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2005年から本格的に始めた全国を巡る私の「人物記念館の旅」は800館を越えるところまでになってきました。 この「聖人巡礼」では、主に近代現代日本を創った偉人たちの崇高な人生を観察し、そこから絞り出された珠玉の名言を蒐集してきました。 「偉人の名言366 命日編」では、その日に亡くなった偉人の名言を音声で紹介し、私の感想などを簡単に記した文章も配信いたします。 偉人の名言は人生百年時代の人生観を磨き上げるためのソフトインフラです。 一日一言を深く味わうことによって、充実した日々と、その集積である素晴らしい生涯を実現される一助になれば幸いです。 【久恒啓一】 図解Web:http://www.hisatune.net/ プログ:http://k-hisatune.hatenablog.com/ Facebook:https://www.facebook.com/keiichi.hisatune note:https://note.mu/hisatune メルマガ:http://www.mag2.com/m/0000272218.html ■Produced by KOELAB https://koelab.co.jp/
- 1003 - 6月30日 高宮行男(実業家、予備校経営者)
予備校教師は5者を兼ねなければならない。学者、医者、役者、芸者、そして易者だ
高宮 行男(たかみや ゆきお、1917年1月26日 - 2009年6月30日)は北海道出身の実業家で予備校経営者。学校法人高宮学園代々木ゼミナール理事長を務めた。
高宮の言う5者とは、学問を教える立場の「学者」。鬱屈した浪人生の心を支え、癒す「医者」。教室を舞台に見立て、教師役を演じる「役者」。艶やかな衣装や芸で魅せ、生徒の羨望の的となる「芸者」。そして志望校に導くアドバイスや“読み“ができる「易者」である。教育者に求められる理想の資質を見事に言い当てている。
【久恒啓一】
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■Produced by KOELABMon, 29 Jun 2020 - 3min - 1002 - 6月29日 地井武男(俳優)
ただ、スターは無理でも、味のある脇役ならなれると思ってたんです
地井 武男(ちい たけお、1942年5月5日 - 2012年6月29日)は、日本の俳優。
1963年に俳優座養成所へ第15期生として入所。
高校のころには「俳優になろう」と決めていたのだが、そのころからスターにはなれないと悟っていた。スターではなく、最初から脇役を目指したのだ。「アメーバみたいに、食べるものによって色が変わっていくような俳優になりたいんです」とも語っていた。昨日眺めた女優沢・村貞子『わたしの脇役人生』(ちくま文庫)では、沢村も「脇役」を語っていたが、男優・地井武男とも通じるところがある。二人とも日々の生活の楽しみを知っおり、味のある人物だ。その地井武男はテレビの『ちい散歩』に巡り会い、自分を総合するライフワークを残したのである。この幸運を引き寄せたのも実力だろう。
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■Produced by KOELABSun, 28 Jun 2020 - 3min - 1001 - 6月28日 宮澤喜一(大蔵官僚、政治家)
一億一心の対極、それがリベラル
宮澤 喜一(みやざわ きいち、1919年(大正8年)10月8日 - 2007年(平成19年)6月28日)は、日本の大蔵官僚、政治家。
現在では影の薄くなった保守本流、ハト派の宏池会の流れの中にあった宮澤喜一は、リベラルとは「一億一心の対極」にあると述べている。一億火の玉、一億総保守、、など時代の空気に同調しない。主義主張を声高に論じるのではなく、全体の制約から距離を置いて、独立した個人とした自由な生き方、自分で考えることを放棄しない、自立自尊、それがリベラルであるということだろう。心に留めておきたい言葉である。
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■Produced by KOELABSat, 27 Jun 2020 - 3min - 1000 - 6月27日 アルビン・トフラー(評論家、作家、未来学者)
将来の文盲とは、読み書きのできない人ではなく、学ぶことも、学んだことを捨てることも、また学び直すこともできない人のことである
アルビン・トフラー(Alvin Toffler、1928年10月4日 - 2016年6月27日)は、アメリカの評論家、作家、未来学者。
さて、トフラーは「学び、学んだことを捨て、学び直す」人でなければ、新しい時代を生きぬくことはできないという。情報産業の時代には、生命科学を含めてあらゆる分野の知識がものすごい速度で変化し、視界が大きく変わっていく。昨日学んだことを、今日は捨て去る。そして明日は新しい知識を学び直す。こういうサイクルに参加する気概がなければ、企業も個人も時代に置いていかれる。私たちは、自己革新の連続で生きていかなければならない。
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■Produced by KOELABFri, 26 Jun 2020 - 3min - 999 - 6月26日 辰巳渚(文筆家、考現学者)
『捨てる!』技術
辰巳 渚 ( 1965年11月27日 ー2018年6月26日)は、文筆家、考現学者 。
東京都立立川高等学校、お茶の水女子大学文教育学部地理学科を卒業後、パルコに入社。マーケティング雑誌『月刊アクロス』の編集者および記者となる、その後筑摩書房の編集者を経て1993年にフリーとなる。
辰巳は「捨てる」ことにも技術が必要だということを教えた。技術とは、誰もが一定の訓練をすることで一定のレベルに達するものをいう。「捨てる」と「技術」という無関係のようにみえるものを組み合わせたところが非凡な発想だった。半年で100万部を突破するベストセラーとなった『「捨てる!」技術』は、その後、この路線の延長線上に「断捨離」などのブームを起こし、世の中を変えた。
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■Produced by KOELABThu, 25 Jun 2020 - 3min - 998 - 6月25日 二代目 尾上松緑(歌舞伎役者)
舞台が好きになるか、ならないか
二代目 尾上松緑(にだいめ おのえ しょうろく、1913年(大正2年)3月28日 - 1989年(平成元年)6月25日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は音羽屋。重要無形文化財保持者(人間国宝)。日本芸術院会員。文化勲章。
器用な人はいい歌舞伎役者になることができるが、不器用な人も徹底してそうならそれはそれで味が出てくる、それが芸事の難しいところだと松緑は述べている。父は自分が不器用だと知っていた。上の兄・十一世団十郎は不器用さと役者っぷりのよさを合致させ成功した。そして松緑には不器用な自分の芸を移すことをせずに、六代目へ修行に出したのだ。偉大なる凡人の父は、後のことをよく考えていたのである。松緑は舞台は苦しいが、器用・不器用に関係なく、その「舞台が好きになるか、ならないか」が勝負であり、好きなればどこまでも行けるという。何事もそうだろう。
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■Produced by KOELABWed, 24 Jun 2020 - 3min - 997 - 6月24日 別所毅彦(プロ野球選手(投手、監督、解説者)
やろう、やれる、やるぞ
別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1999年6月24日)は、兵庫県淡路市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
別所毅彦は「やろう、やれる、やるぞ」の単純な反復で、目標を一つ一つ乗り越えてきた。管理者の立場では、部下を伸ばすために「壁」を設定してやることが仕事だと知る。目標という大きな壁を設定し、苦労で自信をつけさせ、その自負で高い目標に挑戦させるのである。野球の世界で得た哲学は、経済、経営、そして職業、人生でも同じである。一芸を極めるとはこういうことだろう。
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■Produced by KOELABTue, 23 Jun 2020 - 3min - 996 - 6月23日 吉永祐介(検察官)
巨悪は眠らせない
吉永 祐介(よしなが ゆうすけ、1932年(昭和7年)2月14日 - 2013年(平成25年)6月23日)は、岡山市生まれの検察官(第18代検事総長)。
吉永祐介は特捜部の絶頂期を形づくり、「巨悪は眠らせない」という名言を吐くなど大事件を手がけた「ミスター検察」と呼ばれた仕事師だった。 「われわれは汚れたところをきれいにするどぶさらい」だと言い、同じく池波正太郎『鬼平犯科帳』の主役である長谷川平蔵を好んだという。検事も裁判官も、その理想は「長谷川平蔵」だったのだ。現代の司法はその伝統を継いでいるだろうか?
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■Produced by KOELABMon, 22 Jun 2020 - 3min - 995 - 6月22日 滝沢修(俳優、演出家)
俳優の仕事とは、結局は自分がどんなに豊かであるかに尽きる
滝沢 修(たきざわ おさむ、1906年11月13日 - 2000年6月22日)は、日本の俳優、演出家。
滝沢修は戦前に治安維持法で捕らえられた1年4ヶ月の獄中生活の中で、小学校時から好きだったゴッホの伝記を読み、舞台化の夢を描き実現させる。『炎の人』は滝沢の当たり役となり、369回の公演回数を数えた。滝沢のストイックな演技は、自分を磨きあげたその豊かさから出ているのだ。ゴッホは自分の目が本当に見たものを描く。いらないものは捨ててしまう。大事なものだけ強調して描く。その画法は滝沢自身の演技法と通じるものがあると回想している。滝沢はゴッホに自分自身を見ていたのだ。自分以上の演技はできない。
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■Produced by KOELABSun, 21 Jun 2020 - 3min - 994 - 6月21日 増田通二(経営者、パルコ社長、会長)
本だけじゃダメだ。本物を見なければいけない
増田 通二(ますだ つうじ、1926年4月27日 - 2007年6月21日)は、日本の経営者。パルコ社長、会長。
増田通二は渋谷パルコのオープンの前年にスペインのバルセロナでガウディのサグラダ・ファミリア聖堂に出会い、頭を「ガーン」と殴りつけられる。47歳だった。建築という「定職」に導かれたという思いだった。自分もガウディのように自分の夢を見ようと考え、全国にパルコを建てていき、パルコがないのは新宿と横浜だけだというまでになる。増田のソフトとハードを動的に捉える力量は希有のものであった。本物との出会いが心に火をつけ、人生を変える。
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■Produced by KOELABSat, 20 Jun 2020 - 3min - 993 - 6月20日 早坂茂三(政治評論家)
世間に媚びを売らず、背伸びせず、自分を深く耕して一芸を身につけ、淡々とわが道を進む
早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 - 2004年6月20日)は、日本の政治評論家。
早坂茂三の人生の軌跡を眺めると、「背伸びせず、自分を深く耕して一芸を身につけ」ることに邁進した人だったと思う。それは、自分をよく知り、わきまえて、自分をよく知る人とともに歩んだ早坂という男の人生観と処世術である。深い共感を覚える。
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■Produced by KOELABFri, 19 Jun 2020 - 3min - 992 - 6月19日 美川英二(ラグビー選手)
交際費をたくさん使って一流の人達と一流の場所でたくさん会いなさい。そうすれば人を見極める力が養えるはずだ
美川 英二(みかわ えいじ、1933年8月17日 - 1999年6月19日)は、日本のラグビー選手、実業家。横河電機社長。
美川の言うように、組織のトップになると一流の人との接触による鮮度の高い情報入手と人物の見極め、そしてトップのあり方への示唆が、直接・間接に業績に直結するようになる。美川英二の葬儀時の奥様は「英二は戦士の如く働いたと思います。最後だけは私の我侭をお願いして家族だけで過ごすことが許されました」とお礼の言葉を述べた。何か切ない気もする。
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■Produced by KOELABThu, 18 Jun 2020 - 3min - 991 - 6月18日 山本直純(作曲家、指揮者)
直純死すとも音楽死せず
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、指揮者。
山本直純はクラシック音楽の大衆化による人々の民度をあげ、幸福度をあげる仕事をライフワークにして、その道を迷うことなく歩んだようだ。確かに「直純死すとも音楽死せず」だ。山本直純は大衆の中に生きている。大衆に音楽に親しむきっかけを与えた影響力の大きい偉い人である。
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■Produced by KOELABWed, 17 Jun 2020 - 3min - 990 - 6月17日 宿沢広朗(ラグビー選手)
銀行が必要ないと言えば、ラグビーに賭ける覚悟はある。ただ、両方やっていないと、価値がないんじゃないかと思う
宿沢 広朗(しゅくざわ ひろあき、1950年9月1日 - 2006年6月17日)は、埼玉県出身の元ラグビー選手、ラグビー日本代表監督。
日本の代表的銀行で出世を果たしながら、ラグビー監督としても大活躍するという二足の草鞋、いや現代流にいえば正真正銘の「二刀流」を見事に成功させた。宿沢は両方をギリギリまでやることに価値があると考えたのだ。この心構えとそれをやり遂げたのは見事だ。スポーツ関係者の不祥事が続く中、登山中に心筋梗塞を発症し55歳で急逝した宿沢がそのまま突き進んでいたら、どのような生涯を送っただろうかと同世代の英雄の姿を想像する。
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■Produced by KOELABTue, 16 Jun 2020 - 3min - 989 - 6月16日 住井すゑ(小説家)
生きるとは創造すること
住井 すゑ(すみい すえ、1902年1月7日 - 1997年6月16日)は、奈良県出身の小説家。享年95。
56歳からライフワークに本格的に取り組んだ住井すゑは、書くのが面白くて朝は寝ていられずに書きまくった。その時間が青春のときであった。長い準備期期間を過ごした後に、創造の喜びを手にし、古事記にかわる歴史を完成させたのだ。その勇気と気概に敬服する。
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■Produced by KOELABMon, 15 Jun 2020 - 3min - 988 - 6月15日 十四代目 酒井田柿右衛門(陶芸家)
職人は不器用な人がいい
14代目 酒井田 柿右衛門(14だいめ さかいだ かきえもん、1934年8月26日 - 2013年6月15日)は、有田焼を代表する陶芸家で、“酒井田柿右衛門”の14代襲名者。
小さな湯呑み茶碗でも数十人の職人が要る。技術の連鎖、職人の連鎖が連なって小さな湯呑み茶碗を完成させる。一人前の職人になるには20歳からはじめて50歳になるくらいまで努力が必要であり、ロクロが一人前にひけるには少なくとも20-30年はかかるのだ。作家は自分自身の世界を築くことが目的であり、職人の修行とは違う。職人は不器用な人がいい。「作家先生になるのか、窯のオヤジになるのか」、は名窯に生まれた者への宿命の問いだ。器用な人はなかなか根気が続かない。不器用な人は修行という態度で一心に時間と労力を注ぐ。落語など伝統芸能の世界でも同じ言葉を聞く。不器用は一種の才能だ。
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■Produced by KOELABSun, 14 Jun 2020 - 3min - 987 - 6月14日 谷岡ヤスジ(漫画家)
『鼻血ブー』『アサー!』『オラオラオラ』
谷岡 ヤスジ(たにおか ヤスジ、男性、1942年8月29日 - 1999年6月14日)は、日本の漫画家。
登場キャラクターは殺されてもすぐに復活するし、作風はエログロナンセンスであっても、谷岡の作品の底流に流れているのは、どうしようもない人間という存在にに対する深い愛情のように思える。
【久恒啓一】
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■Produced by KOELABSat, 13 Jun 2020 - 3min - 986 - 6月13日 村田英雄(演歌歌手、俳優)
足がなくても歌は歌える
村田 英雄(むらた ひでお、1929年(昭和4年)1月17日 - 2002年(平成14年)6月13日)は、日本の演歌歌手、俳優。
NHK紅白歌合戦には1961年に初出場、1989年までに通算27回の出場を果たした。村田は野菜嫌いで肉食であったこともあり、その人生は「糖尿病との闘い」でもあった。35歳で糖尿病を発症。1996年には右膝下12センチで切断。2000年1月には左足も同様に切断し、車椅子生活となる。「足がなくても歌は歌える」は自ら鼓舞をした言葉である。生涯現役のまま、村田英雄の豪快な「人生劇場」は73年の幕を下ろした。
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■Produced by KOELABFri, 12 Jun 2020 - 3min - 985 - 6月12日 木村次郎右衛門(長寿の男性)
責任の重さみたいなのを痛感している。1日でも長く元気でありたい
木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん、1897年(明治30年)4月19日 - 2013年(平成25年)6月12日)は、京都府京丹後市に在住していた長寿の男性である。
以上を総合すると、この人の長生きの秘訣は、体を使う農業、規則正しい生活、旺盛な好奇心、細い食の習慣、感謝の精神、、、などか。この人の肩書きに「長寿者」という肩書きがついているにのはびっくりした。生まれたのは19世紀の明治、15歳で明治が終わり、大正、昭和、そして終戦が48歳。それから戦後、平成、21世紀と生きぬく。存命人物のうち日本最高齢の男性になったとき、冒頭に掲げた言葉を語っている。記録保持をしている長寿者には長生きせねばならないという責任が生ずるのであろう。
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■Produced by KOELABThu, 11 Jun 2020 - 3min - 984 - 6月10日 水野晴郎(映画評論家、映画監督、タレント)
いやぁ、映画って本当にいいもんですね~
水野 晴郎(みずの はるお、1931年7月19日 - 2008年6月10日)は、日本の映画評論家、映画監督、タレント。
映画が好きでたまらないという映画人生がにじみ出る水野晴郎の解説と冒頭の短い言葉は今でも記憶に新しい。水野の場合は解説や評論であるが、対象は何でも、徹底した人生、一途の人には人々の尊敬の笑みがついてくるようだ。
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■Produced by KOELABTue, 09 Jun 2020 - 3min - 983 - 6月9日 塚本邦雄(歌人、詩人、評論家、小説家)
突風に生卵割れ、かつてかく擊ちぬかれたる兵士の眼
塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。
塚本邦雄の名前と業績については、恥ずかしながら全く知らなかった。今回作品に接してみて、跳躍する驚くべき発想、絢爛たる豊かな語彙、冷え冷えとした眼差しなどに深く感銘を受けた。「人間の愚かさ。『人間の』は、よけいだ。愚かなのは、人間以外にない」と塚本邦雄は言う、冒頭の歌「突風に生卵割れ、かつてかく擊ちぬかれたる兵士の眼 」は、戦争の悲惨さと人間の愚かさをわずか31文字であますところなく伝える衝撃の作品だ。
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■Produced by KOELABMon, 08 Jun 2020 - 3min - 982 - 6月8日 青木定雄(実業家)
常識的なことをしっかりやることが、これが革命なんです
青木 定雄(あおき さだお(通名)、1928年6月23日 - 2017年6月8日)は、日本の実業家。在日韓国人1世。MKタクシー創業者。
消費者からみて当たり前の常識を、自らの企業で徹底して工夫を重ね、実現していったという印象が深い。それが社内の意識を改革し、さらに業界と地域を越えて波及していき、世直しが実現しているという思いが青木定雄にはあった。経営手法や評価には、嫉妬も含めて賛否両論、そして毀誉褒貶があるのは当然だが、「経営は一つの総合芸術である」と考えた交通の革命児、風雲児であったことは間違いない。
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■Produced by KOELABSun, 07 Jun 2020 - 3min - 981 - 6月7日 日高六郎(社会学者)
自由からの逃走
日高 六郎(ひだか ろくろう、1917年1月11日 - 2018年6月7日)は、日本の社会学者。
ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を訳したことでも知られる。「人間の解放」を問い続けた日高は、自由を見つめていたのだろう。前近代社会の制度からの解放は「--からの自由」にとどまり、次の段階としての個人の諸能力の表現という「ーーへの自由」にまでは届かなかった。「--からの自由」は得たが、孤独や責任という新しい恐怖に直面することになり、自由を手放したくなる。それがヒトラーを生んだのだ。日高六郎は高い次元の「ーーへの自由」の存在する社会を夢見た。それは自我の確立した市民が自由に表現できる社会であり、それを実現する運動に生涯を賭けたのであろう。
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■Produced by KOELABSat, 06 Jun 2020 - 3min - 980 - 6月6日 なだいなだ(精神科医、作家、評論家)
人間、とりあえず主義
なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日)は、精神科医・作家・評論家。
1955年、慶応病院医学部神経科に入局、精神科医として勤務するかたわら、文筆活動を行う。医局には麻布中学の2年先輩の北杜夫がいた。
初老期では、今から取り組んでも中途半端に終わるのではないかと想い、大きなテーマに取り組む気持ちが萎えてきて鬱病になる。それでいいではないかと思えるようになったら鬱病はなおっていくと、この精神科医は言う。とりあえず主義者になればいいのだ。これがスペイン語の "nada y nada"(何もなくて、何もない)に由来するペンネームを持つなだいなだの主張である。完全でなければ、完遂しなければ、花開かなければ意味が無い、という強迫観念から脱し、とりあえず前に進もう。
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■Produced by KOELABFri, 05 Jun 2020 - 3min - 979 - 6月5日 佐藤棟良(フェニックスリゾート創業者)
大地に足跡を残せ
佐藤 棟良氏(さとう・むねよし。1919年1月1日-2015年6月5日)は宮崎のフェニックスリゾート創業者。
佐藤棟良は、裸一貫で事業を興し、82歳にしてまた裸一貫にもどった。しかシーガイアは残った。「大地に足跡を残せ」という哲学は、皮肉なことに壮大な失敗の軌跡として実現したのである。
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■Produced by KOELABThu, 04 Jun 2020 - 3min - 978 - 6月4日 林隆三(俳優、ナレーター)
感情を込めないと、我々役者は
林 隆三(はやし りゅうぞう、1943年9月29日 - 2014年6月4日)は、日本の俳優及びナレーター。
「『夢千代日記』の山根刑事は忘れることができません。素晴らしかったです」と共演した吉永小百合が語ったように「感情を込める」ことができる名優だった。この人の渋い演技は私も好きだった。70歳で亡くなったが、もっと俳優の道を進んでいたら、さらに記憶に残る名演技を楽しめたのだろう。人には寿命がある。
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■Produced by KOELABWed, 03 Jun 2020 - 3min - 977 - 6月3日 モハメド・アリ(プロボクサー)
肯定の繰り返しが信念につながる。その信念が深い確信になると、物事が実現し始める
モハメド・アリ(Muhammad Ali [muˈhɑməd ɑːˈliː]、1942年1月17日 - 2016年6月3日)は、アメリカ合衆国のプロボクサー。WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオン。
モハメド・アリはリング内とリング外の戦いも素晴らしいが、そういったキャリアと人生から形づくられた思想と叡智のこもったメッセージも偉大だ。肯定が信念を生み、信念が確信を誕生させ、確信が実現と成功をもたらす。そのくり返しの軌跡が、奇跡の人を生み出したのだ。アリは更に言う。「私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい」。そうだろう。
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■Produced by KOELABTue, 02 Jun 2020 - 3min - 976 - 6月2日 羽田健太郎(作曲家、編曲家、ピアニスト)
来年は今年よりちょっとだけいい音楽を弾けるようになりたい。それだけを思って走っています
羽田 健太郎 (はねだ けんたろう、1949年1月12日 - 2007年6月2日) は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。
冒頭の言葉のように、少しずつ上手くなろうという意志は持っていたが、飲酒癖があり、50代に入ると体調を崩すことが多くなった。多彩な才能が過労を招き、それを乗り越えるために飲酒で紛らわそうとしたのであろう。健康管理の大事さを58歳で亡くなったハネケンの早い死は教えてくれる。
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■Produced by KOELABMon, 01 Jun 2020 - 3min - 975 - 6月1日 松田道雄(医師、育児評論家、歴史家)
いい小児科医は歴史家でなければならない
松田 道雄(まつだ みちお、1908年10月26日 - 1998年6月1日)は日本の医師・育児評論家・歴史家。
親がいらいらして子どもにたいして平常心をもてないために子どもが緊張し、それが症状に出る。小児科医は診察を通じてその親子の格闘と成長を見つめ、励ましながら伴走する役割を持っている。主治医とは患者の歴史の目撃者であり、教訓の抽出者である。特に小児科医には子どもだけでなく親も含めた親子の歴史についての観察力が必要なのだろう。いい小児科医が歴史家であるとは虚をつかれる思いがするが、慧眼という外はない。
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■Produced by KOELABSun, 31 May 2020 - 3min - 974 - 5月31日 佐橋滋(官僚、通商産業事務次官)
古今東西のそれぞれの分野で偉かったという人の教えを受けてみる。それが本を読むということである
佐橋 滋(さはし しげる、1913年(大正2年)4月5日 - 1993年(平成5年)5月31日)は日本の官僚。通商産業事務次官。
佐橋は読書家で『毛沢東語録』の大事な教えとして「愚公山を移す」を挙げ、それを生活態度にまで高めようと言う。愚公が90歳で家の前の山を他へ移そうと思い、箕で土を運んだ寓話である。知巧を用いず、勉めてやまぬときは、ついに大事業をなしとげるというたとえだが、日本と中国国民党から中国共産党が政権を奪うという意志を示したこの説話は有名になった。『毛沢東語録』を熟読していることに精神の柔軟性をみる想いがする。知恵がある賢い人という意味で人間は自分自身をホモ・サピエンスと呼んでいる。つまり「考える人」という意味であり、それは疑うことでもある。人間は、現場を持ちながら読書で昔の偉い人の教えを受けていなければ動物に成り下がってしまう。佐橋滋は現場と読書を往復しながら疑う精神を持ち続けた人だった。
【久恒啓一】
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■Produced by KOELABSat, 30 May 2020 - 3min - 973 - 5月30日 粕谷一希(評論家、編集者、出版事業家)
金は遣えば無くなるが、頭は使えば使うほど良くなる
粕谷 一希(かすや かずき、1930年2月4日 - 2014年5月30日)は東京府出身の日本の評論家、編集者、出版事業家。
「頭は使えば使うほど良くなる」は夫人が観察した粕谷の口癖である。「日本が知的になるには、本を大事にするということから始めなければならない」、そのことが日本人を知的にすると信じていた。粕谷一希は、編集という天職を全うする中で、優れた人物との交流を続けながら、自らの生きた「時代」と格闘したのである。
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■Produced by KOELABFri, 29 May 2020 - 3min - 972 - 5月29日 新藤兼人(映画監督、脚本家)
私は仕事をして生きてきた。その仕事の中に私自身が含まれていると私は思います。仕事とは、私であり続けること、私とは何かを考え続けることなんです
新藤 兼人(しんどう かねと、1912年(明治45年)4月22日 - 2012年(平成24年)5月29日)は、日本の映画監督、脚本家。1997年に文化功労者、2002年に文化勲章。
「自分は世界で唯一の貴重な存在なんだと考えることが大切なんです」という新藤は「私の財産は、挫折なんです」というほど挫折が多かったが、それを財産として成長を遂げた。新藤は、映画人という天職に70年以上の期間を費やした。それは自己発見と自分づくりの100年におよぶ仕事人生であったのだ。「人は死んでしまうが、死なない人もいるのだ」。残した作品には永遠の命があり、新藤兼人は死んではいない。
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■Produced by KOELABThu, 28 May 2020 - 3min - 971 - 5月28日 藤村富美男(プロ野球選手、監督、解説者)
私の終生のライバルは、鶴岡(一人)さんただ一人です
藤村 富美男(ふじむら ふみお、1916年8月14日 - 1992年5月28日)は、広島県呉市出身のプロ野球選手・監督・解説者。
少年時代の沢村投手、現役時代の川上、別当など、気になる存在はいたが、藤村にとって南海ホークスで活躍した同じ呉出身の同年生まれの初代「ミスターホークス」で、プロ野球史上最多勝監督・鶴岡一人が終生のライバルであった。リーグは違ったが、その活躍を横目に見ながら、自分を鍛え、磨いていった野球人生であった。終生のライバルの存在は大きい。
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■Produced by KOELABWed, 27 May 2020 - 3min - 970 - 5月27日 山地進(日本航空社長、会長)
教育は大切だからね
山地 進(やまじ すすむ、1925年5月12日 - 2005年5月27日)は、総務事務次官を経て日本航空社長、会長。
1997年の私の宮城大への転出にあたって山地会長に挨拶に伺うと、「君は個性派だったからね。会社にとっては明らかに損失だが、本人にとっては、その方がいいだろう。教育は大切だからね」と励ましていただいた。「教育は大切だ」という言葉が耳にこだましながら仕事をし続けてもう20年になる。
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■Produced by KOELABTue, 26 May 2020 - 3min - 969 - 5月26日 山村聡(俳優、映画監督)
どうしても出演したい
山村 聰(やまむら そう、1910年(明治43年)2月24日 - 2000年(平成12年)5月26日)は、日本の俳優・映画監督。
日米合作の『トラ・トラ・トラ』は、黒澤明監督の降板事件があり、後任監督の人選は難航したが、「ハリウッドの映画制作に興味がある」という深作欣二が舛田利雄とともに共同監督として登板した。その主役の山本五十六は山村聡が演じている。山村はオファーを受け「どうしても出演したい」と東映側と相談し、ドラマ『あゝ忠臣蔵』と同時並行で撮影に臨んだ。風格俳優・山村聡の俳優魂を感じる逸話である。
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■Produced by KOELABMon, 25 May 2020 - 3min - 968 - 5月25日 米原万里(ロシア語同時通訳、エッセイスト、ノンフィクション作家、小説家)
よく聞きなさい、私は美人作家じゃなくて美人なのよ
米原 万里(よねはら まり、女性、1950年4月29日 - 2006年5月25日)は、日本の、ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。
米原はよく「美人作家」と呼ばれていたが、その尊号を拒否する。作家の中での美人というのはおかしい。作家は美しいかどうかは関係がない。だから自分は「美人」だとのたまった。同じロシア語に堪能で言葉に厳しい作家の佐藤優が「米原さんは美人作家ですから」と言ったら、このように怒られたという。米原万里の名は、様々の作家のエッセイに愛すべき、尊敬すべき人として登場するのを見ていたのだが、今となっては56歳で夭折した同世代のこの人の肉声を聞けなかったのを残念に思う。
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■Produced by KOELABSun, 24 May 2020 - 3min - 967 - 5月24日 西丸震也(食生態学者、エッセイスト、探検家、登山家)
やりたいことを、やれる時にやってしまえ
西丸 震哉(にしまるしんや、1923年9月5日 - 2012年5月24日)は、日本人の食生態学者、、エッセイスト、探検家、登山家。
2008年には長野県大町に西丸震哉記念館が開館している。活躍の軌跡を伝えるコレクションや、関連資料を展示する記念館だ。パプアニューギニアの部族に関するコレクション、珍しい蝶の標本、探検登山時代の写真やスケッチ、絵画なども展示されている。41歳寿命説を提唱した本人は90歳近くまで、やりたいことをやれる時にやって、名前の通り、世間を震わせたのである。
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■Produced by KOELABSat, 23 May 2020 - 3min - 966 - 5月23日 熊井啓(映画監督)
未覺池塘春草夢
熊井 啓(くまい けい、1930年6月1日 - 2007年5月23日)は、日本の映画監督。
多くの監督作が『キネマ旬報』ベスト・テンに選出され、ベルリン国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭の各賞を受賞した。日本を代表する社会派映画の巨匠である。
妻からは偽悪的で韜晦的でもあったとも評された熊井啓は、色紙を求められると「未覺池塘春草夢」と書いた。その夢とは映画をつくることであり、強じんな精神力をもって意気軒昂な姿でその夢を生涯持ち続けた。熊井啓は少年の志を持ち続け、実現した人である。こういう気概がものを生み出すのだ。
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■Produced by KOELABFri, 22 May 2020 - 3min - 965 - 5月22日 平岩外四(財界人、経営者、東京電力会長、第7代経団連会長
タフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きている資格がない
平岩 外四(ひらいわ がいし、1914年(大正3年)8月31日 - 2007年(平成19年)5月22日)は、愛知県常滑市出身の財界人、経営者。東京電力会長、第7代日本経済団体連合会(経団連)会長。
1976年の東京電力社長就任に記者会見で座右の銘を尋ねられて答えた「タフでなければ、、」はアメリカのハードボイルド作家・レイモンド・チャンドラーの小説の中で私立探偵フィリップ・マーロウが吐いた言葉である。ビッグビジネスのトップの言葉としての意外性から話題になった。殺人的スケジュールをこなすタフさとお客様へのやさしい経営を志したのだ。平岩は組織運営について言ったのだが、人びとは個人の生き方についての言葉として共感の波が広がった。私もその一人だった。蔵書は3万冊に迫る財界随一の読書家であった平岩だからこそ選んだ名言である。
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■Produced by KOELABThu, 21 May 2020 - 3min - 964 - 5月21日 藤山寛美(喜劇役者)
順番を待っているだけの人間には永久に順番が来ない
藤山 寛美(ふじやま かんび、本名:稲垣 完治(いながき かんじ)、1929年6月15日 - 1990年5月21日)は、日本の喜劇役者。
1951年の「桂春団治」では、寛美に与えられたのは主役の渋谷天外に「ツケを払うとくなはれ!」というセリフだけだったのだが、アドリブで延々とアホ役を続け、人気が沸騰した。やはり、寛美はただ順番を待つ人ではなかった。与えれたチャンスで出番をもぎ取る。その姿勢を生涯貫き、ついに喜劇王となったのだ。順番を待つだけの人には永久に順番は来ない。至言である。
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■Produced by KOELABWed, 20 May 2020 - 3min - 963 - 5月20日 牧野剛(評論家、市民運動家、河合塾講師)
曲がったキュウリ
牧野 剛(まきの つよし、1945年9月24日 - 2016年5月20日)は、日本の評論家、市民運動家。河合塾講師。
河合塾の名物講師であった牧野剛は「曲がったキュウリ」を合い言葉に、弱者の視点に立って権力の腐敗を衝く姿勢は、多くの学生に共感を呼んだ。現在の立憲民主党の辻元清美は教え子である。曲がったキュウリは八百屋などで選別されてしまい、お店に並ばずに処分されてしまうことが多いが、まっすぐなキュウリと比べても味は変わらず、むしろ強いという意味である。それは弱者に向けての励ましの言葉である。牧野剛はまがったキュウリに未来を託そうとしたのだ。
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■Produced by KOELABTue, 19 May 2020 - 3min - 962 - 5月19日 七代目 中埜又左エ門(経営者)
“衛”には守るという意味があり後ろ向きであるが、“エ”は工夫の“工”にも通ずる
七代目中野(中埜) 又左衛門(なかの またざえもん。本名は中埜政一。1922年11月28日−2002年5月19日)は、日本の経営者。半田市名誉市民。
1960年の七代目の襲名にあたり又左衛門を又左エ門に改めると発表した。「“衛”には守るという意味があり後ろ向きであるが、“エ”は工夫の“工”にも通ずる」という理由だった。歴史的な名前をそのまま受け継ぐのではなく「新しいミツカンを作り上げていく」という決意の表れだった。七代目は自らの名前を書くとき、見るときには、この決意を思い出していたであろう。初心を忘れないように自らを励ます仕掛けだったのだ。その心意気が七代目を「中興の祖」に押し上げたのである。
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■Produced by KOELABMon, 18 May 2020 - 3min - 961 - 5月18日 伊藤ユミ(歌手)
追いかけて追いかけて すがりつきたいの あの人が消えてゆく 雨の曲がり角
伊藤 ユミ(いとう ユミ、1941年4月1日 - 2016年5月18日)は、日本の歌手で、ザ・ピーナッツのメンバーである。ザ・ピーナッツの伊藤エミは双子の姉。
冒頭に掲げた「追いかけて追いかけてすがりつきたいの.あの人が消えてゆく雨の曲がり角」で始まる『恋のフーガ』(作詞:なかにし礼。作曲:すぎやまこういち)、そして「哀しいことも ないのになぜか 涙がにじむ」で始まる『ウナ・セラ・ディ東京(作詞:岩谷時子。作曲:宮川泰)、「京都 大原 三千院 恋に破れた女がひとり」で始まる『女ひとり』(作詞・永六輔。作曲:いずみたく)など、今でもかわいらしい姿と高い歌唱力と魅力的なハーモニーが甦ってくる。歌は人びとの人生に影響を与える。亡くなって気づくことが多いのだが、歌手という存在は偉大である。
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■Produced by KOELABSun, 17 May 2020 - 3min - 960 - 5月17日 古岡秀人(編集者、出版事業家)
戦後の復興は教育をおいてほかにない
古岡 秀人(ふるおか ひでと、1908年12月15日 - 1994年5月17日)は編集者、出版事業家。
古岡は社員には早くから「高齢化時代に社会貢献できることを用意しておきなさい」と語っていた。現在の学研ホールディングスは、「教育」を基軸に出版事業、塾事業、教材・教具の制作・販売、保育園の運営に加え、創業者の言葉通りに高齢者住宅、介護サービス等、医療福祉分野にも事業を展開している大企業となっている。今日の学研の隆盛は古岡秀人の時代を見る「目」が冴えていたことを証明している。時代をどう見るかが事業の成否を決める。
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■Produced by KOELABSat, 16 May 2020 - 3min - 959 - 5月16日 邱永漢(実業家、作家、経済評論家、経営コンサルタント)
人生とは、「お金」という煉瓦を「時間」というセメントで積み上げていく作業工程
邱 永漢(きゅう えいかん、1924年3月28日 - 2012年5月16日)は、日本および台湾の実業家、作家、経済評論家、経営コンサルタント。
お金や株に関する著書が多く、文壇からは異端視されたが、人気は高かった。私も若い頃には読んで参考にしていた。邱永漢は文筆業に志があったのだが、人から相談を受けて事業や資金運用についてアドバイスをしているうちに、自分で実験した方が早いと考え、好奇心と冒険心を発揮して様々な事業に手を染めた。お金の悩みはあらゆる職業、あらゆる年齢の人にまたがっている。悩みは秘密と重なっているから自然に天下の情勢に通ずるようになったという。充実した人生の鍵は、お金と時間の相関にある。
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■Produced by KOELABFri, 15 May 2020 - 3min - 958 - 5月15日 高坂正堯(国際政治学者)
古典を読んでわからなければ自分をアホだと思いなさい。新著を読んでわからなければ、著者をアホだと思いなさい
高坂 正堯(こうさか まさたか、1934年(昭和9年)5月8日 - 1996年(平成8年)5月15日)は日本の国際政治学者。
29歳で『現実主義者の平和論』でデビューした高坂正堯は「私は下賀茂に住まう京都人として死にたい」とつぶやき、若くして惜しまれながら世を去った。
この文章を書きながらもはや古典となった感のある高坂正堯の書を含め、やはり古典に親しむべきであるとの想いを強くした。
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■Produced by KOELABThu, 14 May 2020 - 3min - 957 - 5月14日 鈴木俊一(政治家、第9~12代東京都知事)
節目節目に古井(喜実)さんという人がいろいろな形で登場するんです
鈴木 俊一(すずき しゅんいち、1910年(明治43年)11月6日 - 2010年(平成22年)5月14日)は、日本の政治家、内務・自治官僚。第9~12代東京都知事。
都知事4選の選挙では真向法で柔らかい体を見せて驚かされたことが記憶にある。「地方自治の巨星」鈴木俊一は2010年に99歳で死去。わずかに数ヶ月100歳に届かなかった。この人の立派な経歴の中でも古井喜実という若い時の上司がたびたび登場する。これほどの人でも大きな転機には必ずこの先輩に相談している。やはり、人には仰ぎ見る「師匠」が必要のようである。
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■Produced by KOELABWed, 13 May 2020 - 3min - 956 - 5月13日 瀬戸雄三(実業家)
リーダーは不満や行動ができない理由などを引き出して負担を取り除かねばならない
瀬戸 雄三 (せと ゆうぞう、1930年2月25日 - 2013年5月13日) は日本の実業家。
絶頂期に入社し30年続く転落で「夕日ビール」と揶揄されたアサヒビールの社長としてスーパードライを無敵の商品に育て上げた人である。
波瀾万丈での企業人生を送り、「変化と挑戦」を続けた瀬戸雄三のリーダー論の中で、私は不満や理由を取り除き現場の負担を解消するという考えに共鳴する。公式な報告だけでなく、現場の本音の「生」の情報に接して、情報の坩堝となって問題のありかをとらえるべきだ。スーパードライと同様に問題の「鮮度」に敏感に反応し、明快な解決策を講じ、すぐさま実行していく。そのサイクルをまわす役目が目指すべきリーダー像であろう。
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■Produced by KOELABTue, 12 May 2020 - 3min - 955 - 5月12日 蜷川幸雄(演出家、映画監督、俳優)
大きい物語を書くことを恐れるな
蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2016年5月12日)は、日本の演出家、映画監督、俳優。
小さなつぶやきで成り立つ演劇は現在の社会の姿と同じだからインパクトはない。演劇の場所は大きな物語を語ろうとするところにあるのだ。こういう蜷川幸雄の時代に対する強烈なメッセージは、私には小さな物語ではなく大いなる物語を描こう、矮小な計画ではなく遠大な構想を持て、そして閉塞的な状況を突破せよ、と聞こえる。
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■Produced by KOELABMon, 11 May 2020 - 3min - 954 - 5月11日 亀倉雄策(グラフィックデザイナー)
人生のなかだるみの第一波は40代後半。問題の第二波は50代半ばにくる
亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 - 1997年5月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。
文化功労者に選ばれた時期に書いた著書『直言飛行』では、人生を考えるようになる「中だるみ」の第一波は40代の後半にやってくるという専門の医者の説を紹介している。問題の第二波は50代半ば頃にくるという。この説に当てはめると、40代後半で私は大学への転身で中だるみの第一波を乗り切ったということになる。また50代半ばから新しいテーマである「人物記念館の旅」に熱中していったのも説明できそうだ。70代半ばに書いた亀倉雄策のこの説には納得する。
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■Produced by KOELABSun, 10 May 2020 - 3min - 953 - 5月10日 難波康子(登山家)
やはりエヴェレストは大変である。登った人はどんな形にせよ尊敬する
難波 康子(なんば やすこ、1949年2月7日 - 1996年5月10日)は日本の登山家。
難波は国際宅配のフェデラル・エクスプレスの人事部に所属するOLだったから苦労も多かった。遺品となったノートに女性がヒマラヤに挑戦する困難さを以下のように記している。働いていなければ資金が難しい。働いているとバケーションの問題。周りの理解。男性隊にまじった場合には登らせてやるという感じ。結婚・出産・子供の問題。、、。冒頭の言葉のように難題をクリアーした女性登山家を尊敬したのだ。女性登山家の抱える難題の山はエベレストよりも高かったかもしれないことを想像させる。
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■Produced by KOELABSat, 09 May 2020 - 3min - 952 - 5月9日 安藤太郎(実業家)
経営の一番のキーポイントは情報処理。情報が不的確だと明確な企業ポリシーはできてこない
安藤太郎(あんどう たろう、1910年(明治43年)1月3日 - 2010年5月9日)は、宮城県出身の実業家。
安藤の積極経営の資源は「情報」だった。確度の高い情報を入手し、吟味し、明確なポリシーをつくりあげて、組織と集団に方向感を与えて戦いに勝利する。それは都銀懇話会でライバル銀行の俊秀との切磋琢磨で磨き上げ身につけたやり方だったのであろう。安藤太郎は、98歳で健康を害する2008年まで住友不動産の相談役として過ごしている。自宅で、老衰で亡くなったのは、100歳だった。
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■Produced by KOELABFri, 08 May 2020 - 3min - 951 - 5月8日 テレサ・テン(歌手)
わたしはチャイニーズです。世界のどこで生活していてもわたしはチャイニーズです
テレサ・テン(1953年1月29日 - 1995年5月8日、中華圏で使用された名前は鄧麗君〈デン・リージュン〉)は、台湾出身の歌手。
中国本土以外の国に住んでいる中国籍も持つ華僑や、移民である華人たちは、中国人(チャイニーズ)としての誇りを強く持っており、政治体制の違う自身の経済活動を営む国に貢献しながら中国本土の動向を見守っている。そういう複雑な彼らの心理と意識がテレサ・テンの冒頭の発言によく現れている。「私は自由でいたい。そして、全ての人たちも自由であるべきだと思っています」と言うテレサ・テンは作家の三浦しをんが言うように「才能と知性と感受性にあふれた」女性であった。2000年には中国のGDPは日本の4分の一だった。没後、20数年経った今、日本の3倍の経済力を持つようになりつつある中国の躍進と政治体制をテレサ・テンはどのように見るだろうか。
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■Produced by KOELABThu, 07 May 2020 - 3min - 950 - 5月7日 安宅英一(総合商社安宅産業の会長、芸術のパトロン)
人でも、ものでも、結局のところは品ですね。品格が大切です
安宅 英一(あたか えいいち、1901年1月1日 - 1994年5月7日)はかつての総合商社安宅産業の会長で、同時に芸術のパトロンである。
もの自身をして語らしむことを念じていた安宅英一は文章をほとんど残さなかったが、言葉は残っている。「ものは、三顧の礼をもって迎えるべし」。「人にお辞儀しているわけではなく、その後ろにものが見えるのですよ。 ものに向かってはいくらお辞儀してもし過ぎることはありません」。冒頭に掲げた「人でも、ものでも、結局のところは品ですね。品格が大切です」という名言は、手触りの肌合いが心地よい品のある質感と、格の高いひびきの調子が大事なのだという考えだろう。ものは人である。
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■Produced by KOELABWed, 06 May 2020 - 3min - 949 - 5月6日 松下圭一(政治学者)
歴史の変化のなかに現実の構造変化をみ、また現実の構造変化を推し進めて歴史の変化をつくりだす
松下 圭一(まつした けいいち、1929年8月19日 - 2015年5月6日)は、日本の政治学者。
松下圭一の方法は「歴史の変化のなかに現実の構造変化をみ、また現実の構造変化を推し進めて歴史の変化をつくりだす」であり、市民起点の自治体改革から始まる市民型構造改革」が立ち位置である。そのためには、価値合意を求めるための「構想力」の訓練が必要であるとする。思想−構想−現場−改革−思想という思考循環は、「現場」を熟知した理論形成であり、深い説得力と広い影響力があり、自治体職員など実務家にもファンが多かった。その松下は、最晩年には日本沈没を予感し、市民社会構築への課題を提起して逝った。現今の社会を眺めると、その課題は的確であると改めて感じ、身が引き締まる思いがする。
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■Produced by KOELABTue, 05 May 2020 - 3min - 948 - 5月5日 古川薫(小説家)
樹液の環流を聴く樵のようでありたい
古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018年5月5日)は、日本の小説家。
初めて直木賞候補となった40歳から、候補は数年おきに10回に及び、25年越しの65歳でようやく宿願を果たし、その後も作品を書き続けた。「樹液の環流を聴く樵のようでありたい」は絶筆の中にある郷土作家・古川薫の「志」である。長州・山口という大木の中の樹液のごとき人々とその環流である歴史を樵のように耳を澄まして聴き続け、上等の椎茸のような作品を上梓し続けたこの遅咲きの継続の人に学ぶべきことは多い。
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■Produced by KOELABMon, 04 May 2020 - 3min - 947 - 5月4日 長洲一二(政治家、経済学者)
できるだけ、本物に接しておきたい
長洲 一二(ながす かずじ、1919年7月28日 - 1999年5月4日)は、日本の政治家、経済学者。
忙中の小閑を得たら大切な本質的なものごとに触れておきたいという気持ちが起こる。宗教に惹かれる長洲一二は「考える知事」を目指し、本物、本質を追ったからこそ、20年という長い歳月を走り得たのであろう。
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■Produced by KOELABSun, 03 May 2020 - 3min - 946 - 5月3日 長田弘(詩人、児童文学作家、文芸評論家)
自分たちの目の前にあるもの 平凡なものが一番 本当は奇跡じゃないかと思われてならないですね
長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 – 2015年5月3日)は、日本の詩人、児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。
長田によれば、人はそれぞれ海、山、川という風景を背負いながら前進するが、いつしかその風景を忘れてしまう。しかし、自然と共生している眼の前の日常こそ奇跡なのだ。長田弘という詩人は、「後の人々の目印になるものを」を書こうと志した。それが人々の心を打つ詩として残った。
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■Produced by KOELABSat, 02 May 2020 - 3min - 945 - 5月2日 槇有恒(登山家)
頂点に立つ人々の光栄は大きいが、その光栄はすべての仲間のものである
槇 有恒(まき ゆうこう、「ありつね」とも、1894年(明治27年)2月5日 - 1989年(平成元年)5月2日)は、宮城県仙台市出身の日本の登山家。文化功労者、仙台市名誉市民。
岩波新書『私の山旅』には「頂点に立つ人々の光栄は大きいが、その光栄はすべての仲間のものである」という言葉がある。マナスルという巨峰の征服という大プロジェクトは隊員12名、シェルパ20名、ポーター400名などで構成するチームが大きなピラミッドを築き上げるようなものであり、最終的に誰が頂上に立ったかは大きな問題ではないということだ。山行のリーダーの至言であるのだが、大小にかかわらず、プロジェクトとはそういうものである。
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■Produced by KOELABFri, 01 May 2020 - 3min - 944 - 5月1日 戸川幸夫(小説家、児童文学作家)
犬にも人間と同じように心があるんだよ
戸川 幸夫(とがわ ゆきお、1912年4月15日 - 2004年5月1日)は、日本の小説家、児童文学作家。
日本犬復活運動を展開した斎藤弘吉日本動物愛護協会初代理事長は、渋谷の秋田犬ハチ公に惚れ込み資料を収集し、朝日の記者が「主人の帰りを待つ老犬ものがたり」として報道した。一番びっくりしたのが渋谷駅の駅長以下駅員だった。このハチ公と戸川は交流があったと戸川の自伝的小説『猛犬 忠犬 ただの犬』にある。この本を読みながら、中野孝次『ハラスのいた日々』という愛犬との日々を書いた傑作を思い出した。犬にも感情、意志、知識、思いやり、情など精神作用としての「心」は確かにある。私も少年時代、そして最近までチョコラという名の犬を飼っていたから、動物文学というカテゴリーがあることに納得する。誰もなし得なかった新世界を切り拓いたのが戸川幸夫だった。
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■Produced by KOELABThu, 30 Apr 2020 - 3min - 943 - 4月30日 竹内宏(経済学者、評論家、キャスター)
30才代までは議論しなさい。40才代には議論を聞いてあげなさい。50才代になったら議論に負けてあげなさい
竹内 宏(たけうち ひろし。1930年9月13日 - 2016年4月30日)は、日本の経済学者(日本経済・中東アジア経済)、評論家、キャスター。
サラリーマンとしても高い地位に昇った竹内宏は、人事の機微にも通じていたように思う。年配になったら、役職についたら、「議論に負けてあげなさい」というアドバイスは時折、頭をかすめることがある。
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■Produced by KOELABWed, 29 Apr 2020 - 3min - 942 - 4月29日 牧伸二(ウクレレ漫談家)
漫談芸は格闘技である
牧 伸二(まき しんじ、本名:大井 守常〈おおい もりつね〉、1934年9月26日 - 2013年4月29日)は、日本のウクレレ漫談家。色モノ芸人の集まりである東京演芸協会の会長。
時事ネタを取り入れて漫談を行うには時代の流れに敏感でなければウケナイ。また政治や宗教の風刺、下ネタ、その土地土地に存在するタブーなどはやらない。自分の足で街を歩き、見て、聞いて、観じた「いま」をネタにしなければ、お客さんが笑うような面白いものは出来上がらない。これが牧伸二のポリシーだった。優れた芸人は「時代」を表現し、今を生きる人々の心に共感のさざ波を起こし、笑いをとる。牧伸は油断できない、隙を見せられない、真剣勝負の格闘技の世界を生き抜いた人だったのだ。
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■Produced by KOELABTue, 28 Apr 2020 - 3min - 941 - 4月28日 粟津潔(グラフィックデザイナー)
与えられたテーマに自分なりの『見い出し方』を持ち込むことができたら、デザインはデザインを超えていく
粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009年4月28日)は日本のグラフィックデザイナー。
自分の舞台を創るところから始める起業家は、いわばアーティストである。相手が用意したテーマを予算や時間の制約の中で解答を出すビジネスマンは、いわばデザイナーである。設計者である。デザインの過程で自分という個性を表現できるようになったら、デザインはデザインを超えていく。そして分野を自在に越境していけるようになる。粟津潔のようなデザイナーを志したいものである。
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■Produced by KOELABMon, 27 Apr 2020 - 3min - 940 - 4月27日 大社義規(実業家、日本ハム創業社長)
ツキが落ちても悲観するな
大社 義規(おおこそ よしのり、1915年2月1日 - 2005年4月27日)は、日本の実業家。日本ハム創業社長。
ツキが落ちても悲観する必要はない。なぜなら、そうした局面で何をしたか、どう対応したかによって、その後の展開が大きく変わるからだ。「じっと辛抱して持ちこたえていれば、不思議と運は開けてくるものなんです」と大社義規は語っている。不況、不遇、不運は、次の展開のへむけての準備期間と考えよう。
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■Produced by KOELABSun, 26 Apr 2020 - 3min - 939 - 4月26日 大山倍達(武道家(極真空手)、極真会館館長)
この地上において、自分より強い人間が存在することを絶対に許さない
大山 倍達(おおやま ますたつ、1923年7月27日(大正12年6月4日) - 1994年(平成6年)4月26日)は、朝鮮半島出身の武道家(極真空手)。国際空手道連盟総裁・極真会館館長。段位は十段。
大山の座右の銘11ヵ条の中には「武の道において真の極意は体験にあり」がある。ここから極真会の名をつけたのだろう。また「武の道においては点を起とし、円を終とす 線はこれに付随するものなり」も面白い。また同じ武闘家として大山は宮本武蔵を尊敬していた。「武の道においては千日を初心とし 万日の稽古をもって極となす」は武蔵の『五輪書』の名言「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす」をなぞったものだ。大山倍達は「格闘技の中では空手が一番強く、空手の中では極真が一番強い」と、極真最強論を公言していた。自分より強い人間の存在は許さないという気迫は鍛え抜かれたこの自信からきていることがわかる。
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■Produced by KOELABSat, 25 Apr 2020 - 3min - 938 - 4月25日 尾崎豊(歌手、作詞家、作曲家、編曲家、詩人、実業家)
僕はお金のためにロックンロールをやっているんじゃない。僕は僕の歌を聴いてくれて希望を持ってもらえるために歌うんです。僕は傷ついた人たちのために歌いたい
尾崎 豊(おざき ゆたか、1965年11月29日- 1992年4月25日)は、日本の歌手、作詞家、作曲家、編曲家、詩人、実業家。
「どんな困難にも負けないで いつまでも夢を捨てないで 君たちへ僕からの精一杯の愛情をこめていつまでも歌い続けることを約束します」という尾崎豊の歌は、傷つきやすい若者へ向けての「夢と希望」を捨てるなという応援メッセージだった。「自由っていったいなんだい 自由になりたくないかい みんなは思う様にいきてるかい」、、、。この人の歌は時代を越えて若者たちに共感の小波を起こし、その心に深く響き続けるだろう。
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■Produced by KOELABFri, 24 Apr 2020 - 3min - 937 - 4月24日 小島勝平(実業家、小島電機創設者)
鼻は低く、志は高く
小島 勝平(こじま かつへい。1936年1月28日−2007年4月24日。栃木県生まれ、1954年栃木県立宇都宮商業高校卒業後、実家の雑貨店を手伝う。1963年小島電機(コジマ)設立。「安さに勝るサービスはない」という経営信条を貫く。
「鼻は低く、志は高く」という人柄の滲み出たユーモアあふれる言葉をよく使っていたように、小島勝平は明るさと熱情をもって「安値日本一」という単純峻烈で強靭な経営理念で生涯を戦い抜き一代で売上げ「日本一」となったのだが、その後ライバルに敗退していく。カリスマ創業者が奮闘し急成長した企業のトップ交代の難しさと、創業経営者の悲哀を感じる人生のストーリーである。社長を退いた60代後半から亡くなるまでの心境はどのようなものだったのだろうか。
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■Produced by KOELABThu, 23 Apr 2020 - 3min - 936 - 4月23日 第二十二代目 木村庄之助(大相撲の立行司)
行司も力士も親方衆も、昔からの相撲の型、行司の型を後世に伝えるよう努力し、協会はそれができるような体制をつくるようがん張ってもらいたいものだ
第22代木村 庄之助(きむら しょうのすけ、1890年3月1日 - 1994年4月23日 )は、大相撲の立行司。
「行司は力士に相撲を取らせるのだという心意気、意気込み」を持っていた第22代木村庄之助の目は厳しく、それぞれが「型」を伝えることを期待し、協会はそれを支援せよという。国際化し、問題山積みの現在の相撲界を庄之助はどう見るだろうか。
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■Produced by KOELABWed, 22 Apr 2020 - 3min - 935 - 4月22日 斎藤英四郎(実業家、新日本製鐵元社長、経団連第6代会長)
明るさを求めて暗さを見ず。今日失敗しても明日に明るさを求める。人の欠点より長所を見る。その方が人生楽しいじゃないですか
斎藤 英四郎(さいとう えいしろう、1911年11月22日 - 2002年4月22日)は、日本の実業家。新日本製鐵(新日鉄、現・新日鐵住金)の元社長。経済団体連合会(経団連)第6代会長。
斎藤英四郎は生来のネアカな性格に加えて、明るさを持ち続けようと意識して人格を創りあげたのである。仕事が人をつくり、地位が人をつくる。
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■Produced by KOELABTue, 21 Apr 2020 - 3min - 934 - 4月21日 多田富雄(免疫学者、文筆家)
君と一緒にこれから経験する世界は、二人にとって好奇心に満ちた冒険の世界なのだ
多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 - 2010年4月21日)は、日本の免疫学者、文筆家。
千葉大教授、東大教授として、免疫学に貢献。野口英世記念医学賞、朝日賞を受賞。文化功労者。
脳梗塞になって生まれ変わったと確信した多田富雄は、リハビリによって歩ける日が来ることと、初めてのパソコン操作による文章を書いて社会に参加できるという「希望」を持った。その苦難の道行きは、新たな冒険と探検の世界だった。冒険を試み、未知の世界を感じ、調べ、報告する。再生した多田富雄は探検者として、その後数年を生き切り、健常者にも病者にも、大いなる勇気と優れた啓示を与えたのである。
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■Produced by KOELABMon, 20 Apr 2020 - 3min - 933 - 4月20日 竹内均(地球物理学者)
前進あるのみ
竹内 均(たけうち ひとし、1920年7月2日 - 2004年4月20日)は、日本の地球物理学者。
私もビジネスマン時代には竹内均の書いた「修身」型の本の愛読者だった。それを読み返してみると、過去に読んだ本のエキスを縦横に用いていることがわ改めてわかった。ひたすら前進し、ひたすら蓄積していく、そしてそれを様々なメディアを通じて発表し、世の中に影響を与え続けていった人である。「前進と蓄積」がこの人のライフスタイルであった。知的鍛錬を継続することによって人生を最高に生きることができることを教えてくれた。
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■Produced by KOELABSun, 19 Apr 2020 - 3min - 932 - 4月19日 高橋節郎(漆芸家)
絵心、詩心、遊び心が芸術家の三大要素である
髙橋 節郎(たかはし せつろう、新字体:高橋 節郎、旧字体:高橋 節郞、1914年(大正3年)9月14日 - 2007年(平成19年)4月19日)は、日本の漆芸家である。
絵心、詩心、に加えて、遊び心を芸術家に必要な要素とあげている。体や頭だけでなく、人間だけが持つ心を満足させる遊びを挙げているのはさすがである。芸術という至高の分野は遊びと密接な関係がありそうだ。
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■Produced by KOELABSat, 18 Apr 2020 - 3min - 931 - 4月18日 来栖継(翻訳家、チェコ文学者、日中友好文通の会会長)
重訳が必ずしも直接訳に劣らない
栗栖 継(くりす けい、男性、1910年7月18日 - 2009年4月18日)は、翻訳家、チェコ文学者、共産主義者、エスペランティスト、日本エスペラント学会顧問、世界エスペラント協会名誉会員、日中友好文通の会会長。
翻訳は原本の良さがだんだん薄れるだろうと思うのだが、語学の才能に加えて、志の高い翻訳者を得れば、直接翻訳を上回る出来になることもある。来栖継の第一次翻訳が優れていて、スロバキア語への転訳もすばらしかった。小林多喜二から来栖継、そしてスロバキアのジャーナリストというように松明が引き継がれたのである。奇蹟の物語がここにある。享年98。
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■Produced by KOELABFri, 17 Apr 2020 - 3min - 930 - 4月17日 山田智彦(小説家)
先に何かがあるという思いは、単調な生活のはげみになる
山田 智彦(やまだ ともひこ、1936年3月23日 - 2001年4月17日)は、日本の小説家。
神奈川県生まれ。1958年、早稲田大学文学部独文科卒業。同大学院文学研究科独文科修士課程修了。
何かはわからないが、先に何かがあると思っていると、忍耐力と抑制力を養うことができる。ずっと先を見つめていると、目の前の問題は相対化される。職場でのマンネリ、人間関係の板挟みを乗り越えていくには、二足の草鞋生活は大いに役に立つのだ。先輩・山田智彦の人生の軌跡は、このことを教えてくれる。この何かとは「希望」ではないだろうか。
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■Produced by KOELABThu, 16 Apr 2020 - 3min - 929 - 4月16日 村田昭治(マーケティング論のリーダー)
経営力の差は、経営能力というよりも経営姿勢から生まれる
村田 昭治(むらた しょうじ、1932年11月19日 - 2015年4月16日)は、日本のマーケティング論のリーダー。
冒頭の「経営力の差は、経営能力というよりも経営姿勢から生まれる」の「経営」という言葉をはずしてみよう。「力の差は、能力というよりも姿勢から生まれる」になる。前向きで、勢いのある姿を続けられれば、どの分野でもいずれ無敵のリーダーになる。
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■Produced by KOELABWed, 15 Apr 2020 - 3min - 928 - 4月15日 三重野康(第26代日本銀行総裁)
五十歩と百歩は違う
三重野 康(みえの やすし、1924年(大正13年)3月17日 - 2012年(平成24年)4月15日)は、第26代日本銀行総裁。
「五十歩、百歩」は、どちらも同じようなものだという意味で使われる。しかし三重野康は仕事の場面では、この二つは差があるという。退くときには、五十歩なら踏みとどまって橋頭堡となり、それが次の踏み台になって前進できると考えている。長い目で前に進むことを考えながらしぶとく仕事をしていた姿を彷彿とさせる言葉である。
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■Produced by KOELABTue, 14 Apr 2020 - 3min - 927 - 4月14日 三國連太郎(俳優)
自分の器量に過不足のない物選び、それができれば一人前
三國 連太郎(みくに れんたろう、1923年(大正12年)1月20日 - 2013年(平成25年)4月14日)は、日本の俳優。
世田谷・砧にある自宅の2階の書斎は10畳ほどの空間とそれに続くテラスがあった。そこには自身の眼で確かめた眼鏡、鞄、万年筆などの愛用品が並んでいた。自分の器量にふさわしい物選びをしていたのである。この趣味人が生前に大人のための上質な素材と細部までこだわった作りで定評のある「パパス」のモデルになったのを覚えている。それは優れた人選だったのだ。
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■Produced by KOELABMon, 13 Apr 2020 - 3min - 926 - 4月13日 江頭匡一(実業家)
目標を作り、計画を立て、それを確実に実行するときは間違いなく目標に到達する
江頭 匡一(えがしら きょういち、1923年〈大正12年〉3月25日 - 2005年〈平成17年〉4月13日)は、日本の実業家。ファミリーレストランの草分け的存在である外食チェーン店・ロイヤルホストなどを展開する、福岡に本社を置くロイヤルホールディングス株式会社の創業者。
冒頭の「目標、計画、実行」は、当たり前のようではあるが、相当の気概をもって事に当たらなければ達成はできるものではない。「実行」の前に「確実な」という言葉が入っているのは見逃せない。匡一という名前は論語の「天下を一匡す」から名付けられた。乱れた状態をあるべき正しい姿に戻すという意味である。その名のとおり、江頭匡一は一つひとつを疎かにせず、日々問題を解決し、正しい姿に戻していこうとする人生行路だったのであろう。
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■Produced by KOELABSun, 12 Apr 2020 - 3min - 925 - 4月12日 ペギー葉山(女性歌手、タレント)
すべてが、つながっているんですよ。、、、私の人生って、『歌の扉』があって、それを開けると、また次の『歌の扉』があって、という、そういう運命的な歌の神様に導かれたような気がするの
ペギー葉山(ペギーはやま、本名:森 シゲ子(もり しげこ)旧姓:小鷹狩(こたかり)、1933年12月9日 - 2017年4月12日)は、日本の女性歌手、タレント。
歌は慰みである。歌は励ましである。歌は教育である。この歌を歌うことを仕事にして多くの人の心に灯火をつけたペギー葉山は、「とても幸せな人生だったんだな」と述懐している。私たちの人生行路にはいくつもの大小の扉がある。その扉を思い切って開けると違う世界が目の前に広がる。その連続が人生ということになる。後から振り返ってペギー葉山が言うように「すべてが、つながっている」と思えるようなら、幸せな人生だったということだろうか。
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■Produced by KOELABSat, 11 Apr 2020 - 3min - 924 - 4月11日 高橋圭三(日本のアナウンサー、参議院議員)
管理職になってハンコなんか押せない。ハンコは誰でも押せるが、職人アナの代わりはいない
高橋 圭三(たかはし けいぞう、1918年9月9日 - 2002年4月11日)は、日本のアナウンサー、参議院議員。
1962年の NHKとの契約解除後、民放に転じたNHKアナウンサーがフリーになった第1号となった。冒頭の「職人アナ」はその時に語った言葉である。日本では司会は場つなぎの仕事であるが、アメリカでは大切な職業として認知されており、日本における司会業の確立が高橋の夢であった。強い矜持を持っていた高橋圭三アナウンサーは職人アナウンサーのパイオニアとして、後輩たちの優れたモデルになった。
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■Produced by KOELABFri, 10 Apr 2020 - 3min - 923 - 4月10日 菅洋志(写真家)
一番高いところ、一番前など、見晴らしの良い場所を確保し、シャッターを押す
菅 洋志(すが ひろし 1945年7月9日−2013年4月10日)は、写真家。
1987年に「バリ・超夢幻界」で土門拳賞。写真展「生きる—東日本大震災から一年」の実行委員長を務めた。日本写真家協会常務理事。
写真集『アジア夢紀行』を発表したのは1987年で菅は42歳あたりだ。「堂々と写真を撮り、そして納得のいくところで発表をしたい」と決意を述べている菅は、仕事と私事の双方を意識していた。私事には「ライフワーク」と振り仮名を振っている。このエッセイの最後は「さあ、ドキュメンタリーが面白い時代になってきたぞ」と結んでいる。それから四半世紀、菅洋志は67歳で逝った。
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■Produced by KOELABThu, 09 Apr 2020 - 3min - 922 - 4月9日 村田邦彦(ピエトロの創業者)
泥船を木船に、木舟が鉄船になるようにやってきました
村田邦彦(1941年7月10日−2015年4月9日)は、福岡県福岡市中央区天神に本社を置く日本の食品メーカーならびにファミリーレストラン株式会社ピエトロの創業者。
創業から36年、いつ沈むかという不安の中を全力で疾走した村田邦彦は、泥で何とかつくった船をややしっかりした木の船に仕立て、その木の船を頑丈な鉄の船に仕上げていったのである。この感覚は創業者の実感だろうが、私が経験した沈滞した組織の改革に挑む時も、衰退した組織の再建に挑戦する場合も、泥、木、鉄というように精魂込めて船をつくるような同じ感覚があった。
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■Produced by KOELABWed, 08 Apr 2020 - 3min - 921 - 4月8日 清家清(建築家)
家とは単なるハウスではなくホームであるべきだ
清家 清(せいけ きよし、1918年12月13日 - 2005年4月8日)は、日本の建築家。
「漢字には、住まいを指すのに二つの文字がある。すなわち『宅』と『家』である。この場合、『宅』はハードウェアとしてのハウス、『家』はソフトウェアとしてのホームにあたる」。だから清家は路上生活者のことを、ホームレスというが、厳密にはハウスレスというべきであろうと言っている。「よい家とは、お金をかけるだけではなく、本当に末永く愛着をもって住めるかどうかがキメ手なのである。ひとつひとつの部屋や場所にいるとき、この部屋で育ってきた、私はここを使って生活してきたのだ、と実感できるもの、そういうものがかもしだす生活のにおいが、われわれにやすらぎを与えてくれるのである」。容れ物としてのハウスを手にすること、そしてそれ以上に安らぎを与えてくれるホームをつくることにも力を注がねば幸せには届かない。
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■Produced by KOELABTue, 07 Apr 2020 - 3min - 920 - 4月7日 岸田衿子(詩人,童話作家)
本の中のものと子どもが遊んでくれればいいといつも考えている
岸田 衿子(きしだ えりこ、1929年1月5日 - 2011年4月7日)は、日本の詩人・童話作家。
岸田衿子の詩はリズム感のある優しい詩で大人のファンも多く、茨木のり子と並んで現代女性詩人の最高峰だった。そして子ども時代そのままの感性で、親子のコミュニケーションを通じて、子どもの情操や想像力を育てる童話を書き、子どもたちに語りかけた。ピアニストや画家を志した表現者の少女は、詩人・童話作家となった。
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■Produced by KOELABMon, 06 Apr 2020 - 3min - 919 - 4月6日 原田明夫(検事総長)
起こったことは仕方がないのだから、そのことを前提に最善を考えよう
原田 明夫(はらだ あきお、1939年11月3日 - 2017年4月6日)は、日本の検事総長。
原田明夫は、検事として、取り返しのつかない人生を送りかねない人に向き合ううちに、「起こったことは仕方がないのだから、そのことを前提に最善を考えよう」という心境に至った。国際社会で活躍し尊敬を集めた新渡戸稲造という先達と対話し続け、どのような存在をも認めた上で争いのない社会にするために最善を考えようしたのであろう。
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■Produced by KOELABSun, 05 Apr 2020 - 3min - 918 - 4月5日 升田幸三(将棋棋士)
天下をとれる人というのは、結局、最上のコンディションをその日にピタリと持ってゆくことの出来る人、ということです
升田 幸三(ますだ こうぞう、1918年3月21日 - 1991年4月5日)は、将棋棋士。実力制第四代名人。
スポーツもそうだが、勝負というものは本番の前に勝敗は決している。体調を整え、心の調子を整えて、心身を最高の状態に持って行き、磨き抜いた技を存分に発揮できるものが勝つのだ。どの分野でも「天下人」とはそういう人である。
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■Produced by KOELABSat, 04 Apr 2020 - 3min - 917 - 4月4日 佐々木高明(民族学者)
照葉樹林文化論
佐々木 高明(ささき こうめい、1929年11月17日 - 2013年4月4日)は、日本の民族学者。国立民族学博物館館長。
この佐々木らの理論は『文明の生態史観』とともに、西洋を相対化するという視点で、戦後の日本人に自信を持たせたのである。『文明の生態史観』は西洋と日本は親せきであるとしたが、『照葉樹林文化論』はアジア世界の中に日本を位置づけた。
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■Produced by KOELABFri, 03 Apr 2020 - 3min - 916 - 4月3日 菊村到(作家、小説家)
仕事をするということは自分を開発し発見していくことに他なりません
菊村 到(きくむら いたる 1925年5月15日 - 1999年4月3日)は作家、小説家。本名は戸川雄次郎。
1948年、大学卒業と共に読売新聞社へ入社。社会部の記者として活動する傍らで執筆活動を行う。
仕事は全力を注がなければ成果はでないから、いい仕事をしている人は自分の中の資源を開発している人であり、日々新しい自分を発見し続けている人である。菊村到は小説を書き続ける中で、自身の関心や興味のありどころを発見し、能力を確認し、それを天命として受け入れていったのだ。自己発見とは、自己開発、自己創造していく道程の末にようやく見えてくるのものなのだ。そうして、やがて自分は本当の自分になる。
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■Produced by KOELABThu, 02 Apr 2020 - 3min - 915 - 4月2日 越後正一(実業家、伊藤忠商事社長・会長)
成功は窮苦の間に芽生えており、失敗は得意満面の間に宿る
越後 正一(えちご まさかず、1901年(明治34年)4月26日 - 1991年(平成3年)4月2日)は滋賀県出身の実業家。伊藤忠商事社長・会長。
越後以後の歴代社長の語録を並べてみる。戸崎誠喜「不撓不屈」。米倉功「現状維持は、すなわち、これ脱落である」。室伏稔「Nothing is impossible」。丹羽宇一郎「清く、正しく、美しく」。小林栄「Challenje,Create,Commit」。
以下、岡藤正広、鈴木善久と続くのだが、2016年3月決算では、伊藤忠は財閥系の三菱商事、三井物産を抜いてトップに立った。2017年3月には純利益3522億円の最高益をたたき出した。越後正一の「失敗は得意満面の間に宿る」という戒めに改めて心すべき時代になったということだろう。
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■Produced by KOELABWed, 01 Apr 2020 - 3min - 914 - 4月1日 大川ミサヲ(長寿の日本人女性)
まあまあ幸せ
大川 ミサヲ(おおかわ みさお、1898年(明治31年)3月5日 - 2015年(平成27年)4月1日)は、長寿の日本人女性。
19世紀、20世紀、21世紀の足掛け3世紀を生きた人。
大川ミサヲは長寿の秘訣を聞かれて、「美味しいものを食べること」「ゆっくり暮らすこと」「よく寝ること」をあげている。大川の日常そのままだ。19世紀末の明治から始まり、大正、昭和、戦後、平成、そして21世紀初頭までという気の遠くなるような117年の人生には、並大抵でない苦労があっただろうと推察される。人生を振り返って「まあまあ幸せ」と総括していることに安堵を覚える。平成末になって言われるようになった、迫り来る人生100年時代にも多くの人がこの言葉を吐けるようにしたいものだ。
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■Produced by KOELABTue, 31 Mar 2020 - 3min - 913 - 3月31日 六代目 中村歌右衛門(歌舞伎役者)
謙虚さをなくしたら芸はダメ
六代目 中村 歌右衛門(なかむら うたえもん、1917年(大正6年)1月20日 - 2001年(平成13年)3月31日)は、日本の歌舞伎役者。
偉人たちは切磋する敵、琢磨する友によって偉大になっているのであるが、このような優れた好敵手、異業界のトップとの切磋琢磨によって、中村歌右衛門は磨かれたのだ。歌右衛門は「謙虚さ」を武器に、ライバルや友人から学び続け「芸」を磨き続けたのであろう。
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■Produced by KOELABMon, 30 Mar 2020 - 3min - 912 - 3月30日 佐藤忠良(彫刻家)
底光りするような個性というものは、競技者が一番でゴールに入るときの鍛錬にも似て、作家人生の終盤に出るのが本当ではないだろうか
佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2011年3月30日)は日本の彫刻家。
「彫刻家と人が認めてくれたとき、五十歳を越えていた」遅咲きの人・佐藤忠良は強い浮揚力で滑走路に足がつかないように低空飛行を長い期間続け、作家人生の終盤にようやく底光りする個性と品格を表現できたのだろう。
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■Produced by KOELABSun, 29 Mar 2020 - 3min - 911 - 3月29日 成毛滋(ギタリスト、キーボーディスト)
日本のインチキギタリストは、、、
成毛 滋(なるも しげる、1947年1月29日 - 2007年3月29日)は日本のギタリスト、キーボーディスト。
同時代のギタリストを「インチキギタリスト」と厳しく批判するなど、人をけなす言い方は名物だったようだ。当時のギターの教則本を真っ向から否定していた挑戦的な人だった。成毛滋は誰も反論できないほどの膨大な知識とたゆまぬ努力の末に得た高度なテクニックを持つ伝説のギタリストだった。専門分野について、表現はともかくこういう言葉を吐ける自負を持ちたいものだ。
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■Produced by KOELABSat, 28 Mar 2020 - 3min - 910 - 3月28日 氏家齋一郎(実業家)
70年以上生きてきて、何もやってこなかった男の寂しさが分かるか
氏家 齊一郎(うじいえ せいいちろう、1926年(大正15年)5月17日 - 2011年(平成23年)3月28日)は、日本の実業家。
外見には立身出世を果たしてきたとみえる氏家は、「この世の中で大成した人で、人騙して上がってきたっていう人いないもの」と言う。そして意外にも「俺の人生、振り返ると何もやっていない」「死ぬ前に何かやりたい、、、」と語っている。刹那主義で目前の課題の解決や闘いに勝ち続けて来たが、しかし何も残せなかったと振り返る寂しい姿がみえる。氏家には自らの存在証明としてのライフワークがなかったのだ。最後は、氏家は共産主義者の匂いの残る高畑勲監督の『かぐや姫』に日本テレビの20億円を注ぎ込み、製作=氏家齋一郎と書き込んだ。それが残った。人は何を遺すかを考えなければならない。
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■Produced by KOELABFri, 27 Mar 2020 - 3min - 909 - 3月27日 朝倉摂(舞台美術家・画家)
劇場空間は生き物なのです。それに応えるべく、劇場空間が喜んでくれるような仕事に挑みたいといつも思っています
朝倉 摂(あさくら せつ、1922年7月16日 - 2014年3月27日)は、日本の舞台美術家・画家。父は彫刻家の朝倉文夫。妹は彫刻家の朝倉響子。
若い頃から一貫して、「芸術家の行為はレジスタンスです」、「すべてに闘わないとだめ」といった姿勢を貫いた朝倉摂は、常に若々しいエネルギーに満ちた前衛の人であった。草分けとなった舞台美術という分野を創り上げた朝倉摂は、生涯現役で、生き物である劇場を喜ばせる仕事を天職としたのである。
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■Produced by KOELABThu, 26 Mar 2020 - 3min - 908 - 3月26日 山口誓子(俳人)
私はただ事に当って全力を尽くしただけのことである
山口 誓子(やまぐち せいし、1901年(明治34年)11月3日 - 1994年(平成6年)3月26日)は京都府出身の俳人。
57歳では、なりたい職業はなかったが、「ただ事に当って全力を尽く」すという態度を貫いた結果、俳句につながる現在の職業が、うってつけの職業になったと語っている。ここに天職への扉を開く秘密がある。
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■Produced by KOELABWed, 25 Mar 2020 - 3min - 907 - 3月25日 田村魚菜(料理研究家)
料理或いは食べ物、というレンズのフィルターをつけて歩いてきた
田村 魚菜(たむら ぎょさい、1914年11月23日 - 1991年3月25日)は、料理研究家。
田村魚菜のいう、その人独特のレンズのフィルターとは専門性のことである。職業人とは、長い間に身につけた独特のフィルターで世の中を見る人である。損害保険のトップ企業の幹部の方と食事をしたとき、世の事象をすべてリスクという観点から見ていて敬服したことがある。学校歴という意味での学歴ではなく、生涯を通じての学習の歴史である学習歴が重要であることが田村魚菜の人生からもみえてくる。
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■Produced by KOELABTue, 24 Mar 2020 - 3min - 906 - 3月24日 田村喜子(ノンフィクション作家)
「方」がつくのは偉いのよ。だって、「親方」と「奥方」には頭があがらないでしょ
田村 喜子(たむら よしこ、1932年10月25日 - 2012年3月24日)は、日本のノンフィクション作家。
土石・木材・鉄材などを使用して、道路・橋梁・鉄道・港湾・堤防・河川・上下水道などを造る建設工事を行う地味な技術者は、「土方」と呼ばれることがある。冒頭の言葉は、その一人である苦瀬博仁(東京海洋大学教授)を田村喜子がユーモアを交えて励ました言葉である。「家」がつく偉い人よりも、現場に立ってものづくりを行う技術者たちは励まされて土木学会の賞を贈られたのであろう。この賞は、その後、八田與一を書いた古川勝三、伊能忠敬を書いた井上ひさし、ローマ人の物語を書いた塩野七生などが受章している。2010年に出張で台湾の八田ダムを訪問したときに私が読んだ古川勝三の本がこの賞を受賞していたことを思い出した。その第一回受賞者が田村喜子だったのだ。
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■Produced by KOELABMon, 23 Mar 2020 - 3min - 905 - 3月23日 大橋鎮子(編集者、エッセイスト)
私は『暮らしの手帖』一冊全体を『戦争中の暮らしの記録』だけで作りましょう、と提案しました。臨時増刊、特別号、単行本などにするよりも、定期の『暮らしの手帖』に載せたほうが、よりたくさんの人に手に取ってもらえ、読んでもらえる。しかも、雑誌もよく売れ、営業的にプラスになると思ったからです
大橋 鎭子(おおはし しずこ、1920年3月10日 - 2013年3月23日)は、日本の編集者、エッセイスト。暮しの手帖社社主・社長。雑誌『暮しの手帖』を創刊した。
冒頭の言葉は、大橋鎮子がヒットを生む企画力と時代をつかむ営業力を兼ね備えた経営者であったことをうかがわせる。
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■Produced by KOELABSun, 22 Mar 2020 - 3min - 904 - 3月22日 胡桃沢耕史(作家)
稿料格安 締め切り遵守
胡桃沢 耕史(くるみざわ こうし、1925年4月26日 - 1994年3月22日)は日本の作家。
1955年のデビュー作『壮士再び帰らず』で第7回オール讀物新人賞受章から、1983年の『黒パン俘虜記』での直木賞。
『〆切本』という興味深い本がある。明治以降の数多くの原稿締め切りを守れない作家たちの〆切を巡るエピソードが満載の本だ。この中に胡桃沢耕史が載っている。ある記者の「作家名刺ホルダー」には取材した多くの作家の名刺を収められており、胡桃沢耕史の名刺の右肩には「稿料格安 締切厳守」というメモが書かれていたという。源氏鶏太の『精力絶倫物語』は胡桃沢がモデルというから魅力のある快男児だったのだろう。自由奔放な行動派作家というイメージだが、意外にも締め切りを守ることを信条としていたのである。
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■Produced by KOELABSat, 21 Mar 2020 - 3min
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