遣うな。先ずは被疑者の確保だ。検問の体勢を強化しろ。」 「了解いたしました。」 片倉は一礼し本部長室を後にした。 部屋にひとりになった朝倉は自分の席に座り大きく息を吐いた。 そして胸元から携帯電話を取り出し、電話帳から一人の男の電話番号を呼び出してそこにかけた。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 25 Apr 2019
- 189 - 9,12月20日 日曜日 10時00分 金沢北署会議室9.mp3 「えーそれでは定刻となりましたので、本日未明および早朝に発見された遺体に関する捜査状況についての記者会見を行います。」 報道記者やカメラで埋め尽くされていた金沢北署の二階にある会議室で記者会見は始まった。主要通信社および新聞社、並びに地方メディアが総出の記者会見。県警始まって以来の大規模な会見の様相だ。 会見席に座っているのは、県警本部長の朝倉と警務部長の別所、そして警務部総務課長の中川の三名である。 朝倉は記者席を見つめ、滑舌良く話し始めた。 「冒頭、皆様に一点謝罪をしなければならない事があります。」 この朝倉のひと言に会見場はしばらくざわついた。朝倉はそれが収まるのを確認して話し始めた。 「我々警察は、迅速な情報の公開を旨としておりますが、本件に関して通報から会見に至るまで十時間という時間がかかった事をまずお詫び申し上げます。」 そう言うと朝倉と別所、中川の三人は立ち上がって記者たちに深々と頭を下げた。 一斉にフラッシュが浴びせられ、そのため会見場内は真っ白になった。 三人は再び席に座り、本部長がマイクを持って再び話した。 「会見に至るまで十時間という時間がかったのは理由があります。これから本件の捜査状況と併せて皆様にご報告申し上げます。」 朝倉はマイクを隣に座っている総務課長の中川に渡した。 「えー警務部総務課長の中川です。本件についてご説明申し上げます。本日午前0時2分。男が小屋で倒れていると付近住民より通報がありました。即座に付近の駐在所並びに所轄へ現場に急行するように伝え、午前0時30分、通報者の保護を致しました。その10分後、所轄警察署の捜査員が合流。現場にて二体の男性の遺体を発見するに至りました。えー片方の遺体は頭を鈍器のようなもので複数回殴打された跡があり、もう片方は頚部を鋭利な刃物で何度か刺された跡が確認されております。二体とも遺体の損壊状況がひどく、未だ身元の特定には繋がっておりません。現在司法解剖を行っておりますので、死因は現段階では特定されておりません。また、同日午前6時半頃、えー本日の事でありますが、熨子山山頂付近を通りがかった男性から男女二名が倒れているとの通報がありました。こちらも現場へ急行し捜査致しましたところ、頭を鈍器のようなもので何度か殴打した跡がある遺体を二体確認しました。こちらについては遺留品の分析から身元が判明しましたのでご報告致します。 遺体の身元は間宮孝和、二十五歳、男性。住所は金沢市鳴和。勤務先は兼六広告株式会社。広告代理店の社員であります。またもう一方の遺体の身元は桐本由香、二十三歳 女性。こちらも間宮と同じ会社に勤務する社員であります。住所は金沢市田上。この二人の遺体の状況は未明に発見された遺体と同じような損壊状況でありました。未明の事件と早朝の事件はその殺人の手口が極めて特徴的で、共通する点が多い事から同一犯の連続殺人事件と判断し、本日午前7時、ここ金沢北署に熨子山連続殺人事件捜査本部を設置。捜査を行っておりました。そして捜査本部設置から30分後の午前7時半頃に犯行に使われた凶器と思われるものが発見されました。ひとつはサバイバルナイフ。もうひとつはハンマーです。鑑識にて分析を行った結果、その凶器のうちサバイバルナイフから犯人のものと思われる指紋が検出されています。」 中川は手元の資料をまとめて、次の資料を用意し大きく深呼吸して続ける。 「未明の殺害現場には多数の物証が残されておりました。犯人が使用したと思われる車輌。指紋等々。しかし、山の中で起こった未明の事件のためそれらを収集し分析するには時間がかかりました。よって今この時間にこの場所での記者会見という形で皆様にご報告となった訳であります。肝心の被疑者に関しては総合的に判断して一名の人間に絞られております。」 中川は冷静に記者たちに対して淡々と発言をしていたが、ここで言葉に詰まった。 それを見た警務部長の別所は中川の方を見て頷く。 中川も別所を見て発言を続けた。 「えー、被疑者の公表を致します。」 中川は一枚のA4サイズに拡大された顔写真を記者席に向けて見せた。 「本名一色貴紀。金沢市在住、三十六歳男性。当警察本部刑事部長であり現役の警察官です。」 一瞬、会見場は水を打ったように静まり返った。続けて周囲は騒然とし怒濤のようにシャッター音が響きフラッシュの洪水となった。われ先にとこの情報をいち早く伝えるために会見場から飛び出していく記者も少なくなかった。 「警察としましては裁判所に対して逮捕令状を請求し被疑者の逮捕に全力を挙げております。」 中川はそう言うとマイクを朝倉に渡した。 朝倉は報道陣をまっすぐ見つめて冷静に話し始めた。 「今程も中川の方から申し上げた通り、現在被疑者として捜索の対象となっているのは、我が県警の刑事部長であります。先ずは地域住民の皆様方にご心配をお掛けしておりますことに深くお詫び申し上げます。被疑者は未だ逮捕に至っておりません。付近を逃亡していることも考えられます。被疑者は警察官故、拳銃を携行している事も考えられます。地域住民の皆様方には、特に外出について充分に注意なされる事を望みます。また、彼と思われる男を目撃した際は近寄らず、速やかに警察まで通報ください。警察は被疑者の逮捕に全力を上げてまいります。地域住民の皆様のご理解とご協力をお願い致します。今般、警察内部からこのような重大事件の被疑者を出すに至った事に対して誠に申し訳ございません。」 朝倉はマイクを置き、再び立ち上がって騒然とする報道陣に向かって深々と頭を下げた。 「えー警察からの事件に関する説明はこれで終了です。記者の方々の質問をこれより受けさせていただきますので、質問のある方は挙手にてお願い致します。こちらから指名致しますので質問してください。」 進行役の職員がこう言うと、会見場の報道陣は一斉に手を挙げた。その中から一名の記者が指名される。 「毎朝新聞の林です。現役警察幹部が起こしたと見られる連続殺人事件ということですが、まず容疑者はどのような人物なのでしょうか。また、国民の治安を守るべき警察という組織から、このような重大事件の容疑者を出してしまったことについて、警察としてどのような責任を取るつもりなのでしょうか。」 これに対して朝倉本部長が答えた。 「えー被疑者である一色貴紀ですが、その勤務実績は極めて優秀であります。また、当警察本部内での評判も良い模範的な人物でした。特にこれと言ったトラブルのようなものも抱えている様子はなく。私どももこの件に関しては慎重に捜査致しました。しかし今回物証等を総合的に分析した結果、彼を被疑者と判断致しました。現在はその逮捕に全力を挙げております。現役の警察幹部が被疑者ということに関しては、過去にも例のない事態であることから正直申しまして非常に困惑しております。また、我々警察の責任に付いてですが、先ずは被疑者の確保が先決と考えております。事件の解決に一定のめどがついた段階で、私としては何らかの責任を取ることを考えております。」 質問は続く。 「東京テレビです。えー冒頭、事件発生から記者会見まで時間を要したことに付いて本部長からお詫びとしてのコメントがありましたが、やはり容疑者が現役警察幹部であるということで警察内の調整に時間がかかったことが要因であると考えて良いのでしょうか。」 この質問には別所警務部長が簡潔に答えた。 「はい。そのように受け止めてくださって結構です。」 「北陸新聞の黒田です。えー事件発生当時から容疑者とは連絡がとれなかったのでしょうか。容疑者である一色貴紀は現役の警察幹部です。連絡がつかない時点で不審だと思わなかったのでしょうか。また緊急時の連絡体勢や職員の所在を把握する点に付いて不備はなかったのでしょうか。」 警務部長の別所は一瞬眉間に皺を寄せた。朝倉の顔を見るとかれは頷いている。別所は朝倉の意図を組んだ形で、一切の情報を包み隠さず報告した。 「警察においては事件発生時には必ず警察無線でそのことを知らせる体勢となっております。この無線は管内の全警察に伝わります。しかし勤務時間外は緊急の場合のみ担当者および責任者に携帯電話で連絡を取ることとなっています。今回事件が発生した当時、被疑者に対して何度も連絡を取ろうと試みました。しかし電源が切られており一切繋がらない状況でした。そこで彼の住居に警察官を派遣しましたが、既に彼はそこにはいませんでした。職員の所在把握に付いては、プライベートに職員同士がおおよそどういう行動をするかをお互いに把握する体勢となっていますが、これにあまり立ち入るとプライバシーの問題等がありますので極めて難しい問題です。当県警では警察官の私用車にもGPSを搭載しその所在の把握を行う計画がございますが、現在のところまだそれは実現しておりません。現在は被疑者が所有する携帯電話から発生される微弱な電波をキャッチすることで彼の位置情報を取得するよう務めておりますが、それも昨日の20時から電源が切られておりその特定には時間がかかる状況となっています。また、連絡がつかなかったことに不審を抱かなかったかとの質問でしたが、不審というよりも一体どうしたんだろうかと、純粋に不思議に思っただけでした。今までの彼の仕事ぶりのなかで、連絡がとれないということは前例が全くなかったからです。」 質問した黒田記者はどこか合点が行かない表情だったが、これ以上質問はしなかった。 この後も質疑応答が続いた。時計が10時40分を指す頃に会見は終了した。 現在警察内において明らかになっている情報を全て公表し、今後も新たな情報が入り次第公表することを約束することで、紛糾するかと思われた記者会見は案外スムーズに終了し、記者たちは会見場を後にし始めた。 会見席に座っていた朝倉たちも席を離れようとしたとき、総務課の職員がこちらに足早にやってきて中川課長に耳打ちした。 「松永理事感が署長室にお見えです。本庁から十名のスタッフを連れてきています。11時から捜査本部で会議を開きたいとのことです。」 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 18 Apr 2019
- 188 - 8,12月20日 日曜日 9時38分 本多善幸事務所8.mp3 「ありがとうございます。これもひとえに支えてくださった皆様のお陰です。」 村上隆二は代わる代わる顔を出す支援者達に平身低頭だった。 「先生にはもっと頑張ってもらわんとな。」 「地域の活性化に全力を尽くしてくれ。」 「夢を現実にして欲しい。」 「次は総理大臣やな。」 などと様々な要望を本多の代わりに村上は受け止めた。 支援者の大半は建設業界関係者。今回の本多国土建設大臣誕生は多いに期待するところである。 折からの不況と公共工事の予算削減の中、この業界では極めて厳しい風が吹いている。 当選当初から本多善幸は北陸新幹線建設促進会に参画。石川、福井、富山、新潟、長野、群馬の各県の代議士や自治体の首長たちと連携をとって長年政府に働きかけを行ってきた。そして民政党幹事長時代に着工にこぎ着けた。 ついに今回政府の公共事業部門のトップに上りつめた。今後はこの超大型事業の流れを絶やさぬよう、迅速にそして確実に工事を進めて行く。それが彼の議員人生の集大成でもある。いまこそこの公共事業を通じて財政出動を行い、デフレに陥ってしまった経済状況に刺激を与える。財政再建路線によって活力を失いかけている地域に元気を取り戻させ、新たな雇用も創出するのだ。 これが大義名分だ。考え方は決して間違ってはいない。 だがそのようなマクロ的な視点を支持者は期待しているわけではない。目先の仕事にありつけるかどうか。これが関心事であった。 つまり、 「先生にはもっと頑張ってもらわんとな」という言葉は「もっと地元に仕事を回してくれ」ということでもある。 また、「地域の活性化に全力を尽くしてくれ」は「国の税金を地元に落とすよう全力を尽くしてくれ」ともとれる。 「夢を実現してほしい。」の夢は国民総意の夢というより、むしろ北陸新幹線整備に関わる特定業者および関係団体の夢と置き換える事が出来る。 また「次は総理大臣。」という声はそれに就任する事で、この計画の更なる予算充実を図って欲しいとなる。 国会議員は国民の代弁者という。しかし支援者と言われる人間のほとんどが特定の業界関係者であり、議員自身も必然的にそういった連中とばかり顔を会わせる事となる。実情がそうだから世間一般では「国民目線での政治」と言っても説得力は無いに等しい。一部の人間の代弁者としての色彩が濃くなるのである。 村上は国会議員の秘書という仕事を通じて、そのギャップを肌身で感じていた。彼は彼なりの理想を抱いて地元選出の衆議院議員である本多の門を叩き政治の世界に飛び込んだ。しかし現実は厳しいものだった。愛犬の世話や家の掃除等の身の回りの世話から始まる秘書生活はまさに丁稚奉公だった。独特の閉鎖的社会における人間関係にも苦労をした。そんな中、彼はある段階で私心を捨てて働くことを決意し、自分の信条をねじ曲げてでも本多のために様々な策を講じて尽くすことにした。それもこれも自分の信ずる大義を実現するためだった。 秘書になった当初の三年間は苦悩と葛藤の日々で何度も逃げ出そうと考えた。しかし気づけば秘書歴十二年。同じ秘書の中では異例の早さで二年前から選挙区担当秘書を任されている。選挙区担当秘書の働きは議員の当落を決定する極めて責任が重いポジションだ。村上は目的を完遂するために、地元において後援会組織等を統括し本多の分身として振る舞い、時には彼の影となり本人では出来ない汚れ役も進んでやってきた。 「先生はいつ金沢に戻られるんだ。」 支援者のひとりが村上に尋ねた。 「はい、本多は一刻も早く皆様にご挨拶を申し上げたいとの事で本日16時にこちらに駆けつけます。」 「そうかそうか。」 満足そうに男は大きく頷いた。 本多の支援者は自分が本多善幸という議員を作り上げてやったと思っている人間が多い。だがそういう者に限って政治資金の寄付はたいしたことは無いものだ。こういった人間は自尊心が非常に強い。常にこちらは下手に出て相手を持ち上げるに限る。 「そのことはちゃんと後援会に伝わってとるんか。」 ―この男は仕切りたいタイプか。ならば先に謝っておいた方が良い。 「大変申し訳ございません。そのことは今日の未明に決まったことなので未だ連絡は致しておりません。ただちに各後援会に連絡させていただきます。」 「うむ、わかった。わしも皆に連絡しよう。」 その男が事務所を後にするとぱったりと来客者はなくなった。来客者の第一波が過ぎたようだ。村上は事務所の休憩室へ向かい、そこに用意されているソファに深く座った。 「ふぅ。」 自然と声が出た。しばらく天井を見つめた。そして目を瞑る。一瞬で睡魔が彼を襲ってきた。村上はそれを払いのけるように立ち上がり、テーブルにおいてあるリモコンを使ってテレビをつけた。 テレビでは「ひとり千円で目一杯楽しむクリスマス」なる特集をしていた。 クリスマスと言えば一年で一番財布の紐が緩むと言われる時期である。近年の経済不況は国民生活に影響を与えており、クリスマスにおいてもそれは例外ではなかった。 ―だったら無理してクリスマスなんかしなくていいじゃねぇか。 どうにかこうにか消費マインドを喚起させようとするメディアの特集内容に村上は呆れた。 ―おめでてぇな。 村上は大のマスコミ嫌いだ。そしてその嫌いな連中が流す情報に踊らされる一部の人間も忌み嫌った。村上は情報の受け手に思考をストップさせ、世論を意図的に形成できる力を持つテレビという媒体を特に嫌っている。 特集は東京で今年注目の格安クリスマス商品とイベントを数点列挙して終了していた。 「えー、ここで再びニュースをお届けします。捜査本部が置かれている金沢北署の氏家さんと中継が繋がっていますので呼んでみたいと思います。」 メインキャスターはそう言って画面が中継現場に切り変わった。画面の左上部の小さな画面にメインキャスターの顔が表示されている。氏家というリポーターは金沢北署をバックにマイクを持って立っている。 ―はぁ?北署じゃねぇか。何があったんだ。 村上は見覚えのある風景がテレビに映っていることに驚いた。 「氏家さん。その後新しい情報は入りましたか。」 リポーターはそれに答えた。 「はい、私は現在今回の事件の捜査本部が置かれている金沢北署の前にいます。ご覧の通り、記者会見が行われる十時を前にして各局の報道陣が続々とこちらに集まっている状況です。私ども報道関係者には事件の概要は事前に警察側から伝わっていますが、今回重大な発表があるとのことで十時の記者会見を待っている状況です。」 画面左上のメインキャスターがリポーターに尋ねる。 「氏家さん。重大な発表があるということですが具体的にどういった発表であると思われますか。」 「はい。えーおそらく事件の捜査について大きな進展があったと思われます。それは会見で明らかにされることと思いますので、現在のところその詳細に付いては未だ解っておりません。」 「そうですか。氏家さん、今回の事件は凄惨なものですが、地元の皆さんの様子といったものはどうでしょうか。」 「はい。今回合計四名の被害者が出ているとのことで、ここ金沢市においては過去に類を見ない重大な事件で、地元住民の間では不安の声が上がっています。ある六十代の地元住民は『信じられない。こんな地方都市でもこのような事件が起こるとは思っていなかった。今後は外に出歩くのを控えようと思う』と言っていました。」 ―なんだ、なにが起こったんだ。 この時点で村上の眠気は吹き飛んでいた。 「そうですか、ありがとうございます。また新しい情報が入りましたらお伝えください。」 右上のワイプに収まっていたメインキャスターは全画面で表示される。 「えー今日金沢市で四体の遺体が発見された事件に付いてお伝えしました。記者会見の模様は随時お伝えしていきます。では次はスポーツの話題です。」 村上はテレビを消した。 ―マジかよ。でかい事件だな…。被害者は誰なんだ。 村上は踵を返して仕事場に戻り、詰めているスタッフに事件が発生したことを伝え、被害者が明らかになった時点で、弔電および弔問の手配を行うよう指示した。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 11 Apr 2019
- 187 - 7,12月20日 日曜日 9時08分 佐竹宅7.mp3 朝目覚めると佐竹は激しい頭痛に襲われた。今になって昨日の痛飲の反動がやってきた。せっかくの休日だが、このまま眠っていてもいい。 休日故デートといきたいところだが、あいにく今は相手がいない。 この年齢になって地方都市での独身生活というものは結構応える。周囲は殆ど皆結婚しているし、気安く誘う訳にも行かない。それにこれと行った用件もないし娯楽も無い。 昔は特に用事もなく気の合う連中が集まってドライブに出かけたり、街へ飲みに繰り出していたが、不思議なもので年齢を重ねると友人を誘い出すのに大義名分が必要になってくる。結婚し子供がいるような家庭ならばなおさらの事だ。 佐竹は昼過ぎまで再び寝ようとした。 目を瞑ったがなかなか眠りにつけない。追い打ちをかけるように自分の脳がいろいろなことを勝手に考え始めだした。 二十四時間後には一週間が始まってしまう。有限な時間は自分にとって有益に使わなければ損だ。惰性で生活していては現状からの変化は望めない。 昨日、後輩である服部の結婚式に参加していて自分がそう思った事を思い出した。 どういった変化を望むのか。仕事のスキルアップかそれとも結婚か。 しばらく考えたがこの二つしか頭に浮かばない。そんな自分に落胆したが、これが自分だと割り切った。 どちらも望むところだが、仕事において佐竹は順調だ。金沢銀行に入行して14年。現在駅前支店の支店長代理になっている。別に猛烈に仕事に取り組んできた訳ではなく、資格試験を積極的にパスしてきた訳でもない。ただ単にこの金融機関の仕事が自分に合っていた。結果、今日がある。特に野心を持ち合わせていない佐竹には、これ以上仕事に求める事は無い。 ―となると結婚か。 しかし正直、結婚願望は無い。それをする事で何が幸せなのか解らない。昨日の結婚式で新郎の服部が新婦を一生守っていくと言っていたが、そのような全責任を請け負う気持ちを女性に対して持った事が無い。 不確かなものを婚姻届という契約と扶養という義務で形式上確かなものにする。そういった事でしか結婚の意味を汲み取る事ができない佐竹には、それは将来の人生設計の担保にすらならないと考えていた。 ―(結婚は)無いな。 次から次へと自問自答してしまうこのような状態では眠りにつくことなどできない。寝る事を諦めた佐竹は体を起こして洗面所に向かった。おもむろに歯を磨き始め、ブラシをくわえたままリビングへ戻りテレビのスイッチを入れた。テレビでは全国ネットの朝の情報番組が流れていた。 金曜日に行われた内閣改造による新しい顔ぶれの紹介をメインキャスターが報じ、数人のコメンテーターがそれに対して論評していた。彼らは新鮮味がないとか、旧態依然とした顔ぶれ、派閥均衡人事、お友達人事と好き放題に論評している。確かに六十代後半以上の世代ばかりで構成されたこの内閣に新鮮味はない。話題性が特にないこの内閣改造で敢えて注目するならば、石川県出身の代議士本多善幸が国土建設大臣に就任したことだろうか。 本多は当選六回の与党民政党のベテラン議員であり、時期総裁候補と目される人物でもある。 この本多は佐竹にとって全く関係のない人間ではない。彼は佐竹が勤務する金沢銀行の専務取締役の本多慶喜の実兄でもあるからだ。 政治に全く関心を示さない佐竹であったが、本多の動きは注視していた。確かに役員の実兄であるという事情もあるが、それよりも佐竹の親友である村上が本多善幸の選挙区担当秘書を勤めていたためだ。 ―国土建設大臣か…。 国会議員の本多善幸と金沢銀行の本多慶喜は金沢の総合建設業「マルホン建設株式会社」の創業者である本多善五郎の息子である。 マルホン建設は公共事業を主とした建設土木工事を生業としている。5年前より政府は財政再建路線の立場を取り、公共事業の見直しを図っている。この政策の影響をもろに受けたのは建設業界だった。契約金額は減少し、受注量も激減した。今までに財務状況が悪化し数々の会社が倒産した。マルホン建設の財務状態も例外ではなく、二期連続の赤字といった状況だった。 そのなかで突然、この日本全体を不況の波が襲った。これは建設業界にとってはダブルパンチだった。今までに無いスピードで会社の倒産が続いた。 このまま財政健全化を加速させていくと、さらに建設業界は危機的な状況に陥ってしまう。建設業界の望みはこの政策転換であった。 マルホン建設は佐竹の勤務する金沢銀行駅前支店の顧客。佐竹はこの会社の担当者でもある。融資の実行の権限等は当然支店長以上の役席にあるが、佐竹も現場でその財務諸表に目を通しているので内情は解っている。また、マルホン建設に主として訪問するのは佐竹なので、会社内の雰囲気は誰よりも彼が知っている。 現在、金沢銀行のマルホン建設における債権の一部は貸出条件緩和債権となっている。金沢銀行における自己査定区分では要注意先であるが、今後の業況によっては破綻懸念先へと格下げしなければならない厳しい状況にあった。慢性的な債務超過体質がマルホン建設の財務状況を圧迫している主たる要因で、その状況下で業績不振と不況の波が重なってくると先は見通せない。 今回の新内閣においては従来の財政再建化路線を一旦中止し、積極的に財政出動して公共事業を行う事で、景気浮揚を図るという政策転換を唱えていた。 この流れの中でマルホン建設の創業者の息子が公共事業の総元締である国土建設大臣に就任したことは意味深い事だった。 ―これでマルホン建設に仕事が流れるチャンスが出てきた…か。 再び洗面所に戻って洗顔をする。真冬の冷たい水道水は佐竹の顔面を引き締める。 ―村上も大変だな。 顔を拭き鏡に映る自分の姿を見ると、頭のあちらこちらに白髪を発見した。それを二三本抜き取ったが、次々に発見されるそれには無駄な抵抗だとあきらめた。 「たった今ニュースが入りました。報道フロアからお送りします」 自分の頭髪に気をとられていた佐竹は振り向いてテレビに目をやると、ひとりのアナウンサーが複数のモニターが並ぶ報道フロアを背に立っていた。報道フロアではスタッフが慌ただしく走り回っている。 「本日未明、石川県金沢市の山中で二体の遺体が発見されました。また、その6時間後の午前6時半頃にも付近で男女二名の遺体が発見され、警察としてはこれらを何らかの関連があるものとして捜査をしています。」 アナウンサーがそういうと画面が代わった。 鑑識と思われる捜査員が暗闇の中、小屋の周辺でフラッシュを焚いて撮影する姿や、指紋を採取する様子、鑑識同士が話す映像が流れた。 アナウンサーはその映像を補うように原稿を読む。 「本日未明、付近住民の通報から石川県金沢市の北東部にある熨子山山中の小屋から男性二名と思われる遺体が発見されました。遺体には数多くの傷が確認されており、警察は二名の身元を調べると同時に彼らが何らかの事件に巻き込まれたものとして捜査をしています。また、それから六時間後の午前六時半頃、始めに遺体が発見された小屋から車で十分程先にある展望台に男女が倒れているとの付近を通りがかった人からの通報により、新たに二体の遺体が発見されました。警察では始めに発見された遺体と、その後発見された遺体の損傷状況が似ている事から、その関連についても捜査本部を設置して捜査をしています。」 映像は一旦終了し、報道フロアのアナウンサーの画面に切り替わった。追加の原稿が画面の外のスタッフからアナウンサーの手元に手渡される。 「えー、警察ではこの事件に関して本日十時から記者会見をするとの事です。本日金沢市の山中で起きた事件に関して十時から記者会見を行う予定です。以上ニュースを報道フロアからお伝えしました。」 画面が先ほどの情報番組に変わる。 「はい、ありがとうございました。えーこの事件に関しては新しい情報が入り次第、番組内でもお伝えしていこうと思います。」 メインのアナウンサーは情報を整理し、席を並べるコメンテーターにたった今入ったニュースについての意見を求めて次のクリスマス特集へと移った。 ―おい、ちょっと待てよ。ここ(金沢)の事じゃねぇかこの事件…。 佐竹は自分の住んでいる地方都市で、全国ネットの情報番組に割り込んで報道される事件が起こったことに驚きを隠せなかった。 しかも事件現場である熨子山は佐竹が住むアパートから車で15分程の距離にあり、そう遠くない。 「気持ち悪いな…。」 普段と全く変わらない平和な休日が、たった今伝えられた情報によって佐竹をえも言われぬ不気味な空気で覆った。しかしそれはしばらくして無くなった。テレビというフィルターを通して生成され伝わってくる情報はどこか遠いところの情報のように感じられる。 情報が一方的であるためだろうか。確かに身近で起こった事件であるという認識はあるが実感が湧かない。 佐竹はいつもの休日と同じくトーストとコーヒーを用意した。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 04 Apr 2019
- 186 - 6,12月20日 日曜日 0時58分 金沢市北部6.mp3 金沢市北部の学生街。表通りから少し裏に入ったところにアパートが何棟か建っている。この中に築8年、地上二階建て、1LDKの部屋が各階にそれぞれ二室ずつ用意されているアパートがある。佐竹は代行運転を利用して自分のアパートまでたどり着き、二階にある自分の部屋に向かって階段を登った。 先ほどまで佐竹は勤務先である金沢銀行駅前支店の後輩の結婚式に参加していた。二次会にも参加し、その酒量はかなりのものだったが彼の足取りはしっかりとしていた。 自分の部屋のドアに設置された郵便受けには新聞紙が突き刺さったままだった。鍵を開け部屋に入り佐竹はそれを抜き取った。特別なことではない。いつものことだ。これから時間があれば復習のために新聞を読む。時間がなければゴミ。基本的に情報は勤務先の新聞かネットで入手できる。そう考えると特に新聞も必要がないのだが、一応社会人としてのたしなみとして購読しているに過ぎない。必要性をあえて挙げるならば、死亡欄で得意先に不幸が無いかの情報を得ることぐらいだった。 部屋の電気をつけると極端に物の少ない彼の部屋が明らかになった。白い壁にかけられた時計の時刻は1時を回ろうとしていた。佐竹は手に持っていた新聞紙と携帯電話をテーブルの上に置いて纏っていたコートを脱ぎ、キッチンでコップ一杯の水を一気に飲み干した。冬の水道水は凍てつく冷たさで、少々の頭痛を覚える。 「36だってのに俺は…。」 誰に言う訳でもなく自然と言葉が出た。と、同時にため息が出た。 スーツを脱ぎ、いつでも眠れる服装になった佐竹はベッドに横になった。彼の視線の先には棚の上にある一枚の写真があった。高校時代の部活動の写真だ。佐竹は高校在学時剣道部に所属。県大会で準優勝の成績を収めた。高校まで何かに打ち込む事を経験した事が無かった佐竹にとって、仲間と苦楽を共に過ごし、ひとつの目標に向かってひたすら挑戦した時間は彼にとって深く印象に残っている。佐竹はしばらく遠くにあるその写真を見つめた。そして深く息をついたあとシーツに顔を埋めた。 このまま眠りについてもかまわない。佐竹は目をつむった。 その時、テーブルの上に置かれた携帯電話のバイブレーションが作動し、意外に大きい振動音が部屋に響いたため佐竹は目を開かざるを得なくなった。 ―誰だ、こんな時間に…。 不意を討つ音に不愉快な表情で起き上がり、テーブルの方へ手を伸ばすと、その振動は収まった。このタイミングの悪さに佐竹はますます不愉快になりながらも、誰からのものか確認をするために折り畳まれていたそれを開いた。 液晶画面には『不在着信1件』の文字があった。確認ボタンを押すと見覚えの無い電話番号が表示されていた。名前が表示されていない事から、間違い電話であろうか。いたずらならば非通知でかかってくる。どうせ電話帳には未登録の番号である。佐竹は無視を決め込んで再び横になって眠りについた。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 28 Mar 2019
- 185 - 5,12月20日 日曜日 0時23分 警察本部通信指令室5.mp3 「現場の状況はどうだ。」 一課の捜査員の指示を終えた片倉が通信司令室に乗り込んで来た。 「そろそろ熨子駐在所の人間が通報者に接触する時間です。」 片倉は空席になっている司令室のキャスター付きの椅子を転がして、司令官の傍に座りモニターを覗き込んだ。 「通報から何分や。」 片倉は端的に司令官に質問をする。 「通報時刻は午前0時02分。こちらから指令を出したのが0時16分。正味20分ですか。捜査態勢を整えるために時間がかかっていますが、深夜という状況を加味すれば良いタイムです。」 司令官は冷静である。時々、片倉と会話をしながら、淡々と的確な指示を関係各所に出し続ける。そこに現場から無線が入った。熨子駐在所の鈴木からである。 『たった今通報者と接触。通報者はひどく怯えている様子。応援が到着次第、通報者の保護と同時に現場に向かいたい。』 所轄が現場まで10分の位置にいることを確認した司令官は、頷く片倉を見てとりあえずその場で待機するよう指示を出した。とにかく現場の状況を一刻も早く、正確に掴まなければならないが、先ずは通報者の安全保護を優先しなければならない。 通報から現在に至るまでの流れは迅速だ。仮に大きな事件に発展したとしても、マスコミに初動の不備は指摘されまい。片倉は少し息をついて胸ポケットから携帯電話を取り出した。発信履歴を見ると部長の一色の名前がずらりと並んでいる。ー ―部長は俺を試しているのか? 緊急時に一色と連絡がつかないことはこれまでになかった。 確かに一色は自ら捜査現場に赴いて単独で捜査を行う事があった。しかしその際には、必ず部下である片倉に捜査指揮を一任する旨を伝えてから行動を起こしていた。 しかし今回は違う。はじめてのケースだ。 緊急時に上司と連絡がつかないことは組織として極めてマズい。今のこの状態を誰かが気づき上層部に報告でもされれば、上司の行動把握を怠っていたという事で自分に何らかの処分が下るかもしれない。 ―今までこっちはあんたの鬼捜査につき合わされて振り回されてきたっちゅうげんに、肝心な時の連絡ミスなんかでお咎めなんてごめんやぞ。 片倉は携帯をしまって両腕を組み、右足を小刻みに動かして自分の腕時計を睨め続けた。 『こちら北署刑事課の岡田です。たった今、通報者を保護。これより現場に向かう。』 片倉は頷き、それを見た司令官は「了解」とだけ応えた。 「本部の人員は何分後に現着する。」 「正味15分といったところですかね。」 ―まさか部長は先に現着しているわけじゃねぇやろうな。 「念のために聞くが。」 「どうしました。」 「通信指令室は全ての県警関係車輌の位置関係を把握しとるんやったな。」 「はい。ですが私用車はこの限りではありませんよ。」 片倉はしばらく考えた。 昨年、一色は刑事部の部長になってから、非常時に管理者と連絡がとれない事態を避けるために、部長級以上の私用車にもGPSを搭載して不測の事態に備えるように本部長に働きかけていた。しかし、プライバシーの問題を解決できていないため、その計画は県警本部内において頓挫していた。 ―確か部長はデモとして自分の車にGPSを付けとったような。 片倉は司令官の耳元に顔を寄せた。 「おい。」 「何でしょうか。」 「部長がデモで載せた私用車のGPSは有効か。」 「有効だと思いますがまだ本採用されたシステムではありません。ですから運用はできません。」 ―この堅物が。 片倉は力を込めて奥歯を噛み締めた。 「いいから部長の私用車がどこにおるんか教えてくれ。」 「だめです。」 「一色部長はどこにおる。」 「知りません。刑事部に居られないのですか。」 上司の居所を理由も無く探ろうとする片倉を司令官は不振な目で見た。 『所轄、現着。これより建物に入る。』 現場から無線が入ると指令室に緊張が走った。 片倉はGPSの件はあきらめ、司令官に音声の入力を自分の目の前にある卓上マイクに変更するように指示する。司令官は手元のスイッチャーを手慣れた手つきで操作し片倉に繋いだ。 「本部捜査一課の片倉だ。万が一の場合も考えられる。十分に注意して入れ。」 『了解しました。』 卓上マイクのヘッドの部分を下に向けて折り曲げ、片倉は椅子の背もたれに身を預けた。 ―コロシかそれとも心中か。 警察の仕事に優劣は付けたくはないが、この時の片倉は後者の結末を願っていた。無理心中ならば事は大きくはならない。上司と緊急時に連絡が取れなかった点は、警察内部で処理する事ができる。問題は前者の場合だ。殺人事件という重大事件が起こっている時に責任者と連絡が取れないというのは、極めてマズい。 捜査態勢の不備が露見すれば、県民の警察に対するイメージは著しく低下する。ましてや捜査が長期化すればなおさらの事である。 『こちら本部捜査一課。あと5分で現着。』 本部の人員から無線が入ったところで片倉は自分の悶々にひとまず区切りを付け、マイクに口を近づけた。 「現場には所轄の人間が先に入っとる。お前たちも直ちに合流して現場を押さえてくれ。」 『了解。』 ふと現場にいる所轄の鈴木と岡田が気になった。 建物に入ってから3分の時間が経過している。通報から現場である建物は山小屋と聞いている。すぐにも遺体の状況等が報告されても良いものだが、それはまだ無い。 「こちら本部。現場の状況はどうだ。」 反応がない。10秒経過するのを待って、片倉は再び呼びかけようとした。矢先、現場から無線が入った。 『こちら現場。2体の遺体確認。』 その報告の声には力がない。無理もない、この地方都市で一度に複数の遺体を目にする事件はそうそう無い。よってこの手の状況にはあまり免疫は無いである。 片倉は遺体の状況を分かる範囲で報告するように指示した。 『それが…。』 「どうした?」 『顔が無いんです。』 「何?」 『両方とも…顔が無いんです。』 「どういうことや。顔が無いなんて意味が分からんが。」 片倉は怪訝な顔をした。 『顔面を凶器か何かでぐちゃぐちゃにされています。原形をとどめていません。』 岡田の報告に通信指令室は凍りついた。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 21 Mar 2019
- 184 - 4,12月20日 日曜日 0時30分 県道熨子山線4.mp3 熨子町の集落を過ぎて細い車道を猛進して行くと、路肩に一台の軽トラックがアイドリングをしたまま止まっていた。 鈴木は車をその後ろに止めた。 軽トラックの運転席に男らしき人影が確認できた。おそらくこの男が通報者なのだろう。鈴木はエンジンを切り、助手席に備え付けていた懐中電灯を手に取ってパトカーを降りた。 「こんばんは、警察です。」 白い吐息を出しながら、彼は運転席側の窓をノックした。しかし、反応がない。続けて鈴木は懐中電灯で運転席を照らした。そこには熨子町集落の住人のひとり、塩島一郎が確認できた。 畑仕事や犬の散歩、冬にはスキーに出かけたりするせいもあって、七十歳とは思えぬ若さを保っている塩島の表情には生気が無かった。彼は一点を見つめ、体を小刻みに動かしていた。 「塩島さん、大丈夫け!」 鈴木はドアノブに手をかけた。しかしそれはロックされている。 「塩島さん!鈴木です!駐在所の鈴木です!」 鈴木はさらに激しくドアを叩いた。運転席に座っている塩島がこちらの方をゆっくりと見た。 「塩島さん…ドアを開けてください。」 塩島は震える手で運転席側のロックを解除した。すぐさま鈴木はドアを開けた。車内のエアコンは全開でかかっていたのか、熱風が車外に漏れて来た。しかしそのような車内温度にも関わらず塩島の震えは止まらない。 ―ただ事ではない。 「塩島さん。さっき警察に通報したけ。」 鈴木は塩島に話かけた。 彼は小刻みに震える体全体を使って頷いた。 「塩島さんが見たっちゅう山小屋って、どこにあるんかね。」 塩島はかすかに震えた声で言葉を発した。 「置いていかんでくれ…。」 両手で顔を覆い、極寒の地に全裸で放り出されたかのごとく、体を大きく震えさせた。 この男は凄まじい恐怖に襲われていて、とても冷静に物事を話せる状況に無い。鈴木はそう判断した。 ―こんな状態なのによく警察に通報したものだ。 ひとまず彼に安心感を与え、現在最低限聞かなければならないことだけを聞き出そう。そう鈴木は判断した。 「塩島さん。大丈夫や。もうちょっとしたら本部から応援来るさかい、心配しせんでもいいよ。」 塩島は自分の顔を覆っている指の隙間から鈴木の顔をみた。 「ほんで、その小屋ってどうやっていけば良いんけ。応援が来たら確認しに行くさかい。」 塩島は未だ震える右手でもって暗闇を指した。彼の指す先の舗装されていない濡れた地面にはタイヤ痕が残っていた。その土の生々しさから推察して、塩島が自分の車でこの先にあると思われる小屋へ行ったのだろう。 「この先ねんね。」 鈴木が確認すると彼は小さく頷いた。 「ここからその小屋まで大分時間かかるけ。」 塩島は僅かに首を振る。 鈴木はパトカーに戻り、通信指令室へ無線を繋いだ。 「こちら熨子駐在所の鈴木です。たった今通報者と接触。通報者はひどく怯えている様子。応援が到着次第、通報者の保護と同時に現場に向かいたい。」 『了解。間もなく所轄の捜査員が到着する。通報者の保護をされたい。』 10分後、2台のパトカーが到着した。1台につき2名の合計4名の応援だ。 「お疲れさまです。北署の刑事課、警部補の岡田です。」 捜査員のひとりが鈴木の方へ寄って来て敬礼をした。 「熨子駐在所巡査部長の鈴木です。」 鈴木も応えるように敬礼し、挨拶をする。 「現場がどこなのかは聞き出しましたが、通報者がひどく怯えています。先ずは彼の保護が先決かと思います。」 鈴木は岡田に提案した。 「了解。ウチの若い者に保護させます。」 そう言うと岡田は捜査員の2人に通報者をパトカーの後部座席に乗せるよう指示した。そして携帯無線機で通信指令室に無線を繋いだ。 「こちら北署刑事第一課の岡田です。たった今、通報者を保護。これより現場に向かう。」 『了解。』 「では鈴木巡査部長。行きましょう。」 岡田はパトカーの後部座席にあるコートを見に纏い、トランクに入っていた懐中電灯を取り出した。 「通報者によると、この小道の先に現場があるようです。」 鈴木は小道に光を当てた。 二人はタイヤ痕が残る小道の先を歩き出した。先頭の鈴木は道の先を照らし、後方の岡田は足元を照らす。小屋への道は車の轍によってかろうじて残っているような悪路であった。懐中電灯が照らす先以外は漆黒の闇。聞こえてくるのは自分たちの足音のみ。深夜の山の冷たい空気はコートに包まれた体をちくりちくりと刺してくる。薄気味悪い小道を5分程進んだだろうか。2人は少し開けた場所に出た。 「あれか。」 10メートル先に二間半ほどの間口の小屋が建っている。奥行きもありそうだ。小屋の傍にはセダン型の乗用車、そして一台の原動機付自転車が止まっている。二人は息を殺して慎重に小屋に近づいた。 口の中に溜まってきた唾液を飲み込むとその僅かな音さえ、この開けた場所に響いてしまうのではないと思う程、この場は静寂に包まれている。 小屋は木造のものであった。屋根はトタンで葺いてある。随分と前からこの場所にあるような風化具合である。小屋を形成する朽ちた木材を間近で照らすと、以前はペンキかなにかで白く塗装されていただろうと思われる痕跡が確認できた。 鈴木は入口であると思われる引き戸を懐中電灯で照らした。握りこぶしひとつ分程開いている引き戸。えも言われぬ緊張感が彼らを襲った。鈴木の一挙手一投足を傍で見ている岡田は、その張りつめた雰囲気に飲み込まれないように注意しながら無線を入れた。 「所轄、現着。これより建物に入る。」 岡田がそう言うと、鈴木は引き戸に手をかけた。二人ともお互いの鼓動が聞こえるかと思える程、自己の心臓が激しく活動している。 『本部捜査一課の片倉だ。万が一の場合も考えられる。十分に注意して入れ。』 「了解しました。」岡田は鈴木の目を見て合図した。 鈴木は頷き勢い良く引き戸を開いた。 すぐさま二人は懐中電灯で暗闇の内部を照らす。直線的な光の線が室内を探る。二本の光の先が一点に集中し動きを止めた。そこで目に飛び込んで来た状況に二人は愕然とした。 「なんだ…これは…。」 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 14 Mar 2019
- 183 - 3,12月20日 日曜日 0時03分 県警察本部刑事部捜査二課3.mp3 課長補佐の古田は捜査資料に目を通していた。 短く刈り込んだ髪。顔に深く刻み込まれた皺。タバコのヤニで黄色くなった歯。ゴツゴツとした岩のような手。 一見ヤクザかといった荒削りの風貌の男だが、彼が属しているのは会社犯罪や贈収賄、詐欺といった知能犯を取り扱う捜査二課。その風貌から連想される部署とは真逆の非常に神経と頭を使う部署である。 その道30年のベテラン刑事で、警察内では関わった事件は執念で必ず解決するところから「スッポン」の異名をとっていた。 仕事一筋でそれが趣味でもある古田にとって深夜まで捜査資料に目を通す事は全く苦にならない。彼はひとつひとつ丹念に捜査資料をじっくり分析していた。 ふと壁に掛かっている時計を見ると時刻は0時を回っていた。 「ちょっと休憩してくるわ。」 同じ部署の当直勤務である部下にそう言うと、古田は喫煙所に向かった。 ―一課が騒がしい。 喫煙所へ向かう途中、いつもはこの時間には静かな捜査一課に捜査員が数名、慌ただしく入室して行く様子を横目で見て、彼は何かを感じた。 古田は深夜の喫煙所がお気に入りだった。窓の外から見える金沢の夜景と静寂。無糖の缶コーヒーと煙草のベストマッチが彼の脳に安らぎを与えてくれる。ひと時の休息が捜査への更なる闘志をみなぎらせてくれた。 煙草に火をつけ今までの捜査を自分なりに頭の中で整理しようとした時に、捜査一課課長の片倉がやって来た。 「おう、トシさん。」 片倉は自分より5歳年上の古田に挨拶をした。役職は古田より上であるが、片倉と古田は旧知の仲であるため、二人の間には堅苦しい上下関係は無いに等しい。 「どうした、何かあったんか。」 古田は意外そうな声で片倉に言った。 「ホトケさん二体発見。ということで今来たところ。」 「どこで。」 「熨子山。」 「心中か。」 「わからん。とにかくすぐ現場に捜査員を派遣しないと。今はその前に気合いを入れる一服。」 そう言うと片倉は胸から煙草を取り出し、火をつけた。 「また部長の鬼捜査やな…。」 苦笑いを浮かべて古田は缶コーヒーの蓋を開け、それに口をつけた。 「ああ、そうだな。」 片倉と刑事部長の一色は反りが合わなかった。 一色は東京の国立大学から国家公務員一種試験をパスし、警察庁に入庁したいわゆる警察キャリア。ここ県警察本部には4年前に配属となった。 当初は捜査二課の課長であったが、昨年警視から警視正となり捜査一課、二課、組織犯罪対策課、鑑識課を束ねる刑事部長となった。 年齢は三十六歳であり、その昇進スピードは早い方である。 しかし、彼の捜査手法には多くの問題点があり、その強引さに対しては警察内部でも批判があった。 法律上問題であるおとり捜査を行ったり、時折単身で現場を押さえるような行動があった。 管理者という立場であるにもかかわらず現場に直接介入するし、スタンドプレーも目立つ。こんな上司がいては現場捜査員から批判が出てもおかしくない。 そんな問題を抱えるキャリアも結果は出していた。 捜査二課は知能犯との戦いである。知能犯というものはプライドが高い人間が多い。 一色はこれらの参考人や被疑者の取り調べに自ら臨むことがあった。その彼の取り調べは見事だった。決して直接的な言動は使わない。遠まわしにじわじわと攻める。まるで真綿で首を絞めるように。ときには柔らかく包み込むように、時には非情とも思える冷淡な言動。この硬軟合わせた彼の巧みな取り調べに、知能犯の黙秘の壁は崩壊させられた。 理論武装をした知能犯の口を割らせるということは、彼らの最も拠り所とするところを無効化させること。それは彼らの人格自体を崩壊させることにもつながる。 彼の取り調べにかかった者たちは皆、落ちた。 取り調べを終えたそれらの者たちの表情は抜け殻のようになり、精神障害に陥った者さえいた。 結果は手段に勝るという捜査。ときには被疑者の人格さえも崩壊せしめる取り調べ。 このような一色の捜査手法を県警では「鬼捜査」と呼んだ。 キャリア警察の暴走。これが事実上黙認されているには理由があった。捜査二課の検挙率が一色の着任後、飛躍的にアップしたのである。 組織内部の不協和音と検挙実績の向上。どちらが警察にとって大事かといえば考えるまでもなく後者だ。 「鬼捜査」の存在は決して外に出ることはなかった。 実績を積み、捜査二課課長から刑事部長に昇進した一色は「鬼捜査」を刑事部全体に適用した。 二課の連中はすでに彼のやり方に免疫を持っていたが、一課にはそれが無かった。 警察組織において上司の命令は絶対である。しかし一色の「鬼捜査」によって一課の不協和音がどんどん拡がっていく。この状態を見るに見かねた片倉は折を見て彼に意見した。 だが彼の意見は取り合ってくれる事は無かった。 一色が刑事部長になって三ヶ月後、片倉は「もうついていけない」と言うことで古田に警察を辞めたいと相談を持ちかけた。 しかし慰留され、彼は現在も一色の下で働いている。 片倉は一色のやり方を認めた訳ではなかった。しかし彼が刑事部長になり一年経った現在において、捜査一課の殺人や強盗などの重大事件の検挙率は100%。それまでの実績は70%であり、彼の実績については認めざるを得ない状況だった。また、彼の捜査方法に対する市民からの苦情等も受け付けていない。不満が出ているのはもっぱら組織内部からのものだけだった。 「どうした片倉。さっきから携帯ばっかりいじって。」 古田は自分の腕時計に目をやった。時刻は午前0時10分。 家族や友人に電話をかけるような時間でもない。喫煙所に入ってきてから、携帯ばかり気にしている片倉を不審に思った古田は彼に声をかけた。 「トシさん。マズいんや…。」 「ん?」 「部長と連絡がとれんげん。」 「…え?」 「さっから何回も携帯に電話しとるんやけど、電源が切られとるんや。」 「どういう事ぃや。」 片倉は首を横に振った。 「お得意のスタンドプレーが始まったかもしれんな…。」 とにかく通報が入っているのだから、初動は迅速にせねばならない。片倉はそう言うと一課へ早足で向かって行った。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 07 Mar 2019
- 182 - 2,12月20日 日曜日 0時15分 熨子駐在所2.mp3 熨子駐在所の鈴木はこの時間にはまだ就寝していなかった。 自宅から持ち出して来た古ぼけたアルバムを手に取って、彼はその一ページをゆっくりとめくり目を細めていた。 五日後に控えたクリスマスには娘の洋子が東京から帰郷する。自分に紹介したい男がいるそうだ。妻はどういう男かは知っている。 一週間前、妻の清美がこの駐在所を訪れて娘がつき合っている男について話をしてくれた。 「洋子と同じ会社に勤めている、誠実そうな方よ。」 二人はつき合って三年。娘が男とつき合っている事を鈴木は全く知らなかった。 現場での仕事に燃え、担当地域の治安の安定が鈴木にとっては一番の関心事だった。道案内から始まり、警邏活動、ときには窃盗犯や痴漢の確保など、警察組織の末端に所属しながら彼はその自分に課せられた任務に誇りを持っていた。 ―自分は警察官としての仕事の事しか頭に無かった。 今まで家庭の事に無関心だったと言われても仕方が無い。家族の事は清美に任せてあるつもりだったが、娘の縁談を自分に知らせるときの妻の寂しそうな表情を見て、初めて自分の家庭に対する無責任さに気がついた。 思い起こせば洋子の事は何も知らない。大学までは地元の学校に通わせていたので、ある程度の事は把握をしていたつもりだったが、基本的に鈴木は仕事の虫。洋子の事について妻から相談されたりもしたが、正直なところ煩わしいとさえ思っていた。 洋子が東京の方へ就職してからというもの、家庭の事は清美に任せるという考えが災いしたか、自分と洋子とは全くの疎遠である。洋子の情報は清美経由で聞いているつもりだったが、記憶に残っていない。彼女が銀行に勤めているとは聞いていたがその銀行名も、現在洋子が26歳である事も、正直忘れていた。 ―済まなかった。 気がつけば鈴木自身は一年後には定年に達する。同期の人間は皆、警部や警部補に昇進し、退官を向かえようとしている。片や鈴木は巡査部長のままだった。鈴木は地域に密着した現場での仕事が好きでたまらなかった。そのため彼は高校卒業後警察に入ってから、今日まで昇進試験をあまり積極的に受けなかった。管理職になる事を嫌ったためである。妻からは何度も昇進試験を受けてくれと言われた。しかしその手の要望は無視してきた。今まで家庭を顧みず、自分の好きな仕事だけに人生を捧げてきた。清美の寂しそうな表情を見た時、自分の自己中心的な人生がリセットされた感覚を覚えた。 鈴木の心の中には様々な思いが去来していた。 『本部より関係各署。』 瞬間、鈴木に緊張が走った。アルバムに落としていた目線を部屋の隅に設置された無線機に向ける。 『熨子山山中の小屋より遺体と思われるものを二体発見との通報。所轄は直ちに現場へ急行せよ。』 鈴木の表情が厳しいものに変わった。アルバムを閉じ、急いで無線に口を近づけた。 「こちら熨子駐在所。現場の目印になる情報をお願いします。」 『熨子町の集落からそのまま山頂へと向かう道の途中に通報者がいる模様。』 「了解。向かいます。」 鈴木はそう言うと寝間着姿から制服に着替え駐在所を飛び出し、止めてあるミニパトカーに乗り込んだ。エンジンをかけアクセルを踏み込み勢い良く発進した。熨子町の集落まではここから約五分。熨子町から山頂へと向かう道は一本しか無い。 車に乗ってからも継続的に通信指令室からの指示は出ている。県警本部の対応は素早かった。本部から鑑識を含めた応援が二十名程度出発したようだ。加えて金沢北署の捜査員も投入されて、捜査の体勢を整えつつあるのが無線を通じて伝わって来ていた。二名の遺体が一度に発見される事など、この地方都市では珍しい。普段聞き慣れない言葉が飛び交う無線のやり取りが、その事の重大さを物語っていた。 「事件か心中か。」 彼は誰に言う訳でもなく呟いた。 鈴木はパトカーを手足のように操り、注意深くそして俊敏に県道を駆け抜ける。 ―何か妙な胸騒ぎがする。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 28 Feb 2019
- 181 - 1,12月20日 日曜日 0時35分 熨子山山頂展望台1.mp3 眼下には渋い夜景が広がっている。 ここ金沢は藩政期より城下町として栄えた地域。当時の歴史と伝統が今も色濃く残っている街のため、日中は観光都市としての顔を全面的に出す。 観光名所には人が集まり賑やかさを創出する。しかし夜になればそれは一転する。 市内全域は水を打ったような静けさに覆い尽くされる。 その空気の重量感と質感は重く、妖しさを内包している。 間宮はその妖しさに包まれた街を、熨子山から眺めていた。 熨子山は金沢の北東部にある山で、そこから見る夜景は美しかった。 妖しげな空気の中に点在する街の照明群。それと相対するように闇を演出する寺院群や田畑。 対照的なものが絶妙に混ざりあい、陰と陽のおもむきを感じることができる。 熨子山は金沢市街地から車で約三十分の距離にある。市街地から少し離れたところにあるが、整備も行き届いており休日には地元の家族連れが遊びにくるようなところだ。 だがここは夜になると交通量は極端に少なくなり、外部からの侵入者を拒むかのような空気をもっていた。 十二月。 日が沈むと冷えきった空気が肌を刺す季節だ。 熨子山の山頂にある展望台で間宮は静寂に包まれていた。 そっと彼に身を寄せる者がいた。彼と同じ会社に勤務する桐本だ。 今日この時間にここを訪れる者は彼等以外になかった。 彼女の頭を撫でながら、間宮は眼下の金沢の夜景を眺めた。 麓から幾度か曲線を描いてこの場所に来ることができる。 間宮はここまでの道を市街地から順を追って見ていた。 彼の視線が熨子山の中腹にさしかかったとき複数の赤く明滅するものが登ってくるのが目に止まった。 ―パトカー?…そういえば10分程前にもパトランプが見えた。 その光は着実に山を登ってこちらの方に向かってきている。 不審に思った間宮は頃合いを見て、この場から立ち去ろうと考えた。 「由香。」 彼は唐突に桐本を抱きしめた。 「ずっとこうしていたいよ。」 お互いの息遣いと脈打つ音だけが耳に入ってくるほどの静寂。抱きしめ合う中、間宮の鼻腔に入り込んでくる桐本の香りはいつもよりも香しく感じられた。 間宮に覆いかぶさられるように抱きしめられていた桐本の体は小刻みに震えだした。 「ごめん…こんなところに長居させてしまって悪かった。寒かったよね…。」 すると彼女の体の震えが大きくなった。その震えは徐々に大きくなってくる。 「え…?大丈夫?」 思いの外彼女を寒い目に遭わせていたのだろうか。まさかこの寒さで体調でも悪くさせてしまったのだろうか。 それは彼の大きな誤解だった。 桐本は間宮の肩越しに見ていた。 向こう側から白いワイシャツを着た男がこちらを凝視しているのを。 その男が赤い血で染まったハンマーを持ってこちらにゆっくりと近づいてきているのを。 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 21 Feb 2019
- 180 - 66 12月21日 月曜日 15時35分 ホテルゴールドリーフFri, 13 Dec 2013
- 179 - 65 12月21日 月曜日 14時55分 ホテルゴールドリーフWed, 11 Dec 2013
- 178 - 64 12月21日 月曜日 14時22分 金沢銀行本店Mon, 09 Dec 2013
- 177 - 63 12月21日 月曜日 13時51分 北上山運動公園駐車場Fri, 06 Dec 2013
- 176 - 62 12月21日 月曜日 14時17分 マルホン建設工業Wed, 04 Dec 2013
- 175 - 61 12月21日 月曜日 13時10分 熨子山連続殺人事件捜査本部Mon, 02 Dec 2013
- 174 - 60 12月21日 月曜日 13時22分 フラワーショップアサフスFri, 29 Nov 2013
- 173 - 59 12月21日 月曜日 13時15分 金沢銀行本店 役員会議室Wed, 27 Nov 2013
- 172 - 58 12月21日 月曜日 12時45分 河北潟周辺Mon, 25 Nov 2013
- 171 - 57 12月21日 月曜日 12時24分 金沢銀行金沢駅前支店Fri, 22 Nov 2013
- 170 - 56 12月21日 月曜日 11時53分 県警本部交通安全部資料室Wed, 20 Nov 2013
- 169 - 55 12月21日 月曜日 11時30分 県警本部捜査一課Mon, 18 Nov 2013
- 168 - 54 12月21日 月曜日 11時12分 金沢銀行金沢駅前支店Fri, 15 Nov 2013
- 167 - 53 12月21日 月曜日 10時22分 熨子山連続殺人事件捜査本部Wed, 13 Nov 2013
- 166 - 52 12月21日 月曜日 10時35分 喫茶ドミノMon, 11 Nov 2013
- 165 - 51 12月21日 月曜日 10時18分 本多善幸事務所前Fri, 08 Nov 2013
- 144 - 48,12月21日 月曜日 9時5分 フラワーショップアサフス48.mp3 桐本家の通夜は今日の19時からとの報が、町内の回覧板からもたらされた。 赤松剛志の頭の中には昨日のうちに桐本家へ弔問した時の光景が巡っていた。 ひとの不幸を知り仮通夜というものに足を運んだことが何度かある。自宅の仏間にその亡骸は安置され、顔には白布が被せてある。遺族と二三言葉をかわして焼香。近しい間柄なら顔を見ていってくれと言われ、その白布をとって対面する。この通常の仮通夜での粛々とした営みが、桐本家では行われていなかった。一枚の紙が桐本家の玄関に貼られていたのみであった。その紙には『通夜 明日19時~ 告別式 22日10時~』と書いてあった。場所はここから最も近いセレモニー会館だった。 赤松は昨日の仮通夜へ駆けつけるかどうか最後まで迷っていた。事件が事件だ。突然のわが子の死を両親が受け入れるには時間がかかる。当の自分でさえそうなのだから。町内会長にも弔問に行くべきか相談したが判断はお前に任せるといわれ逡巡した挙句、訪れようと決めた。だが玄関に貼られた紙を見て赤松は立ち入れない雰囲気が充満する桐本家を前に立ち尽くすしかなかった。 邸内からは泣き叫ぶ声、それと同時に激しい怒号が聞こえた。間もなく勢い良く玄関の扉が開かれ、喪服を着た二人の男が追い払われるように外に出された。その男たちは跪き、雨で濡れた地面に頭をこすりつけるように土下座をしている。 「もうしわけございません。」 二人の男めがけて塩が撒かれる。 「帰れ!!二度と来んなま!!」 声の主は桐本由香の父親だった。 普段は温厚な由香の父親が阿修羅のごとく怒るさまを目の当たりにした赤松は呆然とした。這這々の体でその場を立ち去る二人の男に、再び塩を撒こうと玄関から外に出た時、彼は赤松と目があった。桐本は立ち止まり掴んでいた塩を力なく落とした。そして彼は赤松の方を見て大粒の涙を流し、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。赤松はその場で桐本の嗚咽を黙って見るしかなかった。 この場で泣いていては風邪をひいてしまうと、桐本を抱えて家の中に運んだが、その後のことはあまりよく覚えていない。 アサフスは月曜定休としている。 定休日の朝食後に微睡む時間を過ごすのが赤松の日課となっていたが、昨日から自分の周辺でおこっている出来事に翻弄されろくに睡眠もとっていない有様だった。桐本家での顛末を目の当たりにした赤松には、一色に対する憎悪の念が湧き上がっていた。 朝から病院へ行っているため部屋に文子はいなかった。赤松は彼女の部屋に入ってそこにある仏壇と相対した。ろうそくに火をつけ、次いで線香にもつける。キンを二度叩いて合掌ししばらく目をつむった。目を開けると仏壇の傍らに置かれた父、忠志の遺影と目があった。 赤松は昨日、桐本家の弔問から帰って文子から父に関する詳細な情報、一色と赤松家の関係性を聞いた。そのため桐本家から帰ってきた時に抱えていた一色に対する憎悪の念はやり場のない怒りとなり、そのもどかしい状況にあぐねていた。 赤松は合掌を解き、父の遺影を眺めて思いを巡らせた。 父は6年前、深夜の県道熨子山線を走行中に車ごと崖から転落。その翌日遺体で発見された。 京都から駆けつけた赤松は文子の憔悴しきった表情をみて、息子として何かの手を差し伸べずにはいられないとの衝動から、このアサフスを継ぐ決意をした。親の仕事は幼少からこの目で見てきたが、実際にその仕事をするとなると全く勝手がわからなかった。急な代替わりは客を逃す。赤松がアサフスを継ぐために帰郷してからの3年間は、店の経営は非常に苦しかった。父についた顧客が他店に流れたり、不慣れな赤松の対応に業を煮やした客がアサフスに見切りをつけて他へ行ってしまうケースもあった。生活がかかっている赤松は必死だった。がむしゃらに働いた。客にも同業の連中にも一人前と認められるように昼夜を分かたず働いた。そのため父の死を悲しんでいる暇はなかった。事業が軌道に乗りだしてようやく赤松にも心の余裕が出てきた時に、ふとひとつの疑問が湧いて出てきた。 なぜ父は当時深夜に熨子山を車で走行していたのか。 このことについて文子に何度か尋ねたことがある。そのたびに文子は「よくわからない」とか「たまたま通ったのではないか」とはっきりとした答えを示さなかった。事故当時の母の憔悴しきった表情を見ている赤松は、文子が父の事故のことを思い出したくないがために、話をはぐらかしていると思っていた。しかし自分が知りたいと思っていたこのことを、あろうことか文子は他人である一色に話していることが昨日わかった。そのため感情的になり文子を詰問した。 一色は父の死に疑問を抱いて赤松家にやってきた。彼がアサフスにやってきたのは今から3年前になる。 亡き父の事故に不審な点があると警察が再びやってきたこと、その担当が息子の友人だった一色だったことで文子は二重の驚きだった。 このとき既に赤松はアサフスの2代目社長として店を切り盛りしていた。一色は彼がいない時を見計らってアサフスに来ていたようだった。 見ず知らずの警察官ではない。昔は時々このアサフスに剣道部の連中と一緒に遊びに来ていた男だ。そのため文子は彼に対して警戒感を抱くことなく、素直に聴取に応じた。 「当時の捜査資料を何度読み返しても、ブレーキ痕が確認できないんです。」 一色はこのように文子に言っていたようだ。 「ただでさえ暗い夜道。注意深く運転するのが普通の人間です。なのに熨子山のカーブでブレーキひとつ踏まずに崖から転落なんて、僕にはちょっと考えられないんですよ。」 しかし警察では事故と判断されてすべてが解決している。自分たちは事故の分析に関しては素人だ。この手のことに対してプロである警察がそういうのだから間違いはないと思っていると文子は言った。 「お母さん。申し訳ないんですがちょっと私なりに調べさせてもらいました。」 そう言うと一色は何枚かのコピー用紙を文子に見せた。 「忠志さんの通帳の写です。」 左から順番に日付、摘要、払い出し金額、預入金額、差し引き残高の欄がある。忠志の通帳に記載されている殆どが払い出し。ATMで現金を払い出したり各種引き落としの形跡が確認できる。預入は月一回の給与分しか見受けられない。しかしこの通帳をざっと眺めていると不自然な額の金額が突然入金されているのに気づく。金額は500万。振込だ。振込人はコンドウサトミ。日付を見ると忠志が事故で死亡する1週間前だった。 「お母さん。このコンドウさんとお父さんは一体どういう関係なんでしょうか。」 この質問を投げかけられた文子は黙ってしまった。 「当時の捜査官からこの件について質問を受けましたか。」 首を横に振った文子を見て一色はため息を吐いた。当時の捜査官の無能さを嘆いたものであったのかもしれない。 「お母さん。僕は別にあなたを詰問しているわけじゃないんですよ。このお金を亡くなったお父さんが受け取ったから罪になるとか言ってるんじゃないんです。ましてや忠志さんの女性関係を詮索しているわけでもありません。」 文子は依然として黙ったままだ。 「わかりました。こちらからお話をさせてもらいます。お母さんは私の質問にイエスかノーかの返事だけして下さい。よろしいですか。」 無反応でだんまりを決め込んでいる文子に念を押した。 「イエスですかノーですか。」 文子は頷いた。 「…結論から言います。 この500万は仁熊会からの入金ですね。」 彼女の体は硬直した。 「いいですか、私の質問にはイエスかノーの二通りだけで答えて下さい。」 一色を見て文子はぎこちなく首を縦に振った。 「イエスですね。わかりました。ここからは僕の推理も多分に入っています。聞いている間に違う点があればそこで違うと行って下さい。概ね合っていると判断すればそのまま話を聞いてください。」 一色は腕時計に目を落とした。 「現在時刻は15時13分。手短に済ます予定ですその間に赤松本人と奥さんがここに帰ってくることはありませんか。この内容は当面はお母さんだけとの話にとどめておきたいので。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 02 Jan 2020
- 143 - 47,12月21日 月曜日 9時56分 喫茶BON47.mp3 金沢駅構内のテナントスペースの一角にあるBONに、佐竹が銀行員特有の大きなカバンをもって入ってきた。 「あら、佐竹さんじゃない。」 マスターの森は中年の男性であるが、女性のような口調で佐竹を意外そうに見ながら、声をかけた。佐竹は森の言葉には耳を貸さず、店内をひと通り見渡していた。 入り口から見て死角となるところに陣取っていた古田は、入店してきた佐竹に手を上げて合図した。それに気づいた佐竹はようやく森の言葉に反応した。 「ああ、マスター。ちょっと約束があったんだ。」 「あらそう。」 「このことは誰にも内緒でお願い。」 「いいわぁ。で、コーヒーでいいのかしら。」 「あぁそれで。」 佐竹は店の奥にあるテーブル席でメモ帳を開いて座っている古田と正体した。 「おまたせしました。」 「こちらこそ、突然すいませんでした。」 古田は佐竹に頭を下げた。 テーブルに配された灰皿に三本の吸殻を見て古田が喫煙者であることを確認した。 「私も吸っていいですか。」 「おう、佐竹さんも吸われますか。」 「ええ。」 「これは嬉しいですな。ガンガン吸ってください。とかくこの世は喫煙者には肩身が狭いですからね。」 古田は苦笑いを浮かべた。 「いつかは警察の方が来られるだろうと思っていましたが、こんなに早く来られるとは。」 佐竹は勢い良く吸い込んだ煙を吐き出した。 「ほう、どうして我々が来ると思われたのですか。」 「私と一色は何の関係もない間柄ではありません。ですからひょっとしたら話を聞かれることになるかもしれないと思いましてね。」 「そうですか。それなら話は早いですな。」 「刑事さん。実は私、仕事が立て込んでいるんですよ。ですから出来れば今日の晩に変更していただけないですか。」 ただでさえ慌ただしい年末。それなのに朝からマルホン建設の融資に関して揉めている。これだけで自分は手いっぱいだ。そこに無粋な来訪者。彼は事件のことについて聞きたいと言っている。時間がなければ連絡がほしいと言われた。自分の業務に支障が出るくらいなら後日改めてもらうのが適切だ。しかしなぜ自分はいまこの時間にこの場所でこの刑事と合うことを選択したのだろうか。そしてあろうことかこの場で時間を変更してくれと言っている。 「それはそれは大変申し訳ないことをしました。それならわざわざこちらまで足を運ばなくても電話で連絡をくださればよかったのに。」 おそらく佐竹の心の奥底にある事件に対する不安感が、彼をこの場に呼んだのだろう。佐竹は自分が昨日赤松にこの事件について「怖い」と漏らしていたのを思い出した。 「ちょっと不安でして。」 「不安というと。」 「なんて言うのか…高校の同級生ですから…。」 「一色がですか。」 「ええ、ひょっとしたらこっちまで何か巻き込まれてしまうんじゃないかと。」 古田は佐竹が自分と目を合わさないようにしていることに気がついた。これも佐竹の不安心理がさせている表情なのかもしれない。彼は佐竹の視線のやり方、挙動のひとつひとつを確認するように注意深く観察した。 「どうして巻き込まれるのですか。」 「いえ、なんとなくです。」 「高校時代の一色とあなたとは何か特別な関係でもあったのですか。」 「刑事さん。深い意味は無いんですよ。確かに高校時代はあいつと同じ部活をしていましたけど、卒業以来連絡も何もとっていないんではっきりいって関係はないんです。」 「佐竹さん。心配はありませんよ。」 「え。」 このとき初めて佐竹と古田の視線が合った。 「別に私は佐竹さんを疑って、いまここに居るわけではないんです。高校時代の一色貴紀という男と、その周辺の人間関係をお聞きしたいだけなんです。」 「どうして高校時代の人間関係なんですか。」 「熨子山のことです。」 「熨子山?」 「ええ、あなたは高校の剣道部時代に熨子山で鬼ごっこをしていましたね。」 「はい。」 「非常にユニークなトレーニングだ。」 「ええ、まあ。」 「おまちどうさま。」 マスターが煮えたぎったコーヒーを二人の間にそっと出した。 「佐竹さんのお客さん?」 「あぁちょっと昔いろいろとお世話になった人。」 佐竹がこういうと古田はそれに合わせてマスターの方を向いて軽く会釈した。 「ふふっいい男。ゆっくりしていってね。」 そういうと森はカウンターの方へ少し体をくねらせながら戻っていった。 「佐竹さん、この店よく使うんですか。」 「まあ、一応お客さんなんで。」 「実は私初めてここ使うんですよ。ここのマスターって…。」 そう言って右手の甲を自分の左頬にあてがった古田を見て佐竹は笑みを浮かべた。 森のコーヒーを出す絶妙なタイミングによって、先程から緊張感がある会話のやり取りをしていた二人に若干和んだ空気が流れたようだった。 「あのトレーニングは一色の発案です。」 「ああそう、その話をしていたんですよ。まずはそのトレーニングについて聞きたいと思いまして。」 「どうぞ。」 「熨子山全体を使った鬼ごっこと聞いていますが、どうでしょう。やはり佐竹さんは熨子山の地理について相当熟知されてらっしゃるんでしょうか。」 「まあそこら辺の人よりは知ってると思いますよ。」 「一般的に使用される車道とか遊歩道以外の道もですか。」 「ええまあ。あのトレーニングに参加していた人間はだいたい知っているんじゃないでしょうか。でないとすぐに捕まりますから。」 「そのトレーニングの中で最も優秀な人物は誰でしたか。」 佐竹はしばらく考えた。随分と昔の話なのでその当時の記憶はおぼろげだ。大会の成績の事ならばいざ知らず、トレーニングの中で優秀だった人間の名前を挙げろと言われても、なかなか思い出せない。 「当時、金沢北高は団体戦は県大会で準優勝。個人戦では鍋島さんがインターハイで優勝したと聞いています。大会成績の優秀さから考えて鍋島さんがそのトレーニングでも力を発揮していたんじゃないかと思いまして。」 古田の方を見ていた佐竹は額に手を当てて再び考えた。 「いや、刑事さん。僕も普通に考えて鍋島じゃないかと思ったんですが、あまり記憶が無いんですよ。」 「ほう。」 「当時としては画期的な練習方法だと、内輪で自画自賛して楽しんでやっていたトレーニングなので、その記憶は残ってるんですが、個別に優秀だった奴と言われるとちょっと思い出せません。」 「わかりました。じゃあ優秀じゃなくて目立っていた人間ではどうでしょう。」 「それならなんとなく覚えています。一番はしゃいでいたのは村上だったように思います。」 「村上さんですか。」 そう言うと古田は手帳の中に書き込まれている剣道部の当時のメンバー表に指をあててその名前を探した。 「村上隆二さんですか。」 「そうですね。」 「村上さんとあなたは今も連絡を取り合っているのですか。」 「はい。時々ですけど。」 「具体的には。」 「ばらばらですよ。頻繁に連絡をとりあう時もあれば、ひと月ほどぽっかり空く場合もあります。」 「なるほど。で、今回の事件が発生してからは何度連絡を取り合いましたか。」 「二三回ですか。」 「すいません。正確な回数を知りたいんです。差し支えなければご確認下さい。」 すると佐竹は携帯電話の着信履歴を確認した。20日10時10分に村上からの着信があった。 「昨日の10時頃に電話で連絡をとっています。あと、たしか昼の2時頃にあいつとメールでやり取りしただけです。」 何を書いているのかは分からないが、古田のメモを書く手は止まらない。 「ちなみに他の剣道部仲間の方と連絡は取られましたか。」 「赤松です。」 「赤松さんもよく連絡をとりあうのですか。」 「いえ、随分と久しぶりに連絡をとりました。」 「高校卒業以来?」 「そんなもんです。」 「どうして。」 佐竹は言葉に詰まった。明確な理由はない。ただ単に衝動的に連絡をとったと言っては変に相手に勘ぐられるかもしれない。佐竹はふと自分の腕時計に目をやった。時刻は10時20分を回っていた。ここで赤松とのやり取りまでいろいろ聴取されると時間が取られる。橘には本部へ稟議書を持って行って一件だけ客先によって帰店する旨を伝えているので、帰る時間が遅いと何を言われるかわからない。朝からの一件でただでさえ仕事が立て込んでいるのに油を売っていると思われては大変だ。マルホン建設の融資に関しても気が気でない。 「刑事さん。すんませんけど、仕事が立て込んでいますのでこれで失礼していいですか。」 「ああ、すいません。こちらこそお引止めしてしまいまして。申し訳ないですが佐竹さんの携帯電話と住所を教えてくれませんか。」 「わかりました。今日の晩ならいくらでも体空いてますので。」 そういうと佐竹は自分の名刺の裏に古田に求められた情報を記入して席を立った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 26 Dec 2019
- 142 - 46,12月21日 月曜日 9時05分 金沢銀行金沢駅前支店46.mp3 今年も余すところ少しとなり、金沢銀行金沢駅前支店の週明け月曜日は朝から混雑していた。 クリスマス向けの現金引き出しで来店する個人客もいれば、年末の差し迫った資金繰りの悩みを抱えてくる企業の経理担当者もいる。時間的なもの、金銭的なもの、多種多様であるが皆一様に余裕が無い。 どうしてこうも日本の年末というのは気忙しいのだろうか。 古田はその落ち着きのない店内に入るやその周囲を見渡した。佐竹康之がここにいるかを探るためだった。 「いらっしゃいませ。どういったご用件でしょうか。」 店内の隅から隅まで見渡している古田を見て、フロアに立っていた女性行員が声をかけた。 現金の入出金や振込はATMで済ませることができる。銀行側にとってはそれを利用してもらうほうが、単純作業だけを行う人員の削減につながる。人と人が顔を合わせて生まれるコミュニケーションもあろうが、そのコミュニケーションは時としてトラブルを招く要因ともなる。単なるオペレーションであるならば人がそれをする必要はない。機械の方が人と比べてより正確で迅速だ。そのため銀行ではこの手のフロアレディがよく立っている。彼女らは手取り足取り機械操作が不得手な連中を相手に、それを教授する。 機械の操作が不得手な老年層にとってはこれは苦行のようなものかもしれない。せっかく自分の資産を預けているのに、それを引き出すたびにわざわざ苦手なものと対峙せねばならないというのか。 「あのー佐竹さんに用事があってきたんやけど。」 「代理の佐竹でしょうか?」 「あぁそう。佐竹代理。」 店内をひと通り見回した古田だが、彼が知る佐竹の顔はあくまでも高校時代のもの。人はその経験や環境によって顔立ちが変わることがある。よってこの時の古田は誰が佐竹であるか特定できなかった。 「失礼ですが、どういったご用件でしょうか。」 「あ…お礼を言いたくて来たんやけど。」 「お礼?」 「そう。ちょっと一言だけお礼を言おうと思って来たんや。」 「あ…しょ、少々お待ち下さい…。」 彼女は店内のバックヤードにあるパーテションで仕切られている向こう側に一旦消えた。 しばらくして細身のスーツを見に纏った男がこちらの方へやってきた。高校の卒業アルバムにあった面影を色濃く残したその男の顔を見て、古田はこの男が佐竹康之であると確信した。 「えっと…どちら様…でしたっけ。」 「あーいやいや、どうも。その節はありがとうございました。佐竹さんのおかげでうちの弟の商売も今んところうまいこといっとります。本当に助かりました。」 「え?弟?」 古田はさりげなく自分の名刺を佐竹に手渡した。名刺に書かれている肩書を見た瞬間。佐竹の顔はこわばった。 「佐竹さんですね。ちょっとだけ時間が欲しいんです。金沢駅にBONって喫茶店があるでしょう。そこで待ってますんで来てください。もし無理ならそこに書いてある電話番号に連絡して下さい。」 古田は周囲に聞こえないように体を佐竹に近づけてささやいた。そしてすぐさま佐竹と距離を置くように立ち位置を変え、深く頭を垂れた。 「弟がお世話になった方には兄としてちゃんとお礼せんとイカンと思いましてね、急に押しかけてしまいました。お忙しいところすいませんでした。また何かありましたらよろしくおねがいします。」 「いえ…こちらこそ。」 佐竹は複雑な表情を浮かべて、その場から立ち去る古田の後ろ姿をしばらく見送った。 ー警察か… 彼は再び渡された名刺に目を落とした。県警本部捜査二課課長補佐とある。佐竹は警察の組織のことなど知らない。この肩書きを持つ者がどういった身分で、どういった仕事をしているのか分からない。ただ一つ察しがつくのは、今回の熨子山連続殺人事件に関する何かの事情を尋ねに来たのだろうということ。 ーまさかこんなに早く俺のところに来るなんて。 自席に戻ると次長の橘が佐竹に声をかけた。 「代理、誰や。」 「いえ…ちょっと…個人的な関係です。」 「代理ぃ。こんな年末のクソ忙しい時に個人的な用事を店内に持ってくんなや。」 支店長とのやり取りを経て、橘は朝から苛立っていた。 「すいません。以後注意します。」 「ったく。」 そう言って橘は店内に掲げてある時計に目をやった。時刻は9時15分だった。 「支店長から何も連絡ないな。」 支店長の山県は融資部長から呼び出しを受けた。マルホン建設への1億円の手形貸付稟議を融資部まで上げていないことについてである。山県は呼び出しを拒否した。電話のやり取りは応接室で行われたため、その一部始終は橘と佐竹も知っている。佐竹は今朝のやり取りを思い出していた。 「支店長。融資部からお電話です。」 「ああ、わかった。」 テーブルの上に置かれた電話の保留ボタンが点滅していた。 「お前らは黙って見とれ。」 そう言うと山県はスピーカボタンを押してその受話器を持ち上げた。 「はい山県です。」 「支店長。マルホン建設の融資稟議はまだか。」 声の主は融資部長の小堀である。 「あぁあれですか。稟議はありますけどはんこ押せません。」 「あん。何言っとるんや。」 「何度も言いますがはんこ押せません。ですから上げれません。」 「だらみてぇな冗談を週明けの朝から言っとんなや。午前中まで待ってやっからさっさとこっちに持って来い。」 「冗談ではありません。本気です。健全でないところにこれ以上の融資は私は認めません。」 しばらく電話の向こう側が静まり返った。 「だらぁ!!おめぇの意見なんか聞くために電話しとるんじゃねぇ!!手貸実行せんかったら飛ぶがいや!!」 「ほんなこと子供でも分かるわ!! ほんなところに上積みして貸して回収なんかできるか!! なんや?部長は回収できんくなったら責任とってくれるんか!?」 「山県!!今日の13時からやぞ役員会。それまでに稟議なかったらどうすれんて!!」 金沢銀行の幹部同士が大声で怒鳴りあう様を見せつけられた橘と佐竹は黙るしかなかった。 「小堀さん。俺はもう無理や。もう我慢できん。」 「山県。悪いことは言わん。思いとどまれ。専務がこのことを知ったら俺はお前をもう庇えん。」 「覚悟の上です。」 「マルホン建設の社員が路頭に迷うことになるぞ。」 「知りません。経営者の責任です。」 「お前の首も飛ぶぞ。」 「どうぞご自由に。私の首だけでは足らんでしょうな。」 「山県、この件は俺も黙って見過ごすことはできん。いまから役員に報告させてもらう。」 「報告連絡相談は部下の勤めです。」 このやりとりの後、山県は取引先と予定が入っているといって店を出ていったきりだ。 「はい橘です。ええ。」 橘に内線電話がかかってきたようだ。橘は佐竹の方を見て相槌を打ちながら唇を動かした。佐竹は自分なりの読唇術を駆使して橘が発するメッセージを読み取った。 ー小堀部長…。 「えっ?…いいんですか。いや、ですが…。…はい。…ですが支店長には私からどう報告すれば…。」 しばらく話した後、力なく橘は電話を切った。 「どうしたんですか次長。」 「ふー。代理…外で一服せんか。」 店の勝手口から外に出た橘と佐竹は、それぞれ自前の携帯灰皿を手に周囲から死角となる場所に立ってタバコを吸った。 「稟議持って来いって…。」 橘は力なく言葉を発した。 「マジですか。」 「マジや。」 「でも稟議は支店長の机の中ですよ。」 「代理。稟議の中身覚えとるか。」 「書き直しますか。」 「それしかないわ。」 佐竹はため息をついた。それにつられるように橘も大きく息を吐く。そして左腕につけている腕時計に目を落とした。 「9時半か…。」 「次長。あそこの稟議はしょっちゅう書いているので書き直しはすぐに出来ます。」 「ただなぁ。気にかかるんやわ。少しでも中身が違う稟議書が融資部に直接行ってしまったら、それはそれで支店長が怒りそうな気がすれんて。」 「でも融資部が言ってるんでしょう。」 「そうやけど、俺らは融資部の部下ってわけじゃないし。」 佐竹はタバコの火を消してしばらく黙って考えた。 「ひょっとして。」 そう言うと佐竹はそそくさと店内に戻った。そして無造作に支店長の机の引き出しに手をかけた。銀行員たるもの様々な個人情報を取り扱っているため、離席の際は必ず机に施錠をするのが基本だ。これは金沢銀行で徹底されている。なので不在の席の引き出しが開くことは通常考えられない。今、佐竹がとっている行動は彼が求める成果から考えて望み薄のものであることは彼自身よく知っている。 おもむろに引き出しをひくと、難なくそれは開かれた。 ーしめた。 外で一服を終えて店内に戻ってきた橘と目があって、佐竹は獲物を仕留め喜びを噛み締める狩人のような表情をした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 19 Dec 2019
- 141 - 45,12月21日 月曜日 9時10分 金沢北署1階45.mp3 「なんやこれ…すごい人や…。」 北署の前に小西は立ち尽くした。報道関係者が歩道に所狭しと待機している。このあたりではそうも見ない全国ネットのテレビ局の中継車、自らが所属するメディアを証明するための腕章をつけた記者と思われる者たちが通りを行き交っている。 これらの者たちを横目に小西は北署の正面玄関をくぐって目の前にある生活安全課の若い署員に声をかけた。 「あの、すんません。」 「何ですか。」 「えーっと。」 小西が北署にくるのは初めてのことではない。北陸タクシーに勤務してから過去一度だけ人身事故を起こしたことがある。その時にここに来た。幸い相手側は軽傷であり、ちゃんとした事故処理をすればそれで良いとのことだったので、そのまま会社に報告。現在の部長が小西と会社の間を取り持つことで、懲戒免職は免れることとなった。相手側も北陸タクシーの迅速な対応を好感し、事故は円満に処理された。一般の人間が警察署へ行くということはほとんどない。この小西のように事故の関係でやむを得ず行く程度のものだ。特段の事情がない限り縁のない役所である。 今回の小西の北署訪問は昨日明らかになった殺人事件に関する情報の提供だ。その殺人事件の捜査の行方を追いかけるために、この北署に大マスコミから大勢の人員が派遣されている。世間が注目するこの事件の有力な情報になるかどうかもわからない、得体のしれない情報だけをぶら下げてきた小西は一種の恥じらいと緊張をもっていたため言葉に詰まったのだ。 「どうかしましたか。」 小西の緊張ぶりが伝わったのか、若い署員は緊張を解すために笑顔で接した。笑顔というものは妙な力を持っていた。 「あのー、そのー...熨子山の件で…。」 署員の表情は一転して険しいものになった。 「熨子山…ですか。」 「はい。」 「…ちょっと待って下さい。」 署員は奥にいる上司と思われる男と二三言葉をかわして再び小西の前に立ち、関係課は三階にあるからそちらの方に行ってくれと言った。 身を堅くしたまま刑事課のドアの前に立った小西は深呼吸をしてそのドアを開けた。 「えーな、だら!!」 この怒号に驚いた小西は周囲を見渡した。どの署員も忙しなく動きまわっている。立て続けに電話をかける者。山のように積み重なっている資料を漁る者。パソコンに向かってひたすら何かを入力している者。 「だからぁ、言っとるやろいや、わしが欲しいんはその資料じゃねぇんやて!!」 声の主は刑事課の奥に座っている役付きと思われる中年の男だった。瞬間小西と目があったその男は小西を見るや目をそらして先ほどまで怒鳴っていた自分の声のトーンを落とした。 「情報提供の方ですね。そこにかけてください。」 側にいた刑事課の若い署員が小西に声をかけた。 小西は求めに応じてパイプ椅子に腰をかけた。 「すいません。いまこんな状況なんで…。あまり気にしないでください。」 「はい。」 署員は机の引き出しから罫紙を取り出してメモの準備をしながら小西に話しかける。 「えーっと、まずはあなたのお名前と住所、お仕事、連絡先をお教えください。」 小西のような者が事件発生時からよく来るのだろうか。彼は非常に慣れた感じでひな形どうりの質問を小西にする。ひととおり小西がそれに答えたところで署員は質問をした。 「で、小西さんは今回の事件についてどういったお話を?」 「えー、まぁ役に立つかどうかわからんのですが、一昨日に熨子山へ男を送ったんです。」 署員の手が一瞬止まった。 「ほんで、ちょっと気味悪かったんで役に立つかどうかもわからんけど、警察に話してみようと思ったんですわ。」 「昨日のいつの話ですか。」 そう尋ねられると、小西は持っていたカバンの中から一枚のコピー用紙をとりだして、机の上に広げた。 「一昨日の私の運転日報です。18時15分に小松空港で一人の客を乗せて、19時35分に熨子町でその客を降ろしました。」 「確認ですが、それは男だったんですね。」 小西は頷いた。 「ちなみにどのような風貌でしたか。特徴的なところなどがあれば教えてください。」 「えっと…サングラスをかけていました。」 「サングラス?」 「ええ。丸いサングラスです。真冬のこの時期に珍しかったんでよく覚えとります。」 「丸のサングラス…あ、他には。」 「時間も時間でして、日も暮れとったんではっきりとは覚えとらんですが、紺か黒のコートを着とりました。」 署員は机の引き出しから、一枚の顔写真を取り出してそれを小西の前に見せた。 「小西さん。あなたが見たっていうのはこの男ですか?」 小西もテレビや新聞で何度となく見た一色の顔写真であった。 一色は事件当日の19時まで県警本部で仕事をしていた。これは熨子山連続殺人事件の帳場で共有されている情報だ。小西が熨子山へ男を乗せたのは18時15分から19時35分。小西が乗せた乗客が一色である訳がないのだが、とりあえす署員はぶつけてみた。 「うーん…。」 小西は考え込んだ。 「似とるって言えば似とるし…似とらんって言えば…。」 「…そうですね、サングラスをしていたらわかりませんよね。」 「はい…。」 「その人とあなたは何か会話を交わしたのでしょうか。」 「会話らしい会話じゃないですわ。こっちから聞くことには基本的に『はい』とか『いいえ』とかしか答えませんでしたから…。ただその客は東京から来た人やってことは聞きました。こっちは不景気ですが東京の方はどうですかと聞いたら、『地方にいたらそれなりにしか稼げない。稼ぎたかったら人の多いところで商いをすることだ』とアドバイスされました。」 「ほう…。」 この時点で署員は捜査本部が現在躍起になって情報収集している穴山と井上の線も薄いと考えた。両者とも県外出身者といえども金沢在住。しかし念には念を入れてこのあたりの情報もぶつける必要がある。署員は立ち上がって、室内にあるキャビネットから一冊の資料を取り出して、それをパラパラとめくり、そこから二枚の写真を持ってきて小西に見せた。 「ちなみに、こちらはまだ報道などに公表されていない写真ですが、見覚えはありませんか。」 小西は二枚の写真を見て自分の記憶を辿った。小松空港から熨子町集落までの道程を振り返りながら乗客の隠された表情、仕草などできる限りの記憶を呼び起こした。交差点で停車した時にルームミラーに写り込んだ彼の顔。そういえば走行中に前を向いていた彼の顔が突如として左側の方をくるりと向いたことがった。 「あ…。」 「どうしました。」 「見ました。」 署員の顔つきが厳しいものに変わった。 「ニケツです。」 「どういうことでしょうか。」 「乗客を熨子町まで送る途中に確かに見ました。原付に二人乗りしていました。」 罫紙に走らせるペンの勢いが増してくる。 「どこで。」 「たしか田上あたりやったと思います。乗客は本当に無口な人で、ずっと前の方しか見てなかったんです。変でしょう。普通の人は普段あんまり来ん地域の風景を窓から眺めるもんでしょう。ほやけど私が乗せた客はずっと前の方しか見とらんかったんです。その客がふっと窓の外を見たことがあったんですわ。私もその先に何があるのかとサッとだけ見たら、そこにこの写真の顔とそっくりの男がニケツでおったんですわ。」 「時間は。」 「んー…確か19時ちょっと前ぐらいやったと。」 「その二人乗りの原付バイクはどの方向に行きましたか。」 「あぁ、のろのろ走っとったんで抜いてしまいました。だからよく分からんです。」 署員は再び立ち上がって先ほど見ていた資料をそのままこちらに持ってきた。そしてあるページを開いて小西にさらに一枚の写真を見せる。 「そのバイクはこの写真のものじゃないですか。」 小西は写真を見つめた。 「あぁ、多分これと同じ形やったと思いますよ。」 署員は深呼吸をして小西の顔を見た。 「小西さん。もう少し聴取に付き合ってくれませんか。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 12 Dec 2019
- 140 - 44,12月21日 月曜日 8時45分 県警本部駐車場44.mp3 「よし勤務先と住所は抑えた。」 そう言うと車に乗り込み、エンジンをかけた片倉は手にしていたスマートフォンを胸元にしまいこんだ。 「便利やなぁ。」 「トシさん、もう紙を持ち歩く時代は終わったんやぞ。」 「ほうか、ワシはいつまでたってもメモ帳や。ちょっとそれ見せぇや。」 「何や。」 「それ、ここに書き写す。」 片倉と古田は、佐竹、赤松、村上の三名の住所と勤務先を仕入れて県警本部の401資料室からそそくさと出た。その際に片倉は書き写していると時間がかかると言って、つい最近手に入れたスマートフォンのカメラでそれらの情報を撮影し、そこに保存した。古田は片倉から手渡されたスマートフォンを慣れない手つきで操作しながら、その情報を愛用のメモ帳に書き写した。 「先ずはどこから行く。」 「兵は神速を尊ぶ。ほやから別々にあたらんか。」 「おう。」 「ワシはこの佐竹と赤松っちゅう奴を当たる。お前は村上を当たってくれんか。」 「わかった。」 「ワシは自分の車を使う。お前もあんまり不在の時間が多いと怪しまれるから、その辺りは注意せいや。」 「じゃあ、先ずはトシさんを一旦家まで送るとするか。」 片倉はサイドブレーキを下ろしてアクセルを踏み込んだ。 「金沢銀行金沢駅前支店か。ワシの家の近くやな。」 「誰がや。」 「佐竹や。」 「あれか。剣道部のムードメーカー的な存在やったって奴か。」 「そうや。とある組織の潤滑油。この手のポジションにある奴がだいたいの情報を持っとる。広く浅くな。」 「捜査の順番から言って、妥当な手順やな。」 「片倉、金沢銀行までそのまま行ってくれ。そこで降ろしてくれ。」 「わかった。」 片倉が運転する車は県警本部を出て、国道8号線と交差する信号の前で止まった。彼は背広のポケットからおもむろにタバコを取り出してそれを咥えた。 「しっかし、でっけぇヤマねんな。」 「まあな。」 「なんか俺、妙に興奮して昨日の晩、寝れんかったわ。」 そう言って片倉は火をつける。それにつられて古田も一服する。 「落ち着けや片倉。ワシらはワシらや。特捜がどうこう言うことよりも、先ずは目の前のことを1つずつ潰して行くことが先決や。」 「わかっとる。あっちはあっち。こっちはこっちやな。」 「そのとおり。」 ここ石川県では昨日からの報道で凶悪犯罪が発生したことは誰もが知るところだ。だがこの時間の通りを行き交う人達の表情はいつもと変わらない。 容疑者は拳銃を携行して、ひょっとするとこのあたりに潜伏しているかもしれないというのに、市民は無防備である。普段より警邏活動を強化してはいるが、警察としては市民に対してできることは現状この程度。一刻もはやく容疑者の一色を確保することが求められる。 信号が青になり、片倉は車を進める。 「トシさん。いま何考えとった。」 「あん?」 「黙って遠くの方見とったけど。」 「遠謀深慮…か…。まさにあいつのためにあるような言葉やな…。」 「遠い先のことまで深く考えて、緻密な作戦を立てる。遠すぎるわ。」 「深すぎる。」 「だから誰も分かるわけない。」 「とんでもねぇ奴、相手にしちまったな。」 あまり人前で表情を変えない古田がこの時は俯き加減で元気の無い顔をしていた。 「トシさん。例のあれや。」 片倉は首をくいっと前方に上げ、その対象を指す。そこには現在工事中の金沢駅舎が建っていた。 「トシさん。やることはいっぱいある。特捜は特捜、俺らは俺らや。s俺はとにかく事件の真相を暴く。ただそれだけや。全身全霊でいくぜ。」 むき出しの闘志ではない。秘めた闘志を感じさせる片倉の言葉に古田は奮い立った。 「よし片倉、徹底的にいくぞ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 05 Dec 2019
- 139 - 43,12月21日 月曜日 8時15分 熨子山連続殺人事件捜査本部43.mp3 昨日開設されたこの捜査本部には捜査員が始終詰めている状況だった。 松永は捜査本部に入ってからというもの、一睡もしていない。流石に彼の顔に疲労がにじみ出てきていた。 犯人の確保を最優先した検問体制を取るも、めぼしい情報は松永の元には入ってきていなかった。 そんな中、一人の捜査員が気にかかる箇所があるとして、熨子山の検問状況報告書を持って松永と向き合った。 「どうした。」 「昨日の熨子山ですが、一点だけ気になる箇所があるのです。」 「言ってみろ。」 捜査員は資料を松永の前に広げた。そこには熨子山の検問地点を通過した人物のリストが並んでいた。 「ここです。」 捜査員はその中の一人の人物名を指した。 「村上隆二…」 「ええ、本多善幸議員の秘書です。」 疲れ眼の松永の目に鋭さが戻った。 「これがどうかしたか。」 「有力者の秘書ということで、ちょっと気にかかったのです。」 「それで。」 「私の方で現場に聞いてみたところ、富山県の高岡の方で党の会合があるということで、この道を利用したそうです。確かにこの県道熨子山線は金沢から高岡までの最短ルートでした。しかしこちらから民政党高岡支部へ何の会合があるかと聞いたところ、そのような会合は無いとのことだったのです。また、この村上という男は高岡支部へ顔を出していません。」 松永はリストに書かれている検問時刻を見た。 「昨日の11時50分か…。」 「理事官が山狩りを指示され、13時半から16時半までの3時間は熨子山線は封鎖されています。その後、県境を中心に検問体制の再編成を指示したのが16時50分。仮にこの村上が本当に高岡方面へ行ったとするならば、距離的に考えてその帰路で再び検問に引っかかるはずです。ですが現在のところ村上隆二という名前は確認できていません。」 「まぁ警察の対応が面倒くさくて適当なことを言う奴もいるからな。こいつもそのクチかも知れん。それに往路と復路は必ずしも同じとは限らないし、単純にこの男がまだ金沢に戻っていないのかもしれない。」 「理事官。この男のことですが私に調べさせていただけませんか。」 「調べてどうする。」 「無駄足かもしれませんが、現状一色に関する手がかりが入ってこない以上、気になることを1つずつ潰していきたいんです。」 捜査員のこの言葉に松永の表情は一変した。 「俺は無駄足とわかっていることを承認するほど馬鹿じゃねぇ。」 捜査一課の片倉然り、無差別殺人を推測した捜査員然り、松永に意見するものは酷い仕打ちが待っている。自分も同じ仕打ちをされるかもしれない。だが事件発生から24時間以上経過するも、被疑者逃亡に関する情報が捜査本部に一切もたらされていない現状を少しでも打破するために、この捜査員は覚悟を決めた。 「無駄足かどうかはまだ決まっていません。民政党石川県支部に聞くところ、村上隆二は20日の夜に本多善幸の国土建設大臣就任記念式典に同席しています。つまりこの男は金沢に既に帰ってきています。」 松永は捜査員の目を見つめた。そしてそっと口を開く。 「お前、名前は。」 「北署の岡田です。」 「現場か…。」 松永は苦虫を噛み潰したようなような表情で岡田を見る。 「どうやってこの検問状況リストを入手した。」 「熨子山の警備から入手しました。」 「規定違反だ。また現場の暴走か。」 「いいえ、情報の共有化です。」 ああ言えばこう言う。そう思ったが松永はそれを言葉に出さなかった。 「いいだろう。岡田。」 意外な松永の応えに岡田は肩の力を抜いた。 「しかし条件がある。」 松永は捜査本部を見渡した。松永が引き連れてきた捜査スタッフがパソコンに向き合って資料を作成したり、現場から上がってきた報告を取りまとめていた。各々自分が与えられた任務に全神経を集中させている。松永は捜査員たちがこちらの方を見ていないことを確認し、岡田に自分の横に来るように手で指示した。 「今後お前は俺の前に姿を現すな。」 そう言って岡田に一枚の小さな紙切れをこっそりと渡した。 「そこにお前が入手した情報はすべて送れ。どうしても俺と話をしなければならんようだったら、先にメールで俺の指示を仰げ。極秘だということを肝に銘じろ。」 岡田は松永のメールアドレスが記載されたその小さな紙を握りしめた。 瞬間、松永は岡田の首元を掴んで自分の顔に引き寄せ、急変させた。 「てめぇ、ノンキャリの分際で知った口聞くんじゃねぇよ。あん?」 「あ、あの…。」 「ここの捜査員はどいつもこいつも反抗的だなぁ。」 そのまま松永は岡田の首元を掴んで引きずり、彼の背中を壁に叩きつけて凄まじい形相で岡田を睨みつけた。 「何度言ったら分かるんだ!!お前らは機械だといっただろう!!俺にくだらんことを話しかけんじゃねぇ!!」 松永の激昂ぶりを目の当たりにした捜査本部のスタッフたちは静まり返った。捜査員たちは岡田に詰め寄っている松永の背中を見た。 「穴山と井上がなぜ熨子山に行ったか、どうやって行ったのかそんな報告もままならんというのに、糞にもならんことを意見すんじゃねぇ!!」 松永の豹変ぶりに圧倒され混乱していた岡田だったが、自分の目の前にある松永の表情を見て事を悟った。松永の表情は言葉と裏腹に冷静そのものだった。 「悪く思うな。少しだけ付き合え。」 松永は岡田にしか聞こえない程度の声で呟くと、そのまま岡田を床に叩きつけた。そして渾身の力を込めた一発の蹴りを入れる。 「ぐはっ。」 岡田は思わず身をよじって声を出した。 「ったく…クズばっかりだよ現場は。お前の顔も見たくない。さっさとここから消えろ。」 這いつくばって身動きが取れないようだった岡田を捜査スタッフが起こし上げた。松永の一蹴がよほど強烈だったのか、彼の足元はふらついていた。 「消えろっていってるだろ。」 松永のふてぶてしい物言いを横目に、岡田は体を引きずるようにそのまま捜査本部を後にした。 「おい、お前ら何見てんだ。手ェ止めんじゃねぇよ。さっさと情報を寄こせ。よこせって言ってんだろ!!それでもお前ら察庁か!!」 この叱責に松永に同行してきた察庁スタッフは無言のまま視線を落とした。 「お前らが捜査の脳みそだ。お前らが機能しないことには体は動かない。井上と穴山の情報すらまだ俺のところに上がってこない。どうなってるんだ。少しは自分にプレッシャーをかけたらどうなんだ。今のままじゃ捜査本部は脳死状態だ。」 松永は部屋にかけてる時計を見た。時刻は8時30分だった。 「よし、今日の正午迄に穴山と井上の情報を俺に上げろ。そのための指示を現場に出せ。もちろん県境の警戒態勢を解くことなくだ。」 「はっ。」 「さて、俺は少し休むことにする。」 そう言って部屋の片隅に畳んであったコートを手にとって、松永はそれを羽織った。 「関。」 「はっ。」 「ここは一旦お前に預ける。何かあれば俺に連絡しろ。正午には戻る。」 「かしこまりました。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 28 Nov 2019
- 138 - 42,12月21日 月曜日 7時45分 金沢銀行金沢駅前支店42.mp3 支店長の山県を前にして、20名いる行員が二列横隊で並んでいる。支店長代理の佐竹はその中央に居た。 山県は先週の総括、そして今週の動きについて自分の考えを述べる。彼の話は簡潔だった。 今期の金沢駅前支店の預貸金の実績は順調だ。今後はその中身、すなわち不良な債権を処理するべく行動をして行って欲しいとのことだ。そして土曜日に結婚をした服部を指名し、職員を前に簡単なスピーチをさせた。軽くジョークを挟んだ内容に、週明け月曜日の駅前支店の重たい雰囲気は和んだ。 結びに山県は熨子山連続殺人事件を引き合いに出して、年末であるため、銀行としても特別警戒体制をとって万が一に備えよと指示を出し、朝礼は終了した。 「次長、代理ちょっと。」 話し終えた山県が佐竹と次長の橘に向かって手招きをした。山県と二人はそのまま店の奥にある応接室へ入った。 「土曜日はご苦労さん。」 応接室のソファに深く腰をかけ、山県は煙草に火をつけた。 「支店長もお疲れ様でした。」 次長の橘はそういって山県に続くように煙草をくわえた。佐竹は橘の横に座って二人のやり取りを聞くスタンスを取った。 金沢銀行は全店禁煙である。しかし応接室だけは違う。客をもてなすという位置づけで九谷焼の灰皿が配されていた。 ヘビースモーカーである山県にとってはお堅い仕事場の唯一の心の拠り所でもあった。無論この応接室での喫煙が職員全員に許されている訳ではない。山県と一緒にこの部屋に入るときだけに許される行為だった。金沢駅前支店独自の山県ルールである。 「あのなぁ、マルホン建設の融資稟議やが…」 「あぁ23日実行予定の1億円の手貸ですか。」 「あれは駄目や。」 「は?」 橘と佐竹は驚きのあまり言葉を失った。マルホン建設工業は今回国土建設大臣に就任した本多善幸と金沢銀行専務取締役の本多慶喜の実家でもある。善幸が大臣に就任することで、今後の公共事業に関する受注が伸びる見込みがあるとされる得意先である。 「すいません。支店長。おっしゃる意味がよくわかりませんが。」 「駄目なもんは駄目や。判子押せん。」 「ちょっと待ってください支店長。唐突すぎます。」 「何が。」 「ちょっと待ってください。支店長に稟議を出したのは2日前ですよ。まさか、まだ手元にあるんじゃないでしょうね。」 「あぁ俺の引き出しの中にあるわ。」 橘の顔は青ざめた。 「どうするんですか!!支店長!!。」 「だから、判子押せんって。」 「ふざけないでくださいよ。」 「ふざけるなって…。俺はあそこの経営改善をちゃんとさせぇって言っとらんかったか。」 「言ってはいましたけど…。」 「あのなぁ麻薬中毒の患者に麻薬打ち続けとっても、いづれ死ぬだけや。しかも綺麗な死に方じゃない。人を巻き添えにすることもある。」 マルホン建設の財務状況は芳しくない。現状は要注意先。といっても貸出条件緩和債権がある時点で要管理先である。経営改善計画書の提出はされてはいるが、その進捗度合は全くと言っていいほど芳しくない。 「支店長のお気持ちはよくわかります。ですが、専務の実家でもありますよ。」 「もう、その手の言い訳は聞かん。」 「ですが、支店長の一存でそんな勝手なことができるはずもありません。私も今から本部に行って決裁を貰ってこなければなりません。いつものことじゃないですか。」 「次長、あんた本当にこんなんでいいと思っとるんか。」 「…。何がです…。」 紫煙を吐きながら山県は落ち着いた声で言った。 「お前、公共工事がこれから伸びると思うのか。」 「…いえ、ですが無くなりはしません。」 「お前なら追加融資したいか。」 「したくはありませんが…。」 言葉に詰まった橘を見て、山県は佐竹の方を見た。 「代理、お前はどうや。」 融資の稟議を実際書いたのは佐竹だった。その校正をマルホン建設の前担当者であった橘が行い、それに判子を押した。そのため唐突な山県の決定とそれに狼狽する橘を目の当たりに見て動揺していた佐竹は、不意を打つ質問に答えるのに時間がかかった。 「…いえ。」 「そうやろうな。普通の人間なら変だと思う。それなら稟議なんか描くべきじゃないな。」 「しかし支店長。唐突すぎます。」 「債権の利子分を回収するために、さらに貸出先に融資の上積みをする。経営改善計画書を出しはしたが、その中身が全く実行されとらん。相変わらずの公共事業頼り。素人の目から見てもおかしいと思われることを、世の中の金融機関はバブル期から平気で行ってきた。自行の目先の利益確保を最優先にする現状の融資体制には問題がある。目先の損得で判断する時代は終わったんや。」 正論だ。だがこの切羽詰まった状況で唱えることではない。そう橘は山県に言った。 「あのなぁ、次長。小さな勢力が巨大な勢力に挑むときに有効な手立てって知っとるか。」 「支店長、話をそらされては困ります。一刻も早く本部に掛け合ってこの融資を実行しないと、マルホン建設は飛びます。」 「奇襲や。」 このセリフに橘と佐竹は固まった。山県は確信的な表情をしていた。 「しかし、支店長…。確かに私も今までの矛盾を抱えた銀行業務には疑問をもつ身です。ですから支店長の意見には賛成です。ですが、ことは急を要します。それにマルホン建設の債務者区分やその中身に関して金融庁から一度も指摘されたことはありませんよ。」 「たしかに役人は何にも言わなかったな。何でやろうな。不思議なもんや。」 山県は金融庁を皮肉った。 「役員は承認しているんですか。」 再び煙草の火をつけて山県は言った。 「いや、まだや。」 佐竹も橘も驚きを隠せない。要管理先の債権を支店長という身分の人間が独断で決済することは許されない。役員の承認が必ず必要である。 「支店長、首が吹っ飛びますよ。」 橘は半ば呆れた表情で山県に言った。佐竹も橘と同意見だった。 応接室がノックされ女性行員がその扉を開いた。 「支店長。融資部からお電話です。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 21 Nov 2019
- 137 - 41,12月20日 日曜日 21時12分 中華料理 談我41.mp3 金沢のオフィス街南町。その裏通りから一本横に逸れた場所に談我はあった。 このあたりは金沢の金融機関が軒を並べており、談我はこれらの業界関係者の御用達となっていた。 創業20年。外観は古ぼけたよくある近所の中華料理屋の体であるが、その客足は途絶えたことはない。 日中はこの南町を本拠とし、金融機関たちは鎬を削る競争を繰り広げている。 しかしそれは食を楽しみ、酒を飲む場である談我においては関係がなくなる。 背広という戦闘服を纏った男達が日中の気忙しさから解放され、身も心も開放的になり同業同士の情報交換を行う場所として談我は利用されていた。 しかし今日は日曜日。金融関係者の姿は見受けられなかった。 「マスター、もう一本もらえる。」 店のカウンター席に座り店主と向い合って、銚子の首の部分を指でつまんで、ぶらぶらとさせている男がいた。 「村上さん、どうしたんですか。」 「あん?」 「そんなに飲める口でしたっけ?」 そう言いながらも店主は熱燗の準備をしている。 「あのねぇ…俺だって飲まなきゃやってられんのよ…。」 「大丈夫ですか。ろれつが回ってないですよ。」 「ああ、そう。」 ここの名物である餃子に箸をつけて村上はそれを頬張った。 「はい熱燗。」 「ったくよぉ。なんだってんだよぉ。外野がぐちゃぐちゃ言ってんじゃねーよ。」 「仕事のことですか。」 「マスターには関係ない。あんたは立派だ。20年もこの店を切り盛りしとる。」 「村上さんも頑張ってるじゃないですか。」 「頑張っていても報われないことがあるんだなぁー。これが…。」 「なんですか、きっと報われますよ。」 「…たぶん報われないよ…。」 「どうしたんですか。村上さん。しっかりしてくださいよ。」 店主のかけた声に村上は反応を示さなかった。しばらく無言になりゆっくりと口を開いた。 「マスター。あんた自分の仕事のために友人を犠牲にしたことある?」 「えっ。」 「自分がやりたいことがある。でもそのためには友人の出世を阻む必要がある。そんな状況に追い込まれたら、マスターはどうする。」 さっきまで酔いつぶれた風の村上だったが、このときは思いつめた表情だった。そんな村上を見て、店主は言葉を選んだ。 「友情か欲望か…それって天秤に測ることじゃないような気がするなぁ。」 「何、それ。」 「村上さん、やりたいことがあるんでしょ。それって何かわからんけど世の中のためになることなん。」 「…おれはそう思っとる。」 「今すぐどうこうなるものじゃないかもしれない。でも、将来的に世の中のためになるって思っとるん。」 「ああ。」 「じゃあ、自分の思っている方面で突き進んだほうがいいと思うよ。最終的に世のためになるんなら。だって村上さん、あんたの人生でしょ。」 あんたの人生。いつから人生というものは所有するものになったのだろうか。 他人様のための人生。自分のための人生。自分はひとりでは生きて行くことはできない。自分の物だと思っている人生も、実のところ他者によって形成されているという側面を持つ。 「じゃあ友情はどうなるん、マスター。」 「相手に黙って、こそこそするからダメなんじゃあ無いのかなぁ。なんて言うのかな、こうちゃんと向きあって、俺はこう思っている、君はどう思うって。」 「いやぁ、なかなか面と向かって言えないよ。」 「そうかなぁ。でもそういう本音の部分を話せるの間柄って言うのが、友達の良い部分じゃないのかなぁ。」 こむずかしいことは言わない。単純な意見だがスッと胸に落ちてくるものがある。創業20年の中華料理店を一代で築き、人生の機微を知っているからこそ出てくる自然な言葉なのかも知れない。 「まぁ、ちょっと考えるよ。」 そう言って村上は手酌酒をくいっと飲んだ。 ふと、自分の後ろ側のボックス席に陣取っている3人組の会話を耳にした。 「そうねんて、こんなクソ寒いんげんにサングラスかけとったんや。なんも喋らんと、こっちから聞いたことには、はいとかいいえとかしか言わんかったんや。あんなもんなんかなぁ、都会の人間っちゅうのは。」 「第一さぁ、熨子町までタクシーって不自然だよな。あんなところにタクシーで行く奴っているもんかなぁ。」 盃を傾けている村上の動きが止まった。 「マスター。あの後ろで話している人、どういう人達?」 「あぁ、北陸タクシーの人。ときどきウチ使ってもらってる。」 「ふうん…。」 「まぁ居らん事ないやろ。あのあたりは交通の便も悪いし、バスとかも通ってない。あそこに行こうと思えばタクシーか自家用車しかないからな。」 「でもノリさん。あの辺りって会社とかもないよね。」 「そうや。」 「しかも送ったのは夜の七時頃。変だよねぇ。」 「ほんなこと言うけど、熨子町やって人住んどるんやぞ。たまたま実家に返ってきた奴かもしれんがいや。」 「とにかく明日は警察で事情聴取やな。ノリさん。はははは…。」 「やめて下さい。はははは。」 後ろの席で笑い声が起こった。村上はその楽しげな声を背に酒も途中のまま、物憂げな表情で五千円札を一枚カウンターに置いた。 「あれっ、村上さん。お帰りですか。」 「あぁ明日も早いから今日はこれで帰るよ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 14 Nov 2019
- 136 - 40,12月20日 日曜日 19時32分 古田宅40.mp3 古田と片倉は今後の捜査について綿密に打ち合わせをしていた。 一色の高校時代の交友関係を当たるためには、彼らの情報を仕入れねばならない。県警に戻ってそれらを一旦整理したいが、自分たちがこそこそと水面下で動いていることが松永たちに露見すると、厄介なことになる。今日は自分たちの頭の中を整理することとし、明日の日勤時にさりげなくそれらの情報を取得することにした。 「しっかし、なんでまたこんな事件が起こるんや。」 片倉はごろりと畳の上に転がった。 「ほやからあいつは好かんかったんや。ウチを引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、このありさまや。ほんとにキャリアってのは好かんわ。松永も一色も同類や。」 「片倉ァ。ほんなこと今さら言うなや。」 「だから俺はさっさとこの仕事辞めたかったんや。なんか大きな災厄が降りかかってくる気がしたんや。」 「だら。」 「あん?」 「だらやお前。いつからそんな腐った男になったんや。」 「なんやて。」 「いくらでも言ってやるわ。お前、いま県警が置かれとる立場わかっとらんげんろ。前代未聞の信用失墜や。そんなお家の一大事のときに、捜査の最前線の陣頭指揮を執るべき人間が、間違ってもそんなこと口にするんじゃねぇわいや。お前がなんで今捜査一課の課長を拝命しとるか、いっぺんでも考えたことがあるんか。あん?」 「…。」 「お前が一色のことをよく思ってなかったのは分かる。事実お前はいろいろ一色に意見した。…ほやけど今までにあいつがお前に何かの報復措置をしたことがあるか?ねぇやろ。」 「…。」 「キャリアっちゅうやつはプライドが高い奴が多い。ほらほうや。難関試験をパスしてきたエリート達やからな。そんな奴らから見たらワシらなんかカスみたいなもんや。汚れ役とか地道な作業は現場。自分は指示するだけ。しかも机の上で考えた頭でっかちの指示や。ほんでワシらが抑えた手柄は全部自分のもの。現場を踏み台に出世や。そのくせ何かトラブルがあれば現場の責任。ワシも二課でいろんな頭でっかち連中相手にやりとりしとったから、そんなことぐらい分かるわ。けど、あいつは他の連中とはちょっと違っとった。」 「…なにがや。」 「考えても見いや。あいつは現場主義や。単独行動もいっぱいあった。ほやけどそのトラブルを現場の連中に押し付けたことなんかあったか?あいつはあいつなりに責任を取っとったわ。ほやからずーっとここの県警勤務なんや。」 まるで容疑者である一色を庇うかのような発言に不快感を抱いた片倉であったが、古田の言うことは一理ある。 確かに自分の意見を取り合ってくれないことばかりだったが、それが為の不利益を被ることはなかった。厳命を発することはしたが、自分を捜査から外すといったことは一度もない。それを考えると松永と同列に論じるのは適切ではない。 「んー…トシさん、悪かった。おれが間違っとった。」 天井を見ていた片倉は身を起こして、古田と向い合って頭を下げた。 「すまん。」 「…気にすんな。長い付き合いやろぅ片倉。」 「しかしだ…。そんなできた男が今回の連続殺人事件を起こしたとは…。考えれば考えるほど納得がいかんくなる。」 「片倉ァ。それはワシも同じや。まぁとにかく逮捕あってのことや。そんためには本庁様の働き振りに期待をするとして、ワシらはとにかく別の方面から手がかりを掴むことに専念するとしまいか。」 「あぁ。」 片倉の携帯電話が鳴った。発信者名は朝倉忠敏であった。 古田は片倉に電話にでるよう、手で合図した。 「はい片倉です。…ええ。大丈夫ですが…。えっ!?なんでですか。…ええ、います。分かりました、いまからそちらに行きます。」 「どうした。」 電話を切った片倉に古田は言った。 「特捜からお呼び出しや。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 07 Nov 2019
- 134 - 38,12月20日 日曜日 18時32分 古田宅38.mp3 「鍋島惇。」 「まさか。なんでここであいつが出てくるんや。」 「ふっ、なんでって、しゃあねぇやろ。高校時代の同級生やからな。しかも奴さんは高校時代の戦友と来たもんや。繋がってしまったからにはどうしようもない。」 「でも、この鍋島は熨子山のヤマと関係あるんか。」 「さぁ、それは分からん。そいつはこれからの捜査次第で関係性が出てくるかもしれんし、まったく関係がないかもしれん。とにかく、一色の周辺を洗っとったらこんなもんが出てきましたってことや。」 「トシさん…あんた情報集めてくるのは良いんやけど、頭こんがらがってこんか。」 「だら、これが仕事やろいや。」 4年前、金沢市内のとある私立病院をめぐって横領事件が発生した。 経理担当の病院職員が診療報酬を水増しして国に請求し、その差額分を横領するというものだった。 この捜査にあたっていたのが古田であった。被疑者である病院職員はすぐさま逮捕されたが、その使徒がなかなか判明しなかった。当初はギャンブルですったとか、散財したとかその男は話していたが、裏が取れなかった。古田のスッポン捜査で被疑者の周辺を虱潰しにあたっても彼が散財した形跡を見つけることはできなかった。 そこで疑念を抱いたのが当時捜査二課課長として赴任してきて早々の一色だった。 現金だけが領収書もレシートも目撃者も無く跡形もなく消えている。しかもその横領金額は5億円。何回かに分けて横領されていたことはわかるが、忽然とその大金が消えていることが腑に落ちない。 ひょっとすると闇社会への資金還流ではないかと目星をつけた一色は、金沢市内で一大勢力を誇る指定暴力団、神熊会の家宅捜索を行うために裁判所へ令状を請求した。 しかしその捜索を行う直前に事件が発生した。 神熊会の構成員である男が何者かに殺害されたのだ。そしてその数時間後には先程の横領事件の舞台となった私立病院の理事長の息子が殺害された。 立て続けに発生した殺人事件。被害者に仁熊会の構成員もいる。そのため捜査二課による仁熊会への家宅捜索は中止となった。変わって捜査一課が仁熊会と私立病院の捜査にあたることとなり、二課はそれらから手を引くこととなった。 まもなくして若い男が出頭。この2つの殺人事件はどうやらこの男による犯行のようだった。 殺害の動機はむしゃくしゃしたからやったというもの。駐車場に車を止めようと思ったら、男がそこに止めるなと因縁をつけてきたので、邪魔だったからナイフでメッタ刺しにした。その後、車で逃走中にたまたま見た男がこれまたムカついたので、後をつけて人気のないところで刺殺したというものだった。 被害者に仁熊会の構成員がいることから、暴力団の抗争が何らかの形で関係していると思われたが、出頭した男はカタギだった。 とってつけたような動機と残忍な犯行。 精神鑑定が要される事案かと思われたが、犯人の自供は理路整然としており、それを裏付ける物証もあった。それに犯行現場に居合わせたという目撃者もいる。そのため裁判所は精神鑑定を要求することなく、この事件は早々に結審した。 この犯人には無期懲役の判決が下された。 スッポンの異名を持つ古田はその後も心に引っかかるものがあり、再度、その殺人事件の現場を見たという目撃者とコンタクトを取ろうと試みる。しかしその目撃者はすでにどこかへ引っ越しており、行方は分からなかった。 事件から2年経ち、古田は夜の片町で行きつけの居酒屋で一杯引っ掛けて帰宅しようとしていた。 通りをはさんだところにある高級クラブの前に一台の高級車が横付けしている。誰かを待っているようだ。運転席には男の姿が見えた。間もなくクラブからひとりの男が出てきた。運転手の男は車から降りて、店から出てきた男を車に迎え入れた。 その瞬間、古田の動きが止まった。 この運転手、2年前の殺人事件の目撃者に似ている。 運転手はサングラスをしていた。そのため顔の全貌がわからない。しかし体つきや顔の骨格が古田が記憶する目撃者の外見と似ている。 間近まで迫って、運転手の様子を探ろうとしたが、彼は熊崎を車に乗せるとその場から立ち去った。 後日、このことは捜査二課で報告された。 二年前の事件の目撃者が仁熊会の関係者だとすれば、変わり身を立てて犯人を出頭させた疑いがある。 当時捜査二課課長だった一色は再度慎重に捜査を行うよう上に働きかけた。しかしすでに裁判は終了し犯人は刑に服している。それを自らの手で掘り起こして、傷口に塩を塗り込むようなことはやめるべきだと、彼の訴えは取り上げられなかった。 「この写真はそのあとにマル暴が別件で仁熊会本部の前で撮った写真や。丸サングラス、コケた頬、少し釣り上がった口元、がっしりとしたガタイ。片町で熊崎を迎えに来た男と同一人物や。つまり2年前の殺しの目撃者に似た男。」 「確かこいつが『鍋島』って言われとるんやったな。」 「おう。年に何回か仁熊会の本部に来るが「鍋島」っちゅう名前以外、どういう素性の人間かは誰も知らんっちゅう謎の男。仁熊会の人間ですら素性を知らん人間やさかい、それ以上マル暴でも調べられんかった。」 「んで、この鍋島と2年前のコロシの目撃者の一致もできんかった。」 「ああ。ほんでこのリストや。」 そう言って古田はおもむろに一枚の紙を片倉の前に差し出した。 「当時、鍋島っちゅう姓を語る人間を片っ端から調べた。この石川県に本籍と住所を持っとる奴全部な。」 片倉はそのリストを手にとってしばらくながめた。 「トシさん…。ここには惇って奴、おらんぞ。」 「ほうや。やから、分からんかったんや。」 「と言うと?」 「つまり、鍋島はここの人間じゃない。よそ者や。」 「...まてまて、トシさん。あんたが言っとることを整理させてくれ。一色の高校の同級生に鍋島惇という男がおった。その鍋島は2年前の殺しの目撃者に似とった仁熊会に出入りする「鍋島」って言われとる男と顔が非常に似とる。同じ名字で顔が似とる。ほやけど鍋島っちゅう名字で惇っちゅう名前の人間は、ここ石川県におらん。戸籍と住民票を見る限り。それだけのことやろ。」 「ほうや。」 「あの…トシさんそれじゃあ、何にもならんよ。」 「…片倉ぁ、お前わかっとらんなぁ。」 「何が」 「わしはさっきまで北高におったんやぞ。」 「…あ。」 「あそこはしっかりしとる。当時の入学書類とかもしっかり保管してあったわ。」 「鍋島の入学書類か。」 古田は片倉の肩を小突いた。 「こいつには驚かされたわ。」 古田は当時の戸籍抄本のコピーを片倉に見せた。 「あいつ残留孤児3世や。」 「なんやって?」 「1972年の日中友好条約の締結を受けて鍋島の母親と祖父母が帰国。その後母親は日本人の男と結婚。そこで生まれたのが鍋島惇や。」 古田は話を続ける。 「どうやら鍋島は中学卒業と同時に、この石川県に来たみたいや。それまでは各地を点々としとる。それもおそらく鍋島の幼少期に両親が離婚したことが原因やろうな。あいつは母親に引き取られとる。」 「それなら、その母親と直接会って鍋島のことを聞き出せばいいがいや。」 「ほんなうまくいかん。鍋島の母親は入学時までは一緒に住んどったみたいやけど、高校の途中で中国へ戻ってしまったんや。子供を置いてな。ほやから、その後の消息は分からん。鍋島惇とその祖父母が石川県に残ったってことや。」 「そうか、それなら卒業と同時に就職っていうのも理解できるな。」 「ああ。」 「各地を点々か。おそらくいろんな酷い目に会ってきたんやろうな。」 「そうやろうな。元を正せば同じ日本国民。戦争が理由でかってに中国人扱いや。」 「こっちやったらあんまり聞かんけど、都会のほうやったら残留孤児のマフィア化なんてもんもあるそうやがいや。」 「そこや。」 「北高からこっちに来る間に、自衛隊に照会したんや。鍋島惇について。」 「おう。」 「間違いなくあいつ入隊しとる。ほやけど1年で除隊しとる。」 「なんやって…。」 「その後の消息は不明。ひょっとするとそれから流れ流れて、地下組織に潜り込んだかもしれんな。」 古田の仮定の話は続く。 「仮にそうやとしよう。話は振り出しに戻る。あの手の奴らはこっちのシノギの人間と性質が違う。」 「おう。」 「手段を選ばんことだってある。」 「ってことは。」 「病院の横領にまつわる殺人事件にあいつが関わっとっても不思議じゃあない。」 「その仮定に沿うなら、仁熊会との関わりもあっておかしくないな。」 「それと、今回の熨子山の件。俺はどうも腑に落ちんがや。」 「なにが。」 「あの一色やぞ。頭脳明晰で難解な事件をことごとく解決するあいつや。こんなに分かりやすく『私がやりました』って証拠を残して連続殺人事件を起こすなんていうのが信じられんがや。」 「確かに…。こいつが例のレイプ事件の報復やったとしても、計画的とは言えん。証拠が多すぎる。」 「そこでこう考えることはできんやろうか。」 「なんや。」 「仮に2年前のコロシの目撃者がこの鍋島やったとしよう。んでこの鍋島が一色の剣道部の同期の鍋島やったとする。」 「うん。」 「一色と鍋島は知らん中じゃない。」 「そうや。」 「一色はその気になれば鍋島と奴と関係のある仁熊会にメスを入れることができる。その力を背景に鍋島を脅した。」 「え?何?まさかトシさんは一色が鍋島に熨子山事件を依頼したってか?」 「…ほうや。」 「…一色がトシさんに言った言葉か。方法はあるって…。」 少々話が飛躍をしている。片倉はそう思ったが長年、スッポン捜査を実行し結果を出してきた古田の推理を無碍に否定することはできなかった。 今回の事件は証拠が多い。証拠から判断すれば犯人は一色だ。百歩譲っても重要参考人。とするならば推理などは必要ない。一色の手がかりを掴んで奴を確保すればよいだけ。しかし、その作業は捜査本部が現在やっている。ならば、こちらは捜査本部とは別の角度からこの事件の捜査するのもよいだろうと片倉は自分の考えを整理した。 「片倉ぁ。わしは今回の事件に北高の交友関係が密接に関わっとるニオイがするんや。」 「なんでや。」 「考えてみいや。剣道部の同期のひとりでこんだけ話が膨れる。あいつの同期は12名。そのうち最も親しかったのが鍋島、佐竹、村上、赤松。」 片倉は目の前の卒業アルバムの写を並べ直した。そして一色を中心に鍋島、佐竹、村上、赤松の4名を彼を挟むように配置した。5人の顔写真が平行に並んだ。 「わかった、トシさん。この五つの線を洗いなおしてみよう。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 24 Oct 2019
- 133 - 37,12月20日 日曜日 18時10分 古田宅37.mp3 「部長と穴山と井上の接点というのは、こんなところや。」 「ふーん。…やるかやらないか…それが問題ってか…。」 「ああ。」 「んで、殺っちまったってか…。」 片倉は手にしていたノートを一旦畳んで、天を仰いだ。 「よしトシさん。要点を整理しよう。」 「ん?」 「一色は穴山と井上に何かしらの制裁を加えたかった。」 「うん。」 「そしてその制裁にはスピードが必要やった。」 「そうや。」 「仮に今回の事件がその制裁やったとせんけ。憎き豆泥棒(性犯罪者)は死んでめでたしめでたし。ほやけどスピードって点でどうや。」 「そうやなぁ、決して早いとは言えん。」 「穴山と井上を首尾よく殺したんはいい。だが、その後の桐本由香と間宮孝和はどうなる。こっちの方は一色と接点が見いだせん。」 ふたりとも黙ってしまった。 「片倉、ワシも初めは今のお前のように考えた。でも接点とかこだわっとると、なかなか自分の中のストーリーが展開していかんがや。」 そうならそうと先に言えと言わんばかりの憮然とした表情で、片倉は古田を見た。古田は片倉の顔を見て失笑し、話を続けた。 「すまん。まぁ聞いてくれや。さっき北高に行ってきたんや。」 古田は背広のポケットから幾重にか折りたたまれた何枚かのコピー用紙を取り出して、畳の上にそれを広げた。 「卒業アルバムの写や。全部で12枚ある。」 そのコピー用紙一枚毎に一名の卒業生の顔写真がコピーされていた。それぞれ写真の下に名前と生年月日、そして当時の住所が記載されている。当然その中には高校時代の一色の顔写真もあった。 「こいつらは何や。」 「一色の部活動の同期連中や。」 「部活の同期?それが何の関係があるって言うんや。」 「まぁそう結論を急ぐなや片倉。いいか捜査っちゅうもんは、ひょんなところから手がかりが生まれてくるもんや。そのためには一見無駄と思える現場も手当たり次第当たる必要がある。」 古田は12枚のコピー用紙の中から、一枚の紙を手にとって片倉の方に手渡した。 「おまえ、こいつに見覚えないか。」 渡されたモノクロの顔写真を見て、片倉はしばらく考えた。しかし思い当たる節はない。 「じゃあこの写真は。」 そう言って、古田はプリントされた別の写真を彼の前に差し出した。 その写真は、遠いところからズームを使って撮影されたのか、荒い画像であった。丸型のサングラスをかけた男が車の側に立っている。セダン型の高級車の横で誰かを待っている様だ。 「この丸サングラスの男と卒業写真をよーく見比べてみてくれ。」 一方の顔の大部分がサングラスによって隠されているため顔の特徴を見出しにくい。しかし少し釣り上がった口元。頬のコケ方。これらは類似するのではないか。片倉は自分の頭の中で、卒業写真の方の男にサングラスをかけさせた。 「あ…。」 「ん?」 「トシさん…こいつ…」 「思い出したか。」 片倉は唾を飲んだ。 「鍋島惇。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 17 Oct 2019
- 132 - 36,12月20日 日曜日 18時28分 県警本部前36.mp3 「あれか。」 アイドリングをしていた車のエンジンが切られ、中から男が二人現れた。 ひとりは身の丈180センチはあるかと思われる体格のよい30後半か40前半の男。彫りの深い彼の顔つきと体格はどこか日本人離れした様子だった。一般的には男前と言われる部類の容姿を持っている。ゆっくりとした動作のひとつひとつが、直江に威厳を持たせていた。 一方、もうひとりの男は彼と対照的だった。身長165センチほどの彼は小太りだった。胴長短足の典型的な日本人の体型をしている。高山の表情はどこか柔和であり、他人の警戒感を解きほぐす不思議な魅力を持っているようだった。親しみを覚えるその表情は、おそらく彼の肉付きの良さそして垂れ下がったその目つきからくるものなのだろう。直江と比べて、高山のほうが年齢は若く見えた。 「おおっ寒い。」 高山は車の外に出た途端、身震いをした。 直江は彼の言葉に耳を貸さない。彼は少し身をすくめるだけで、そのまま県警の正面玄関の方へと足を進める。直江と高山とでは歩幅に歴然とした差がある。高山は直江に離されまいと小走りに続いた。 正面玄関から手に鞄を持った痩身の男が現れると、玄関前に立っている警官が機敏な動作でその男に敬礼をした。彼それに軽く応えては正面に待たせてある黒塗りの車両に乗り込もうとした。 「朝倉本部長ですね。」 自分の名前を呼ぶ声に朝倉は振り向いた。 「東京地検特捜部です。」 直江と高山の二人がコートを着た姿で立っていた。 「東京地検特捜部?」 「はい。ちょっとお話を伺いたいことがありまして。ご協力くださいませんか。」 「わたしに?」 「ええ、そうです。」 警戒している朝倉の様子を察したのか、高山が朝倉に一枚のメモを渡した。 柔和な彼の表情に少し緊張を解されたのか、朝倉は素直にそれを受け取った。メモには市内のホテルの名前が書かれていた。 「…わかりました。これから行きましょう。」 朝倉は渡されたメモを両手で丁寧にたたんでそれをポケットにしまった。 「どうぞ、車に乗ってください。」 「いいえ、私たちも車で来ています。後ほどホテルのロビーでお会いしましょう。」 そう言って直江と高山はその場を後にした。朝倉は待たせてある警察車両に乗り込んで、そのドアを閉めた。 「ふーっ。」 深く息をついた瞬間、彼の胸元が震えた。朝倉は胸元から携帯電話を取り出して誰からの着信かを確認した。朝倉はその名前を見るやいなや、深く座っていた体勢を一旦あらためて、背筋を伸ばしその電話に出た。 「お疲れ様です。朝倉です。お久しぶりです。えぇ…。そうですね…。はい。えぇ。はい…。当然、私の責任です。今回の判断はあくまでも私の独断です。ですから責めは私が全て引き受けます。ええ、ええ、はい。そうですねおっしゃるとおりだと思います。そうです。どうしてあんな人間をこっちに派遣したのか…解せません。」 朝倉を乗せた警察車両は、県警本部から金沢駅までまっすぐに走る片側4車線の道路を軽快に走る。車窓から北陸特有のボタ雪が降っているのがわかった。 北陸の雪は北海道などと比較して、気温が高く、空気中に水蒸気を多く含むため、ベチャッとした雪質の時が多い。 水分を多く含むため、それが降る様子はボタボタと落ちてくるようで、こちらの方ではボタ雪と呼ぶ。そのボタ雪が窓ガラスに張り付いては溶けて水となり流れ落ちる。そのさまを見ながら朝倉は電話の向こう側の相手と話をしていた。 「いまから特捜と会います。えぇ…。要件は分かりませんが…。えぇ、分かりました。また詳細がわかりましたら報告します。」 電話を切ると朝倉は運転手に共通系無線の音量を上げるように指示した。無線の通信内容は当然、熨子山連続殺人事件の捜査に関する内容のものが飛び交っていた。 「本部より各所。現在までの検問状況をすべてデータで送れ。」 「了解。こちら大聖寺中署、熊坂の検問状況を今から送る。」 「了解。こちら津幡東署。倶利伽羅の検問状況を今から送る。」 ー現場の捜査員の判断を優先せずに、データを吸い上げてそれをすべて自分たちで分析か。機動的とは言えんな…。 無線の様子を聞いていた朝倉は、心のなかで松永を始めとする捜査本部の手法に苦言を呈した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 10 Oct 2019
- 131 - 35,12月20日 日曜日 17時20分 古田宅35.mp3 県警本部から車で10分離れた金沢駅の近くに古田が住むアパートがあった。 築15年。古田は離婚後、この木造二階建ての質素な作りのアパートに引っ越してきた。 2DK、畳式の間取りは、古田ひとりが生活するには充分のスペースである。 このうちの一部屋は古田の趣味でもある仕事部屋に割り当てられている。 捜査に関する資料を外部に持ち出すことは禁じられているが、個人的に書き留めたメモ類であるとして古田はそれらを自宅に保管していた。 無論このメモを見ることができる者は彼以外にない。 古田のメモ魔ぶりは県警内部の一部では有名だった。 聴取する古田の手には必ずメモ帳があり、話し手の一言一句も逃さぬように書き留めた。捜査に対する執念深さもそうだが、このメモ魔ぶりが彼をスッポンの異名を持たせる所以でもあろう。古田は部屋に吊り下げられた電灯のひもを引っ張ってその部屋の電気をつけた。 「こらぁすげぇわ。」 灯りによって明らかになった室内の畳に散乱するメモ帳やノートの量に片倉は立ちつくして驚嘆した。 「トシさん。これ、どれから手ぇ付ければいいんや。」 片倉は半ばあきらめ口調で古田にいった。 「先ずは今回のガイシャから行ってみようか。」 そう言うと古田は畳の上にどっかと腰をおろし、一枚の分厚いノートを片倉に差し出した。ノートの表紙には7月備忘と記されている。古田のメモは今まで誰も読んだことがない。門外不出の捜査資料だった。片倉と古田は旧知の仲ではあるが、今回初めて古田の虎の巻を読むこととなった。 「三年前のことがここに書いてある。」 「レイプのことか。」 「ほうや。7月19日あたりを読んでみぃ。」 片倉は古田に言われたとおり、ページを捲りその部分を読み始めた。 「なんかわからんが、とにかくそのあたりの部長は様子がおかしかったんや。部下に出す指示も精彩を欠いとった。捜査らしい捜査もされとらん有様やった。 ほやから、こっちからちょっと休憩でもしましょうかと誘ってみた。」 「トシさんがか。」 片倉は驚いた。協調性という言葉からは縁遠い存在であった一色が、部下である古田の呼びかけに応じて休憩をとるなど彼の常識からは考えられない行動だった。 手元のメモを読むと場所は県警本部喫煙所とある。 「は?喫煙所?」 「ほうや。」 「え?喫煙所って、あいつタバコ吸うんか?」 「まぁ読んでみぃま。」 そう言うと古田は自分のタバコに火を付けだした。 三年前 7月19日 雨 16時13分 最近の一色の様子がおかしいことを気にしていた古田は、彼に休憩を勧めた。いつもなら大きなお世話だ、そんなことを気にする暇があるなら仕事をしろというのが一色という男だ。しかしこのときは違っていた。彼は古田の勧めにすんなりと応じた。 「トシさん、ちょっと喫煙所にでも行かないか。」 「え?ワシ…もですか?」 「ああ。」 「っちゅうか…課長、タバコ吸うんですか?」 「そんなに驚くなよ。」 今まで一色がタバコを吸う姿を見たことがなかった古田に、驚くなというのは無理な話だ。二人は県警本部内にある喫煙所に入った。中には二人以外の誰もいなかった。 「悪いがトシさん。一本恵んでくれないか。」 古田はタバコの箱をそのまま一色に渡した。一色はその中から一本抜き取り、何のためらいもなくそれを咥えた。古田はすかさずライターで火を起こす。一色は右手でその火を囲いながら自分の顔を近づけ、二度ほど吸ったり吐いたりして火がついたことを確認し、おもいっきり紫煙を吸い込んで吐き出した。古田はその慣れた仕草に再度驚いた。 「それにしても一体どうしたんですか課長、最近様子が変ですよ。らしくない。」 そういうと古田もタバコ咥え火をつけた。 「トシさんあんた、大事な人がレイプされたらどう思う。」 「え?」 唐突な質問に古田は困惑した。そしてその意図を測りかねたので、一般的な切り返しをした。 「課長、捜査に私情は禁物なのは、あなたが一番ご存知のはずですよ。」 「あぁ…そうだな…。」 「ええ。」 「だが捜査じゃないんだ。」 「捜査じゃない?」 「ああ。」 「え…?」 古田は一色の意図が分からなかった。一色は背広のポケットからおもむろに二枚の顔写真を取り出して、目の前のテーブルの上に並べた。 「ひとりは穴山和也。もう一人は井上昌夫。こいつらがホシだってことはもう調べが付いている。」 古田はその写真を手にとって穴山と井上の顔を見た。そしてしばらく考えた。 「あの…課長。このホシはどの事件と関連しているんですか。」 「事件にはなっていない。」 「は?」 「俺の交際相手をレイプした野郎だ。」 「え…。」 古田は絶句した。そしていつものように自分の感情を表に出すことなく、淡々と古田に話しかける一色の様子が非情にも感じられた。 「それは…。」 「被害者は親告していない。だから事件にもなっていない。だがホシは割れている。おれはこのやり場のない怒りをどこに向ければいいんだ。」 一色に掛ける言葉を古田は見いだせなかった。 「ったく…。被害者保護って何なんだ。法治国家って何なんだ。なぁトシさん…。」 こんなに感情を顕にした一色を古田は見たことがなかった。普段は雄弁に物事を語らない一色だったが、この時ばかりは違っていた。古田が話を聞き出そうとする前に、彼の方から言葉を発する。古田は相づちを打つ程度のことしかできない。 「強姦は性の殺人のようなもんだ。殺された人間がどうやって私はヤラれたって言うってんだ。死人に口なしなんだよ。」 「おっしゃるとおりです…。」 「で、殺した当の本人は普通に生活を営んでいる。なんの咎めを受けることなくだ。一方ヤラれた人間は生涯殺され続ける。…不条理だ…世の中は。」 「…何とかして被害者からの親告をうけるということはできないんでしょうか。そうすれば、そいつらに法の裁きを…。」 「無理だ。被害者は今とてもそんな状態にない。それにトシさんもこの手の事件のことは知ってるだろ。」 知っている。警察の仕事をやっていればそれぐらいのことは常識だ。取り調べや裁判の過程において当時の状況を克明にされることで、忌まわしい記憶を呼び覚ますなどのセカンドレイプの問題もある。 「考えてみてくれ、そもそもこの国の性犯罪の刑事罰が軽すぎるんだ。今回のような集団強姦罪でもせいぜいで4,5年だ。それにブタ箱に放り込んだところであいつらは再犯率が高い。ムショから出ることは飢えた狼を再び羊の群れに放つのと同じことだ。」 「ええ、おっしゃるとおりです…。」 「ゴミクズめ。」 古田は感情が昂ぶりつつある一色の様子を見て、もう一本のタバコを差し出した。一色は軽く手で頂く合図をして再びそれを咥えて火をつけた。大きく煙を吐き出した彼は少し落ち着きを取り戻したようだった。 「泣き寝入りはさせない。」 「しかし、課長。現状の法体系では被害者による親告がないことには、この手の犯罪に警察としては打つ手がありません。」 「知ってる。でも親告は無理だ。」 「んならこの腐った法律を変えるとかせんとどうにもなりません。」 「それじゃあ時間がかかるんだよ、時間がかかると証拠もなくなる。しかも結果が出るとは限らない。」 「ではどういう方法が?」 「方法はある。やるかやらないかそれだけが問題だ。」 ここで一色の携帯電話が鳴った。古田の記録はここで止まっていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 03 Oct 2019
- 130 - 34,12月20日 日曜日 17時30分 フラワーショップアサフス34.mp3 開発が進んでいるとは言え熨子山の麓に位置する田上は、金沢の中でも雪深い地区であった。車の窓から外を眺めるとアサフスのある一帯は一面銀世界となっていた。 アイドリングしたままの車内にいる佐竹はアサフスに入店する機会を伺っていた。駐車場には彼の他に1台、客のものと思し召しき車両が止まっていた。 客が店を離れるのを待ちながら、ふと彼は思った。 ーさっきもこの店に来て、今またここに来るなんて不自然じゃないか? 冷静になって考えて見れば、佐竹のこの気づきは至極当然のこと。 先程は旧友に会いに来たついでに、社交辞令的に花を購入した。 その理由は対応してくれた女性店員があまりにも魅力的であったためだ。 彼女に接近するきっかけを得ただけで急に馴れ馴れしく接しようというのは不自然極まりない。 不自然な言動はかえって相手に疑念を抱かせることになる。 それにアサフスは桐本由香の死をうけて、日常を保っている状態ではない。 こんな時に手土産持って、再度お伺いというのは空気を読めない行動の最たるものではないか。 先程と同じく客がいなくなるのを見計らって店に入ろうとしたが、ここで佐竹は浮き足立っている自分と向きあって立ち止まった。 功を焦るあまり必敗の地へ誘われ、見事討ち取られた先人たちの姿が、ふと彼の脳裏に浮かんだ。 ー焦るな 佐竹は自分に言い聞かせた。しかし一方で自分の行動を擁護する自分がいることにも気づく。 兵法に「天地人」という言葉がある。 天の時、地の利、人の和。 地の利や人の和というものは自分の行動や努力如何で何とかできるもの。言い換えれば人智が及ぶ範囲。 しかし天の時となるとそうはいかない。こればかりはタイミングだ。 佐竹には今、赤松という味方と地元金沢という地の利がある。奇しくも今日は12月20日。世の中がカップルムードに染まるクリスマスの直前である。この点で今は天の時と捉えようとする自分がいた。 山内美紀はクリスマスを共に過ごす相手がいないことは事前に赤松から聞いている。 ーどうする。 そうこう考えているうちに、客が店から出てきた。 ーええい、ままよ。 とりあえず彼は助手席に置いてあった、ケーキを手にしてアサフスへ向かった。 「こんにちは…。」 はっきりしない声色で発せられたかれの挨拶は、気持ちの整理がついていない様子を表している。 その彼の声を聞いて店の奥から応える声が聞こえた。山内美紀のものではない声を耳にして、佐竹は一気に落胆した。声の主は赤松の母親の文子であった。 佐竹を見た文子は意外そうな表情だった。 「あら、ひょっとして…佐竹くん?」 「ええ…。」 高校時代に佐竹は赤松の家にときどき遊びに来ていた。その度に文子とも話をした。 部活動のこと、勉強のこと、先生は怖くてかなわないなど。 文子は面倒見が良い女性で、剣道部の仲間が遊びに来ると彼らの話に耳を傾けいつも茶と菓子を出し、彼らをもてなしてくれた。 そんな彼女は剣道部の連中にとっては第二の母親のような存在でもあった。佐竹にとって文子との再会は高校卒業後以来のことだ。 「久しぶりねぇ、元気しとった?」 「ええ…まぁこのとおり、ぼちぼち生きています。」 「何年ぶりになるかしらねぇ。」 「高校卒業以来ですから、18年ぶりですかね。」 18年の歳月が皺を刻みこんだ文子の表情を作り出していた。 「で、どうしたん?剛志け?」 「ええ、ちょっと渡したいものがあって…」 文子はそう言う佐竹の手元を見た。左手に洋菓子屋らしき印刷が施された紙袋を下げているのを確認した。 「あらぁ、どうしたん佐竹くん。久しぶりに来たと思ったらお土産なんて。」 「いえ、別に…」 このやりとりから分かるように、文子は先ほど佐竹がアサフスに来店したことは知らないようだ。 「あの…赤松は?」 「あぁ剛志は今外に出とるんよ。そうやねぇあと15分ほどしたら戻ってくるんじゃないかしら。」 「そうですか。」 佐竹は文子と話しながら店の様子を探った。店には文子以外の誰もいない。佐竹がお目当ての山内美紀もいないように見受けられた。 「ここじゃなんやし、家にでも入ってゆっくりしていって。…って言いたいところやけど…いまちょっと家の中バタバタしとって…。」 ーしまった、変に気を遣わせると邪魔者になってしまう。 「あ、いえ、僕は大丈夫です。赤松がいなんだったらこいつを皆さんで召し上がってください。」 そう言うと佐竹は手に持っていた袋を文子に差し出した。 「いややぁ、佐竹くん、困るわぁ。」 文子は遠慮しながらも佐竹が差し出す袋を受け取った。 「仕事のちょっとした合間にこいつでも食べて元気を出してください。」 佐竹の顔を見てにこりと笑を浮かべ文子は言った。 「ありがとう。」 文子の笑みをみて佐竹はどこかほっとした。 「じゃあ僕はこれで。」 そう言って佐竹は店を後にしようとした。 「佐竹くん。」 背後から文子が呼んだ。 「佐竹くんは一色くんと連絡とっとるん?」 思いもかけない問いかけに佐竹の体は硬直した。 ーえ…いま、何て… 「佐竹くんやったらひょっとして一色くんと連絡取り合っているかもって思って。」 ーなんで…。一色なんか…と? 「あ…いいげん。ごめん。ちょっと聞いてみただけなんやわ。」 「…。」 「佐竹くん?」 「…俺は…あいつとは一切連絡とっていません。」 そう言って佐竹は、足早にアサフスを後にした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 26 Sep 2019
- 129 - 33,12月20日 日曜日 17時12分 金沢駅33.mp3 はくたか13号が金沢駅に進入してきた。時刻は17時12分。到着時刻は17時13分であるから定刻通りだ。 東京から北陸までの電車での道程は一般的に新潟周りの路線が選択される。 東京から越後湯沢までは上越新幹線。その後特急はくたかに乗り換える。 はくたかに乗り換えてしばらくして、雪のため運行ダイヤが乱れるかもしれないとの車内アナウンスがあったが、日本の交通インフラは世界に冠たるものだ。 電車は金沢駅のホームに滑り込む。最終的には一分の狂いも無く金沢に到着することができた。 学生風の若者は携帯音楽プレーヤーのイヤホンからシャカシャカと音を漏れさせながら、窓からホームの様子をのぞき込んでいる。 ビジネスマン風の男はおもむろに携帯電話を取り出しどちらかにメールを送っている。この車両乗降口に直江はいた。 彼が立つ3両目と4両目の連結部の乗降口には彼を含めて三人の男が立っていた。 ひとりは疲れたスーツを着たサラリーマン風の男。もうひとりは直江とともに金沢にやってきた高山であった。 電車が止まり、ドアが開いた。人気のないホームにアナウンスが響く。 「終点金沢、金沢です。お忘れ物のないようにご注意ください。ご乗車ありがとうございました」 直江と高山はサラリーマン風の男の後に続いた。二人は無言のまま改札口まで向かった。金沢駅の改札口は有人であった。 改札を抜けると目の前に駅ナカのコンビニが見えた。 「直江さん、腹減りませんか。」 「そうだな、あそこで何か買ってホテルで食うか。」 そう言うと二人は駅の構内の隅に陣取ったコンビニに入り、弁当とお茶をもってレジに並んだ。直江が先に会計を済まし高山が続く。 二人は駅の外に出ると身を屈めた。12月の金沢の夕風が二人の体を冷たく包んでいた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 19 Sep 2019
- 128 - 32,12月20日 日曜日 17時03分 金沢駅付近32.mp3 混み始めた幹線道路に一台のトラックが走行している。 ウィンカーを出すタイミングとハンドルをきるタイミングが極端に短く、大きな車体を乱暴に操りながら車の間を縫うようにそれは走っていた。 傍目から見ればかなり乱暴な運転である。 「あの…」 助手席にいた美紀が不安そうに口を開いた。が、運転席の赤松は無言である。 「危ないと思います…。」 美紀がそういうのも無理もない。 赤松がハンドルをきる度に車体が傾き、遠心力で彼女の華奢な体がシートの座面を滑るほどである。 赤松は彼女の言葉に反応を示すこと無く、ただひたすら前を向いて無言で運転している。焦っている様子はない。無表情に近かった。 普段は美紀に気さくに話しかけ、丁寧な運転をする彼であるだけに彼女は不安になった。ヒヤッとするたびに両足に精一杯の力が入ってしまう。 「…社長。わたし、何か失敗しましたか。」 信号待ちとなり、ふと助手席に座っている美紀の顔を見ると、目に涙を浮かべ今にも泣き出しそうだった。それを見て赤松は我に帰った。 ーしまった…。桐本さんの娘さんのことがあったってのに、俺といったら…。 「すまん…。」 信号が青になった。発信するときの彼のクラッチの繋ぎはいつものようにスムーズなものになっていた。 「君には一切関係の無いことや。俺が悪かった。謝る。」 赤松の頭は母の文子から聞かされた、父親の死の真相でいっぱいだった。 いや、真相かどうかは分からない。母の推測も多分にある。 赤松は父が自分の知らないところで闘っていたことは初めて知った。しかも誰にも相談せずに、一人で抱え込んでいたようだ。 そのために事故を装い、この世から葬られた可能性があるという事まで知った。 ー親父…何で…。 今日は凄まじい勢いで自分の周辺に変化が起きている。未だかつて無い激動の一日だ。自分の様子がおかしくなるのも無理もない。 店に帰れば、妻の綾は塞ぎ込んだまま。近所の桐本家にも弔問にいかねばならない。 この両者にはいったいどう言葉をかけていいか、分からない。そうこう考えるだけで、精神的にまいって来てしまう。そこに父の死の謎という大きな問題がふって湧いて来た。旧友である一色は連続殺人事件の容疑者。数年ぶりに訪ねて来た友人佐竹に、今自分の隣に座っている美紀はどうかと工作中。これほどまで自分の分身が欲しいと思った事はないだろう。 車が兼六園下の交差点で止まった。車窓から外をずっと眺めていた美紀がふと言葉を発した。 「今日は、天気が悪いのに人が結構いますね。」 赤松は美紀が見ている方を見た。そこの兼六園下の交番前には複数のアベックが手をつなぎ、信号待ちをしている。 ふと、赤松の頬に一筋の流れるものがあった。 ー桐本さんの娘さんも、今日はこうなるはずだった。 外は降雪のため非常に寒い。しかしアベック達は一様に笑顔である。 手と手を握りしめ、寒さに身をすくめながらも愛し合う者同士、共有する時間を満喫している。 山内美紀は彼の様子を見て何も言えなくなった。 降雪のため、普段より静寂さが増した車内には沈黙だけが続いていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 12 Sep 2019
- 127 - 31,12月20日 日曜日 17時16分 民政党石川県支部31.mp3 村上は民政党石川県支部の三階にあるホールの外にいた。受付に置かれたパイプ椅子に腰をかけて彼は携帯電話を触っていた。 ホールの中では本多善幸が支援者に対して、国土建設大臣就任の挨拶を先ほどから述べている。 「村上君。」 パリっとした身なりの小柄な男は村上の前に立って声をかけた。 「あっ専務。」 村上は慌てて携帯電話をしまい、彼の前に直立不動に立った。声をかけてきたのは本多善幸の実弟、本多慶喜だった。 「ああ、いい、いい。君も疲れているだろ。座ってなさい。」 そう言うと男は村上の隣に座った。 「恐れ入ります。」 「とうとうここまで来たな。」 「はい。」 「やはり今日は多いな。」 「はい。先生に対する期待の現れです。」 慶喜はふっと笑みを浮かべた。 「いや、地元選挙区で兄貴の代わりに飛び回ってくれた君を始めとする、優秀なスタッフがいたからこそだと俺は思う。」 「ありがとうございます。」 「あのな、小松空港で兄貴と話をしていたんだ。そろそろ我が党も新しい候補者を出さんといかんってな。」 村上は本多慶喜の言葉を聞いて身構えた。 「君も知っているだろう。石川3区の件だ。」 石川3区は奥能登の珠洲市から金沢市北部に隣接する津幡町や内灘町までの能登地区を中心としたエリアである。 小選挙区制が導入されてから、与党民政党は勝ち続けた。特にこの石川3区においては負けなしの実績を誇っている。 しかし、近年の不況を背景に現政権の経済制作に不満を持った国民の支持は野党政友党へとシフトしてきており、次期総選挙においては、この石川3区でも民政党が苦戦を強いられるのは間違いないと考えられていた。 現在の石川3区選出の議員は高齢で今期をもって引退する事を既に表明している。 そこで以前からこの選挙区の民政党の候補者を誰にするかという話題は上がっていたが、未だその結論は出ていない状況だった。 「あそこは今度は相当大変な選挙区になる。できれば従来の枠にはまらない話題性のある候補者がいいという事になってきている。」 「そのようですね。」 「そこで畑山君が良いのではないかと私は思っている。」 「…畠山さんですか…。」 「なんだ、不服か。」 慶喜は怪訝な顔をした。 ーまた慶喜の暴走が始まった。 畠山は本多善幸の最古参。東京第一大学卒業後、旧大蔵省に入省。10年間同省で勤務後、民間のシンクタンクへ転職。その後本多の秘書となった。現在48才。その卓越した政策立案能力は民政党の代議士の間でも一目おかれる存在であり、現に同党の代議士から引き抜きの誘いがあったほどだ。このような華々しい経歴と能力、若さを兼ね備えた人物が、次の総選挙で立つ。順番としては妥当だ。 「不服ではありません。順番として最も適切な人物です。」 そう言った村上の表情は、明らかに先程と比べて曇ったものとなっていた。 ー話題性も何も無いじゃないか。従来通りの学歴・キャリア重視だよ。 「君も知っている通り彼は非常に頭がいい。そして民間経験も豊富だ。しかし、だ…。」 「人心掌握の面で難有りですな。」 慶喜は自分の意図するところを、憚ること無く続けて言い放った村上の顔を見た。そしてしばらく黙り村上と目を合わせないように続ける。 「君の言うとおりだ…。そのため彼を立てるとなるとその補佐役が見つからんのだよ。」 ーいかん。この流れは俺にその補佐役をしろとでもいうような流れだ。 「畠山さんは非常に頭がいい。しかしあの方は相手に対して自分より頭が悪いと判断すれば、見下してしまう嫌いがあります。選挙を勝ち抜くとなるとそういった姿勢はいけません。選挙民だけならいざ知らず。自分の手足となって動いてくれる秘書についてはなおさらです。彼の特性を理解して、彼の代わりに選挙民に頭を下げて選挙活動が出来るくらいの度量をもった人物でないと補佐役は務まりませんね。私もあの人にさんざんいびられた口ですので、その大変さはよく知っています。誰が彼の補佐役が務まるか…。」 「君だ。」 先程から村上と目を合わせないようにしていた慶喜は、村上の目の前に立ち、彼の目を見て言い放った。 「は?」 「君にその役を引き受けて欲しい。」 ーほらきた。そんな大変なお役目はごめんだ。 「兄貴は君の仕事ぶりを評価している。厳しい戦いを強いられる石川1区で勝ち続けられたのは、君の力によるものが大きいと言っているんだよ。だから、その力をもって次の選挙で政友党を駆逐してもらいたいんだよ。」 村上はしばらく考えるフリをした。はじめからそのような損な役回りは受けかねると決めていた。 第一、選挙に大した協力もしていない慶喜が、善幸の実兄であると言うだけで細かいことに口出ししてくることが気にくわない。 民政党石川県支部の後援会組織でも畠山の評判はすこぶる悪い。善幸自身も政策能力は評価しているが、政治家向きではないと以前自分に漏らしていた。 おそらく畠山が慶喜とその周辺をとりこもうとして動いているのだろう。 「畠山さんの件、先生は了承されていらしゃるのですか。」 「いや、君がこの件を承知してくれれば話ができる。」 ーやっぱりか。これだから外野ってのは困る。好き放題言うだけだ。政治ごっこに付き合ってる暇はない。 「残念ですが、私は善幸先生の秘書です。先生のご命令なら従いますがこの件はそうではありません。いくら慶喜さまのご依頼と言えども先生の了承無しの単独行動はいたしかねます。」 村上の返答を聞いて慶喜は憮然とした表情であったが、しばらくして不敵な笑みを浮かべた。 「村上くん。君の同級生に佐竹という男がいたな。」 突然の話題の転換に村上は不意をつかれた。 「君の経歴に興味があって調べさせてもらった。高校の同級生だな。」 「…はい。」 「今でも時々連絡を取り合っているのかね。」 ーなぜ、こんなことを聞く。 「ええ…まぁ…時々ですね。」 「佐竹くんの当行での仕事ぶりは優秀だ。そして君も優秀だ。金沢北高は優秀な人間の集まりだな。」 「ありがとうございます。」 ーなんだ、突然気持ち悪い。 「わかるよな。」 「…いえ、おっしゃる意味がわかりませんが。」 「鈍いな。彼の出世だよ。」 会場では善幸の演説が終了したのか、満場の拍手が彼らふたりのいる場所まで漏れて聞こえていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 05 Sep 2019
- 126 - 30,12月20日 日曜日 16時50分 金沢市香林坊30.mp3 石川の流行と活気の集積地である香林坊に佐竹はいた。 クリスマスという時期はだれかに何かをプレゼントする時期。ただそう言う理由だけで先ほどまで女性に人気のプレゼントについて調べていた。 ネットが教えてくれたのは彼女らがもらって嬉しいプレゼント第一位は指輪だということ。 彼氏や意中の人から貰うという前提があるのだが…。 ほんの数時間前に佐竹はアサフスで山内美紀という女性に出会った。彼はこの女性に一方的に惹かれた。 ついさっき初めて会って、ひと言言葉を交わしただけの関係。こんな関係性で貴金属類のような高価なプレゼントを渡すのは相手にとって押し付けがましく、重い。嫌われる事てきめんである。バッグや財布等といったものも同じだ。 その他に何か気の利いた良いものはないかと佐竹はこの香林坊に来たのだが、ヒントは得られなかった。 つまり佐竹にとってそういったプレゼントを渡すのは時期尚早であるという事である。 香林坊にきてようやくその事に気づいた彼は、クリスマスを控えて活気づく街を眺めながら歩いていた。 一軒の洋菓子店の前を通りがかった。古くからあるような店構えで、若年層や最近の流行に媚びる様子は見受けられない。 「洋菓子・ケーキ」と飾りっけのない丸ゴシック体のような書体をペンキかなにかで直に書いた様な看板がかけられていた。 ―せっかくだからケーキでも買って帰るか。 そう思って佐竹はその洋菓子店に入った。 店には誰もいなかった。店内は外観とは違ってこぎれいであり、ショーケースの中には隙間なく整然と数種類のショートケーキとシュークリームが置かれていた。そのギャップに佐竹は少し期待をした。 ―ひょっとして隠れた名店発見か。 佐竹は「すいません」とやや大きな声を出して店の者を呼び出した。 すると年老いた女性がゆっくりとした動作で店の奥から出てきた。老いてはいるが、どこか品を感じさせる女性だった。 佐竹はショーケースの中にあったショートケーキを三つ注文した。するとその老女は話しかけてきた。 「誰かにあげるんけ?」 「いや、自分ひとりで食べますけど。」 「ほうですか。お客さん甘いもん好きですか。」 「いや、そんなに食べない方ですけど、何か久しぶりに食べたくなって。」 「んなら、これおまけしときますわ。」 そういうと老女はショーケースの中にあったシュークリームを二つ取り出し、一緒に紙箱の中に入れた。 「冷蔵庫に入れといたら明日まで保ちますから、試しに食べてくださいな。」 佐竹は遠慮をして一度断ったが、好意でやってくれているサービスを無下に断るのもいかがなものかと考えたのか、すんなり頭を垂れて感謝の意を表した。 店の外に出ると、再びちらほらと雪が舞ってきていた。 ーしかし弱ったなぁ…。こんなにたくさんのケーキ、俺食えないぞ…。 自分の車が止めてある駐車場に行く道すがら、香林坊の店々からクリスマスソングが流れてくる。 ー誰かに分けるってもなぁ…。 ふと両親の姿が思い浮かんだ。佐竹は就職を機に一人暮らしを始めた。一人前に給料をもらう歳になったら、身の回りの事は自分でやれという両親の方針によるものだった。 盆暮れには一応実家に帰っているが、それ以外で両親と顔を合わせることは基本的になかった。 親には特に孝行らしいこともしていないので、意表を突く形でこれを持って行っても良いと思った。 しかし、彼の脳裏によぎるものがあった。山内美紀の存在である。 この香林坊にやって来た主たる目的はケーキを買う事ではない。彼女に渡すさりげないプレゼントを物色するために来たのだ。 ―そうだ、こいつを何となく渡してみるか。 理由はどうとでもなる。先ほど赤松には花代をサービスしてもらった。そのお礼として、店のみんなで食べてくれという事ならば渡しやすい。 佐竹は両親には悪いと思いながらも、この考えは我ながら妙案だと思い、駐車場へと向かった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 29 Aug 2019
- 125 - 29,12月20日 日曜日 16時42分 熨子山連続殺人事件捜査本部29.mp3 「大変です。」 ひとりの捜査員が血相を変えて勢い良く捜査本部に入ってきた。 「何だ。手がかりが見つかったか。」 自分の頭の中をツリーのように書き出したホワイトボードと向かい合って座っている松永は右手に持ったマーカーをくるくると回しながら、ぶっきらぼうに言った。 「いえ、新たに被害者が出ました。」 松永の手が止まった。 「何だと。」 「先ほど七尾中署から連絡があり、顔面を鈍器のようなもので複数回殴打された遺体を発見とのことです。」 「顔面をか。」 「はい。死因と身元を特定するために、現在、金沢の石川大学医学部付属病院へ遺体を搬送中とのことです。」 「いつ到着予定だ。」 「18時半ごろです。」 「詳しい犯行現場は。」 「七尾市街地のとあるアパートの一室だそうです。」 「第一発見者は。」 「分かりません。電話での通報です。『人が死んでいる』と言って一方的に電話を切ったそうです。男の声だったようです。」 松永はゆっくりと立ち上がって拳を強く握りしめた。そしてその拳を目の前のホワイトボードめがけて叩き付けた。 ―奴だ。一色が通報したに違いない。 「くそっ!!」 捜査本部の捜査員たちは手を止めて、松永の方を見た。 「矢継ぎ早にコロシか。そうか、捜査を攪乱するつもりだな。おもしろい。やれるもんならやってみろ。お前がコロシをすればする程、手がかりは多くなる。」 松永はホワイトボードに貼付けてある一色の顔写真を睨みつけて、独り言を言っていた。 「関。」 「はい。」 「指名手配だ。」 「了解いたしました。」 「奴の行動範囲は俺が思っていたよりも広範のようだ。全国の警察の協力を仰げ。」 「はっ。」 続けて松永はそばにいた捜査員に指示を出した。 「おい。」 「はっ。」 「熨小山付近と金沢市全域に重点的に配置していた警備人員を石川県境に移せ。犯人を石川県内に封じ込めろ。県境の主要道を封鎖するだけでは手ぬるい。犯人逃亡のルートになる可能性がある道という道は押さえろ。」 「了解いたしました。」 ―必ず尻尾を掴んでやる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 22 Aug 2019
- 124 - 28,12月20日 日曜日 15時48分 県警本部内28.mp3 「あぁトシさんか。捜査の方は進んでるか。あのな、未明の遺体の身元が分かった。メモとれるか。」 「はい大丈夫です。控えられます。」 「ひとりは穴山和也23才。住所は銚子。もうひとりは井上昌夫これまた23才。住所は土清水だ。」 「穴山と井上…。」 古田の反応にかなりの間があった。気になった本部長の朝倉はそれについて問いかけた。 「どうした、トシさん。」 「…本部長。」 「何だ。」 「申し訳ございません。」 「は?」 「私、本部長に報告しておりませんでした。」 「トシさん。俺はあんたの言ってることがよく分からんが。」 「その名前、知っています。」 「あぁ、もう知っていたか。」 「いえ、違います。その男らの名前は三年前から知っています。」 刑事部の一角に設けられた来客用のスペースにあるソファに腰をかけ、そこに配された固定電話から電話をしていた朝倉は、自分と向かい合って座っている片倉の方を見て動きを止めた。 「なんだと。」 片倉は朝倉の表情を見て何か重要な情報が電話の向こう側からもたらされそうなのを察し、とっさに電話のスピーカボタンを押した。 「その二人はレイプ犯です。三年前、当時二課の課長だった一色の交際相手を強姦したと思われる男たちです。」 朝倉と片倉は驚きの表情でお互いの顔を見合った。 「そんな話、こっちまで上がっていないぞ…。」 「本部長、この件は事件になっておらんのです。」 「まさか…親告されていないからか…。」 「そうです。」 「くそっ!!」 喜怒哀楽をあまり表に出さない朝倉だったが、この時は感情的だった。目の前のテーブルを力一杯叩いた。 「本部長、落ち着いてください。私が代わりに電話に出ます。」 感情的になっている朝倉を落ち着かせるために、片倉は彼から受話器を奪った。 「トシさん、おれだ。」 「片倉。」 「一部始終は聞かせてらった。何でそんな大事なこと黙っとったんや。」 「すまん、部長命令や。」 「そうか…」 そう言うと片倉はそのまま腕を組んで、朝倉の方を見た。彼はすぐに冷静さを取り戻したのか、こちらの方を見て続けろと合図した。 「トシさんだけか、その事知っとる奴は。」 「多分な、後は当事者と部長しか知らんやろ。」 「なんでトシさんには部長は話したんや。」 「さあ、何でやろうな。ただ当時、部長が鬼捜査しとる中で精神的に参っとったのは、ワシは端から見ても感じ取れたけどな。ほやから、こっちから声をかけたんや、部長に。そしたら話をしたいことがあるって打ち明けられた。で、被害者が告訴するつもりがないようやから、自分で独自に捜査して犯人はある程度確定しとるって言っとった。できることなら、こいつらを法の下で裁いて欲しいと切に訴えとった。でも、被害者本人のことを考えるとどうにもできんと。なんとかこの事件のオトシマエをつけたいと言っとった。」 「で、殺してしまったってとこか。」 片倉がそう言うと、その場に沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは古田だった。 「現状の物証とか因果関係を考えると、そう考えるのが一番説明がつく。ただ…。」 「ただ?」 「いや、なんでもない。」 二人のやり取りをその場で聞いていた朝倉は、片倉に電話をかわるよう指示した。 「トシさん。幸い松永はその事は知らないようだ。どうだ、片倉とトシさんで捜査を続けてくれないか。」 「本部長。」 突然の朝倉の提案に、意表をつかれた。 「片倉も松永には相当頭が来ているみたいだ。自分の家のことは自分たちでオトシマエつけた方がすっきりするじゃないか。」 「いいですが…。」 「よし、決まりだ。」 そう言うと朝倉は片倉の方を見た。 「わ、わかりました。」 片倉は戸惑いながらも命令に従った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 15 Aug 2019
- 123 - 27,12月20日 日曜日 15時00分 金沢北高等学校27.mp3 金沢市北部の熨子山麓に位置する金沢北高は、文武両道を校訓とした厳格な校風の私立高校である。 どこの学校にもありそうな校訓であるが、ここはを堅実に実践し、その成果を挙げていた。 日本で最も偏差値が高いと言われる東京第一大学に、毎年卒業生を複数名送り込み、片やインターハイに出場する程の実力をもった部活動も数多く存在する。 標語だけが一人歩きするような学校ではなかった。 金沢北高では挨拶、身なりなどの規律面で校則に反したことがあれば、厳しく処分される。 また、先生や先輩の指示は絶対であり、それに背いた者には容赦ない制裁が科せられることとなっている。 このような昔ながらの軍隊的な校風にも関わらず、結果として実績を出しているので、人々はその校風を公には批判しなかった。 だが、近年ゆとり教育なるものが国の施策として採用されてから、保守一本の北高の校風を嫌ってか、受験生やその親たちがこの高校を敬遠するようになってきており、その影響で北高は厳しい経営状況にあった。 今日は日曜日だというのに、校舎に活気があった。 職員のものと思われる自動車も複数止まっている。きっと生徒の部活を監督するために休日でも出勤しているのだろう。 「すいません。誰かおられますか。」 正面玄関につけられたインターホンに向かって、古田はぼそぼそと声を発した。 「警察です。ちょっとお時間いただけませんか。どなたでも結構です。」 しばらくして「どうぞ。」と言う声が聞こえ、正面玄関の鍵が自動で開けられた。 玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて古田は職員室がある二階に向かった。 途中、数々のトロフィーや優勝旗、賞状などが飾ってあった。野球部、陸上部、吹奏楽部、サッカー部、その他様々な部活動の活躍を証明するもので、その多さに古田は圧倒された。 彼はふと足を止め、その中に剣道部のものがないか確認した。 「あった。」 古田は一つのトロフィーに目をとめた。 「第32回石川県高等学校剣道大会 団体戦 準優勝 金沢北高」 そう呟くと手帳にメモをした。 「こんにちは。」 元気のいい声をかけられて古田はその方向を見た。そこには生徒と思われる男子が歩いていた。 「あ、どうも。」 勉強や部活動の実績を挙げる以前に、その人間性を高めるために軍隊ばりの指導をしていることが、この生徒の挨拶を聞いた瞬間感じ取れた。 と同時に、警察という規律正しい仕事をしている自分が、この生徒と同じように挨拶ひとつろくにできないことをふがいないと感じた。 ―社会に出るとこんなもんか…。 古田は短く刈り込まれた頭をぽりぽりと掻いて、背中を丸めて二階にある職員室へと向かった。 職員室の前にはジャージ姿の教員らしき男が立って、古田を待っていた。その男は古田を見てお辞儀をし、応接室へと案内した。 「今日は生憎日曜日なため教頭はいません。私でよければ話を伺います。」 すると男は名刺を古田に渡した。古田はその名刺を見て、自分がこの男に誤解を与えていることに気がついた。名刺には生徒指導担当の肩書きが確認された。 「ああ、すんません。今日はおたくの生徒さんの悪さの話じゃないんですよ。」 対応の教員は意外そうに古田を見た。 「申し遅れました。私、こういうものです。」 そう言うと古田は胸元から名刺を取り出して教員に渡した。教員は両手でそれを受け取り、声を出して読んだ。 「県警本部、捜査二課課長補佐…。」 「ええ、ちょっとおたくの卒業生について聞きたいことがありましてね。」 中年の教員は困惑した表情で古田を見ている。 「あなたもご存知やと思いますけど、この近くの熨子山で事件があったでしょう。」 「ええ。」 「今、テレビとかで言われとる容疑者に見覚えありませんかね。」 「容疑者ですか?」 「はい。容疑者は一色貴紀。ここ金沢北高の卒業生です。」 「一色…。」 「はい。その一色について詳しく知ってらっしゃる方がいたら話をしたいんですよ。」 教員はしばらく黙り、ゆっくりと口を開いて言葉を発した。 「私がよく知っています。」 古田は前屈みになりながら、教員の目を上目遣いで見つめた。 「私は以前、一色が属していた剣道部の監督をしていました。ですから、私がこの学校では一番知っていると思います。」 「タイミングがいいですな。では早速ですがお聞かせ願いたい。」 「どうぞ。」 「一色は高校時代どういう人物でしたか。」 「当時から品行方正な男でした。勉強はあなたがご存知の通りできる男です。」 「部活動については。」 「彼が部長だった時に、県大会で準優勝の成績を収めました。当校において剣道部でここまでの結果を出したのは彼の代を除いて、後にも先にもありません。」 「特別な練習とかでもしたんですか。」 「いや、あ…でも、やったといえば、やったのかもしれませんね。」 「どんな。」 「当校は熨子山をランニングコースとしてよく利用しとるんですが、彼の代ではそれの応用といってはなんですが、熨子山全体を利用した鬼ごっこをしとりました。」 「鬼ごっこ?」 古田はメモの手を止めた。 「ええ、ただやみくもに走っているだけですと辛いもんです。そこでゲーム性のあるランニングにしたんです。といってもこれは結構辛いんです。山全体をつかいますから。」 「そりゃそうでしょうな。逃げる方も隠れるところがいっぱいあるし、鬼にしても待ち伏せできるところがわんさかある。しかもフィールドは広大と来たもんだ。」 「ええ。そりゃ始めは鬼は誰も捕まえることができませんでしたが、慣れとでもいうのでしょうか、動物的な感が研ぎすまされるのか、何となく気配を感じるようになるんですよ。意外なことに2週間もしたら、日没までには決着がつくようになっていました。」 「非常にユニークなトレーニングですな。そりゃ基礎体力がつくはずだ。ついでに勝負勘も身に付く。そして同時に熨子山の地理に明るくなる。」 「そうですね。いわゆる舗装された一般道を使用していると、見つかりやすいので自然と険しい道なき道を生徒は選択します。」 「今でもそのトレーニングはされてらっしゃるのですか。」 「いや、それは彼の一代で終了しました。同じ教員の間からけが人が出てもおかしくないと指摘されたからです。確かに今思えば危険なことを容認していたなぁって思います。でも、基礎体力や動物的な勘を養うには手っ取り早い方法だったような気もします。」 古田は教員の話す言葉の一言一句も逃さないようにメモをとった。 「で、刑事さん。こんな部活の話と今回の事件、何の関係があるんですか。」 「いや、まあ気にせんで下さい。大変参考になっておりますよ。」 「そうですか。」 教員は何やら腑に落ちない表情だった。 「刑事さん。」 「なんでしょうか。」 「私は正直複雑な気持ちなんですよ。自分の教え子が疑われているんですから。」 「お気持ちはよく分かります。それは私たち警察にとっても同じことです。一色は私の上司にあたりますから。とにかく事件の真相解明と容疑者の逮捕。これが先決ですので、ぜひともご協力ください。」 「わかりました。」 教員ははっきりしない表情で古田の意図を汲んだ。 「では、当時の剣道部の部員を教えてください。あぁ熨子山で鬼ごっこしとった部員だけで結構です。」 「自主的にやっとったトレーニングでしたんで人数少ないですよ。ええっと、確か12名だったかな。」 「名前は。」 「部長の一色。他には佐竹、村上、赤松、鍋島、千葉、沼田、安東、木戸、加藤だったと思います。」 さすがに聞き取りだけで人の名前を性格にメモすることはできないので、古田は教員にそのメンバーをフルネームで紙に書くよう依頼した。 すると、教員は職員室の方へ一旦戻り、卒業アルバムをもって応接室へと戻ってきた。 教員はひとりひとり名前と顔写真とを照らし合わせながら、古田に説明した。 「この中で、一色と特に深い繋がりがあったのは誰ですか。」 「そうですね、やっぱりレギュラーメンバーの佐竹と村上と赤松、そして鍋島でしょうかね。」 「今現在この人たちが、どこで何をしているか分かりますか。」 「そうですね…。みんな大学に進学していますから、その先はよく分かりません。鍋島だけが高卒で自衛隊に入っていますが、連絡も取っていないのでわかりません。」 古田は、メモ帳の鍋島の名前を円で囲んだ。 「どうして、鍋島さんは自衛隊に?」 「彼は飛び抜けて強かったんですよ。剣道には団体戦と個人戦とがあるでしょ。」 「はい。」 「一色の代は団体戦が県大で準優勝。個人戦では鍋島が県大優勝。インターハイ優勝の成績を収めています。」 「ほう、それはすごい。」 古田は素直に感心した。 「で、大学に行くのは遠回りだということで、そのスキルを活かすために自衛隊に入隊したんです。あの代の連中が結果を残せたのは、鍋島の強さに引っ張られたところもあるんじゃないでしょうかね。」 「そんなに強いなら当県警の戦力として欲しかったですね。」 「いや、彼は昔から軍事の方面に個人的に興味を持っていたようでしたから、警察は受けなかったのでしょう。」 「そうですか分かりました。」 そう言うと古田は、佐竹、村上、赤松、鍋島の当時の住所を控えて職員室を後にした。 玄関まで足を進めていると、吹奏楽部の練習だろうか、ホルンやトランペットの音が聞こえていた。何やら懐かしい感覚が古田を包んだ。 そんな矢先、彼の携帯電話が鳴った。 古田は足を止めた。 「はい、もしもし…。ええ…。はい…。えっガイシャの身元が分かったんですか。はい大丈夫です。控えられます。」 古田は携帯電話を左耳と肩で挟んで、器用にメモ帳を取り出してペンを握った。しかし、彼の手はそのまま止まった。 「穴山と井上…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 08 Aug 2019
- 122 - 26,12月20日 日曜日 15時00分 七尾市街地26.mp3 能登半島は海岸線が複雑に入り組んでおり、その景観の良さから観光スポットとして人気がある。 石川県外の方は、能登と言えば荒々しい男の海の風景を連想されるだろうが、それは外浦と言われる日本海側の海の事であり、内浦と言われる富山湾側の海はそれと反して穏やかで女性的な表情を持っている。 七尾市は内浦に面している。 能登島という島をもつ能登半島の中央部の都市であり、能登地区の中心都市としての性格を持つ。 地形的にも農林水産業が主たる産業となっており、そこから派生する二次産品や加工品が主な産業となっている。 また和倉温泉を中心に温泉場が多いのも特徴である。 この七尾市の市街地にあるアパートに男は住んでいた。 間取りは1DKと狭い。 部屋に敷かれた畳の色は最近張り替えたのか、青々としたい草の色そのもので、仄かに香っていた。 男はその部屋の中心にあぐらをかいて座り、背筋を伸ばし、肩の力を抜いて、両手のひらを上に向け重ね合わせ、その親指を触れるか触れないかのぎりぎりの線で静止させていた。 まるで禅僧のようである。 彼は部屋に唯一ある窓と向かい合って、目を瞑り、その呼吸を整えていた。 部屋の中には何も無い。テレビもラジオも冷蔵庫も電子レンジも。あるのは男の身一つと毛布だけだった。 インターホンが鳴った。 先ほどまで隣の部屋で何かの物音がしようが、外で犬が鳴こうが微動だにしなかった彼だったが、ここではじめて目を開いた。 そしてすっくと立ち上がり、玄関の方へ移動し、覗き窓からドアの向こう側を確認する。 そこにはコートを身に纏った訪問者の姿が見えた。 男はドアのチェーンを外し鍵を開け、言葉も発さずドアを開けた。 訪問者も彼に声をかける様子は無い。 彼はドアを閉め、手に持っていたコンビニエンスストアのレジ袋を男に手渡した。 中身が食料である事を確認し、先ほど瞑想していた部屋へ戻るため、男は訪問者に背を向けた。 訪問者は外してあった鍵を再びかけ、男に続いて部屋の中に入った。 畳に座ると男は差し入れられたパンと牛乳を貪るように食べ始めた。 その様子を訪問者は黙って見ている。 ほとんど噛む事無く、口に入れたパンを牛乳で流し込み、男は僅か3分で完食した。 相当腹が減っていたのだろうか。 食事を終えると彼の表情に変化が表れた。 目が虚ろになって来た。 何度か自分の目を擦るが、目は虚ろのまま。 自分を襲う虚脱感に抵抗して男はなんとか言葉を発した。 「計ったな…。」 そう言うと彼はそのまま横になり、眠りについてしまった。 男の様子を見届けた訪問者は部屋の隅にある毛布を幾重にも折りたたみ、彼の顔に被せた。 そして胸元から一丁の拳銃を取り出して毛布に銃口を密着させ、引き金に指をかけた。 消音化された発砲音が部屋の中に僅かに響いた。 男の頭から血液がしみ出し、毛布が徐々に赤く染まってくる。 青々とした真新しい畳にもその赤い血液が染み始めてきていた。 訪問者はキッチンのガスコンロから、スチール製の五徳を外した。 素振りしながら彼は倒れている男の前に再度立った。 そして毛布を外し、そこにある変わり果てた男の顔めがけて五徳を振り下ろした。 訪問者はこれを執拗に繰り返した。 腕を振り下ろすたびに、部屋の中に血が飛び散った。 顔面を破壊した彼は部屋を見渡した。 あらゆる箇所が血で染まっている。 押し入れに目を止めた訪問者はそれを開いた。 そこには革製の旅行カバンがひとつ入っていた。 彼はそのカバンの中を物色した。 中には衣類ばかりが入っていたが、それのサイドポケットの中を調べると、現金が入った封筒を見つけた。 封筒には銀行の名前が印刷されている。 訪問者はそれを自分の懐に納め、何くわぬ顔をしてその場から立ち去った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sun, 28 Jul 2019
- 121 - 24,12月20日 日曜日 14時05分 佐竹宅24.mp3 アサフスで購入した花が入った箱を手にして自宅に帰ってきた佐竹は、それをダイニングテーブルの上に置いた。 花が入った箱を丁寧に開封すると子豚のかたちの鉢に三種類の花が奇麗に収まっていた。 佐竹は花に関する知識は持ち合わせていない。だから、それらの花がどういった種類のものなのか分からない。彼の部屋には植物の類いは一切なかった。あるのは雑誌書類、パソコン、テレビ、その他家電、家具といったもの。この実用性のみを追求した部屋に植物が加わるのは異色であった。 だがそう言った環境だからこそ、花の存在感は大きかった。 テーブルの端に置かれたノートパソコンを開き、「12月 花」で検索をかける。そして上位に表示されたサイトを見た。眼の前の花とサイトを見比べて佐竹は子豚の鉢に収められているのは黄水仙、雪ノ下、プリムラである事を知った。 ーへぇ。そんな名前なのか、これ。 佐竹は花の説明と合わせて書かれている花言葉に目をやった。 黄水仙(キズイセン) 愛にこたえて 雪ノ下 切実な愛情 プリムラ 永続的な愛情 全ての花言葉に愛という言葉が入っている。それに気がついた佐竹は少し熱くなった。 ふらっと訪れた一見客。花をくれと言ったら愛があふれる花を提供された。もしやあの山内という女性、こちらに気があるのか?などと自分にとって非常に都合のいい解釈をしたのである。 しかしよく考えてみれば、この時期に花をプレゼントする状況というものは限られてくる。店に飾ってあったのはまさしく、今の時期にふさわしい花の詰め合わせだったのだ。「展示してあるものと同じものが欲しい」と言えば、必然的にそのような意味をもあった花が提供される。 当たり前の事に気づいた佐竹だったが、内心少し残念な気持ちになった。 ―なに浮き足立ってんだ、俺。 山内美紀とのきっかけを赤松から提供されただけで、気分がふわついている自分に気がついた。 ―そうだ、一色はどうした。 無理やり話題を変えるように彼はニュースサイトを開いた。トップを飾るのは熨子山連続殺人事件だった。だがその記事は11時で更新は止まっており、新しい情報はもたらされていなかった。 ―それにしても一色の奴、何で赤松のところに行ってたんだ。まさか、殺人の下見か…。いや待て…あいつは警官だ。警官なら俺の住所も知っているはずだ。…村上のも…。…と言う事はその気になればどうにでもできる…か。 冷静に考えてみると、一色に対して自分にできることは何もない。村上も同じであるはずだ。しかし村上は何かしらの行動を起こす旨を佐竹に伝えていた。個人の情報を抑えることができる立場である一色に対して、こちらには何の情報もない。丸腰で凶悪犯罪の犯人と接触を試みるというのであれば、無謀以外の何物でもない。 ―しかし、俺は一色に殺される謂れが無い。 いろいろと考えを巡らせているところに一通のメールが佐竹の携帯に届いた。 「村上?」 佐竹は本文を読んだ。 さっきは熱くなってしまってすまん。 熨子山を通ってきた。検問していたよ。一色が拳銃を持って未だ逃走中だから気をつけてくれって警官に言われた。 俺も何の仕事をしているのか、今からどこに行くのかとか色々聞かれた。警官の様子を見る限り、あいつら一色の行方について、何の手がかりもなさそうだ。一体あいつはどこに逃げているんだろう。俺も少し怖くなってきた。 今日は本多がこっちに来るから夜遅くなる。また、明日の晩にでもお前んところに電話するよ。 佐竹は村上のメールを一読し「わかった」と返信した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 25 Jul 2019
- 120 - 25,12月20日 日曜日 13時52分 フラワーショップアサフス25.mp3 外を見ると先ほどまで振っていた雪は止んでいた。 アサフスに面した山側環状線では、断続的に何台ものパトカーが熨子山方面へ向かっていた。ついさっきも機動隊の車が走っていった。異様な光景だ。 何か事件に展開があったのだろうかと赤松はテレビをつけた。しかし事件の続報を報じる局はなかった。サスペンスドラマやバラエティ番組の再放送、テレビショッピング等、日曜の日常がそこにあった。テレビのスイッチを切った赤松は店内の時計を見た。 時刻は13時52分。15時頃には葬儀会場の方へ行って、飾り付けを始めなければならない。 ―もうしばらくしたら、出んとな…。 心の中でそう呟いた赤松は、ふさぎ込んだ綾がいる二階の寝室へ向かった。彼女はベッドの中に潜り込んでいた。 「綾。」 返事が無い。 赤松は彼女のそばに寄って、再び声をかけた。しかし返事が無い。彼は返事を期待せずに話しかけた。 「今日は葬儀会場に美紀と行ってくる。…辛いと思うけど、店番頼めっかな。」 綾はベッドの中でごそごそと動いて、返事のようなものをした。 ―だめか。仕方が無い。母さんに頼もう。 赤松は静かに寝室のドアを締めて階段を下りたところにある和室の襖を開けた。老眼鏡を掛けた文子が新聞を広げて読んでいた。 「母さん。」 「何だい。」 「ごめんやけど、店番頼めっかな。」 文子は新聞紙に目を落としたまま赤松に答えた。 「いいけど、綾さんはどうしたんけ。」 「ああ、ちょっと体調悪いみたいねん。」 赤松は頭をかきながら、気まずそうに話した。すると文子はかけていた老眼鏡を外し、赤松の方を見て言った。 「桐本さんのことかね。」 「…そうや。何せ突然のことやから。」 「剛志。私、今テレビで犯人やって言われとる人知っとるよ。」 赤松と一色は高校時代の同期。部活動のことは家でも両親によく話していた。顧問や監督は厳しく、部長はこんな奴で、仲間はこんな奴がいる。親というのは自分が何気なく話したことや、人間関係のことをよく覚えているものだ。「どこそこの誰々さんは元気か」と自分でも付き合いがあった事を忘れている人物の名前を挙げて、質問してくる事さえある。母の文子が一色のことを覚えているのは当然だ。赤松は文子に「あの人は一色君でしょ」と言われる事を覚悟した。 「ああ。」 「あの人、昔、お父さんが事故で死んだこと聞きに来とったわ。」 「え?」 「ときどき、私がひとりで店番しとる時、ここに来とった。まさか、あの人が警察の偉いさんやって知らんかったわ。」 赤松は胸を撫で下ろした。文子は一色が赤松と剣道部の同期であったことを覚えていないようだった。だが、一色が父の事故死について何かを聞きに来ていた事に引っかかるものがあった。 「なんか、私、誰も信じられんわ。結局、警察なんて当てにならんげんわ。」 諦めの表情を浮かべ、ため息をついた文子は再び老眼鏡を掛けて、新聞に目を落とした。 「母さん。」 「なんや。」 「あの…俺…、父さんの事故の事、母さんから何も詳しく話し聞いとらんげんけど、何で俺に話してくれんが。」 新聞紙をめくっていた文子の動きが止まった。 「綾と結婚して、京都で普通にサラリーマンして、向こうで安定した生活しようとしとった時に、父さんが事故で死んで、母さん元気無くしとったから、こっちの方に帰ってきて、何も知らん花屋継いで、今まで頑張って来たんに、何であの事故のこと何も話してくれんが。何でいつもあの事故の事になったら、話はぐらかすんけ。母さんが辛いのは分かっけど、俺だって父さんの子供やぞ。俺だって何も知らんで辛いんや。」 赤松の感情が爆発した。感情的になっている彼の言葉を文子は黙って聞いた。 「ほんで、何け。一色には話したんけ。息子の俺に話せん事を、人殺しにぺらぺらしゃべったんか。あぁ?ほんなだらな。やっとられんわ。」 しばらく二人の間に沈黙が流れた。そして文子が力なく口を開いた。 「…ごめん。剛志…。」 文子の頬に一筋の流れるものを確認した赤松は、感情的になっていた自分に気がついた。だが、一度振り上げた拳を簡単に降ろす事はできない。彼は黙って文子を見つめるしかできなかった。 「あんたには本当に感謝しとる。でもこれ…約束やってん。」 「約束?」 文子は頷いた。 「でも、その約束をした一色君が、何でか分からんけどこんな事になってしまって…。」 やはり文子は容疑者があの一色だとわかっている。だが、赤松は文子の言葉の意味が分からなかった。一色が約束をしたとはどういう意味なのか。事故のことを何故自分に詳しく話してくれないのかということを詰問しただけなのに、どうしてそこに一色が入ってくるのか。 「ちょ、ちょっと待ってや。父さんの事故のことと一色の約束って何のことけ。」 文子は壁にかけてある時計に目をやった。時刻は14時15分を回っていた。 「剛志、あんた仕事にいかんなんやろ。」 そう言われて赤松も文子と同じ時計を見た。 「今、聞きたいんや。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 25 Jul 2019
- 119 - 23,12月20日 日曜日 13時08分 熨子山連続殺人事件捜査本部23.mp3 「未明のガイシャの身元が判明しました。」 察庁組だけが残る捜査本部に関が入って来た。捜査データを分析をしていたスタッフは手を止めて関の方を見た。 「報告しろ。」 「はい。ひとりは穴山和也。23才男性。住所は金沢市銚子。地元ガソリンスタンドに勤務する男です。県外出身者であり、アパートに一人暮らしをしていたようです。勤務先のガソリンスタンドの店長が、出勤日のはずなのに連絡がつかないとの事で警察に届けがあり、本人の特徴等を照らし合わせた結果、身元が判明したものです。」 「ほう。で、もうひとりは。」 「はい。もうひとりは井上昌夫。こちらも23才男性。住所は金沢市土清水。地元繊維会社に勤務する男です。今日の10時頃、同居人である女性から警察に捜索願が出され、特徴等を照合の結果、本人であると判明しました。この井上も穴山同様、県外出身者です。」 松永は関の報告を受けて、几帳面にA3サイズのコピー用紙にフェルトペンで相関図のようなものを書きながら、関に質問をする。 「あー、二人の関係は。」 「調べましたところ、二人とも香林法科大学の同期生であるということです。」 松永は二人の名前を一本の直線で結びつけた。そしてその直線の中心からさらに一本の線を引き一色の名前を書いた。穴山、井上、一色の三名が英字のTで結びつけられる。 「で、この二人と一色の関係は。」 「それが、全く分かりません。」 松永はペンを置いて、腕を組んだ。 「現在は両者の携帯電話の通話履歴の解析を進めています。」 「わかった、その事については早急に報告しろ。あと、その二人の死亡推定時刻はわかったか。」 「はい。どちらも19日の23時40分頃と推定されます。」 「早朝見つかった遺体は。」 「20日の0時35分頃です。」 「ふむう。」 腕を組んだまま、顎を引き背もたれに身を預けた松永はA3サイズのコピー用紙を眺めた。そして再度ペンを手に取って、一色の名前からもうひとつTの字を付け足して、間宮と桐本の名前を書き、双方のTの字に関から報告を受けた死亡推定時刻を書いた。 ―山小屋のコロシから展望台のコロシまで約50分か。この2つの地点は徒歩で約20分の距離だと聞いている。夜道だからそれが3割増だとしても36分。残りの14分は何をしていたのか。ホシはどうして山小屋で穴山と井上を殺してそのまま逃走しなかったのか。まさか何かの目的があって熨子山の展望台に行ったのか。どうして殺した相手の顔をめちゃくちゃにしなければならなかったのか。そもそもガイシャたちは何故、夜に熨子山の山小屋に行ったのか。 松永は考えを巡らせた。そこに部下のひとりが声をかけた。 「松永課長補佐。」 「なんだ。」 「今回の事件ですが、無差別殺人ではないでしょうか。」 松永はその言葉を聞いたとたん立ち上がり、その部下の座っていた椅子を右足で蹴飛ばした。その衝撃で彼はその場に倒れ込んだ。 「馬鹿やろう。てめぇどんだけサツの仕事してんだ。」 松永は倒れた部下の胸ぐらを掴み、自分の顔に彼を引き寄せ睨めつけた。 「え…。すいません…。」 「なんだぁ、てめぇ、ちょっと俺に蹴飛ばされたら前言撤回かぁ。」 「いえ、あの…。」 「お前、何の根拠があって無差別殺人なんて言ったんだぁ。言ってみろぉ。」 「い、いや、あの…。先ほどのガイシャと一色とは接点が無いと…。」 「接点がないと、どうなるんだぁ。説明してみなさい。」 相変わらず松永は彼の胸ぐらを掴んだままである。 「む、無差別殺人の動機は、い、怒りや復讐心といった感情が爆発した結果であ、あります。そのため犯人とは直接関係がない人間にその怒りの矛先がむけられることもあります。ほ、本件に関しても、お、同じような傾向があると思いましたので…。」 松永はそのまま部下を床に叩き付け、彼の腹部を右足で蹴り上げた。 「ぐっ…はっぁ…。」 「あのなぁ、もう一回学校で勉強してくるかぁ。」 その場にいた察庁組のスタッフは表情ひとつ変えずに、その様子を見ている。 「無差別殺人は怒りの爆発だというのは確かだ。だが、一色がその怒りを何に対して持っていたというんだ。人知れずひっそりとそのあたりの名無しさんを山の中で殺して何かの意思表示になるか。」 「あ、あ…。」 「いいか、これは連続殺人だ。そして快楽殺人だ。ガイシャの状況を見てみろ。みんな顔が無くなっている。特徴的だ。儀式的でもある。つまり人を殺す事そのものに意味がある。一色は捕まらない限り、必ずまた人を殺す。それが快楽殺人だ。動機なんざ無い。奴にとってこれはゲームなんだよ。」 松永はしゃがみ込んで倒れている部下を覗き込んだ。 「これは警察に対する挑戦だ。奴を舐めるな、心してかかれ。わかったな。」 「は、はい。」 「お前はガイシャが、どうして昨日の深夜に熨子山へ行ったのか。どういう手段で熨子山へ行ったのか。本当にガイシャらは一色と接点が無かったのか。それらを調べろ。」 狂人のようになったかと思えば、優秀な捜査官のようにもなる松永はまるで二重人格者のようだった。彼は自分の感情の起伏の激しさを逆手に利用して、人心掌握を巧みに行う術を知っていたのだろう。 「おい。」 「はっ。」 松永と目が合った捜査スタッフのひとりが返事をした。 「1時間後に山狩りだ。隈無くだ。所轄の捜査はどうも手ぬるい。100名程投入して熨子山全域を捜索しろ。その間は熨子山線も完全封鎖だ。」 捜査本部は慌ただしく動き始めた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 18 Jul 2019
- 118 - 22,12月20日 日曜日 11時48分 県道熨子山線 熨子町集落周辺22.mp3 熨子山の登り口にあたる熨子町の集落周辺は、松永率いる捜査本部の指示で検問の体勢をさらに強化する事となった。1時間前には3名の警官が検問にあたっていたが、さらに補充され6名の人員が検問にあたっていた。 熨子町に唯一アクセスできる県道熨子山線は石川県と富山県を結ぶ生活道路でもある。そのため事件後もいつもどおり石川・富山の双方からの往来があった。このように交通量が多い道路を完全封鎖するのは難しい。そのため警官の補充を持って検問体制の強化を図ったのだ。 事件現場から最も近い熨子町の集落では、所轄捜査員が全軒対象の聞き込み捜査を行っていた。当時の車の通行状況や、不審な人物の目撃情報を中心に尋ね歩いていた。 さすがに山である。平野部ではちらちらと舞っていた雪も、ここではうっすらとではあるが積もりはじめていた。 検問の任にあたっている、警官たちは寒さに身をすくめながら、時々この場所を通過する車輌を止め、検査していた。 一台のSUV型の車輌が石川県側からこちらに向かって来た。警官が警棒を高らかに上げ、止まるように合図する。車輌は減速し、警官の指示通り停車した。 「おつかれさまですー。どちらにいかれるんですか。」 警官が運転手に声をかける。 「ちょっと、高岡の方に用事があって。」 「そしたら、免許証見せてもらえます。」 男は車のギアをパーキングに入れ、サイドブレーキを引き、助手席に置いてあった鞄の中からそれを取り出して警官に渡した。警官は老眼なのか、その免許証を目を細くして見た。 「…村上隆二さん。」 「はい。」 「この道はよく利用されるんですか。」 「まぁ、そうですけど。」 「お仕事は何されとります?」 警官は警戒されないように、方言丸出しで村上に接している。 「秘書です。」 「秘書?」 「ええ政治家の。」 「政治家の秘書さんですか。へぇ…。こんな天気が悪いがに高岡まで。」 「まあ。」 「その高岡まで何しに行かれるんですか。」 ―いちいち面倒くせぇこと聞くな。 「党の会合です。」 警官が手を挙げて合図をすると、別の警官が二名こちらの方へやって来た。警官は免許証を村上に返した。 「そうですか。ご苦労さんです。あなたもご存知やと思うけど、ここの近くで事件あったもんで、一応この道を通る車の中を改めさせてもらっとるんです。ご協力のほどお願いします。」 「どうぞ。雪の中ご苦労様です。」 「じゃあトランク開けてもらえますかね。」 警官がそういうと、他の二人がトランクの方へ回りそれを開いた。瞬間、鼻を突くような臭いが二人を襲った。トランクの中には紙袋がいくつも積まれていた。金沢の老舗漬物屋の印刷が施されている。 「ああ、言うの忘れましたけど、トランクにはかぶら寿司が載ってますんで、臭いますよ。」 運転席側に立っている警官に村上はそう言うと、その警官は中を調べている二人の警官の方を見た。二人はこちらの方をしかめっ面で頷いている。 かぶら寿司は金沢の伝統郷土料理のひとつ。冬の日本海でとれる旬の魚、鰤を塩漬けにしたカブではさみ、人参や昆布と一緒に麹で漬け込み発酵させたものである。なれ鮨の一種とされており、カブの甘みと歯ごたえ、柔らかい鰤の食感、麹の酸味を味わう事ができる。金沢においては冬季限定で出回る高級食品でもある。麹で漬け込むため独特の臭いがし、そのためこの食品を嫌う人間もいる者も相当数いる。 ひととおりトランクの中を確認した警官が、「特に変わった容姿はありません」と報告すると、傍にいた警官が村上に尋ねた。 「もし差し支えがなかったらでいいんですけど、あなた、どなたの秘書さんなんですか。」 「本多善幸です。」 「ああ、本多先生ですか。それはそれはご苦労様です。道中気をつけてくださいね。」 「みなさんも早く犯人を捕まえてくださいよ。何か、おたくのお偉いさんらしいじゃないですか、今回の容疑者は。」 「ええ、大変ご迷惑をおかけしてます。」 「治安を司る警察幹部が連続殺人ですよ。しかもそいつは未だ拳銃をもって逃走中。」 「おっしゃるとおりです。なので十分に注意してください。」 「そちらも早いこと犯人逮捕お願いしますよ。」 「はい。全力を尽くします。」 「じゃあ。」 そういうと村上は窓を閉め、富山方面へと走り去って行った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 11 Jul 2019
- 117 - 21,12月20日 日曜日 12時22分 熨子駐在所21.mp3 「よう。」 駐在所の奥にある畳が敷かれた休憩室で横になって、うとうととしていた鈴木は、不意を討つ来訪者に睡眠を妨害された。彼は目を擦りながらその身を起こし訪問者の方を向いた。 「なんや、トシじゃいや。」 「おう、お休み中すまんな。」 熨子駐在所を訪れたのは、捜査二課の古田だった。 彼は休憩室に上がり、その畳の上にあぐらをかいて座った。 「どうしたんや。急にこんなとこに来るなんて。」 「まぁ、お前に直接、いろいろ聞きたい事あってな。」 古田と鈴木は昔なじみの同期の間柄である。どちらも年齢は59才。来年には定年を迎える年だ。だが、彼らの警察における階級は異なっている。古田は県警本部勤務の警部であるのに対して、鈴木は駐在所勤務の巡査部長だ。 この同期の二人になぜこれだけの階級の開きがあるかと言えば、それはひと言で説明すると、その生き方に要因がある。 二人とも高校卒業後から警察官としての職務を担っている。古田は元々、公務員採用制度に疑問を持つ人間だった。受験できる採用試験は学歴によって区別され、スタートラインも違えば、その出世の終着地点も違う。学歴が全てのこのシステムになんとか風穴を開けたいとの気持ちが、彼を「スッポン」の異名を持たせる程にさせた。ノンキャリでもやればここまでできるという手本を示したいという目標があったため、昇進試験を積極的に受けて警部まで昇進した。 一方、鈴木の方は地域密着の交番勤務の仕事を続けたいために、管理の仕事が多くなる昇進を望まなかった。よって古田とは違い、昇進試験はほとんど受けていない。警察署の地域課で仕事をした事もあったが、上司に直談判して、最前線の交番勤務に配置転換してもらった。交番がよく機能していれば、犯罪は未然に防ぐ事ができる。仮に予期せぬ犯罪が起こったとしても交番が機能していれば素早く対応ができ事件の早期解決ができるはずだ。これが鈴木の哲学だった。この哲学は鈴木の仕事ぶりを持って警察内部でも評価が高かった。まさに地域密着の頼れるお巡りさんである。 だが彼のこの哲学は家族には支持されなかった。何年立っても昇進しない彼の給料はご想像のとおりだ。家族は少しでも生活が楽になるように鈴木の出世を望んだ。しかし彼はその要望をことごとく退けて来た。 「なんやお前も熨子山の帳場にかり出されとるんか。」 「いや、わしは違う。」 「ふうん。」 鈴木は立ち上がって、石油ストーブの上に置いてあった薬缶を手に取った。朝方から火にかけられ続いていたそれは、木製の取っ手さえも持つのをためらう程の熱を帯びていた。彼は茶の用意をしようとそのまま台所の方へ移動した。 「ああ、気ぃ使わんでくれ。聞く事聞いたら退散するさかい。」 「なんや、俺が出す茶は飲めんって言うんか。」 奥の方で茶を入れていた鈴木が湯のみを持って元の場所に戻って来た。そしてそれを無造作に古田の前の畳の上に直に置いて勧めた。 「すまんな。」 そう言うと古田はそれに口を付けた。寒さがこたえる季節の熱い茶は、体を芯から暖めてくれる。古田は自然と息を吐いた。 「で、なんや。」 「あのな、お前、ここに配属されてどんだけになるん。」 「3年や。」 「ほんじゃ熨子山周辺の事には相当詳しいんか。」 「まぁ、たまに山菜採りとかもしとっから、大方の事は知っとる。」 「熨子山の展望台から麓の方に降りてくるためには、県道熨子山線以外にどんな道があるんや。」 「そらぁ、いっぱいあるわいや。ハイキングコースもあるし、農道もあるし、獣道もある。犯人が逃げようと思えば、何とでもなるわ。でも、この山の事を相当知っとる人間じゃないと、難しいやろな。」 「なんでや。」 「なんでって、古田ァ。おまえ何も知らんげんな。」 「あ?」 「あのな。夜の山っちゅうのは、真っ暗闇なんや。どこにも灯りがない。」 「どいや街灯くらいあるやろいや。」 「だら。それあんのはお前の言う県道熨子山線くらいや。そのほかの場所は何もない。辺り一面漆黒の闇なんや。」 「ほう。」 「先ずその暗闇で方向感覚が無くなる。ほんで足場も悪い。山にはいろんな植物があるやろ。あれらが夜になると夜露を纏ってくる。ただでさえ視界が悪いがに、よろよろ歩いとってそれ踏んで転ぶ事もある。」 「んで。」 「んで山やから坂道ばっかや。ただ転んでも勢いついてダメージ3割増し。運が悪けりゃ骨折。下手したら崖から転落なんちゅうこともある。ほんで今は冬や。ただでさえ寒い。こんな季節に山の中にポツーンって置き去りにされたら、凍死っちゅうことも十分にあるんや。」 「そいつは危ねぇな。」 「ああ。夜の山はなめんなよ。」 古田は鈴木から聞く、夜の山の怖さについて納得しながら相槌を打った。 「まぁ、っちゅうことは、ホシはその危険極まりないこの山のことを簡単に逃げおおせるほど熟知しとるってことやな。」 「ああほうや。俺でも夜の熨子山は怖くて近寄れん。しかしあのひょろっとした神経質そうな一色が熨子山のことをほんだけ知っとったっちゅうのは意外やわ。」 古田はしばらく考えた。そして背広の内ポケットから手帳のようなものを取り出して眺めた。その1ページには一色の略歴がメモしてあった。 「どうした。」 鈴木は古田に声をかけた。 「一色は金沢北高出身や。」 「あ?そうなん。」 「ああ。北高は熨子山の麓の高校。」 鈴木は腕を組んで、天井を見て考えた。 「そう言えば、北高の生徒が熨子山をランニングしとることがあるわ。」 「ほう。なんの部活や。」 「ほら野球の格好しとるやつもおれば、バレーみたいな格好しとるやつもおる。結構いろんな部活の連中が走っとるぞ。」 古田は「そうか」と言って手帳に記してある、一色の略歴の中の金沢北高という文字の下に線を引いた。 「ところでお前、こんなこと一人で調べてどうすらんや。」 「…。」 「じゃまねえがん。」 「何が。」 「察庁から来たっちゅう、警視正さん。えらい曲者らしいな。噂はワシの耳にも入っとる。」 鈴木は茶をすすりながら古田の様子を伺った。 「まぁ、ワシはあいつとは関係ねぇわ。勝手に引っ掻き回してくれや。」 古田は短く刈り込まれた自分の頭を掻いた。 「お前、二課やろ。この事件は一課のシマやろいや。」 「ほうや。ほやからワシはひとりで調べとる。」 「ひとりで?」 「ああ。ホシは刑事部長やからな。シマは確かに一課やけど。ウチんところも無関係じゃない。」 「まぁそうやけど…。」 「あいつは一応、かつてのワシの上司やからな。」 「そうやったな…。」 古田は畳の上に置かれたアルバムのようなものに気がついた。 鈴木は古田の視線を追って、彼が何を見ているかすぐに察した。 「ああ、何かウチの娘が今度、男を連れてくるって言っとったから…。」 「おう、お前んとこの娘はいくつになったんや。」 「26や。」 「何の仕事しとるん。」 「銀行。相手も同じ会社の奴らしい。」 「おめでとうございます。」 古田は鈴木の方に向かって、わざと仰々しく戦国武将のように頭を下げた。 「やめてくれや。俺なんて、あいつに何一つ父親らしい事してやってないんや。今言った、年の事とかどんな仕事をしとるかなんて事も、つい最近カミさんに言われて知ったくらいや。」 鈴木はそう言って、少しもの寂しげな表情になった。古田は彼の表情の変化を見落とさなかった。 「でもな、そうやってちゃんと親父に報告にくるっちゅうことは、娘の中でお前はやっぱり父親やってことや。ワシなんかそうなる前にカミさんに逃げられとるからな。」 古田は苦笑いをして、アルバムを手に取りそれに目を落とした。古田の言葉に今まで家庭を顧みず、自分の好き勝手に仕事をして来た自分に自責の念を抱いていた鈴木は、少し救われる気がした。 「なあ。」 「なんや。」 「身元が分かっとるガイシャ2人おるやろ。」 「おう。」 「どっちも同じ会社に勤めとったそうやな。」 アルバムを見ていた古田は顔を上げ鈴木の顔を見た。 「んでうちの娘と同い年。…ほやからなんか被って見えるんや。」 「…。」 「なんかなぁ、俺も他人事じゃねぇげんて。」 「…ワシもお前も他人事では済まされん、どでかいヤマやってことやな。」 「ああ。ほやから俺にできることは何でも言ってくれ。できることはなんでもする。」 「助かる。」 「トシ。お前の手でホシをパクってくれ。」 古田はしばらく黙り、鈴木の目を見て言った。 「…まかせろ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 04 Jul 2019
- 116 - 20,12月20日 日曜日 11時00分 金沢北署「熨子山連続殺人事件捜査本部」20.mp3 北署の大会議室に設けられた「熨子山連続殺人事件捜査本部」には捜査員が集結していた。 上座には松永を中心とした幹部組10名がずらりと並び、それと向かい合うように県警本部および所轄の捜査員総勢60名が座っていた。 上座の中には本部長の朝倉と警備課長の三好、金沢北署署長の深沢の三人の姿も見える。張りつめた空気の中でキャリア組とノンキャリア組がひとりひとりの顔を確認するかのように視線を動かしていた。捜査一課の片倉は松永の隣に座り彼の表情を横目で見ていた。 「それでは定刻となりましたので、始めます。」 上座に座っていた主任捜査官が240平方メートル程の大きさの大会議室内に響き渡る大きな声で会議の開会を告げた。 「今日から本件捜査の指揮を執る松永だ。」 挨拶すらせず松永は切り出した。 「事件発生から半日を過ぎることとなったが、現在、マル秘(被疑者)の行方に関わる情報はこの場に一切もたらされていない。」 松永は自分の前に座る捜査員全体をゆっくりと見回した。おおよその捜査員は渋い表情である。中にはうつむいて彼と目を会わせないようにする者もいた。 「三好警備課長。」 「はい。」 三好は46歳で松永より年齢は上であるが、階級は下である。 「検問状況を報告しろ。」 松永は三好の顔を見ずに報告を命じた。 「えー警備部が刑事部から検問の要請を受けたのは午前0時50分。警備員が現着したのは要請から40分後の午前1時25分。現場に通じる県道熨子山線は県境から熨子町までの区間を完全に封鎖。熨子山線に繋がる県内主要道についても検問を実施。その間熨子山線を通ろうとした者および車輌はゼロ。その他の検問所に置いても本件に関する不審な人物等は確認されておりません。本日午前7時に捜査本部が設置されたのを受けて、現場付近の捜索を行った結果、凶器と思われるものを発見しましたが、それ以外のマル秘に関する手がかりはつかめていません。」 三好は手元にある資料に目を落としながら状況を報告した。 「わかった。じゃあ捜査一課。」 「はい。」 松永の隣に座っていた片倉は横目で松永をみて返事をした。 「捜査状況をひととおり報告してくれ。」 片倉は松永の態度と身なりに不快感を抱いていた。捜査本部に入ってきても所轄や現場の人間には挨拶ひとつしない。しかも身なりはジャケットにノーネクタイのクレリックシャツ。上から第二ボタンまで外している。 いくら自分のほうが階級が下だとは言え、こんな無礼者の年少者から命令口調で指示されるのは気持ちがいいものではない。 しかし、警察組織において階級は絶対だ。片倉は不快感を顔に出さないように従順に振る舞おうした。 「それでは報告します。本日午前0時2分。熨子町ハ20在住の塩島一郎から通報を受けました。その約25分後の午前0時30分。熨子駐在所の鈴木巡査部長が塩島の保護をします。その10分後の午前0時40分には所轄捜査員が合流。通報者保護の場所から徒歩で5分先の現場にて2体の遺体を確認。午前0時50分には本部捜査員も現場にて合流し、付近の捜査を行いました。同時間には警備部に付近一帯の検問を依頼。検問に関しては先ほど三好警備課長から説明があった通りです。私は午前1時半に現着。1時間程周辺の捜査並びに鑑識による現場の検証を指示しました。そこでマル秘のものと思われる車輌、被害者の遺留品等の物的な証拠品を押さえ、深夜のため一旦捜査を打ち切りました。そして本日午前6時半には新たに通報が入り、深夜の現場からさらに車で10分程先に行った熨子山山頂にある展望台で男女2名の遺体を確認する事となりました。」 「あーもういい。」 「は?」 現在までの捜査状況を全て報告しようとしていた片倉は、突然言葉を遮られた松永の顔を見た。 「これだから所轄は困る。」 この松永の言葉に緊張が走った。 「なぜ初動で熨子山山頂の捜査をしなかった。」 松永ははじめて片倉の目を見た。 「熨子山展望台の駐車場には車輌が止まっていなかったためです。普通はその駐車場に車を止めてそこから舗装されていない道を5分程歩いたところにある展望台へと向かうのですが、本日発見された男女2名の被害者はそこを車で突っ切って、展望台の傍に駐車しておりました。そのために当時の段階ではそこまで気が回らず、捜査しておりませんでした。それに深夜の山中にて発生した事件のため付近には灯りがありません。その中で隈無く熨子山を捜査する事も難しく、また深夜のため人員の確保も物理的に不十分となります。よって現場を押さえて検問体勢を維持し捜査を一旦打ち切ったものです。それに、現場からの主要な道路は警備が到着する前の午前0時55分には押さえております。ですからこちらとしてはマル秘の逃走経路の封鎖についてはできる限りの事をしております。」 「結果どうなった。」 「え?」 「いいか。」 松永は立ち上がってゆっくりと歩き片倉の前に立った。 「お前らは駒だ。機械だ。機械が勝手に判断するな。」 あまりもの上から目線の発言に、片倉の表情に不快感がにじみ出てしまった。 「つまり今後は指示された事だけをしろ。指示が出ていない事はするな。そういうことだ。何でも現場の判断が正しいと思うな。」 「といいますと?」 「お前ら現場としての判断が男女二名の尊い人命を失わせた可能性があるというとだ。少なくとも事件発生当時は夜を徹して山の中を隈無く捜査するべきだった。」 「お言葉ですが。」 合理的ではない意見を述べる松永にさすがの片倉もものを申さずにはいられなかった。 「先ほども申し上げた通り、物理的に考えて夜を徹してその時に熨子山全体を捜査するのは合理的ではありません。現場としてはできる限りの対応をしております。百歩譲って当時の捜査に誤りがあるとしても、今はその検証よりかは今後どのようにすればマル秘を確保できるかという事ではないでしょうか。」 片倉の目の前にある机を松永は右腕で力一杯叩いた。その力で机は歪んだ。 「黙れ、ノンキャリの分際で俺にいっぱしのことを言うな。貴様は捜査員としては必要ない。この捜査からは離れてもらう。その反抗的な態度も気にくわん。」 松永の突然の片倉外しに捜査本部はどよめいた。 今まで時として本庁の人間が捜査に加わった事があったが、ここまで理不尽な追求と合理性の欠く発言をする人間は見た事が無い。片倉は松永の目を睨みつけた。 「言っただろ。お前らは機械だって。」 「機械…。」 「ああ。壊れた機械は必要ない。産廃だ。消えろ。」 ―だめだ、こいつ狂ってる。 そう思った片倉は手元に置いてあった捜査資料を片付けて捜査本部を後にした。 松永と片倉のやり取りを目の当たりに見せられた所轄捜査員は松永を睨み付けていた。 「おい、所轄。」 そう言うと松永は自分と向かい合って座っている捜査員60名の中から一人を指差して立ち上がらせた。 「お前、マル秘の名前を言ってみろ。」 捜査員の男は松永と目を合わせないようにした。 「一色貴紀です。」 「ほう。それはどんな男だ。」 「ど、どんなとおっしゃられても…。」 「じゃあ何のお仕事やってるんだっけ?」 「あの…警察官です。」 「役職は?」 「…県警本部刑事部長です。」 「あ?えーっと…それはお前らの親分だよな。」 「…そうであります。」 「ということは、お前ら所轄はマル秘の子分か。殺人鬼の子分か。」 松永は捜査員たちをあざけ笑った。 「座れ。」 捜査員は座り、その屈辱に肩を震わせていた。 「いいか、お前らの上司には重大な容疑がかけられている。そては現在の物証を見るに明らかなところだ。先ずはその事について恥と思え。そしてその汚名をそそぐためにもありとあらゆる手を尽くしてマル秘を確保しろ。そのためには一切の私情はこの捜査において挟むな。わかったな。」 先ほどまで狂人のように振る舞っていた松永は一転して捜査官の目になった。その変化に怪訝な顔をしていた所轄の人間達の表情は引き締まり、不思議と一体感を持った雰囲気となった。 「では、具体的な捜査の指示を発表する。」 そう言うと松永は着席し、関がその指示内容を発表した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Thu, 27 Jun 2019
- 115 - 81 12月24日 木曜日 15時53分 金沢北署Wed, 19 Mar 2014
- 114 - 80 12月21日 月曜日 20時09分 河北潟放水路Wed, 12 Mar 2014
- 113 - 79 12月21日 月曜日 19時49分 河北潟放水路Wed, 05 Mar 2014
- 112 - 78 12月21日 月曜日 19時08分 内灘大橋Wed, 26 Feb 2014
- 111 - 77 12月21日 月曜日 19時00分 金沢北署Wed, 19 Feb 2014
- 110 - 76 12月21日 月曜日 18時50分 県警本部Wed, 12 Feb 2014
- 109 - 75 12月21日 月曜日 18時23分 県警本部Wed, 05 Feb 2014
- 108 - 74 12月21日 月曜日 17時40分 金沢銀行金沢駅前支店前Wed, 29 Jan 2014
- 107 - 73 12月21日 月曜日 17時10分 田上地区コンビニエンスストアWed, 22 Jan 2014
- 106 - 72 12月21日 月曜日 17時23分 金沢銀行本店Wed, 15 Jan 2014
- 105 - 71 12月21日 月曜日 16時58分 金沢北署Wed, 08 Jan 2014
- 104 - 70 12月21日 月曜日 15時40分 本多善幸事務所Wed, 01 Jan 2014
- 103 - 69 12月21日 月曜日 14時50分 フラワーショップアサフスWed, 25 Dec 2013
- 102 - 68 12月21日 月曜日 15時45分 金沢市街Wed, 18 Dec 2013
- 101 - 67 12月21日 月曜日 15時24分 金沢市街Mon, 16 Dec 2013
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